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3-1:魔法薬の副作用

 研究部から上がってきた、ペトラ病治療薬の試薬の報告書を読んでクリストファーは眉を(ひそ)めた。


「レディ・リドルの忠告通りか……この報告を伝えたら、彼女はどんな見解を述べるかな」


 処方に基づいた詳細な調合過程やできた魔法薬に関する検証。

 そのなかで目を引くのは「異常な魔力濃度となる」旨の記述だ。

 

「“個体によっては魔力過多を起こす恐れあり”……魔性素材を多く使用する、掛け合わせか? それとも調合法……いや、それなら検証にあたった者が指摘する」


 報告書の書類を執務机の上に投げ出し、掛けている椅子の背もたれにクリストファーは深く身を預け、ため息を吐く。

 

「ただ本を開くだけでも魔塔の功績。なにより、<深園の解錠師>が解錠技法を振う様をこの目で見られる……なんて考えたけれど」

 

 魔術師でもない少女が、多くの魔術師を犠牲としてきた本を無害化するところを一目見たかった。

 それに、もし治療薬が得られれば辺境伯家に恩も売れる。辺境伯領は国の防衛線の一つだ、うまくすれば王城への影響力も強められる。

 得ることはあっても損はない。そんな機会を見逃す手はないと思った。

 東部支部の研究成果と辺境伯家所有の二級封印魔術古書は、クリストファーの希望を叶えるものだった。

 人を救うことにつながる本の解錠依頼なら断られることもない。


『人は……知るべきではない知識があると思うからです』


 セシリア・リドルの静かな口調と薄青い瞳の眼差しが思い出される。

 その眼差しは、あまりに似ていた。回帰していた人生で婚約者として引き合わされた、侯爵令嬢セシリア・ヴァストの眼差しと。


「セシリア・リドル……リドル卿が彼女を養女に迎えたのは、形見の指輪よりも、“ヴァストの血”を彼も感じたからだろう」


 一般的に魔術師はその自負から、魔術適性もない見込みのない者に魔術は教えない。それを覆すほどの才能を、元アルバスの教授だった上級魔術師は彼女に見出した。

 

「顔を合わせるたびに、謎めいてくる」


 王城禁書庫で初めて出会った時、クリストファーを見て逃げようとし怯えた態度。倒れた彼女を介抱した後もびくびくと警戒する。それはいまも続いている。

 

(それでいて、封印魔術古書を解いた時のあの様子)


 クリストファーは机に乱雑に置かれた書類を見つめ、顎先をつかみ黙考する。

 封印魔術古書に手をかざした瞬間、少女は、クリストファーのことも彼への怯えも一切忘れて、すっと外界を完全に遮断して深淵たる世界に沈み込む。

  

(セシリア・リドルの姿は、まさに<深園の解錠師>の称号に相応しかった)


 クリストファーすら圧倒させる、厳粛な沈黙の気配。

 テーブルの上でひとりでに、ぱたんと表紙を開き、ぱらぱらと(ページ)を送る本。

 ものの数分という短い間、燐光のような淡く青白い光に包まれ、真理の高みから世界を見下ろすようだった姿。

 賢者然とした薄青色の、その眼差し。

 目の前にいたはずの臆病な少女は一体どこへ消えたと戸惑う、それは静かに他者を圧する姿だった。

 隙を見せないことを常に意識してきた、クリストファーにとっての強者の概念が一瞬揺さぶられたほどに。


「あれで魔力が六五。一般人に毛が生えた程度なのは幸いかもしれない……」


 魔法魔術の知識に精通し、まるで当たり前のことのように他者の術式を見極め、簡単に解析する。

 どれだけの研鑽を積み、どれほどの才能をもってすれば、あの域に達することができるのだろうか。

 トントントン……と、空いている手の小指から順に、鍵盤でも叩くように書類の上から机を打ち鳴らしながら、クリストファーは知らずぼやいていた。

 

「本の封印すら数分なのに、並の魔術師の術式なんてきっと十秒とかからず解体される。魔術が使える魔力なんてあったら脅威でしかない」


 父フランシス王がすぐさま彼女を直臣に取り立て、管理下に置いたのも当然の処置だ。けれどそのことにクリストファーは先手を取られた以上の、憤りに似た苛立ちを感じてもいる。


「……僕だって、彼女の技法や知見を取り込もうとしている。なのにどうして腹立たしいのだろう?」


 回帰していた人生で、クリスファーは王家の駒だった。彼が救いたかった婚約者の少女もまた同じく。


「セシリア・リドルは、僕や“彼女”とは違って無力ではないのに」


 トントントン、ト……と、机を叩く指の音が止まる。

 苛立ちは、ついかつて自分や“彼女”を重ねて考えてしまうからだとわかっている。

 セシリア・リドルは己の探究心に忠実で、知識に対する信念のようなものを持ち、意外と譲らない。

 でもだからこそ、余計にそう思うのかもしれない。


「セシリア・リドルを、父上の、誰の駒にもさせてたまるか」


 クリストファーが憧れ理想とする、魔法魔術に対する天真爛漫な探究心と実力を彼女は持っている。

 かつての人生でも、いまの人生でも、クリストファーは魔法魔術という奥深い世界を愛していた。ただ忌むべきものだった己の魔力を、そうではないものへと変える魔術という技法。

 それは、回帰する人生で婚約者の少女が教えてくれたものでもある。


「なに一つ守れなかったものを、今度は守ってみせる……」


 そのためにクリストファーは今世で、それができる地位と力を手に入れたのだ。

 かつての人生で、魔塔の上層達の堕落はひどかった、塔内は殺伐としやがて弱体化し王に取り込まれる。

 だから今世のクリストファーは、塔に入ってから腐敗の元を静かに着実に処理し、魔塔主として実権を掌握した。

 セシリア・ヴァストの処刑を回避し、大事なものを守る。

 クリストファーはもう、後悔も絶望もしたくない。



 *****



「やあ、待っていたよ。レディ・リドル」


 王城から週三で派遣されている者として、セシリアは魔塔で与えられた仕事部屋に入る前に、クリストファーに挨拶をすることにしている。 

 礼儀上やはりきちんとしておいた方がよいだろうといった判断と、彼は魔法魔術についてセシリアの話を身内以外で理解し議論できる人なので、調べたことや気づいたことを共有したい欲求が警戒心より勝ってしまう。

 魔法魔術に関しては、いまや同好の士となりつつあり、魔塔主補佐のジェフに「お前らの話はさっぱりわからん」と呆れられるところとなっていた。

 魔塔に出入りするようになって一ヶ月。もう第三月も半ばだ。


(なんだか、ご機嫌がよい?)


 クリストファーがにこやかに迎えてくれるのはいつものことだけれど、セシリアの訪問を待っていて喜んでいるように少しだけ感じられた。なにか新たな発見でもあったのだろうか。


「えっと……く、クリストファー様においては……ご機嫌麗しく……」


 セシリアがフランシス王の臣下であることに変わりはない。けれど、魔塔でのセシリアの上司はクリストファーである。魔塔主直轄の研究員は王も承知している。

 彼の親しげな挨拶に丁度よい言葉が思いつかず、ぎこちなく定型の文句でセシリアが作業用ローブとスカートをつまんでフードを被ったまま臣下の礼をすれば、ぷっとクリストファーは吹き出すような声を漏らした。


「なにそれ、社交の練習でもしているのかい?」

「っ、違います!」

「なんだ、残念。エスコートに名乗りをあげようと思ったのに。ドレスなんかも見立てて贈ってあげる。君の瞳に合わせた生地に銀の刺繍なんてどうかな?」

「〜〜っ!?」


 黒髪に菫色の瞳の、セシリア・ヴァストの容姿とは違い。

 セシリア・リドルの姿では、精霊リトラの魔法で薄青の瞳に灰褐色の髪色に変えている。

 薄い青に銀の刺繍なんて、クリストファーの氷色の目や銀髪と誤解されそうだ。自分の色を身につけさせるなんて婚約者や恋人がすることである。


「魔法や魔術やお料理の高みにしか興味ないのに……どうして!?」

「ひどいな。君を僕だけのものにしたいだけだよ」


 前世だったらセクハラとして訴えられるのにいぃと思いながら、ぷるぷると水をかぶった子犬のようにセシリアは首を振った。


「王の臣下という栄誉に加え、僕も気を向けているとなれば誰も手が出せない。自分で言うのもだけど、おそらく女性としても、王太子妃の次に羨望の的になると思うけど?」

「そ、そういうのは遠慮します……っ」

「君、本当に変わってるよ。さて、レディで遊ぶのはこれくらいにして。丁度話したい報告が上がってきたところだ。掛けて」

 

 クリストファーが書類の束を取り上げ、セシリアは執務机の席からソファに掛けるようすすめる彼の言葉に従った。書類はペトラ病の治療薬の報告書だった。セシリアが解錠した本の処方通りに調合された薬の内容、その検証結果についてクリストファーから説明される。


「異常な魔力濃度ですか……他にこれと特徴はないのですよね?」

「いきなり人で試すわけにもいかない。鑑定魔術や成分分析、その他検証実験による結果だけれど、魔法薬自体の効能は状態回復や滋養強壮の域を出ないらしい」

「……仮説と、合致するかも」


 ぼそりとセシリアは呟いて、思考の淵へ潜るように沈んでいく。

 ペトラ病は倦怠感や疲労感から始まる、少し疲れただけと最初は誰もが思うが、休んでも回復しない。徐々に弱って死に至る。

 

(それに似た症状を……身をもって知ってる……)


 セシリアは領地にいた頃、ひどく弱った時期がある。

 少ない魔力を操作し術式を組み上げる訓練を、連日やり込んだのが原因だ。

 人にとって、魔力は生命を維持し活動するために必要なものの一部。

 多過ぎても少な過ぎても身体に異常をきたす。

 数日、手足の震えが止まらなくなったり、めまいを起こして倒れてそのまま十日も目を覚さなかったり、あの時は「加減というものを知れ!」とネイサンにひどく叱られた。


(もし慢性的な魔力欠乏によるのなら……薬の作用機序も合っ……あぅっ!)


 パチンッ、と。弾かれたような小さな衝撃にセシリアは両手で(ひたい)を押さえて、頭の中だけでなく開いた口から小さく叫び声を上げた。

 すごく嫌な感じの、冬に金属に触れた手に静電気がバチッときた時のアレに似た、衝撃と痛みだ。


「戻ったかい」


 作業用ローブのフードが落ちないようにしながら、セシリアがクリストファーを見れば、彼は涼しい顔して頬杖をついている。けれどセシリアはその一言で察した。


「ひ、ひ……」

「ん?」

「ひ、ひどいですっっ……! ま、魔術を人に放つなんて……先生にも、されたことないのにぃいぃ……っ」


 魔術を人に向けるのは法的にも規制がある。こんな高度な悪戯では、そもそも想定もされておらず、罪にもならないだろうけれど。


「指で直接弾くよりは弱くしたけれど」

「い、いくら超絶技巧だからって……っ」


 はあっと何故か重々しいため息を吐いてクリストファーは立ち上がった。

 ゆっくりとセシリアに向かってくる。


「レディ、君がここに来るようになって一ヶ月。僕は君に何度無視されたかな? もはや呼びかけても、女性だからと遠慮がちに肩に触れても、無駄なことはわかっている。さっきのような状態だと揺さぶっても怪しい」


 真っ白なローブと後ろで緩く束ねた銀髪を揺らし、セシリアに優しく語りかけながら近づいてくるクリストファーの威圧感に、ひっとソファの上で彼女は身を丸めるように縮こまる。

 怖くて顔が上げられない。一瞬、あの情景がセシリアの脳裏にフラッシュバックする。

 剣を手にゆっくりと近づいてきた、“前々世の彼”の影。


(違う違う違う、いまはいまで……そうじゃない)


 悲鳴をあげそうになるのをぐっと我慢する。セシリアの間近まで迫ってきたクリストファーは足を止め、すっとまるで恭しく彼女に(かしず)くように美しい所作で身を屈めた。


「今日は白リス君は? ああ、ローブの内ポケットでお昼寝中か……君の注意を適度に分散する役割があるのに」

「う、ぅ、ごめんな……さ……リトラにそんな役割が?!」


 セシリアも初耳なリトラの役割に思わず顔を上げれば、フードに覆われた彼女の頭を引き寄せ、首を伸ばしたクリストファーの口元が額に近づく。


「それともこうして覚ましてほしい?」


 囁く吐息が、額を押さえるセシリアの手の甲を掠めた余韻だけを残し、触れる寸前で離れる。


「レディ……驚いたにしてもなにか反応してくれないかな」


 鼻先が触れそうな近さに綺麗な顔がある。

 セシリアは初めて目を見開いて、彼の氷色(アイスブルー)の瞳を覗き込んだ。

 冷たそうな氷の青は澄んだ穏やかな色合いをしている。


(笑ってる……? でも……)


「さ、サディスト……っ」

「ひどいな……難攻不落にもほどがある。君にも非はあるだろう」


 クリストファーが屈めた身を元に戻し、向かいのソファの席に移動して座るのを見ながら、セシリアもフードの被り具合を調整し、スカートの皺を伸ばして座り直した。 

 きっと前々世の彼を思い出してしまったからだろう、なんとなく落ち着かない気分だ。


「一人で納得していないで教えて欲しい」 

「あの、でも……その、まだ憶測でしかなくて……間違いかもしれなくて……」

「構わない」


 口調はそっけないけれど、声は柔らかい。

 本当に違う、とセシリアは思う。

 目の前にいるクリストファーは、セシリアが知る“前々世の記憶”や“前世の小説の中”のクリストファーじゃない。


「本当に憶測です、よ? その、ペトラ病は……魔力欠乏による機能障害じゃないの、かな、と……」

 

 言い終えないうちから、クリストファーの表情が険しくなる。

 それも表面は平然と穏やかでいて、冷ややかさだけが増すとても器用な険しさだ。


「根拠は?」

「ぐ、軍医様の最新の疫学調査の資料と……わたしの経験からの仮説で……それに、もしそうなら薬の報告の作用機序とも……」

「一致するね。軍医様か……“学究のヴァスト”が手にできない資料はない。僕にも取り寄せられない資料だ」


 にっこり細めた目がまったく笑っていない、クリストファーの微笑みが怖い。


「血縁とはいえ……まさか君が直接、ヴァスト家の令息と研究協力を取付けるとはね。臆病なのに大物ばかり釣り上げる手腕はなんだろう?」


 それに、急に疑いの目を向けてくるから、クリストファーとの会話は油断ならない。

 父上といい、僕といい、師はアルバスの元教授で……と、呟く彼に、違うとセシリアは全力で否定したかった。


(ヴァスト家の令息は、お兄様だからで……ネイサンおじさまはわたしに根負けしてだし。どちらもセシリア・ヴァストの事情だから言えないぃ……)


 フランシス王とは守秘義務もあって成り行きだ。

 クリストファーにいたっては、むしろ一生関わらずにいたかった。

 しかし彼から見れば、子爵家養女のセシリア・リドルが何故となるのも理解はできる。


「あ、ええと……それから……と、東部の記録から、竜害にも関係しているか、も……あの」

「いま、僕の疑問を意図的に流したね。はあ……おまけにいまの飛躍がすぎる言葉。僕の仕事が現状の三倍は増えた」


 ソファの背もたれの縁に首を乗せて天井を仰ぎ、顔を両手で覆ったクリストファーにセシリアは首を傾げる。作業用ローブの内ポケットで「キュっ」と白リスに化けたリトラの声がした。彼の言葉通り、ポケットの中でお昼寝していたのだが起きたようだ。


「レディ、人体は常態の魔力量を一定に保持する機能を持っている」

「はい」

「魔術が使えない一般人が、何故、慢性的な魔力欠乏に? それだけじゃなくどう竜害に関係すると?」

「あの……です、ので……」


 憶測だと、言おうとしたセシリアの言葉をクリストファーは遮った。


「東部の竜害は狂化が多い。狂化は人外が魔力に蝕まれ暴れる……人間でいう魔力過多による暴走」


 吐き出された炎は一瞬で家屋も人も焼き払い、暴走した魔力は暴風で周囲を切り裂き、瓦礫と肉片の焦げた匂いと血臭しかしない……討伐現場の情景を語り、頭を戻したクリストファーの真摯な眼差しがセシリアを射る。

 魔塔主の顔だとセシリアは思った。

  

「ペトラ病は特定地域に発生する風土病。その範囲で人や人外の状態異常が定期的に引き起こされていると、君は考えるのか?」

「……はい」 

「ところで、“経験から”ってどういうことかな?」

「えっ」

「ペトラ病の症状を考えると到底聞き捨てならない、レディ?」


 間違いなく、抜け目なく油断ならない、優秀な魔塔主の顔だとセシリアは思った。

 


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