第13話 事情
「ええ、そうなのよ。あの方も、本当にお可哀想なことだわ……。あの方は、何もしていらっしゃらなかったというのに」
王都の大通り沿いにあるカフェで、わたくしは一人の女性の話を聞いていた。
彼女の名前はスザンナと言い、かつて、アリスの実家――リリウム子爵家で使用人をしていた女性だ。
年齢は、四十半ばくらいだろうか。
大らかな、母性を感じさせる女性で、アリスも彼女のことを気に入っていた記憶がある。
わたくしも、リリウム子爵家にお邪魔させていただいた時にはよくしてもらった。
「そうなのですか……。けれど、どうしてあの方が……アリスさまがお亡くなりに……」
わたくしが、彼女のもとを訪ねた理由、それは、そのことを聞くために他ならない。
アリスの死。
それを伝えてくれたルサルカとクーファは、そのことについて詳しく話してくれようとしていたが、わたくしとしては実際に、彼女のことを知る人物の口から直接聞かなければ納得できなかった。
わたくしの友人、もっとも親しい友の一人が、知らない内に亡くなっていたなど、そうでもなければ受け入れる気にならなかった。
だから、わたくしは、あのあと、少し休んだ方がいい、と言う二人の言葉に従い、屋敷で与えらえた部屋で少しだけ、休んだ後、屋敷を出た。
それから、誰にも何も告げずに、一般街まで歩いてきたのだ。
行き当たりばったりで出てきたので当てはなかったので、しばらく街中をぶらぶらと歩いていたが、ふと、懐にかさり、とした紙の擦れるような音がしたのでそこを触れてみる。
するとそこには想像通り、粗い紙が入っていて、名前と共に、いくつかの住所が記載されていた。
おそらくは、ルサルカかクーファの気遣いだろう。
わたくしがこうすることを読んだうえで、手がかりをくれたのだ。
全く、有能すぎる人々である。
何百年、何千年も生きると、気遣いすらプロ級になるらしかった。
わたくしは屋敷の方に向かって、ありがとう、と言うと、その住所の中の一つに向かって歩き出した。
もちろん、エリカの顔や姿で街を歩いては、王都の民に心底驚かれてしまうのは分かっていたから、変装をしていた。
ルサルカとクーファに与えられた、変装用の魔導具を使用して、今のわたくしの容姿はかつてとは異なったものになっている。
14,5歳前後の、少しばかり地位の高い少女、という感じだろうか。
年齢が実年齢よりも若干低めに設定されているのは、カタラ伯爵家に滞在するにあたり、わたくしがカタラ伯爵家の遠縁のラウルス男爵家の令嬢ということになっているからだ。
のちのち、人に紹介する際に、あまり年がいっていると社交界で顔を見たことがある人間が誰もいない、というのは少し不自然であるので、社交界デビューしていなくともおかしくはないくらいの年齢にしてくれたらしい。
だから、今、スザンナの前にいるわたくしは、かつてとは似ても似つかない姿であるのだが、こうして彼女と話を出来ているのは、彼女の今の家を尋ねて、強引に話を持っていったためだ。
紙に書かれた連絡先の一つであるスザンナは、アリスが亡くなった後、事情があって使用人を辞し、それから結婚して、夫と共に小さな飲食店を営んでいるとのことだった。
そんな彼女のところに行き、かつてアリスに世話になった者だと説明して、アリスの話を聞こうとしているのだった。
今は、お昼も過ぎて、スザンナの店も少し空いてきたので彼女の休憩時間にわざわざ出てきてもらっている形になる。
忙しい中、時間を割いてもらって申し訳ないと言えば、アリスお嬢様のお知り合いならこれくらいのことは、と言ってくれた。
アリスが信頼していただけでなく、スザンナの方もアリスを好ましいと思ってくれていたらしい。
それだけに、スザンナはアリスの死に強い憤りを感じていた。
スザンナは目を伏せて、アリスの死について語りだす。
「……あなた、あの事件は知っているかしら? 地方から来たのであれば、知らないかもしれないけれど、二年半くらい前に、王都では大変なことがあったのよ……」
話は、そんなところから始まった。
彼女が語る事件、それが何なのか、わからないほどわたくしは察しが悪くなかった。
わたくしはラウルス男爵家の令嬢という設定に従い、今回初めて王都に上って来たという話を彼女にしていたので、そのようなところから説明してくれるつもりなのだろう。
わたくしは、あまり知らないふりをして、首を傾げる。
「ええと……事件、と申しますと……?」
この質問に、スザンナは悲しそうな顔をして、しかししっかりと言う。
「やっぱり、知らないのね……そうね……どこから話せばいいのか、迷ってしまうのだけれど、二年半前、一人の公爵家のご令嬢が、亡くなったの。無実の罪を着せられて」
その言葉に、わたくしは少し、驚く。
無実の罪を着せられて、などと言ってくれるとは思ってもみなかったからだ。
街中を一人で歩いてみて、わたくしは聞いた。
人々が、わたくしのことを【呪いの魔女】と呼んでいること、この国を害するために現れた災厄だと言っていること、そして首だけで叫んだことから悪魔であるとまで言うものまでいた。
子供に言うことを聞かせるために、ぐずる子供に「そんなことばかりしているとエリカが首だけでやってきてお前を食っちまうよ」などと言っているのも何度か聞こえてきたくらいである。
食べませんわ、と言いに行きたくなるくらいだったが、そんなことしては驚かれてしまう。
出来るはずがなかった。
つまり、それくらいにわたくしは、今の王都では悪役であるということに他ならない。
もともと、学園でもそのような扱いであったのは否定できないが、拍車をかかっているようだった。
そんな中で、わたくしに対し、多少でも好意的な言葉を口にする人間に、わたくしは今、初めてであった。
驚くなと言うのが無理な話である。
スザンナは続ける。
「公爵家のご令嬢、エリカ・ウーライリ様。あの方は……エリカさまは、とても素敵な少女だったわ。学校ではあまり評判はよくないのだと言って、よく笑っていらしたけれど、私のような使用人にも優しくて、わけ隔てない態度で接してくださった。お茶やお菓子を運べば、一緒に食べましょう、なんて言うご令嬢がアリスお嬢様の他にいるなんて驚いたものよ。あのようなお方が、同級生を害したり、この国を呪ったりなんて、するはずがないのよ。けれど、王宮はエリカ様を悪人に仕立て上げて、処刑した。それだけならともかく、【呪いの魔女】などと呼んで、お亡くなりになった後も貶めて……この国は、おかしいわ」
そんな風に。
そこまで言ってもらえるのはありがたいところだけれど、正直言って、わたくしはこれから、かつての同級生を害したり、この国を呪ったりするつもり満々である。
さらに言うなら、処刑された後、わたくしははっきりとこの国を永遠に呪うと叫んだ。
買いかぶりすぎである。
おそらく、スザンナはあの処刑場にはいなかったのだろう。
あれを聞いていれば、もう少しわたくしの評価は違ったものになっていただろうと思う。
スザンナは言う。
「処刑されたとき、首だけで叫んだ、なんて話もあるくらいだけれど、人間にそんなこと出来るはずがないわ。それほどまでにエリカ様を貶めて、一体なにがしたいのかしら……」
貶めているのではなく、事実なのだが、しかし現実に見聞きしなければ信じられないような話だ。
あの処刑場には沢山の人がいたけれど、王都の民全体から比べれば微々たるもの。
こんな風に信じない人も中にはいる、ということだろう。
それにしても、少し話がずれてきたのを感じたわたくしは、スザンナの話の軌道修正をはかって相槌を入れる。
「……その、エリカ様の事件が、アリス様の死と、どのような関係が……?」
「ええ……そうだったわね。そう、あれは……エリカ様がお亡くなりになってから、一月ほど経った後のことだったかしら。ご主人様が、突然、アリスさまに縁談を持ってきたのよ」
スザンナの言う、ご主人様、とはアリスの父であるリリウム子爵のことだ。
彼が、アリスに縁談を……。
それ自体は別におかしな話ではないが、時期が少し奇妙である。
通常、学園に通うような令嬢の縁談は、学園の卒業が近くなった辺りに持ち込まれるもので、当時アリスはまだ一年以上在学期間が残っていたはずなのだ。
そんなわたくしの疑問を察知したのか、スザンナも頷く。
「確かに、少しおかしい、と誰もが思う話よ……。そんな時期に縁談なんて持ち込まれることはあまりないもの。けれど、全くあり得ないとも言い切れないし、それに貴族のご令嬢が、当主に逆らうことなんてできはしないわ。そもそも、いずれご主人様の決めた相手と結婚することはアリスお嬢さまも当然だと思っていたから、素直に従ったの。ご主人様も、別に嫌がらせとかではなく、素直によい縁談の相手が見つかったから、という理由で決めたとお話されていたから、特に嫌がる理由もなかったようだし。それから……あれよあれよと言う間に話は進んでいって……一月もしないうちにアリスお嬢様はご結婚されたの。学園は、途中でお辞めになることになってしまったけれど、事情が事情ですもの。一応、卒業扱いとしてくれたらしいわ」
アリスが、結婚していた。
それはわたくしに大きな驚きを与えた。
けれど、貴族の娘にとって、それは決して悪いことではない。
いずれは誰かのもとに嫁ぎ、家と家を結ぶ縁となる。
それこそが、貴族の家に生まれた娘の権利であり義務でもあるのだから。
アリスも、その点について特に文句はなかっただろう。
ただ、とスザンナは言った。
「そして……その結婚が間違いだった、と知れたのは、アリスお嬢様が亡くなられたあとだったわ」
「それは、どういう……?」
「ご結婚から一年と少しして、アリスお嬢様が危篤だ、と相手の家……エフェス子爵家から連絡が来てね。ご主人様が駆け付けたころにはもう息をしていなかったの。アリスお嬢様はとても華奢な方だったけれど、それでもしっかりと健康な方だったのにどうして突然、と誰もが思ったわ。ご主人様もそうだった。だから、調べたのよ。アリスお嬢様のご遺体を、有無を言わせず引き取ってね。そうしたら……」
それは、聞くに堪えない話だった。
まとめれば、アリスの体には沢山の暴行の跡があったのだということだ。
痣や傷が数えきれないほどであり、死亡した理由はそれで間違いないであろう、と。
さらに改めて調べてみれば、巧妙に隠されていたが、エフェス子爵家は、縁談の話をリリウム子爵家に持って来たころから、妙に羽振りがよくなっていたらしい。
そこから詳しく調査すると、エフェス子爵家に、マードック男爵家から資金が流れていることが分かった。
マードック男爵家。
それは、ノドカの家だ。
わたくしを陥れた、あの、女の。
「マードック男爵家のご令嬢、ノドカ様は、学園ではエリカ様と非常に仲が悪かった。エリカ様の処刑も、ノドカ様がミューレン第一王子に望んだという噂まであるわ。そんなノドカ様が、エリカ様と親しかった人物を目の敵にしていたら……そして、そんな人物をすべて排除しようとしていたら……。おそらく、アリスお嬢様があのような目に遭ったのは、それが理由よ。ご主人様も同じ結論を出されていた。そして、抗議しに行って、そのまま、帰っては来なかったわ。今では、リリウム子爵家はお取り潰し。私も失職したの」
スザンナがなぜ、リリウム子爵家の使用人を辞めたのか疑問だったが、辞めたのではなく単純にリリウム子爵家がなくなったという話だったようだ。
彼女はため息を吐き、
「私は、アリスお嬢様をひどい目に遭わせたエフェス子爵家を許さない。王宮も……この国も。けれど……リリウム子爵家がなくなってしまった今、私にはアリスお嬢様の無念を晴らすことも出来ないわ。ただ、ひたすらに腹を立てて生きているだけ。それに、そんなことを言いながら、私はこれ以上なにも奪われたくないと思ってる。夫がいて、小さいながらもお店をやれてて……下手に貴族にかかわって、それすらも酷い方法で奪われたらと考えると、何も出来ない。お嬢様に申し訳ないわ……」
心底悔しそうにそう言った。
彼女の瞳から、涙が一筋流れた。
わたくしは、彼女に何も言えなかった。
今、わずかながらにも幸せを手にしている彼女に、アリスに代わってエフェス子爵家やノドカに復讐してやれとは、とてもではないが言えない。
ただ、その無念は、きっとわたくしが晴らすだろう、と、そう思った。
アリスはもういないのかもしれないが、彼女はいつまでもわたくしの友人である。
彼女を害した者がいるのなら、わたくしがその報いを受けさせてやらなければならなかった。
そう、胸に決意の炎を燃やしていると、スザンナがふと、驚くべきことを言った。
「せめて、せめてアリスお嬢様の子供だけはあの家から奪い返してやりたいのだけれど……」
そんなことを。
アリスに、子供がいた?
まさか。
そう思ったけれど、結婚して一年と少し経過してから、アリスは亡くなったのだ。
となれば、子供がいてもおかしいことではない……。
そうであるならば、わたくしがしなければならないのは……。
わたくしは、スザンナに尋ねる。
「……スザンナさん、エフェス子爵家がどこにあるか、ご存知かしら?」
まさにスザンナがしたいと言っていたこと、そのものに他ならなかった。




