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3-7:そういったところを高く評価している

 想定以上に手強い。

 北庭の東端、塔の十階より少し低い位置から、クリストファーは地面を見下ろしつぶやいた。


(避けられないよう、半径二メートルに隙間なく撃ち込んで……無傷)


 ひゅう、と《白焔》の衝撃の余波で下から巻き上がった風に、クリストファーの白ローブの裾と袖が大きくはためき、首の後ろで緩く束ねる肩下に届く銀髪が煽られて乱れる。

 

「やはり気に食わないな……ネイサン・リドル」


 クリストファーは氷色の瞳の目を細めた。

 彼が必要とする解錠師の少女の側で見せることはない、冷ややかな眼差しと表情で。

 ネイサン・リドル――魔術の名門、アルバス魔法魔術学院の元教授。<深園の解錠師>セシリア・リドルの師であり養父。

 彼の、人を食った『深園の書』の出庫申請は魔術界を刺激し、解錠技法の公開は王城を刺激した。


(おかげで彼女個人ではなく、解錠技法を巡り牽制しあう構図となった)


 クリストファーはネイサンが作り上げた構図を利用して、魔術界に解錠師の位置付けを認めさせたに過ぎない。同時にそう動かされたようにも感じていた。おそらく父フランシス王も同様だろう。

 破天荒で権威を嫌う、ただの皮肉屋とは違う。

 

(いまになって文句を言うためだけに執務室を襲撃したとは思えない。なにか目的があるはずだ)


 ずっと考えているが掴めないでいる。彼の魔術についてもだ。

 ネイサンが結界術に長けると、クリストファーに印象づけている可能性をもちろん彼は考えていた。

 結界はその強度以上の魔力で打ち砕ける。魔力量の多いクリストファーにとって、簡単に対抗できるものだからこそ怪しい。しかし高威力で高精度な攻撃を叩き込めばダメージは与えられる。損はない。面倒事はさっさと片付けるに限る。


「――と、僕なら考えると読まれていた。序盤に魔力を削ぐためか。つまりリドル卿は絶対回避の自信があって、牽制でも酔狂でもなく勝つ気でいる」


 魔術戦は、情報戦だ。心理戦でもある。

 相手の魔力量、得意とする魔術や技量、経験値、身体能力や性格、戦闘場所となる地理的条件などを考慮して戦う。力量差がある相手に戦略負けすることもある。ここは慎重になるべきだろう。

 クリストファーは魔力量では圧倒的に有利だ。彼より魔力の多い魔術師はいないのだから。


「ネイサン・リドルの直近の常態魔力値は一二〇そこそこ」


 魔術師資格を持つ者は、数年に一度、魔力量を測定し報告する義務がある。多少の幅を考慮しても一三〇以下。クリストファーの魔力量の半分にも満たない。


「実戦経験はおそらくリドル卿が勝る……アルバスで、後に二つ名持ちになる魔術師を多数育てた実力者」


 師匠のマーゴットからネイサンの話を聞いた後、彼がどんな魔術師なのかクリストファーは調べ直したが情報が乏しい。学生時代の成績、上級魔術師の実技試験記録から読み取れたのは、万能型らしいということだけ。

 魔道具制作の腕もこの特殊結界を見れば明らかだ。論文も普通に優れたものだった。だが特筆すべきものがない。

 

(これと特長がなく、隙もないのは一番厄介だ。崩す糸口が見つからない)

 

 開始早々、過剰な先制攻撃を仕掛けて成果なしである。

 目くらましの閃光と同時に、結界の頂点ぎりぎりまで全速力で飛翔した。ただ浮くだけなら比較的簡単でも、自在に素早く動くとなると消費する魔力も難度も桁違いに増すのが、飛行の魔術である。

 クリストファーは体内を巡る魔力の流れと呼吸を整える。


「そこそこ魔力を使う《白焔》が無駄撃ちになったのが痛いな」


 二つ名にもなっている高出力魔術は、魔力値三〇〇のクリストファーでも五発で魔力切れを起こす。

 高速の上昇で消費した分と合わせても、まだネイサンの倍以上の余裕はあるものの、向こうはダメージゼロなのだから割に合わない。攻撃の際に抵抗らしい抵抗も感じなかった、回避のための魔力消費もほとんどないに違いない。


「規格外の<深園の解錠師>の師匠もやっぱり規格外……しかしリドル卿は何故動かない」


 反撃しにくるかと出方を見ていたが、空中戦には持込めなさそうである。

 まさか飛行魔術ができないわけはないだろう。

 なんとなく嫌な感じがする。降りるか、と判断したクリストファーの見下ろす視界でネイサンが動いた。浮き上がるわけではなく、長い足で地面を大きく蹴り上げる。


「なっ!?」


 蹴り上げられた石片や土が、弾丸のような速さで真っ直ぐにクリストファーへ飛んでくる。咄嗟に防御結界で防ぐも、結界によって砕け散った破片は地に落ちることなく、彼を切り裂く凶器となって再び襲いかかってくる。

 避けきれるものではない。


(追尾術式!? いや違うっ)


 防御術式が施された白ローブの布地で細かな土や砂や破片を払い、飛ぶ方向を切り替えて石片を避けるが、避けても避けても速さと威力を維持して執拗にクリストファーを追ってくる。

   

(追尾術式ではこんな動きは出来ない。リドル卿が操っているにしても精度が尋常じゃっ)


 魔術式が計算によって組み上げるものである以上、予測できない対象の動きに長い時間ついてはいけない。かといって土属性魔法の攻撃でもなく、実際にそこにある物を念道で操る魔術にこんな即応性はない。


(リドル卿は、僕を地面に下ろす気はないらしい)


 明らかにクリストファーの消耗を狙っている。

 魔力量も攻撃威力もクリストファーの方が圧倒的にネイサンを上回る。それなのに開始十分も立たないうちに、まったく楽観できない状況に追い込まれた。クリストファーは歯噛みする。


(まさか魔術戦で、残存魔力を意識することになるなんてっ)


 ネイサン・リドルという魔術師を少し理解した。彼は、相手の強みを封じて自尊心を刺激し、精神を折ってくるタイプだ。アルバスきっての秀才の評とそれを上回る悪評を聞くはずである。


「さすがの魔塔主様も結構魔力を削ったんじゃない?」

「リドル卿! 僕を相手に魔力量で勝負する気かい」

「強者を強者たらしめる部分で勝たなきゃ、勝った気なんてしないじゃない!」


 ネイサンの挑発的な問いかけに、渋々クリストファーが応じれば、彼は実に嗜虐的な言葉を声を張り上げて返してきた。

 外の観戦者達はさぞ沸き返っていることだろう。

 特殊結界は介入防止で外部の音を遮断するが、ジェフが尖塔の拡声魔術と繋げたために、内部の音声は外には聞こえている。さらにセシリアが塔の四面を使って観戦画面を生成した。

 魔塔内のどこからでも魔術戦のほぼ全体が見られる。近くの通りや川沿いからなら魔塔の外からでも観戦できるだろう。


(やられた……)


 クリストファーは元王子の優雅さも忘れて舌打ちした。ネイサンの挑発に刺激されたからではない。

 最も効果的な手であり逃げ道を封じられたからだ。


(これで閉じこもって時間までやり過ごすことは出来なくなった。元王子の魔塔主である立場が恨めしい)


 魔力量に圧倒的な差があるうちに強固な結界内に閉じこもり、時間切れを狙えば確実に勝てる。

 籠城はれっきとした魔術戦の手だ。相手は結界を破ろうと総攻撃をかける。それに耐えられる結界術として通常なら評価されるが、この状況では難しい。外部にも知られる形で、私闘だからと王城に連絡もされている。

 

(いいや、魔塔だけあってもこれは魔塔主の威厳が傷つく……)


 なにしろ《白焔》は不発、クリストファーが上空から余裕を見せているようで、一方的に追い込まれている空中戦に持ち込まれ、ネイサンの挑発である。

 クリストファーは、元王子の魔塔主として堂々と立派に勝つ以外の選択肢を奪われたのである。

 

「本当に……めちゃくちゃ性格が悪くないか。ネイサン・リドル!」


 落ち着けと頭の中で繰り返す。冷静さを失ったら負けだ。

 すでに魔力は五分の一以上削られている。いまの飛行を休む間もなく維持していたら、さすがのクリストファーも三十分経たないうちに残存魔力は半分以下になる。

 クリストファーは北庭から東庭へ向かった。

 再びクリストファーを狙って飛んできた石片を避け、急旋回する。


「っ、鬱陶しいッ!」


 西庭に背を向けるネイサンの頭上を通り過ぎて振り返り、彼のほぼ真下で岩石を溶かす温度の炎を展開する。赤々と融解した岩が追尾を止めて地上へと垂れ落ちていく。物質の状態が変化すればこの追尾は維持できないようだ。

 ネイサンの周囲で溶けた石が弾かれるのが見える。


(あれが《白焔》も防いだ? 結界術とは違う。魔力が続く限り無制限だとしたら……かなりまずい)

 

 クリストファーはそのまま西側へ移動し、ネイサンの立ち位置から距離をとって息を吐く。

 飛行を切りたいが迂闊に地面を踏めない。逃げ回っている間、罠を仕掛ける時間は十分あった。

 完全に後手に回っている。ネイサンが再び地面を蹴る。


(最初に打たせたのはこれも狙ってか……真正面や側方より、頭上から叩き込む方が命中確度が高いから“飛ぶ”と予想して)


 魔力の消費だけではない。地味でも執拗な攻撃をされると息つく暇もなく、即興性の高い魔術を繰り出そうにも思考を邪魔される。補助の詠唱をしようとすれば、土や砂が口を狙ってくるのが芸が細かい。

 ネイサンの描いた絵から逃れられない気すらしてくる……そんな嫌な考えが頭をよぎった時、ふと、塔の表面に映る白ローブを翻す己の姿がクリストファーの目に入った。


(そうだ、彼女も見ている……)

 

 ハッ、とクリストファーは苦笑した。

 セシリアはきっと無自覚の善意だ。あとは彼女自身の好奇心。けれどこんな叱咤激励もない。


(僕を見るために生成した。どんなに懐柔しようとしても怯えるか恐縮して、目も合わせてくれない彼女が……あの真理の高みから見下ろすような眼差しで、この世界で唯一彼女にしか扱えない古代叡智の術式で)


 動揺と焦りにのまれて弱気になっている場合じゃない。

 クリストファーはローブの袖を大きく振って、彼を追ってくる石や砂を炎で溶かした。


「失敗したら、この高さでは即戦闘不能だな。落ちるまでざっと三秒……」


 常時維持している身体強化だけを残し、クリストファーは飛行も、他の魔術もすべて切った。

 ガクンと落ちた彼の頬を、炎を免れた小さな石片が掠めて皮膚を裂いたが、落下に身を任せて集中し、地面に落ちる寸前で再び飛行術式を展開する。

 首の後ろで束ねた銀髪が、地面の芝生を鞭のように打って跳ねる。

 クリストファー地面に足を下ろす。幸いなにも発動しなかった。


「マーゴットの直弟子だけに、無謀かつ器用な真似するじゃない」


 一度切った魔術をわずかな間を挟み再行使。あと一瞬でも遅れたら、体は地面に叩きつけられている。

 戦闘不能の判定負けになるはずだ。大怪我などで命を落とさないよう結界は自動解除され、あらゆる物理ダメージはゼロに戻す。石片に裂けた頬に滲む血をクリストファーは白手袋の手の平で拭った。


「痛覚半減なはずの特殊結界内で、軽度の怪我が痛いのですが……性格の悪い」

「失敗したら命を落としかねない、無茶する馬鹿がいるからよ」


 解除でダメージゼロとはいえ事故がないこともない。


「まさかそのような博愛主義とは」

「ハッ、冗談! 無茶を封じていたぶるために決まってんでしょうが! っとに、どいつもこいつも……才能と魔力にあかせて腹の立つ」


 自分こそ人を驚嘆させてなにを言っているのだか。

 長い髪を払ってぼやくネイサンに、クリストファーは小さな火矢を放つ。やはり寸前で弾かれ当たる気配もない。魔術も物質も弾くなら、これはもう人外を相手にしているのも同じだ。

 ふつふつと沸き立つような興奮をクリストファーは覚えていた。

 凡庸すぎる魔力量と現象があまりに釣り合わない。

 恐ろしく省力化された魔術だ。高出力な魔力をただただ凝縮させただけの《白焔》などより余程すごい。

 魔術界から姿を消しても、魔術の研鑽を怠ってはいなかった。どんな魔術か知りたい。


「リドル卿に興味が出てきた」

「気持ち悪いこと言わないで頂戴」


 応じる声がやけに間近に聞こえて、はっとしたクリストファーの至近距離にネイサンの顔が現れる。

 身を引く間もなく、腹部に痛烈な一発を見舞われてクリストファーは後ろへ吹っ飛んだ。

 背中を地面にしたたか打ちつけて、げほっと咳が出る。胃液が喉を競り上がりかけたのはかろうじて飲み込み、クリストファーは立ち上がる。


「あら、元王子のくせに結構打たれ強いじゃない」

「腕全体に……強化を重ねた、局所結界……見た目に寄らず野蛮では?」


 暴力なら慣れている。回帰人生ほどではないが、鬱々とした離宮で働く使用人の中にはクリストファーに暴行を働く者もいた。十歳で師マーゴットを招聘するまでは、さすがに幼過ぎて離宮全体を掌握までには至らなかった。


「……転移じゃない。けど、足もほとんど動いてなかった」


 弾かれる攻撃、魔術だけでなく物質も……クリストファーが(かわ)しても方向を切り替え追ってくる石片……土属性魔術でも操作系でもない。そしてこの瞬時の移動。


「もしかして……物理法則への干渉?」


 ようやく気づいたかとでも言うように、ふんっ、と鼻先で笑ったネイサンの反応は正解だろう。

 しかし正解してもクリストファーにはちょっと意味がわからない。干渉するにしても局所的に即応で制御している。現在進行形で計算、魔術式を最適化し続けなければ実現できない。

 

「……非常識すぎないかな」

「アタシは弱いのよ。だから強者のやり方には沿わない」


 化け物地味た演算能力と局所性に特化し、ほとんど魔力を消費しない魔術行使の実現。

 めまいを覚える。魔力で押し切るはあっても、演算能力で押し切るなんて……ああ一人いた。


「間違いなく貴方は、レディ・リドルの師だ。リドル卿」


 腹部を軽く押さえ、前屈みにクリストファーは息を吐き出す。思った以上に効いている。魔術以前に拳が強い。魔力もしっかり削られた。度重なる消費とダメージで、残存魔力は半分くらいにまで減っている。

 これと大技らしい大技も食らうこともなく。知略と魔術付与された物理攻撃で。

 

『クリスちゃんとは相性最悪かしら。もし彼と模擬戦になったら初回は負けちゃうかも』


 冗談じゃない、と。

 師マーゴットの言葉を脳裏で思い返しながら、クリストファーは吐き捨て片手を持ち上げ振り下ろす。

 はっと、ネイサンが見上げた空から高熱の光の槍が降る。ただの槍ではない、干渉に受けて攻撃の向きを反転する術式を二段階で仕込んだ。ネイサンの魔術で捻じ曲げられる攻撃を、本来の攻撃方向へ戻すために。


「本当っ、これだから才能溢れる若造はっ」


 今度こそと、クリストファーは対峙したネイサンを睨みつけ、信じられないものを見た。

 ネイサンまであと数センチのところで、クリストファーの槍の光が拡散し消滅していく。

 攻撃が、届かない。


「空間操作……どこまで化け物だ」

「はァ? 人間辞めてる魔力と耐性持ちに言われたくないわね」


 身の回りにだけ、空間の性質を変化させた場を生成し、遮断している。

 当然ダメージはゼロだ。

 

「たしかに……その魔術なら結界と違い、魔術強度や魔力の量に依存はしない」

「わかったところで、どうにもできないでしょうに」

「なら、粘ろうかな。こんな超絶高度な魔術見せつけられたら、なりふり構っていられない」


 クリストファーの言葉の意味を、瞬時に理解したネイサンは即座にクリストファーに接近し、首を狙った回し蹴りを繰り出した。クリストファーの思考と体勢を崩すために。


「これだけやって、アンタまだ余力があるの!?」


 初めてネイサンの焦りが滲んだ声を聞いた気がする。

 さっきの槍攻撃の消費もあって、クリストファーの魔力はネイサンをわずかに上回る程度だろう。制限時間まであと約一時間、強固な結界は維持できない。だが、ネイサンはクリストファーの言葉にかかった。

 魔術戦は、心理戦でもある。

 

「権威的に見えて、実利を取るとこが父親そっくりよっ……て、はっグゥッ!?」


 ネイサンが苦悶の声を漏らし、振り上げた自らの脚を見る。

 ふくらはぎと脛の両側数箇所に、なにか突き刺さったように服地が破れ、流れ出す血が黒っぽい染みを作る。


「ようやく当たった」


 クリストファーは口元に笑みを()いた。ネイサンの脚をすり抜け、受け身を取って地面を転がる。だが攻撃の手は緩めない。実体を持たない、尖ったガラスの破片の如き目視できない魔力の刃。


「人に当てるとなったら、当たるようにしますよね……攻撃は弾かれない」

「こ、の……悪童がぁあっっ!!」


 ネイサンが半円形の防御結界を展開し、やはりとクリストファーは胸の内でつぶやく。

 あの空間魔術だけは、演算量が膨大すぎて再行使に時間がかかるのだ。攻撃方向の捻じ曲げは目視できないものに即応させるのは難しい。思い返せばクリストファーが上空にいる間、ネイサンはほとんどその場から動かなかった。

 己の位置を誤差の範囲に固定し、処理を軽減するために。


「さすがに、固いなっ」


 結界に阻まれ魔力が弾ける連続音。

 だが魔力の力押しなら、クリストファーの領域だ。

 結界を突き破った幾本かが、魔術師のローブを羽織っていないネイサンのスーツを裂き、その下の身を切る。

 どすっ、と鈍い音がして、忌々しげに顔を顰めたネイサンが右肩を押さえる。袖口から鮮やかに赤い血が垂れ落ちる。一本が深く刺さったのだろう。脚よりも厚い刃に魔力も削られたはずである。


「調子に乗るなよ、若造が」 


 バンッ、と突き刺さった刃を一気に弾く音を立てて、ネイサンが東庭へと後退する。

 空間魔術の行使は難しいはずだ。この特殊結界は痛覚半減が省かれ、痛みが集中の邪魔をする。

 ネイサンの魔術は、計算を誤れば己を巻き込む事故を引き起こしかねない。

 

(油断はできない。リドル卿は大抵の魔術を満遍なく出来る……独自の魔術も他に……なんだ?)


 ぽつ、ぽつと白ローブになにかがあたり生地を滑る。

 黒く細い……糸くずのような。

 ぽつ、ぽつ、と糸同士がつながりだし、針のように白ローブに突き刺さり、うっとクリストファーは呻いた。


「何故……」


 ローブに施された防御術式が働かない。狼狽するクリストファーにネイサンが愉快そうに近づいてくる。


「魔術式を施す刺繍と同じ細さの微量魔力なんて、攻撃とは認識しないのよ。たとえその下の肉を貫こうと、手足を拘束しようとね」 

「つくづく、嫌な魔術を繰り出す人だ……」


 手足に絡みつく糸をクリストファーは切ろうとしたが無駄だった。微量魔力の糸は近くの糸とすぐにつながり、さらに彼の手足に絡みつく。両手両足首が完全に拘束されるとクリストファーはネイサンに蹴り倒された。ネイサンの足先にはもちろん結界をまとわせてある。

 白ローブの胸の中心を踏みつけられて、ぐふっと、クリストファーは呻く。


「さすがにもう半分以下くらいには、削られてくれたかしら?」

「どうだろう……、ッ」

「詠唱許すほど甘くない。いい眺めじゃないの、魔塔主様」


 クリストファーの喉を左手で圧迫して、ネイサンが栗色の目を細める。

 同時に半球体の結界が二人を覆った。

 

「さて、音声もこれで拾われない。そろそろ観念してほしいのだけど?」

 

 クリストファーの白ローブの生地が胸から脇腹にかけて赤くまだらに染まっていく。

 神経や血管を狙って刺さった糸がかなり痛い。痛みに耐える消耗で意識が朦朧としてくる。

 だがこの状態でも彼にはまだ出来ることがあった。

 時間を見るためか、ネイサンが塔を見上げる。いまは彼に上に目を向けてほしくない。


「……だからって、楽しくおしゃべり出来る状態じゃない」


 喉を掴む手が緩み、首を振りながらクリストファーは毒づく。


「減らず口は腕上げてからすんのね。大体アンタ魔力の使い方が下手すぎんのよ」


 ネイサンのあまりの言葉に、彼を注意を引くためではなくクリストファーは不服に目を細めた。

 だが反省すべき点は多い。こうもクリストファーの弱さを突かれては勝てても勝った気はしない。

 

「戦闘不能にしてもいいけど魔塔を敵に回しちゃ本末転倒よ」

「そういった分別があるなら、はなからしないでほしい……ね」

「そうもいかないのよ。内部反射組んだから、時間寸前で反撃して自滅の判定負けで手を打って」


 はっ、とクリストファーは乾いた笑みを漏らす。

 勝った気はしないが、かといってこの場の勝ちを許す気もない。

 クリストファーから堂々と立派に勝つ以外の選択肢を奪ったのはネイサンだ。


「悪いけど……それはない」

「は?」

 

 過去に自分で作った陣は鮮明に思い描ける。それはすでに組み上がった図式化された魔術式。

 そして反射が組まれていようと、結界はその強度を超える魔力で貫ける。

 クリストファーは残存魔力すべてを天に向けて放つ。

 糸を切り、殻を砕き、カッと、特殊結界の内部が白く染まって、その天井に光で描かれた陣が瞬く。


「いつから……っ!」

「僕のために、塔に術式を貼り付けた子がいるって気がついた後かな?」

「冗談っ」

「僕は敗者となるなら破滅を選ぶ……それで望みが叶うなら」


 白い焔を圧縮させた光の雨が特殊結界内全域に降り注ぐ。

 制限時間を待つことなく、双方、戦闘不能判定で即座に特殊結界は解除された。

 クリストファーは魔力切れ、ネイサンは魔力攻撃ダメージによる、判定上は引き分けの結果だった。



 ******



 南門から魔塔を出れば、そこはすぐ川だ。

 川沿いの道をしばらく川下へ向かって歩いたところ、レンガを積んだ低い壁が柵がわりな場所にネイサンは腰をおろして、ジャケットの内ポケットからシガレットケースを取り出した。

 クリストファーの透明な刃にずたぼろに切り裂かれた布地は、綺麗に元通りだ。

 ケースから細巻をつまんで咥えたところで、右頬の側から火を差し出されて俯き加減にしていた頭を持ち上げる。

 

「君、吸うんだねえ」


 小さなルビーを嵌め込んだ携帯用の点火魔道具だ。

 庶民は手の出ない高価な道具を持ち歩いているアーサーに、これだから侯爵家はと呆れながら、ネイサンは細巻きの先を火で炙る。


「自分でつけられるんだけど?」

「あー、それもそうか」

「後始末はどうしたのよ」

「実に穏便に。なんたってあんな対決早々見られない上に、閣下と君が体を張ってペトラ病治療薬の治験までしてくれたわけだし」


 ペトラ病治療薬の魔力濃度は、処方通りでは一般人には濃すぎるが、魔術師にとってはそうでもない。

 魔力切れを起こした上級魔術師なんて滅多に発生しない。ネイサンが目覚めれば研究部の一室で完全に実験動物状態だった。クリストファーはネイサンより少し早く起きたらしく、「この手の実験は避けられないか」と低い声でぼやいていた。


「冗談じゃないわよ、ったく。まーでも、あれは一本欲しいやつだけど」

「あははは、君も魔術馬鹿だよねえ」


 通りに向いて腰掛けているネイサンとは反対に、川を眺めるように立つアーサーがふっと苦笑の息を漏らす。


「本当……君ほどの魔術師ならもっといくらでも安楽な人生送れるのにさ……ま、そういったところを私は高く評価している」

「願い下げよ」

「そう言わずに! 弟子こと我が妹に自己主張させるために、あの大掛かりさ、いる?」


 魔術戦自体は引き分けだが、勝負の勝ちをクリストファーはネイサンに譲った。ああいった無駄に誇り高いところや、こちらの意図なら十分察したと言わんばかりの態度。両方共にネイサンとしてはいけすかないのだが、譲るというのなら断る理由もない。

 ネイサンが勝った時は、セシリアの意思を尊重する取り決めだ。


『……う、ぅぅ、わ、わわたし……お仕事はちゃんと完遂したいです……っっ。ねっ、せ、先生もぉおぉーなんてっ、なんてことおぉぉおぉっっ!! ク、クククリストファー様やみなさんに、あ、謝って……くださいぃぃっ!!』


 起きる前からずびずび号泣していて、起きたらまたぐすんぐすん号泣して、魔塔の依頼は引き続きやるといって、なにやらわめきながらぼかぼかというよりふにゃふにゃと、力のまったくない拳で連打された。

 師をなんだと思っているのか、あのバカ娘はと、ネイサンは煙を吐き出しついでに嘆息する。


「魔術戦の一つも見せればどういうことかわかんでしょう。それでも我を張るってなら自己責任よ」

「大体さあ。なに君いい思いしてるの? あんな可愛い怒り顔のセシリアにぽかぽかと……兄の私すらそんなことされたことがないのに!」

「……あんた、本当ぶれないわね」


 冷めた目でアーサーを一瞥し、半分ほど灰になった細巻きを灰ごと手の中で燃やし尽くして、ネイサンは立ち上がった。


「で、セシリアは。一緒じゃないの?」

「あー治療薬の改良で忙しそうだったから置いてきた。閣下がいるなら、まあちゃんとしてくれるだろうし」

「そういうのはいいのね」

「レディ・リドルに関しては、ね」


 なるほどと、応じてネイサンははたと気が付く。


「いまさらだけど、馬車どうしたのよ。なに侯爵家令息が一人で下町方面歩いてんの」

「何故って、それはこれから白き護り手殿と川魚フライを食べに、私の行きつけへいくからさ」

 

 アーサーの言葉にひょこっと白リス形態のリトラが、彼のフロックコートのポケットから顔を出す。


「フライ、フライ〜!」

「リスが喋んな」

「まーまー、水音で聞こえないさ。たまに食べたくなるのだよねえ。あっ君も来る? 用心棒も必要だしさ」

「マスターの先生、マスターの兄の用心棒!」

「こっちは一戦終えた後なんだけど!」


 とはいえ、精霊連れの侯爵令息など野放しにはできない。

 陽気な男と精霊の後を、ネイサンは渋面でついていくしかなかった。


 


すみません、切れなくてとってもとっても長くなりました。。。

魔塔主vsアルバスの悪魔。背中合わせというか対照的な二人ですが、芯のところ結構似たもの同士です。

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