第27話 妃殿下の怒り
「……どういうことなの!?」
金切り声が、豪奢な調度類に囲まれた部屋の中に響いた。
柔らかな桃色の髪に、紫水晶のような瞳を持った美しい女性だった。
彼女の名前は、ノドカ。
少し前まではマードックの家名の男爵令嬢だったが、次期国王であるとも目される第一王子、ミューレン・ノル・アルタスと正式に結婚し、今では王族として、ノドカ・アルタスとなっている。
そんな彼女が今いるのは、王城に存在する彼女の居室。
ミューレンによって用意されたその部屋は、国民の血税をありあまるほど使って、贅の限りを尽くされていた。
にもかかわらず、ノドカはその部屋にある小物類を次々にひっつかんでは、目の前に跪く騎士に向かって投げつけ、破壊している。
騎士は、ノドカの質問に返答する。
「……と、申されますと……?」
「分かっているでしょう。城下で話題の演劇のことよ。《薄命の貴公子と幽鬼の令嬢》……」
「つい先日、ノドカ様もご覧になった演劇ですね。美しい話だとおっしゃっておられたと思いましたが……あれがどうかされたのですか?」
騎士は困惑していた。
ノドカの言っている演劇のことは知っている。
なぜなら、ノドカと共に護衛として、その演劇を観覧しに行ったのが何を隠そう、この騎士だったからだ。
そして、演劇を見ているときのノドカは非常に楽しそうにしていて、物語の世界にどっぷりと浸り、最後には涙していた記憶さえある。
ここ二年の間、気が滅入っていることの方が多かったノドカにして、珍しいことだが、これなら他の騎士や使用人たちが八つ当たりされることもないだろう、と騎士は喜んでいたのだが、どうやら当てが外れたようだ。
しかし、なぜそんな演劇に対してここまで激昂しているかは、流石の騎士も分かりかねた。
ノドカはそんな騎士の反応を見て、嘘を言っているわけではないようだ、と理解したらしい。
ため息を吐いて、言った。
「あの演劇を見た者たちの口から上がってきた話よ……」
ばさり、と何枚かの紙が騎士の手に手渡される。
本来、紙の生産はこのアルタスでは出来なかったのだが、ノドカの発明によってかなり安価での生産が可能になり、さらに職人たちの努力もあって、王城や高位貴族ならばという限定はつくものの、比較的安価に使うことが出来るようになってきた。
そのため、報告書の類も管理の難しい羊皮紙などから紙に大体されるようになってきているのだが、ノドカが渡してきたのは、いわゆる王室が抱える《影》、つまりは情報部の者から上がってきた情報のようだった。
騎士はその報告書の一枚目をとりあえずざっと読む。
その中にはこのようなことが書いてあった。
曰く、《薄命の貴公子と幽鬼の令嬢》の脚本は素晴らしく、ここ百年の演劇の中で最上の出来である。
今後、アルタス国内のみならず、他国にも広まっていくことは間違いなく、世界中にアルタス発祥の演劇として演劇界に名を残す作品となるだろう。
そこまで読んで、騎士は首を傾げた。
「……これが……何か問題があるのでしょうか?」
そう思ったからだ。
アルタス産の演劇、その脚本が世界中に広まる。
大変結構なことではないか。
しかも百年に一度の傑作とまで言っているのだ。
情報部の話であるから、当然、観覧した者たちのみならず、役者や裏方からも話を聞いた上での評価であるのは間違いないはずだ。
そうであるのなら、これは事実なのだろう。
だが、だから何だというのか。
騎士にはよく分からなかった。
しかしそんな騎士に、ノドカはイライラとした声で言った。
「二枚目を読みなさい!」
「はい……」
素直に頷いた騎士が、更に読み進めると、徐々に事情が分かってくる。
続きにはこういう記載があった。
物語の骨子は、妻を失った貴公子が、死した妻が帰ってくる夢を見続け、日々やつれていくのだが、そんな彼の元に、黄泉の国から本当に妻が帰ってくる。
はじめは戸惑いつつも、徐々に貴公子は妻を受け入れていき、そして彼らは仲睦まじく暮らす……というものなのだが、その貴公子が妻を失った原因が、高慢で残忍な王妃が、妻の賢さと美しさを妬んだため、とある。
その設定自体は特段珍しいものではないが、この王妃について、観劇した者の多くが、アルタスの第一王子の妃殿下であらせられるノドカ様と同一視し始めている。
今はまだ巷間の噂話程度に過ぎないが、急速に広まっていて、このままでは王都中に広まるのもそう遠い話ではない。
なぜそうなったのかについてであるが、ノドカ様がかつて処刑へと導いた公爵令嬢エリカの人柄が王都では近年、再評価され始めており、あの事件は実のところ陰謀だったのではないか、という話も広まってきている。
おそらくは国権に対する地下組織による情報戦の一片であり、ノドカ様の名声を低下させるためのものであろう。
今後《影》はこういった噂話を可能な限り潰していくつもりだが、それには長い年月がかかることが予想される……。
そんな内容だった。
「……分かった?」
ノドカが騎士を見下しつつそう言ったので、騎士はため息を吐いて、
「はい……」
と頷いた。
「それで、どういうことなの? なぜ、あの演劇のあんな意地悪な王妃と私が、同一視されているの!? あれは遠い異国のお話なのでしょう。それなのに……」
これに答える口を、騎士は持っていなかった。
というのも、正直に言えば確実に馘首されるし、かといって取り繕ったことを言うにしても、広まっている噂話というのがはっきりし過ぎている。
フォローするにも限界がある。
ただ、だからといって何も言わないわけにもいかないだろうと騎士はなんとか振り絞って言う。
「……民衆というのは、いつでも貴族や王族を目の上のたんこぶのように憎しみの目で見ているところがありますゆえ……今最も、この国で話題のノドカ様を、ああいった演劇の登場人物と同一視したくなったのではないでしょうか……」
言いながら、我ながらギリギリのところをうまく渡ったのではないか、と騎士は思う。
しかしノドカはそんな騎士を逃がすまいと、蛇のような視線で尋ねた。
「なぜ、王妃と? 私を同一視するのなら……そう、幽鬼令嬢の方ではなくて? いつでも、第一王子殿下に侍り、彼のことを支える私は、あの可憐な令嬢の方に相応しいのでは?」
無茶なことをいうものだ、と騎士は思う。
幽鬼令嬢役の女優は確かに極めて可憐で、今にも消えてしまいそうな令嬢の切ない気持ちをうまく表現していたが、あれとノドカを同じものと見るものは皆無だろう。
流石にノドカも、この部屋の外では……決まった騎士や使用人の前以外では、盛大な猫を被っているためにそういう者たちからすればもしかしたら幽鬼令嬢の方に見えることもあるかもしれない。
しかし、騎士にとってはまるでそうではなかった。
そうだとも言いたくなかった。
だから、騎士は再度、苦しいことを言う。
「しかし、幽鬼令嬢は……経緯はどうあれ、亡くなっておりますので……今や立太子が確実とも言われるミューレン殿下に侍っておられるノドカ様を、そのような縁起の悪い役と繋げることは不敬だと考えたのでは……? その点、王妃役の方でしたら、権勢を誇っていて、かつ華やかな美貌を持っているという点でも、ノドカ様に相応しいと考えたのやも……」
辛いか……?
そう思いつつ、ノドカの様子を伺い、少しだけ視線を上げた騎士に、ノドカは鼻を鳴らして、
「……ふん。まぁ、いいわ。確かに死人と一緒にされては困ってしまうものね。この国は、あのときから死人のせいで呪われた、なんて言われてるんだから……そうね、国民もそのようなものと私を一緒には見れなかったのでしょうね。納得したわ。それじゃあ、もう行って良いわよ。ヴェルド。でも、呼んだらできるだけ早くここに顔を出しなさい。貴方は、私の騎士なのだから、ね」
「は……」
そうして、騎士ヴェルドはほっとしながら部屋を出て行く。
可能なことならもう二度と呼ばれたくはないが、騎士団長に命令されてしまった以上、断ることは出来ない。
いずれ、ミューレン殿下が立太子されれば、また人事が変わることもあるはずである。
そのときのことを心待ちにしながら、どうかそのときまで自分が呼ばれませんように、と祈りつつ、できるだけノドカの部屋から遠ざかろうと、足早に歩き始めたのだった。




