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神様の名前  作者: 隠居 彼方


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6



『カミさま』と共に界を渡ったミズスギは、これまでと全く異なる界での生活を始めた。

見慣れぬモノたちとの慣れぬ生活であったが、ミズスギの順応は早かった。

『カミさま』が連れ帰った子ども、ということもあって、住民たちがあれやこれやと気を遣ってくれたし、ミズスギ自身の才覚が彼を助けたのだ。

 

『カミさま』はミズスギの両親を探そうとしてくれたが、ミズスギはそれを断り、一人で生活をするようになった。

その力は彼には十分あったし、実際一人で困ることはそうなかったのだ。

彼としては、今更親など求めてもいなかった。


「でもきみ、それじゃあ名前も分からないよ」


生みの親を探そう、と言った『カミさま』は、それをミズスギに断られて困ったように眉を下げた。

何といっても、ミズスギは己の名さえ、分からなかったのである。

『カミさま』に尋ねられ、ミズスギはきょとん、と首を傾げるしかなかったものだ。


「……私に名前なんてあったんでしょうかね?」

「はぁ!?」

「呼ばれたこと、ないんですよね。きっと最初は何かしらあったんだとは思いますが、お前、とか、化け物、とか、そういう呼ばれ方しかされてこなかったので」


頭を抱えた『カミさま』は、じゃあ親を探してつけてもらうはずだった名前を教えてもらおうと提案して、ミズスギ本人に却下され。

終いには物騒なことまで言い出した。


「あの界、つくりなおしてくれば良かったかな……」

「そんなことできるんですか」

「わたしはそういうカミだからね。あの界のカミに断りはいれなきゃいけないけど。あの強度の界だから、首振られてもわたしの方が強い。多分無理矢理でもやれる」

「……そんな面倒なことをせずとも、あなたが適当に私の名をつければいいでしょう」


この白いカミを荒ぶらせてはいけないと直感して、ミズスギは彼女の気をそらせた。

すると今度は『カミさま』の方がきょとんとして、ミズスギを見つめたものである。


「……え、いいの?」

「まあ……、あまり期待はしませんが、日常に困らない呼び名を考えていただければ、他の方が呼ぶのに困ることはないでしょうし」

「憎まれ口の減らない子だなぁ……」


しかし『カミさま』は真剣に子どもの名を思案し、やがて言った。


「……ミズスギ、はどう?」

「案外まともですね」

「案外は余計。……ある界ではこう書く」


竜灯


そう、『カミさま』は宙に指でなぞった。

光が漂い、しばらくその形のまま留まる。


「変な形ですね」

「そう? わたしは綺麗だと思って見てたんだけど……。この竜、っていうのはね、わたしの姿のひとつ」

「カミ、という意味ですか」

「そういう場合もあるし、大いなる力を持ったモノ、という意味もあるよ」

「……いいんですか、それ」

「わたしが見つけたきみにつけるんだから、ぴったりでしょ」

「……この、後ろの形は?」

「光」


彼女は、はにかむように微笑んだ。


「最近色々な界を見てたんだ。それでたまたまきみを見つけたわけだけど、なんだかね、たったひとり、きみだけが燃え盛って辺りを明々と照らしているように見えたんだよ」

「…………」

「あれ、気に入らない?」

「――暮らすのには困らなそうなのでそれで構いません。今後はミズスギと名乗ります」


名を受け入れたミズスギに、『カミさま』は嬉しそうにまた笑って。

彼女ときたら、そんな風にしてミズスギの心を絶えず揺さぶってくるのだった。


「……それで、あなたの名前は?」


ミズスギが聞き返せば、『カミさま』は吃驚した表情を浮かべた。


「わたし、名前聞かれたの初めてだよ……」

「何を言ってるんですか」

「いやだって、この界にカミはわたしひとりだもん。皆『カミさま』って呼ぶから」

「ああ……」


大げさなと思ったが、『カミさま』の説明にミズスギは納得した。


「でも名前はちゃんとあるのでしょう?」

「うん、ある。……でも、教えられないんだよね」

「何故です」

「カミさまが名前を教えるのはね、普通伴侶にだけだから」

「……いるんですか、伴侶」

「残念ながら」

「ああ、そうでしょうね」

「その納得顔腹立つなぁ!」


もう、と頬を膨らませた『カミさま』の名を、ミズスギはいつかきっとその口から聞いてやろうと決意した。


ミズスギが欲しいのは、ただひとつ。たったひとつ。

彼女という存在になっていたから。




しかし、ミズスギの想いなど露知らず、『カミさま』はミズスギも含めた界の住民全てに等しく愛情を持って接した。

『カミさま』は誰にも優しく微笑んだ。

困っているモノには躊躇いなく手を差し伸べた。

そういうカミさまだから仕方がない。

けれどミズスギは、他のモノといっしょに扱われることが堪らなく嫌だった。

彼女の特別になりたかった。


その想いが強くなるほど、ミズスギは『カミさま』に憎まれ口を叩いてしまった。

ミズスギのように生意気にカミに接するものなどいなかったから、ミズスギにだけ、彼女は怒ったような表情を見せた。

他の誰にも向けない表情を、ミズスギにだけ向けてくれた。

 

そうこうするうちに、二人のコミュニケーションは喧嘩腰が常となってしまう。

ミズスギはもちろんもっと優しくしたいという気持ちを持っていたが、ぽんぽん言葉を交わし合っていると、まるで彼女と対等になれたような気がして、言いすぎても止めることができなくなってしまったのだ。

想いを告げることができれば、また違っていたのかもしれない。

 

けれど。

 

新たな生を刻み出したミズスギは、アヤカシとカミの絶対的な差を知ってしまった。

もし彼女の気持ちをミズスギに向けることができたとしても。

ミズスギはきっと、『カミさま』の名に耐えられない。触れることも、叶わないだろう。

彼女の中のカミとしての力は、アヤカシであるミズスギを殺す。

アヤカシはカミに触れられない。

アヤカシとカミは結ばれない。

 

それでもミズスギは、諦めようとは思わなかった。

己がアヤカシで、想う相手がカミで、その差故に近付けないのならば。

その差を、失くしてしまえばいい。

カミにも匹敵する力を手に入れればいい。


そうして、ミズスギは力を求めた。

力あるモノが害をなそうとしたならば、誰よりも早くそれを阻止し、その相手から力を奪う。

何百年も、何千年も、それを繰り返した。


それに専念したかったミズスギが守護隊結成にいたったのは、『カミさま』が他の界の複数のアヤカシに襲われる事件があったからだった。

その頃から『カミさま』の側には守役がいたし、世話役もいたが、後者は戦いには向かないし、守役がひとりでは、大勢にかかられて『カミさま』を守りきることはできなかったのだ。


とはいえ、その事件は未遂に終わった。

何とかミズスギが間に合ったのだ。

 

しかし、思い出すだに、嫌な汗をかいてしまう出来事だった。

間に合わなければ、彼女はどうなっていただろう。

<穢れ>を纏う、悪しきカミへと堕ちてしまっていたかもしれない。


彼女を守れるものが必要だと、ミズスギは考えた。

守役もいるし、ミズスギもいるが、それだけでは思いもよらないことがあった時、数が少なすぎる。


彼女もカミなので、撃退する力自体は持っているが、その性質のためにその力を行使できない。

相手を傷つけた痛みは、『カミさま』自身に跳ね返ってくる。

それだけでなく、誰かが傷つくシーンを見ただけで、彼女はその痛みを知ってしまい、動けなくなってしまうのだ。

アヤカシたちに襲われた際も、世話役が傷つけられ、動揺して敵の足止めもできずに、彼女は暴行されそうになった。


護衛を増やせればよかったが、奔放な白いカミが渋面になったので、ミズスギは別の手段として、守護隊を思いついたのである。

守護隊をつくるのに、ヒトの中で生きてきた、その知識が役立った。

ミズスギは綿密に組織を練り、連絡網をつくりあげ、彼女がどこにいても守れるようにした。


表向きは住民を守るため、と目的を掲げたが、そもそものミズスギの動機は、そういうことだったのである。

だが、住民への恩返しをしたいという気持ちも、確かに彼の中にあった。

ヒトの村では冷遇されていた彼を、この界の住民たちは温かく迎え入れてくれたから。

住民が傷ついて、彼女が泣く、そんなことがなくなればいいとも思っていた。


もちろん最初は、反発もあった。

この界には秩序だった組織がほとんどなく、胡散臭く感じられたのだろう。都合が悪いと感じるモノも、少なからずいたはずだ。


しかしそれは、カミの一声でほぼ鎮静化する。

『カミさま』が、住民たちの平和のために守護隊設立を応援すると言ったのだ。

その口添えが嬉しくも、ミズスギには複雑だった。

守りたい存在に、守られて。




彼女がやたらと界渡りをするようになったのは、その前後だ。

もともと他の界に興味を示すことの多かった『カミさま』だが、見るだけで満足していたようだったのに、わざわざ足を運ぶようになった。

ミズスギのようなモノを見つけたというのならまだしも、そういうわけではないらしい。


ミズスギはずっと、そんな彼女の理由を知りたかった。


見るだけでは足りなくなったというのなら、守役を撒く必要はない。

もしや他のカミに先を越されたかと、彼女を奪われるのかと、肝を冷やしもしたが、それにしては毎回行き先が変わる。

それにそれも、こそこそする必要はないはずだ。

相手が余程の訳ありならともかく、『カミさま』の目出度い話に、住民たちも喜びこそすれ反対はしないだろう。

他の理由であっても、それが正当なものであれば、理解は得られるはずである。

それなのに『カミさま』が何も言わないのは、言えない事情があるのか。


――この界が嫌になってしまったのか?

そうも思ったが、『カミさま』は大抵ふわふわにこにこしていて、とてもそんな風には見えない。


――一体何を考えているのか……。

それが全く分からないことが、ミズスギを苛立たせた。

彼女との埋められない差を見せつけられるようで、嫌だった。

勘繰りすぎだと分かっているが、時折、ミズスギの想いを知っていて、彼を諦めさせるためにわざとそんな振る舞いに及んでいるのかとまで考えることもあった。


――あなたに追い付こうと必死になっている私の邪魔を、よりにもよってあなたがするのか。


私の前から、いなくなるつもりなのか。








……そんな焦燥も、もう終わる。

ミズスギは、消えてなくなるのだ。


あの、ミズスギにとって何よりも尊く、美しく、優しい存在を手に入れられなかったのは無念でならないが、想いを告げることはできた。

これで少なくとも数百年は、ミズスギの存在はあの純白のカミの心から忘れられることはないだろう。

それだけでも、十分ではないか。

カミにはなれず、ただのアヤカシとして死んでいく自分には。



――まったく、酷い男に惚れられて、災難でしたね。

名を秘めたままの、カミさま。




ああ、けれど、やはり。

あなたの名を、呼びたかった。




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