第11話 年月
馬車はしばらくの間、“一般街”を走った。
時間が経ち、窓の外の景色が流れていくにつれ、徐々に人通りは少なくなっていく。
“一般街”とは何かというと、王都に入るとまず見えてくる、主に平民たちが住んでいる区画のことである。
特に誰が名称を決めたわけでもない。
けれど、王都というものの構造を説明するときには必ずそう呼ばれる。
そして、一般街に対して、主に貴族たちの住んでいる王都の地域は、“貴族街”と呼ばれている。
必ずしも貴族しか住んではならない、というわけではないのだが、ここに存在する建物のうちいくつかを見れば、それらの中におよそ通常の平民が購入できるような家屋が一つもないことが分かる。
どれも噴水や広大な庭付きの、複数階建ての建物ばかりで、買えば金貨がどれほど必要になるかわかったものではない。
そのため、この貴族街に住む住民は、基本的には貴族、それに大きな商会の主など、裕福な商人のみであり、それがゆえに“貴族街”と呼ばれているのだった。
そんな貴族街の人通りは、かなり少ない。
なぜかと言えば、ここに住む大抵の人間が、外出する際には馬車で家を出るからだ。
理由は至極単純だ。
一般街までそれなりに距離があり、歩いていくには辛いというのもあるが、それ以上に貴族的な見栄のなせる業である。
わたくしもまた、かつてはそうしていた。
友人たちと、お忍びで一般街まで出かけるときですら、途中までは馬車で行った覚えがある。
直接一般街の店舗などには行かずに、一般街にある下級貴族用の宿にわざわざ乗り付け、そこで部屋を借り、着替えた上で、裏口を利用して街へ繰り出す。
そんな面倒なことをしていたのだ。
今にして思えば、素直に御屋敷から歩いて行ってもよかったかもしれない、とも思うが、淑女としてのプライドが仮に許したとしても、実際にやるのはやはり厳しかっただろうとも思う。
なにせ、平民の若い娘の格好をして貴族街を歩けば、奇異な目で見られる可能性が高く、衛兵に捕まってしまうかもしれない。
また、貴族の中にはあまりよろしくない考えを持ったものもいて、そう言った人間に目をつけられれば後々厄介なことにもなりかねない。
そう言った危険を考えると、やはり、ああいった貴族の習慣というのは無意味に見えてもそれなりの合理性はあったのだろうと思う。
貴族街の懐かしい景色を眺めながら、つらつらとそんなことを考えていると、馬車の速度が徐々に落ちていった。
どうやら、目的地が近いらしい。
「カタラ伯爵のお屋敷はこのあたりなの?」
わたくしがそう、ルサルカに尋ねると、彼女は頷いて答えた。
「ええ……その通りです。今ですと……ちょうど正面にあるお屋敷になりますわ」
そう言って彼女が示した、御者台の前方を直接見れる窓から外を見てみると、そこからは大きなお屋敷の姿が見えた。
勢いよく水を噴出している噴水が見えるし、お庭も広くてよく手入れされているようだった。
庭であるにも関わらず、森林も見え、さらにお屋敷自体は瀟洒な三階建ての建物なのだが、それだけではなく、横幅がちょっと信じられないくらいに広かった。
「……少しばかり、大きすぎるのではないかしら?」
わたくしの口から、つい、そんな声が出たのも仕方のないことだろう。
先ほどから、貴族街を進むにしても随分と奥まったところまで行くのだなと思っていたのだが、これほど広大な屋敷であれば納得だ。
王都内でここまでの土地を確保するのはそう簡単なことではなく、貴族街でも中心部に置くのは不可能だろう。
だからこそ、この立地、というわけだ。
ルサルカは私の言葉に答える。
「仰る通りですわ……そして、そのことが理由で、当時の陛下もどうやら持て余していたようだったのです。もともとこのお屋敷と土地は、この国ではなく、王家が所有していたのですが、王家が持っていてもあまり使いようがなく、手入れだけをしていて、ほぼ主がいないような状態でした。しかし、ご覧になればお分かりになります通り、壊して更地にしてしまうのはもったいない出来でしょう? 今ではもうお亡くなりになりましたが、多くの歴史的価値の高い建物を建築した建築家が建てた建物で、王家としても壊して他の用途に利用する、という判断はどうしても出来なかったということです。そんな状況の中、カタラ伯爵に、王都に屋敷を下賜する、と陛下がおっしゃったものですから、カタラ伯爵……クーファは恩を売ろうとこの屋敷を希望したのですわ。陛下の方も、ありがたがっていた記憶がございます」
話を聞き、改めて屋敷を見ると、なるほど、王家が所有していたと言われても納得の風格を感じる。
当時の、とか枕詞をルサルカがつけるのは、この屋敷を下賜されたのは“今の”カタラ伯爵ではなく、何代か前の話だということなのだろう。
おそらくは、百年、二百年も前なのだろうが、ルサルカが実際に見て来たような口調なのは、比喩でもなんでもなく本当に自分の目で見てきた光景だからだろう。
改めて、不死者という存在のスケールに驚いてしまう。
しかし、それにしても、とわたくしは考える。
そして口を開いた。
「もらったところで、持て余してしまうのはカタラ伯爵も同じではないのかしら……?」
そんな疑問が出てくるのも当然のことだろう。
なにせ、馬車の外に見えるお屋敷は、あまりにも広いのだ。
維持するだけでも相当に資金が嵩みそうである。
使用人だけでも一体何十人、何百人必要なのか……。
そう思っての質問だったが、ルサルカは首を振って、
「いえいえ、例によって使用人は全員、不死者ですから。賃金は不要ですし、管理技術も時が経つごとに向上して、今ではそれほどの人数がおらずとも屋敷を維持できていますわ」
そう言った。
不死者にとって、この屋敷を引き取ることは、大した不利益がなかったというわけだ。
その上、カタラ伯爵は陛下の持て余している財産を譲り受けることで恩を売れ、また王都に、決して怪しまれることのない、不死者の活動拠点を手に入れられる。
誰も損をしない、素晴らしい取引だった、とこういうことらしい。
冷静になって考えてみると、いや、冷静になって考えて見なくとも、この王都は最も内部に入れてはいけない人たちを入れてしまったことになるのだが、いいのだろうかと思わずにはいられない。
当時の陛下も、自分の判断がどういう結果をもたらしたか、正確に知ってしまったら、頭を酷く抱えただろう。
何も知らずに逝けたことは幸せだったのかもしれなかった。
そして、馬車は屋敷の正門に辿り着く。
両脇には警備の兵士と思しき者が二人立っていて、馬車の中にちらりと視線を向けた。
ルサルカはそれを確認して、少しだけ顔を出し、頷いた。
すると、兵士たちは頷き返して、即座に門を開く。
どうやら、彼らもまた、事情をよく知っている者――不死者、ということらしい。
昔、生活していた街に、これほど沢山の不死者がいたなどとは、わたくしは全く知らなかった。
あの頃、わたくしは一日でどれくらいの不死者たちとすれ違っていたのだろうか。
考えるのも恐ろしいことだった。
けれど、今は反対に頼もしい。
仲間がたくさんいて、誰もがわたくしに好意的にふるまってくれている。
兵士たちも、わたくしの視線に気づくと微笑んでくれたほどだ。
死刑台の上から見えた、あの王都の民たちの冷たく蔑んだような視線とはまるで正反対の、心が温かくなるような視線だ。
人と不死者と、一体どちらが“正しい”のか、わたくしにはもう、わからない。
◇◆◇◆◇
「おぉ! よくいらっしゃいました! 伯爵領からの旅路はどうでしたか? 何か、ルサルカが失礼なことを申し上げませんでしたか?」
王都カタラ館の中に入ると、そう言って出迎えてきたのは、驚いたことに、吸血鬼の始祖である、クーファであった。
彼は“夜の城”にいたはずなのだが、どうやってわたくしたちより早くここに……と一瞬考えかけ、そしてすぐに、答えに辿り着いた。
ルサルカが転移魔術を使えるのだ。
当然、クーファも同じことが出来る。
彼は、それでここまで来たのだろう。
教会や宮廷魔術師たちの張った、王都の結界を越えて。
そんなことが可能なものとは思われないが、しかし、事実としてここにクーファはいる。
出来るというほかなかった。
しかし、そうであるとしても、王都の正門では人の出入りをチェックしている。
貴族の出入りもであり、それはしっかりと記録されているのだ。
それなのに、そのチェックをおそらくは通っていないだろうクーファが、ここにいてもいいのだろうか。
そう思って、わたくしはクーファに尋ねる。
「ルサルカは良いお話し相手になってくれましたわ……ところで、クーファ。あなたはおそらく、正門を通ってここにやってきたわけではないのでしょう? 大丈夫なのかしら?」
言いながら、愚問かもしれないな、とは思っていた。
そして案の定、クーファからは、人間からすれば馬鹿げた、不死者からすればある意味当然、と思われる答えが返って来た。
「何の問題もありませんよ。なにせ、私は正門を通ったことになっているのですから。方法ですか? それは企業秘密、ということにしておきましょう。ともかく、安心して頂いて構いません。疚しいことは何一つ……ないこともないですけれど」
そういうことらしかった。
全くもって信じがたいが、しかし、嘘を言う意味はないし、間違いなく嘘は言っていないと確信できる口調である。
本当なのだろうと考えざるを得なかった。
そして、わたくしは思った。
これからは、何かあっても驚くのはやめよう、と。
彼らのとんでもない力について、悩んでいるとキリがない。
そういうものだと思うことにしようと。
そうでなければ、精神が持ちそうにない。
わたくしは深呼吸をして、彼らの規格外を素通りすることにした。
「……分かりましたわ。ところで、クーファ、あなたは何をしにここに?」
わたくしの質問に、クーファは、
「えぇ、それはですね、これですよ」
そう言って、一枚の手紙を見せてきた。
「それは……?」
「これは、今度、王宮で開かれるパーティの招待状です。カタラ伯爵宛に、ぜひ、出席してほしいとのことで……」
カタラ伯爵は、この国にとって重要な貴族の一人。
地方貴族とはいえ、その財力は無視できないだけの存在であり、そんな人物に、国の主催するパーティの招待状が来るというのは至極当たり前の話である。
だから、そのこと自体には特に驚きは感じなかった。
けれど、少し違和感があって、わたくしはそのことについて、口を開く。
「パーティ、ですか……わたくしの処刑から、それほど日も経っていないのに、王宮ではもう、そんなことはなかったことになっているのね……」
独り言のようにそう言ったわたくしである。
わたくしは、ただただ、ショックだった。
わたくしの死が、ぞんざいに扱われているような気がして。
もし、わたくしが真実、許しがたい罪を負っていたというのなら、話は別だ。
けれど、わたくしは何もしていないのだ。
そんなわたくしを処刑しておいて、この国は、のうのうとパーティなど開こうと言うのだ。
怒りが、憎しみが、心の奥底から噴き上がってくることは抑えることは、どうしてもできなかった。
けれど、そんなわたくしに、ルサルカとクーファは、頷き合って、少し気の毒な視線を向けてきた。
その反応に奇妙なものを感じたわたくしは、二人に尋ねる。
「……どうか、したのかしら? わたくしの顔に、何かついていて?」
ルサルカはそんなわたくしの言葉に、
「いえ……あの、あるじ様は、まだ、気づいておられないのですね?」
と言ってきた。
何の話か分からず、わたくしは首を傾げる。
ルサルカの言葉のあとを、クーファが継いで言う。
「お姫様。どうか、落ち着いてお聞きください。今は、王国歴834年です。この意味が、お分かりですか?」
その言葉に、わたくしは衝撃を受ける。
まさか、と思い、わたくしはクーファに尋ねる。
言い間違いではないかと、そう思って。
「834年……? 831年ではなくて?」
「はい。お姫様が処刑されたのが、王国歴831年の瑠璃月の25日。そして今は、王国歴834年の月長月の1日です。つまり……貴方様がお亡くなりになられたときから、約二年半の月日が流れているのです」




