74・気づいていなかったのですね
『サかラうノカ?』
「でも私、先に言いました。もう従うことはありません」
エレファナの瞳が煌々と揺らぎを増す。
そして冴えざえと青白く光を放つ魔力を瞬時に練り上げ、闇の先に叩き込んだ。
放ったまばゆい魔導の一撃が弾け、ガラスのように砕け散る。
エレファナは反動でのけぞるが、とっさに膝をついて姿勢を立て直すと、闇の先に目を凝らした。
(二百年前から変わりません。研究所で身体を改造していたドルフ皇帝は、魔導耐性を獲得しているようです。私の魔力を恐れていましたが、やはり魔導が効きません)
『ケケケ……ムだダ』
「そうでしょうか? 服従の枷は不完全な魔導で作られたものですから、変質もよくあることです。気づきませんでしたか?」
エレファナの問いに、影は答えない。
腕だけとなった姿で闇の奥から飛び出すと、おぞましい速さで迫ってくる。
その服従の枷をはめた醜悪な指が、わし掴むようにエレファナの喉元を狙った。
突如、闇を切り裂くような甲高い悲鳴があがる。
影は汚い奇声を張りあげながら、情けない姿で草地に転がった。
エレファナは一歩踏み出して、静かに影を見下ろす。
「やはり気づいていなかったのですね。今の枷の服従関係は、支配が私側にあるのです」
それは明るい礼拝堂内で、セルディと指輪の交換を行ったときから気になっていたことだった。
「セルディさまの持っている枷はなぜか、服従する側に変わっていたのです。持って生まれたときに変質したのだと思います。あなたは魂の消滅に焦っていました。だから枷をセルディさまから自分に移すとき、『深く考えず、主従関係の確認をしなかった』はずです!」
(つまり作戦成功です!!)
地べたに転がる影は、事実に身を震わせながら叫んだ。
『ゥルサイ! ハヤクおマエノ、ィノチヲ!!』
「無理です。あなたが誤って着けた服従の枷をセルディさまに戻そうとしても、それは私がさせません」
腕の影は自分を支配する枷を非難するように、甲高い奇声をあげて地を転げまわった。
しかしその身は動くたび、煙をあげるように表面の形が削がれていく。
やがて薬指の部分が砂のように崩れて無くなった。
枷も外れてほどけるように消える。
(もう、セルディさまを縛るものはなにもありません。ドルフ皇帝が着けた枷も失われました)
いつの間にか辺りは静まっていた。
ドルフ皇帝だった細長い影は地に這いつくばり、もがく力もない。
風が吹けば消えてしまいそうなほどに、その魂は朽ちていた。
『……コワィ』
「そうなのですね」
『ヒトりニシナイで』
「はい。私はここにいますよ」
『キえルノこワイ』
「だからあなたは不滅の命を求めていたのですね。生き永らえる可能性にすがるように、研究所で試作した不完全な道具ですら使い続けていましたから。それで自分の魂を傷つけていると気づいていても」
『コワい。エレフぁナ、サムイヨ……』
すでに腕の形すらほころびた影は、みすぼらしく震えている。
(寒いのですね。ひとりで泣いています)
エレファナはそのわびしい姿を見つめた。
すると自分が礼拝堂で言葉にならない感情にさらわれて、涙が止まらなくなったときのことを思い出す。
それをセルディが受け止めるように、ずっとそばにいてくれたことも。
(でも彼には誰もいないのです。みんな自分から振り払ってしまいました)
エレファナはそっと屈んだ。
そしてあとはただ消えるだけの影に対して、包むように手を伸ばす。




