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3-3:夜会への招待

「さあ! お嬢様、今日こそはきちんとお手入れしていただきますからね!」


 専属侍女のマリーの、両腰に手を添えての宣言に、うっとセシリアは顔を引きつらせる。

 朝起きて、ベッドでお茶と軽い朝食を食べていたら捕まってしまった。

 クリストファーの追求をかわして昼食後、魔法薬の検証は魔塔で、ペトラ病に関する調査はセシリアでと役割分担をして帰宅した翌日。今日は魔塔に行く日ではない。


「あのお、今日はお兄様の研究のお手伝い……」

「そう仰ると思って、アーサー様にはお休みを取り付けております。お嬢様の愛らしさを維持するためと説明しましたら快く承知してくださいました」


(お兄様ぁあああ、マリーに転がされてますっっ……!)


 マリーはセシリアから見て、美容と流行に並ならぬ情熱を持っている。というより貴族令嬢ならそれが当たり前なのだろう。

 セシリアは現在十五歳。本来なら十六歳の本格的な社交界デビューへ向けた準備の一環で、つながりのある家や同格の家の、同世代の令嬢とお茶会などに参加している。

 当然、貴族令嬢として美容も欠かさず、流行もきちんと押さえておくものだ。しかしながら、そちら方面はからっきしの三流以下なセシリアである。


「ええと、でも……ベアトリス様のお茶会は無事に終わって……」


 先月末、母親の手腕で捩じ込まれた、王太子の婚約者ベアトリス・ラッセル公爵令嬢が主催する王城でのお茶会にセシリアは参加した。

 もちろん侯爵令嬢セシリア・ヴァストとして。


「なにを仰っているんですか! 王家主催の夜会の招待状をいただきましたでしょう! こちらが本番です!」

「お、おおお茶会が本番だったはず……。ほ、本番の本番てなに……」


 マリーの采配で数人のメイドたちが朝食を片付け、セシリアの身支度にかかる。ベッドの端に腰掛けてなすがままになりながら、セシリアはあうあうと口を動かすことしかできない。

 

(王族関係者との接触はできるだけ避けたいのにぃぃ……)


 お茶会の日。王城に到着してマリーと離れ、女官に案内されて廊下を歩いている時点で、セシリアは胃が締め付けられるようだった。彼女にとって、貴族社会での社交といえば前々世での記憶だけ。

 前々世のセシリアは、第二王子の婚約者だったけれど、王城での扱いはけして良いわけではなかった。


(むしろ、いま前々世の記憶を冷静に見ると虐げられていたも同然と思う)


 王子妃教育の時からそれまでの自由で大らかなヴァスト家とは一変し、セシリアは旧弊で抑圧された環境に置かれた。

 貴族令嬢、王族の一員になる令嬢としての立ち居振る舞い、決して出過ぎた真似はせず、しかし上手く立ち回って王家に尽くすこと。

 第二王子は魔力過多の問題を抱える、なおさら完璧で模範的でなければ第二王子の失点に、ひいては王家の汚点になると脅され、これまでのセシリアのすべてを否定される勢いで教育された。


(前世の影響が濃いいまとなっては、十三歳の女の子の自尊心を打ち砕いて洗脳に近いやり方……でもクリストファーのことが好きだったから必死になって……)


 前々世では、第一王子派と第二王子派の派閥争いや、王子妃としてなにかと比較される立ち位置もあって、王太子の婚約者のベアトリスから嫌われていた。

 そんな人が主催のお茶会なんて、気が重いなんてものではなかったけれど。


「ベアトリス様のお手紙入りのご招待ですよ。せっかく、近い将来の王太子妃に気に入られたのですから!」


 マリーの言葉に、他のメイド達までうんうんとうなずく。どうもそうらしいことに、セシリアは何故……と脳裏で呟く。


「それにお嬢様、とっても活躍なさったのでしょう?」

 

 朝食を片付けたメイドがにこにこと話す。彼女はたしか、繋がりのある男爵家から行儀見習いで来ているので、他家のお茶会か夜会で話を聞いたらしい。


(ま、幻のヴァストの令嬢が参加した……って噂になってるとマリーから聞いたけれど、大袈裟ああぁぁっ)


「なんでもベアトリス様の用意した余興で、利き茶をすべてお当てになったとか」

「あら同席のご令嬢方のお悩みを解決したのですよね?」

「緊張なさっているみなさんを、白リスちゃんを連れて和ませたとか」


 ベッドから降りたセシリアを、寝衣から簡素な室内着へ着替えるのを手伝い、髪を解かし、顔や手足をお湯に浸した布で丁寧に拭いてくれる。それぞれのメイド達が口々に話す。

 どれもそうではあるけれど、みんなが思っているようなものじゃないと、セシリアはぶんぶんと首を振りたい気分で堪える。


(お茶はリトラがうるさいから覚えて……ああいうのって全部を一人が当てちゃったら盛り上がらないのに……飲んだ時の味わいを数値化して覚えていたから、つい)


 ご令嬢のお悩みは、隣席の人の話を聞いていたら、使用している石鹸の成分で肌荒れを起こしているようだったから、代わりの素材のものを提案しただけだ。

 肌の弱い人にもやさしい素材やその効能をいくつか挙げたら、その場にいた令嬢達だけでなくベアトリスまでが「貴女、その話詳しく!」と食いついてきて……怖かった。


(まさか……前世の社畜生活の癒しに利用していた、アロマオイルの知識が役立つなんて……お手紙のお返事も書かないと……)


 リトラに至っては、留守番させたはずなのにドレスのひらひらの影に、人外形態で潜んでいたらしい。

 お茶とお菓子目当てにリスに化けて飛び出し、愛嬌を振り撒いた。


(ベアトリス様からお友達? なんて尋ねられて……十五歳にもなってお友達がリスだけなんて痛すぎる……その通りだけど……でも)


 思っていたより、ベアトリスはずっと気さくでセシリアに優しかった。

 彼女が間もなく王太子妃になるにあたり、若い令嬢達といまから親交を深めたい。そんな理由で開かれたお茶会と聞いていたけれど、参加者の性格や家格などの組み合わせも考えられた、むしろ社交に慣れない令嬢達のための親交の場のようだった。

 

「心配していたより、楽しかったと仰っていたではありませんか」

「マリー……」

「夜会もそうなるといいですわね」


 お手入れ向けの簡単な身支度を一通り、メイド達にさせた後を引き取って、セシリアの側にきたマリーが柔らかく微笑む。マリーの言葉通りになればいいと、もちろんセシリアもそう思う。けれど。


(王家主催って……その時点で無理ぃいいいいぃっっ……!)


 さあさ、そのためにも今日は綺麗にしましょうと張り切るマリーに背中を押されて、お手入れ用に準備がされた別室へと進みながら、ぐすんとセシリアは涙ぐんだ。



 *****



「お疲れなのだわ……」


 仕えている少女が痛ましく思えてマリーは呟いた。

 もちもちの柔らかさな頬を、むにむにと優しくほぐしているが起きる気配はない。

 マリーが全身マッサージをしている間に、セシリアはすやすやと眠ってしまった。


(よく悪夢にうなされてもいるようだし……)


 十五歳だというのに、小柄で痩せた体は幼少期に病弱だったためと聞いている。しかし心労もあるのではないかとマリーは思う。

 賢すぎるというのも考えものだ。

 使用人への気遣い一つとっても、大貴族と言ってもいいような侯爵家の令嬢なのにまったく偉ぶることもない。むしろ謙虚過ぎて困惑するほどだ。

 病弱で、ずっと世話をされていたことに起因しているらしい。


(そんなのは当たり前のことなのに)


 マリーは「学園」を卒業してすぐ、父親の紹介でヴァスト家に雇われている。

 当時、セシリアは十一歳で領地屋敷で療養していた。かなり丈夫にはなっていたようで、家庭教師のネイサン・リドルや、「学園」ではマリーの先輩であったセシリアの兄アーサーがついて領地屋敷の外へと連れ出していた。

 

(それでも度々、体調を崩されて)


 日にあまり当たらない肌は白く透き通るようで滑らかではあるものの、血色はあまり良くない。

 儚げで妖精じみた愛らしさではあるけれど、本当に露のように消えてしまいそうな、危うさを時折感じる。

 セシリアの前では絶対にしない憂い顔でマリーが彼女を見下ろしていたら、お手入れに使っている小部屋のドアをノックする音がした。マリーが応じる前にドアが開いて彼女は顔を(しか)める。


「アーサー様……いくらご兄妹でも淑女の美容の最中ですわ」

「失礼は承知で少し様子を見にね。眠っているね」

「ええ。ずいぶんとお疲れのご様子で……アーサー様のお手伝いで根を詰めていらっしゃるからでは?」


 じとっと、軽くマリーが睨んでもアーサーはまったく平然としていた。そういった人だ。


「まあ色々と難しくてね、我が妹は」


 侯爵家の人間は、セシリアも含めて当主も次期当主のアーサーも研究馬鹿である。

 とにかく、貴族の常識ではありえないくらい研究や興味関心を向けたものへ没頭する。

 それくらいでなければ、“学究のヴァスト”なんて呼ばれる、独自の地位を築く功績など得られないのかもしれない。また独自の地位にいるためか、本家筋の人々の結束は固い。

 そして、全員がセシリアに甘い。

 父親も母親もここに来た兄も、叔父も従兄も、それはもう激甘の溺愛ぶりである。

 セシリアが眠っているすぐ側まで近づいてきたアーサーが、彼女を見下ろしふにゃっと表情を緩める。


「はあぁ、可愛いなあ……眠っていると生まれた時を思い出すよぉ」

「冷静に見て、通報事案ですわ。アーサー様」

「え〜兄妹だよ。我々は」

「いい年した成年男性が、妹とはいえ寝顔を眺めてでれでれする様は不審者も同然かと」

「相変わらず厳しいねえ、君。生徒会でもテキパキした書記だったし。オスカーがよく褒めていた」


 妹を溺愛するこの侯爵家の令息は、「学園」在学中は生徒会副会長であった。

 生徒会長は現王太子のオスカー・アリアス・シルベスタの世代。

 十五歳から十八歳の王族や貴族の子弟が通う、三年制の教育機関である「学園」で、彼等はマリーの二学年上だった。

 王太子とアーサーは同級生で、当時は悪友といった間柄にマリーには見えた。ただ現在は、互いの立場のためか、社交の場でも素知らぬ顔して距離を置いている。


(学園卒の者も学生の間だけの、生徒会で表面的に親しかっただけと思っているくらいだけれど)


 アーサーはその妹溺愛ぶりが、若干気持ち悪い侯爵家の令息だが、次期当主らしく食えない人物だとマリーは思っている。

 そもそもヴァスト家にマリーを紹介するよう、彼女の父親に吹き込んだのも彼なのだから。


「セシリアの侍女に、君のような上とも下とも適度に堂々と付き合える人がいて心強い」

「買い被りすぎですわ」


 そもそもこの男にマリーは買われたくない。

 ヴァスト家の人間は誠実なる研究馬鹿だけれど、この男は“クズ”の研究馬鹿だ。

 自分の興味関心事だけよければいい。

 関わる者の人生の後先など考えず、詐欺師のごとき善人の笑みで引き込み、にこにこしながら谷底に突き落とせる類である。

 権力だとか称賛を得るためではなく、ただただ彼が心踊るもののためだから余計にタチが悪い。

 

(私もその一人と考えたくはないのだけれど……)


 それにしてもそんな人が、妹のセシリアだけは大事にしているのがマリーには本当に謎だ。

 人見知りする彼女が少し怯えただけで庇い、元第二王子の魔塔主相手でも牽制するくらいなのだから。


「この子は五歳の時、生死を彷徨う高熱を出してね。熱で朦朧(もうろう)とする中で恐ろしい夢を見た。以来すっかり気弱になってしまった」


 淑女の美容中だと言っているのに、アーサーはさらりとセシリアの前髪を軽く撫でる。

 しかし彼の話はマリーも初耳だった。


「自分の運命を見たのさ。とても残酷でひどい運命だ」

「はあ……運命ですか」

「荒唐無稽に思えるかい? けれどこの子にとっては事実として刻まれている」


 恐ろしいことだよ俯き加減に低く呟く、あなたの目の据わった表情の方が恐ろしいとマリーは思う。

 愛する妹を苦しめる夢が心底憎いらしい。


「時折うなされ、怯えた様子でいるのには気がついておりましたが、そのような理由でしたとは」

「あ、ちなみにこれ。私と父上と母上、ネイサンとケイネスしか知らないことだから」


(なっ……!?)


 一瞬見せた表情との落差がひどい、さらっと軽い口調のアーサーの言葉に、マリーはひくっと頬が引きつるのを抑える。

 にこにこしながら、ごく身内しか知らないことをこの男……なにかに巻き込む気でいる。


「……私になにをお望みでしょうか?」


 努めて冷静に侯爵家の侍女として、マリーがアーサーに尋ねれば、彼は満足気に濃い紫色の目を細める。


「君のその打算的な聡明さを、私は高く評価している」

「評価いただかなくても結構です」

「まあそう言わずに。いまのところはまだ補欠、保険要員だよっ」


 まったく嬉しくない、とマリーは胸の内で呟いた。

 だが、かろうじて巻き込まれていないようなのは幸いと思ってもいいのだろうか……。

 

「だって夢の内容は話していないだろう? 我が妹が他には理解され辛いものを抱えているのは知っておいてもらいたくてさ」

「……」

「薄々気がついていたのなら、これまでと変わらないだろう?」


 それはそうだが気掛かりの種だけ蒔いて言うなと、マリーは胸の内で毒づく。兄妹でも大違いだ。

 セシリアと同じ、顎先で切り揃えているさらさらの黒髪を毟ってやりたい。


「我が妹をよろしく頼むよ、後輩殿」

「アーサー様に頼まれなくても、お世話いたします」

「ところでさ……このまま眺めていては駄目かな?」

「駄目です」

「そこをなんとかっ!」

「出ていってくださいませ!」


 びしっと入ってきたドアをマリーが指差せば、すごすごとアーサーは部屋を出ていった。

 まったくとマリーはぼやいて、再びセシリアのお手入れに専念するのだった。


王家主催の夜会は、普段はセシリア・リドルの上司であるフランシス王はもちろん、前々世で確執ある王太子も悪評を流した貴族達もいて、セシリアにとってはクリストファーの次に怖い場所です。


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