4-1:煙草と魔法薬
魔塔主補佐ジェフ・ギブスンは、間違いなく超一流の魔術師だ。
彼の紙巻煙草の紙を両手に掲げ、そこに付与された魔術式を透かし見ながらセシリアはそう思う。
(やっぱり何度見ても、本当にすごい。一切の無駄がない洗練された魔術式。ただ封印魔術古書の使えそうな術式をコピペしてるだけとは全然違う)
これが、本物の魔術師の研鑽と実力とセシリアは思う。
付け焼き刃で魔術や魔法知識を詰め込んだのとは違う。一つ一つを地道に理解し、自分の考えで試行錯誤を繰り返し組み上げられた魔術。セシリアが憧れるものだ。
「おおい。いつまで紙切れ見つめてんだ、この嬢ちゃんは」
「はっ! ご、ごめんなさいっ、でもとてもとても綺麗で……いままで見たジェフさんの魔術式の中で、一番すごいと思います」
「そうかそうか」
セシリアとしては最大級の敬意と賛辞を込めていたが、そもそも苦労して編み出した独自の魔術式を見た端から解析され、理解されてしまうこと自体魔術師にとっては結構な屈辱である。
興奮気味なセシリアに反して、褒められるのは嬉しいものの複雑な思いを抱くジェフである。
「悪気なしってのがな……」
「はい?」
「あーいや、術式解析の専門家な<深園の解錠師>様に賞賛いただき光栄だ」
術式解析の専門家。
魔術師の観点からセシリアおよび解錠師を理解すると、つまるところその言葉に行き着く。
ジェフがひらひらと片手を振れば、横からセシリアの師ネイサンが口を挟んだ。
「この娘の本質をよくわかってんじゃない。赤髪の青二才」
十年以上も消息不明でいた魔術師ネイサン・リドル。
魔道具の提供者や論文にその名は出ても、直に姿を見せることはなかった。死亡説まで流れていた、<アルバスの悪魔>の異名を持つ上級魔術師。クリストファーとの模擬戦で、いまも現役の魔術師であることを知らしめた。異名にふさわしい凶悪さで。
「なんで宮廷魔術師のあんたがここにいんのかなんだが……」
「あら〜、アタシが勅命を受け魔塔に派遣された協力者って忘れたの? 魔塔主補佐ともあろうお方が?」
今日は魔塔でも特別な部屋にセシリア達はいた。
壁も天井も銀色に輝く金属張りの実験室は、セシリアの前世の学校にあった理科室とか調理室とかに似た雰囲気と広さの部屋だ。
大人が横たわれる大きさの、やはり金属を張った作業台が二台と、壁際に沿って様々な計器や道具の類が並べてある。
明らかな違いは、一番奥に銀行などにありそうな頑丈な扉の金庫室のような物々しい小部屋の設備があることだ。外に絶対漏れてはいけない実験をする部屋で、鍵は魔塔主しか持っていないらしい。
なんだか怖い。
「くっ、ただの襲撃犯のおっさんのくせに……っ」
「辺境伯領は国防の要。ペトラ病が風土病でないなら王家としても協力したいと陛下の仰せよ。元王子な魔塔主様も了承したでしょうが」
魔術界に復帰したネイサンだったが、魔塔勤めになったのでもアルバスに戻ったのでもない。
どういうわけか、王宮に属する宮廷魔術師。
それも、ちゃっかりフランシス王の相談役、魔術顧問みたいな立ち位置に収まっている。
(ほ、本当に……ネイサンおじさまが一緒なのは心強いけど。権威を嫌っているはずなのに、どうして王家の側に?!)
おそらく『深園の書』解錠時に立ち会った、セシリアの師である立場をもって交渉したのだろうけれど。
突然出てきて、王家が派遣した協力者として魔塔に出入りするネイサンは「権威には権威よ」と、塔の魔術師達に睨まれて実に楽しそうである。
「え、ええとっ、この実験室すごいですね! 壁自体が魔力耐性のある金属で出来てる部屋なんてっ! 銀色でぴ、ぴかぴかしてるしっ」
セシリアに出来ることは、せいぜい話題を変ることだ。
そしてそれは数年彼女を見続けてきたネイサンにとっては、彼が弟子に与えることが出来なかった大きな変化だった。周囲の人間に気を回し、自ら働きかけようとするなど魔塔に出入りする前のセシリアにはなかっただろう行動である。
「元王子がやりたい放題もいいところね。この銀の輝き、白銀鋼じゃない」
「はくぎんこう……?」
「雑魚竜の炎程度なら防御できる魔力耐性を持った、高純度な魔石と鋼を掛け合わせた特殊鋼よ」
「え、すごい」
そんな金属があるなんてとセシリアは目を丸くする。
雑魚竜の炎程度なんてネイサンは言うけれど、竜である時点でその炎は凶悪な熱と破壊力を持っている。
耐熱術式を付与した盾であっても、直撃すれば数分ももたない。
「そんな素材があるなら討伐に使えるんじゃ」
「製造費用が馬鹿高くて、武具になんて使えない。製造できる工房も限られる。物好きと実験用くらいしか流通してないってのに」
「部外者入れたい部屋じゃないんだがな。使える奴も限られるし」
「ふざけた魔力量の魔塔主様用ってだけでしょうが」
ネイサンの言葉が図星だったのか、ジェフはゴホンと咳払いした。
まだ魔塔でも機密扱いの魔法薬について、今後の方向性を話し合い、本格的な製造に着手していく場所としてクリストファーとジェフが決めたと説明する。
「設備も込みで、作るだけで小国の年間予算くら吹っ飛びそうね」
ネイサンの言葉に、ひっとセシリアは震え上がる。
魔塔の、クリストファーの資金力がすごい。
「なに震え上がってんのよ。本家の書庫だってそんなもんでしょ。侯爵家で可能なことくらい、王族の公爵で魔塔の長なら余裕でしょうよ」
「あーそこ、大貴族の狂った金銭感覚の話なら、うちの魔塔主だけで十分だから禁止な。俺はともかく基本いい家の出の魔術師達が哀しくなる」
ジェフの言葉に、セシリアの背後の作業台の椅子に座って待機していた数人の魔術師が頷く。
魔法薬の分析と検証を担当していた魔術師達らしい。
ネイサンが言うには魔塔ほど権威主義な場所もない話だったが、セシリアが塔に通う間でそう思ったことは一度もない。ジェフを信頼するクリストファーの近くだからとも考えたが、たぶん違う。
いまいるこの場も、平民で魔塔主補佐であるジェフに対し魔術師達の反発は感じられない。
(元王子がやりたい放題……クリストファー様が変えたんだ……)
なにかと難しいしがらみのあるクリストファーが魔術師として生きる彼の居場所となるよう、いまの魔塔を築いたのだろう。
(王家の人達もわたしの知る感じと違うけど、前々世の時と一番大きく違うのはクリストファー様かも……わたしのことを省いてもなんだか……)
前々世の彼は、王城や王都に屋敷を構えて暮らしていたけれど、今世では魔塔を家としている。
あれ、とセシリアは引っかかるものを覚えた。
しかし「じゃあ、始めるか」と声を上げたジェフに、引っかかりを追うことは断たれた。
ぱちんっ、とネイサンが指を鳴らす。
ジェフの立つ背後の壁に沿って、見えない“魔力を凝固させた壁”が作られる。
「っ!?」
「たかが魔力の板に、ぴりぴりしないで頂戴」
すぐさま警戒の表情を見せたジェフに、彼の前にある作業台に寄りかかってネイサンが言った。
結界術の応用だ。普通なら人や建物を覆うよう展開するものを、大きな板状にし空間に展開している。
その大きさは、セシリアが前世に通った大学の講義室のホワイトボードくらい。
「こんなもん?」
「あ、はい」
ネイサンの問いかけに、セシリアは答えて投影術式を貼り付ける。
「なんだ?」
「き、基本的な仕組みは模擬戦の時と同じです……わたしは魔術を発動させるほどの魔力がないので、先生の結界の魔力を利用して。だ、だけど前はただ写すだけだったので……」
少し改良を加えた。
セシリアはジェフの前の作業台に近づき、台全体に魔力付与を施す。
極細の糸で編んだ網をごく薄く、付与した範囲が投影範囲となる。
セシリアの魔力は一般人に毛が生えた程度だけれど、この程度のことならできる。そこへジェフの術式付与された紙を置けば、おおっ、と実験室にどよめきが起こった。
「どんな魔術だ、これ」
ネイサンの作った壁に、術式付与された紙がその魔術式を青い光で浮かび上がらせ拡大表示されている。
ジェフの呟きにセシリアは答えた。
「と、投影範囲をあらかじめ設定して……」
「うん?」
「その範囲に網状に感知術式を張って、どう投影するかを微量の魔力の信号に換えて反映出来るようにしました。ジェフさんの術式も微量の魔力で浮き上がらせて――」
「わかった! 人の心を折る変態理論の話はクリスとしてくれ」
「……はい」
色々工夫したところを説明したかったのに……と残念がりながら、ジェフの言葉でクリストファーがいないことにセシリアは気がついた。こんな話し合いの場、必ずいそうなものなのに。後からくる雰囲気でもない。
「く、クリストファー様は?」
「あいつは出張だ」
「そう、ですか」
ほっとしたようなそうでないようなと、セシリアは胸の内で呟く。
夜会の日から一週間過ぎているが、クリストファーとは互いの予定もあって顔を合わせていない。
逆に顔を合わせて、これまでみたいに近い距離でからかわれたら、どうしていいかわからない。
(本当に、国王陛下もどうして……正体を掴まれるなと言ったのにぃ……)
セシリア・ヴァストとして彼と踊った。
体格も顔もセシリア・リドルとまったく同じと気づかれたら、流石に疑うはずだ。
*****
夜会から二日経って呼び出され、フランシス王と顔を合わせたセシリアは奇妙な質問を受けた。
クリストファーをどう思うかと尋ねられたのだ。
『優秀な魔塔主だと思います……』
魔塔で接するクリストファーに対する所感を答えたが不十分だったようだ。
微妙に眉根を寄せたフランシス王に、セシリアは慌てる。気づけば口から何故そんなことを言ったのかわからない言葉が飛び出ていた。
『へっ、陛下はどう思っているのですか?』
『余の質問に満足に答えもせず、問い返すか?』
どうしてこの王様はちょっとしたことで、人を威圧してくるのだろう。
ひぃぃと内心叫んで縮こまったセシリアに、ふんと鼻を鳴らしフランシス王はつまらなさそうな表情で、しかし彼女の問いに答えた。
『そうだな……アレが小賢しい魔術馬鹿でなければ、おそらく潰していただろう。担ぎ上げられ国に混乱を誘う資質があまりに揃いすぎている』
前々世や前世で読んだ小説における冷酷無慈悲なフランシス王を知るセシリアにとって、その言葉は意外過ぎる言葉であり、なにか言うにはあまりに真摯な返答だった。
『アレは薄気味悪いほど幼子の頃から己を知り、余をあてにもせず逃げている。情けなくも業腹な奴よ』
クリストファーを立場上牽制はしても、害するつもりはないと言っているのも同然だった。王の言葉に滲む親としての情にもセシリアは驚く。
『それはそうと其方も年頃の令嬢だ。アレと夜会で踊り言うことが魔塔主としての優秀さのみか?』
『ええと……陛下に相手をしろと命じられて、わたしの相手をしているのが気の毒でした』
踊っている間、クリストファーは明らかに困惑していた。
だからそう答えたのに、何故かフランシス王に哀れむような目を向けられる。
『ヴァストの娘でネイサン・リドルの養女とあっては……情緒を育むのは難しいか』
まあよい下がれと言われ、結局なんのために呼ばれたのかよくわからない謁見は終わった。
*****
フランシス王がなにを考えているのかはよくわからないが、いまは魔法薬の魔力濃度の調整である。
現時点で素材の配分や調合式では難しいことがわかっていた。素材の配分を変えると魔法薬にならず、調合式で濃度を調節しようとすると変質してしまう。
「――現状、魔法薬は処方通りの配合と調合式が最適と考えられます」
「わざわざ封印魔術古書に書き残すくらいなだけはあったってことね」
担当者の説明に対するネイサンの発言は、検証が無駄だと言うのではない。
封印魔術古書の処方通りでなければ魔法薬は成り立たないと、短期で裏付けたことに感心しての言葉だ。
「リドル卿の言う通りですが、となるといまの時代の者には合わない魔法薬ということに……」
「この小娘がなんか提案する気でしょ。そこの赤髪の青二才の違法すれすれ煙草の術式を元に」
「あ、えっと……はい」
おどおどとぎこちなく、セシリアは魔法薬分析の魔術師達へと体ごと向かい合った。
「じぇ、ジェフさんの煙草は……刻んだ薬草に違法すれすれの強壮薬を染み込ませたものです。ど、どうしてこんなのを煙草にしているかと言うと……」
「その説明はいらないから」
「うぅ、はぃ……ええと。この刻み煙草は吸引量を誤ると危険です。ジェフさんは薬の効果と副作用の抑制をうまく両立させるための毒性を抑える術式を……そこまでしてお仕事に必要……?」
「あーそこはあんま触れないでくれ」
「はい……」
ジェフの言葉にセシリアが了承し、実験室にいる他の魔術師達を見れば、一様に察する余りあるといった表情をしていた。魔塔主補佐としてなにか事情があるのだろう。
「こ、これを魔法薬に使ってはと思いました。ち、調合段階での調整が無理なら、出来上がった魔法薬の魔力濃度を落とす容器かなにか……」
「これだってまだ改良中だ。毒性を抑えるのとは勝手が違う。嬢ちゃんの着眼点はいいとは思うが、魔法薬の性質上、それが出来るかどうかだな」
ジェフが言えば、皆画面を見上げて黙りこむ。
「魔力濃度を下げること自体はそう難しくは。魔力消費させればいいのですから。ですが都合よい濃度で保持するとなると……」
「その前に付与と魔力消費の反応に耐えられる量産出来るものがあるかよ、その紙、魔性植物紙よね?」
「他の紙だと、付与した魔術式の定着が悪かったり、魔力が乗らない」
ジェフの言葉にネイサンがわずかに目を細め、画面を見つめる。魔術式を読んでいるのに違いない。
「こういうのは実際作って試すしかないけど」
「我々は魔法分野寄りで、別の魔術師に……」
「馬鹿じゃないの? 魔法薬に影響しないかはアンタ達が一番でしょうが! 設計はそこの魔塔主補佐で事足りる。あとは常識的で柔軟な発想力のある学生ね」
「おぃっ! 勝手に決めんな!」
「この小娘とどっちがいいのよ」
ジェフがセシリアを見て、「エヴァ・コレットで……」とうなだれた。
「ジェフさんの見ていくつか考えたのに……」
「ありがたく参考にするが、嬢ちゃんのは凡人向けじゃない」
セシリアは少しだけ傷ついた。




