042 代わりの人材
「お客が寂しがるね」
女将さんが、ポツリと零す。キャロルは俯けていた顔を上げ女将さんの顔を見た。そこには、仕方ないと笑う女将さんの顔があった。
「いつ、出て行くんだ?」
旦那さんはぶっきらぼうな物言いだけど、その瞳からは残念な気持ちが伺える。キャロルは本当に二人から愛されていたのだと知る。こんな突然いなくなるような自分を、キャロルの希望だからと叱責することもなく飲み込んでくれた。その二人の気持ちを思うと、自分はなんて浅はかなのだと思い知る。
「こんな突然、本当にすみません。せめて、新しい人が来るまで居させて下さい。自分勝手で我儘なのは承知です。できれば、ジンジャー修道院から新しい人を募集して欲しいです」
キャロルは、深く深く頭を下げた。こんなお願いを言える立場ではないけれど、どうせ自分がいなくなるのならジンジャー修道院の誰かにこの場所を譲りたかった。
「もう、そんな謝らないどくれ。キャロルは元の場所に戻るだけなんだろ? そうだね、またキャロルのような働き者を寄越してもらおうか?」
「ああ、そうしよう。この話は終わりだ。腹が減ったな。夕飯作って来る」
旦那さんが、皆の返事も待たずに立ち上がり厨房へと姿を消した。
「すまないね。あの人も寂しいんだよ」
女将さんが、旦那さんの去っていった方を見て憂いを零す。
「いえ。わかっています……」
いつも賑やかで笑いが溢れる店のホールなのに、しんみりとしてしまいキャロルも何て言っていいかわからない。
「で、この雰囲気の中悪いんだけど……。できるだけ早く、新しい人雇って欲しいんだよね」
今まで、ずっと静かにしていたビルが申し訳なさそうに口を開く。
「本当だよ。気遣いのかけらもないのかい!」
「いや、本当に申し訳ない…。こっちにも都合がね……」
「はぁ―やだよ本当に。わかったよ。じゃあーあの人が、夕飯作っている間に紹介状でも書いてくるよ」
そう言って、女将さんは二階へと上がっていった。キャロルは、何も言えずにそんな女将さんの後ろ姿をただじっと見ていることしかできない。そんなキャロルに、ビルが話かけてくる。
「本当に、どうしちゃった訳? カロリーナ様ってそんなキャラじゃないよね?」
見るからに落ち込んでいるキャロルを目の当たりにして、ビルが驚いている。
「自分のことしか考えられない私にイライラするわ。この一年、王太子妃に戻ることしか考えてなかったのよ……」
「それは仕方ないでしょ。実際良くやっていたと思うけど? 女将さんたちのことは仕方ないよ。ちゃんと代えの人が来るまではいるんだし」
「それも勝手に決めてごめんなさいね……。でも、せめてそれはちゃんとしたくて」
「まー、陛下もそれはわかっていると思うから大丈夫だろう」
その後は、キャロルも厨房に入って旦那さんの手伝いをした。旦那さんは何も言わなかったけれど、何だか厨房内がしんみりしていた。
それから数日後、ジンジャー修道院から新しい人がやってくることになった。それまでキャロルは、いつもと同じようにサティオで働き居酒屋レストにも話をしに向かった。店主のヘルマンにも、迷惑をかけてしまうと申し訳なさで一杯だったが……。いざ話してみると、とても呆気なかった。
ヒューとやビルと同じように、どうやらアルベルトの部下の一人らしく「わかった」と一言で終わってしまう。キャロルの方が、その素っ気ない返事に寂しくなってしまったくらい。
そうやって、ランベスを去る準備が終わったところに修道院からの人員がやって来た。やってきたのは、何とキャロルも知っているアリスだった。
「ジンジャー修道院からきました、アリスです。よろしくお願いします」
満面の笑顔を浮かべたアリスが、深々と頭を下げる。
「まあまあ、こりゃまたべっぴんさんだねー。私はコニー、こっちは主人のダリオ。よろしくね」
「はい。頑張ります!」
アリスは、やる気に満ちた瞳を輝かせている。そんなアリスを見て、キャロルは彼女なら大丈夫だと安心する。誰か知っている人がくればいいなと思ってはいたが、こんなにぴったりな人が来るなんてと嬉しさが込み上げる。
「アリスが来るなんて思わなかったわ。でも、貴方にぴったりだと思う」
「わー本当にキャロルだー。久しぶりだね。ジンジャー修道院を出て行ってからまだ一年も経ってないのに、修道院長もびっくりしてたよ」
「私の代わりにごめんね……。本当に素敵な方たちだから、安心して働いてね」
「んーん。むしろラッキーだった。私、接客業がしてみたかったんだ。それに、さっきから美味しそうな匂いがしてて、もう楽しみで仕方ないの!」
アリスは、修道院にいた頃と変わらずに元気一杯だ。愛想も良いし、なんせ可愛いし、きっとお客さんたちに可愛がれること間違いなしだ。
「元気なのが良いね! 早速、部屋に案内するから付いて来て」
「はい!」
女将さんは、キャロルにしてくれたようにアリスを屋根裏部屋へと連れて行く。昨日までは、キャロルの部屋だった屋根裏部屋はもう綺麗に片づけられている。朝起きると、朝の光が降りそそぐあの部屋が大好きだったから少し寂しい。でもきっとこれからは、アリスが大切にあの部屋を使ってくれるはずだ。
荷物を置いたアリスは、女将さんと一緒にすぐに下に降りて来る。
「この子ったら、鞄だけ置いてすぐに手伝うって言うんだよ」
「だって、自分だけのお部屋ってとっても嬉しいんだけど早く仕事を覚えたくて。私、物心ついた時にはもう修道院にいたから、外で働くって初めてなの! お給金で、お買い物するのが楽しみ!」
アリスは、体中でワクワクしているのが伺える。女将さんも旦那さんも、嬉しそうな顔をしている。アリスが来るまで、どこか暗い表情を忍ばせていたのでキャロルも心底安心した。これで、心おきなくこの場所を去れる。
「ふふふ。来てくれたのがアリスで良かった。じゃあ、私は行きます……」
キャロルは、女将さんと旦那さんに向かって頭を下げた。
「本当に今日までありがとうございました」
「又、いつでも来とくれよ」
「いつ、帰って来てもいいからな」
女将さんも、旦那さんも同じことを言ってくれる。キャロルがこの国の王妃になるのだと言ったのに……。キャロルの帰る場所ができたようで、心が温かい。自分にはもうどこにも帰る場所なんてないと思っていたけれど……。たった数カ月だけの付合いなのに、人の縁とは不思議なものだ。
「はい。でも絶対に隙をみて遊びに来ます」
キャロルは、ふふふと笑う。きっとカロリーナならできる。
「ああ。約束だ」
女将さんが、にこっと笑ってくれた。そして、キャロルは食堂サティオを後にした。
店の外に出ると、ビルが待っていてくれた。
「では、いきましょう」
キャロルは、貴族令嬢の立ち居振る舞いを意識する。これからは、王妃として過ごすことになる。カロリーナが生活していた一年前に戻さなければいけない。すっかり平民としての生活に慣れてしまったので意識しなければ、すぐに崩れてしまう。
ビルのエスコートで馬車に乗り込むが、数日前とは王宮に向かう心意気が違う。この前は、状況伺いだった。だが、今日は戦場へと向かう気分だ。アルベルトがカロリーナを必要だと言うからには、きっとしなければいけないことが山ほどあるのだろう。王宮に行ったら、まずは身支度を整えなければいけない。王妃としてふさわしい格好をしなければ、舐められてしまう。
馬車の中であれこれ考えていると、突然ガタンッと大きな音を立てて止まる。急停車したので、キャロルは危うく前につんのめるところだった。
「カロリーナ様、申し訳ありません。陛下から火急の知らせが届き、先に私だけ戻ることになりました。代わりに部下を置いていきますので、王宮でお会いしましょう」
ビルが、馬車の扉を開けてカロリーナに説明をする。
「わかったわ。陛下によろしくね」
ビルは、馬車の扉を閉めると急いで馬に飛び乗り王宮へと向かった。それを見送った後、ゆっくりと馬車が動き出す。長いこと、ビルをキャロルの傍に置いてしまったからきっと不測の事態が発生したのかもしれない。自分の我儘でビルにまで迷惑をかけてしまい、罪悪感がじわじわと押し寄せる。王宮にいったら、精一杯働くからそれで許して欲しい。
そしてカタンッと馬車が止まる。ついに王宮に着いたのかと馬車の窓の外を見ると、違和感を覚える。その違和感の正体がわからぬまま、馬車の扉が開く。
「カロリーナ様、到着いたしました」
なにかがおかしいと思いながらも、差し出された手をとり馬車を降りた。その瞬間、口元を何かで覆われキャロルの意識はプツンと切れた。





