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第十三話 修羅の楽園 十四 冥途を育てる


「そのような試合運びの判断も、私はすでに剣闘士へ『約束』している。断る必要もないが……ふむ?」


 領主フマイヤはやつれきった顔でも威儀は保ったまま、新チャンピオン『闘鬼アンレイ』の表情を探る。


「なるべく規定の範囲は守ります」


「そうなると多数が同時に出場する『一斉戦』の準備は、よかったのかどうか……」


 悪魔公は傍らの側近の様子を確認する。

 連日の猛鍛錬でさらに細く引き締まった容姿が、決闘前のような笑顔を闘鬼へ向けていた。

 領主の視線に応え、落ち着いたうなずきは見せてきたが、フマイヤはかえってみがまえ、肘置きを強く握る。

 その足元にはべる奴隷女ヘルガも不安そうにしていたが、視線は会話の流れよりも、それが引き起こした風の様相を追っている。



 石剣使いの『石像ポリフォン』という大柄な剣闘士がいた。

 異名どおりに石鎧で全身を守っており、板状の軽石とはいえ刃は通しにくく、斧や槌でも一撃だけでは威力を吸収されやすい。

 砕いた部分へ連続して当てられるほど器用なら、はじめから継ぎ目を狙ったほうがいい。

 そして小剣の倍は長い石の短剣と、腕から拳まで守っている小盾による殴りつけによって、下手な攻撃には重い反撃が待っていた。

 四強の『赤虎タヌム』『女巨人ヒュグテ』には圧し負けたが、ベテラン入りした十戦の時点では七勝の優秀さで上位陣へ入っている。


 新しい装備には公平さの議論がつきもので、同じ装備は誰でも選んでいい規定になっている。

 しかし石鎧を真似した者はいない。

 立ち姿はまともな装備一式に見えても、手首と足首を動かせないように調整されていた。

 足さばきの鈍りと痛めやすさが特に致命的で、剣も固定されてしまうと長さ重さが扱いにくさとして目立つ。

 ポリフォンは古参の傭兵だったが、元より片脚は義足で、片手は指のほとんどを失っていた。

 腕に固定した武器をふるい、足先の細やかさよりも装甲と打撃力で圧す戦い方に習熟していた。

 そのポリフォンと、共に死線をくぐりぬけてきた四人の部下を合わせ、五名がアンレイに撲殺される。


 アンレイはほとんどの試合で追加試合を申請するため、大勝負でも最終日や最終試合よりも前に予定を組まれやすい。

 首位となった翌日にポリフォンとの追加試合が組まれ、いきなり肘と膝を蹴り砕き、降参も無視して首までへし折った。

 宿舎牢で報復をしかけた部下たちも同じような末路をたどる。

 四人がかりで囲んで不意打ちし、持ち込んだ鍛錬用の木剣も先を尖らせる改造をしていて、アンレイは髪剣すらない素手だった。

 その状況報告だけなら自衛のための仕方ない反撃として「やりすぎ」とは言いがたいが、実際に居合わせた衛兵が見た光景は『一方的な虐殺』だった。

 あまりに冷酷で美しい技巧と笑顔に見とれて身動きもできなかった。


 今まで格下相手の試合ではどれほど手加減していたか、遺体のむごさで知れ渡る。

 現場の確認に来た領主フマイヤも思わずうめくが、事件には着目していない。


「むう。これは見事な……マリネラ?」


 側近の名前を呼んで見解をただすが、隣にいながら『鬼神の痕跡』を見つめるばかりで応えない。


「……マリネラ?」


 返事に迷っている様子ではなく、二度目に声をかけても間が空き、ようやく顔を向ける。


「明日よりしばらく政務を離れますので、引き継ぎをしておきました」


 その柔らかな笑顔にフマイヤが怯える。

 問い質しがたい気配も感じて、両拳を握りしめていた。

 かつて『海賊狩りのゼペルス』も、死出の決闘前に情のこもった笑顔を遺している。



 その晩のフマイヤはほとんど眠れないまま、明ける前の早朝から居館を出た。

 前日から警戒はさせていたが、マリネラの決意を制止できる者は存在しない。

 地下牢からは看守たちが追い出され、扉は内側から封じられていた。


「ヘルガに訓練をつけるため、ふたりきりになりたいそうです」


「……うむ」


 声だけは威厳を保っていたが、震える手で扉へすがりつく。


「人員を手配する。物音を聞き逃すな」


 看守たちは昼前には終わるものと思っていたが、追加の交代人員は十五名に及び、大きな鉄槌と丸太も持参していた。



 マリネラは昼までかけて、地下牢を見てまわる。


「お借りします」


 ヘルガの使うむしろだけの寝床に横たわってみて、遠い天井近くの細い通風孔を見上げる。

 寝たまま手の届く壁に掘られた『愛しのヘルガ』という文字も見つめる。

 抜けた歯でくりかえし削ったような、しかし丁寧に整えた筆跡だった。

 看守の詰所から遠く、排泄物を捨てる穴へ近い牢ほど身分の低い者が投獄されやすいはずだが、品を感じる。

 その文字以外に見えるといえば、通風孔からのぞける試合場だけ。


「これはやはり……角へ手足をつっぱらせて登るのでしょうか?」


 ヘルガは座ったままぼんやりと不安そうにマリネラを見ていたが、通風孔を指されると登って見せる。

 マリネラの推察どおりだったが、ほとんど『跳び上がって、さらに壁を蹴る』に見える素早さで通風孔へ指がかかってしまう。

 マリネラは驚きながらも、同じように跳び上がった勢いのまま壁を蹴ってみる。

 手足をつっぱらせてもう少しだけ登ると、はしたない脚の広げかたにはなったが、さらに壁を蹴ってどうにか指が届いた。

 細い横長の穴をのぞくと、夜明けの試合場の砂地が足首ほどの高さで見える。

 幼いフマイヤがのぞきこんで『墓下の怪物』と目を合わせた呪わしき奈落。

 ヘルガもまた、この狭すぎる暗闇でフマイヤの親しげな眼差しを浴びた。


「なるほど……ほほえむわけですね」


 マリネラは静かに降り立つと、牢から出て桶に溜めた水を運んできた。

 通路の奥には排泄物を捨てる穴があり、その上からは水が細く流れ続けている。

 牢の格子ぞいに、桶はすでに八つ並んでいた。

 マリネラは持ち込んでいた革袋に入れた水や干し肉の量を確かめると、鉄鎖を格子に巻きつける。

 鎖を鉄鎚でたたきつぶして固める音は、昼ごろにようやく響き渡った。



 マリネラは鉄槌も格子の外へ捨てて自分ごと閉じこめると、ヘルガに拳刃を手渡す。


「私に貴女への慈悲が少しでもあったなら、もっと早くに殺していました」


 短刀を両手にかまえて牢の壁際を動いてみて、戦場の間合いを確認した。


「私にとって貴女はどれだけ、どのように殺しても気の済まない害悪でありながら、フマイヤ様には救いをもたらしうる唯一の希望……」


 仮面じみた笑顔で頷き、斬りつける。

 ヘルガはとっさに刃で受けたが、かすられた乳房からひと筋の血が流れた。


「しかし貴女はどれだけ心を見通せても、自身の手足のように無関心だった……フマイヤ様へ対してさえ、ただ鏡に見とれるだけのように!」


 片方の短刀による乱れ突きだけで、両手の拳刃でも防ぎきれない。

 ヘルガはたどたどしく後ずさり、マリネラの刃と瞳から噴き出す殺意に怯える。


「うあっ!?」


 手の平を突き刺され、肩口にも刃が突き立った。


「ようやくその見えかたに不安を抱けるようになり、孤独も感じられるようになったのですね? 人らしい交流が、あなたを人間に近づけていた……」


 偽りの笑顔も完全に消えた。


「私はそれを許さない」


 短刀へ力をこめ、肩口へさらに深く刺す。

 直後に飛びのいていたが、ヘルガの蹴りはわき腹へたたきこまれ、威力は半減されていたがマリネラは背と頭を石壁にぶつけていた。


「ヘルガ。貴女は何者ですか?」


 即座に壁を蹴って反撃へ飛びかかり、刃が抜けたばかりの手と肩口を斬り裂く。


「私は、フマイヤ様に愛されている貴女を呪い続けたい」


 泣いて逃げまわるヘルガを追い回して斬りつけ続けるが、首などの『楽になれる急所』は傷つけない。


「貴女にフマイヤ様の望みをかなえさせ続けたい……ヘルガ、貴女は何者ですか?」


 マリネラは息がきれると、ようやく手を止めて壁にもたれかかる。

 ヘルガは向かいの壁へ身を寄せて震えるばかりだった。

 マリネラの息が整うなり、地獄は再開される。

 数度もくりかえすと、マリネラは壁にもたれたままうたた寝していた。

 目をさますと革袋の水を一口飲んで、干し肉を一口かじる。


「ヘルガさんも、補給は自由にとってください」


 水袋も糧食袋も、格子に十数個ずつ吊り下げられていた。

 ヘルガは隅にちぢこまってばかりで、水や食料に手を出す様子はなく、マリネラは短刀の血糊を丁寧にぬぐうと再び襲いかかる。


「私は貴女を深く憎んでいるからこそ、フマイヤ様を託せるとも判断しました。私なりに、貴女を愛してこその結論です」


 マリネラは致命傷を避けているだけで、深手まで避ける様子はない。

 ヘルガの肉体に染みこんでいた技量が引き出されて反撃にも挑んでいるから、まだ浅い傷で済んでいる。

 それでも初日から両者の手足と床一面は血まみれになった。

 翌日といっても、昼夜の別はない。

 マリネラは仮眠から起きるなり刃を振り下ろす。

 ヘルガは声をかけるまでもなく、マリネラが刃をかまえる気配で身を起こした。

 マリネラが眠っている間だけでなく、食事と水の補給、排泄、桶の水で傷口や床を洗い流している間はヘルガに起きる気配はない。

 その泣きはらした寝顔を見つめながらマリネラは『死神の落とし子』が育った独房の空気を舌で転がし、時おりうなずく。


「これが貴女を生み出した暮らし……貴女の積み上げた生きかた。そこに人並みの孤独も育って、人間へ近づくことを……私は許せない」


 二日目でマリネラの髪も衣服も血と汗でごわごわになり、三日目には水で洗い流してもべとつきが残った。

 慣れない固い床での寝起きが続き、あちこちきしむような痛みを感じる。

 拳刃による傷はまだ手足と腹をかすっただけで、膿む様子はない。

 ヘルガほどではないが傷が悪化しにくく、痕が残りにくい体質でもある。

 打たれたり壁にぶつけたあざのほうが目立っていた。

 ヘルガは傷の治りが異常に早いとはいえ、暗がりでも確認できる大小の生傷が体中に残っている。

 動作よりも表情に疲れが濃く出ていたが、格子から出ようとする様子はない。

 強引な同居を続ける怪物の瞳を探り続けている。

 四日目にマリネラが目を覚ますと、水と糧食の半分、十数袋ほどが消えていた。


「ヘルガさんは食べ貯めのきく体質でしたね」


 もう髪を洗う気力もなく、水袋の水で顔をぬぐい、少しずつ水を飲む。

 床に散乱していた大量の空き袋をのそのそと集め、格子の外へ捨てながら、ぼそりとつぶやく。


「なるほど……刃で血肉へ尋ねたほうが、伝わっている感触がして楽しい」


 ふりむくと、はじめてヘルガから先に刃をかまえていた。


「もっと深く、私を知っていただきます」


 格子を駆け上がり、壁を蹴って奇襲をかける。

 狭い独房での動きや体格、筋力ではヘルガが勝る。

 しかしマリネラの集中力は、その激情と共に人外の域まではみだす。


「フマイヤ様のことも! 闘技場へすがる人々のことも! 知っていただきます!」


 四日目にして、打ち合う音は激しさを増す。



 試合場では通風孔の近くで衛兵が聞き耳を立てながら、首筋に槍をつきつけられていた。

 担当の衛兵隊長は領主に『なにがあってものぞきこむな。地下牢への光をさえぎりそうな動きの者がいれば、刺して止めろ』と厳命されている。

 地下牢へ通じる扉の前も交代で常に数人の見張りをつけられていたが、日毎に領主自身が扉にへばりつく時間が増えていた。


 六日目の夜明け近く。

 フマイヤの目は血走り、食欲も絶えていたが、無理に水と果物を喉へ流しこむ。

 試合場へ向かうと、通風孔の前の砂地へ腹ばいにへばりついた。

 衛兵は誰もが動揺し、側室たちも心配して様子を見に来たが、領主に付き添う軍務長官アルピヌスは笑顔をつくろって追い払った。

 地獄の暗闇からは流血だけではない異臭が漂いはじめている。

 マリネラが再び笑いはじめていた。

 そこに仮面らしさはない。しかし人間にも見えない。


「だいぶ、理解していただけたようですね?」


 ヘルガからつけられた手傷の数と深さが増している。


「ヘルガ、貴女自身は、何者ですか?」


 すでに傷まみれのヘルガは泣き顔を見せなくなっていたが、困惑を深めたように『悪魔公の腹心』へ凝視を強めていた。


「フマイヤ様が、闘技場へ集う人々が、貴女の名を叫ぶのはなぜですか?」


 刃こぼれだらけになった短刀が、ふたたび獣じみた躍動と唸りで血を求める。


「貴女は彼らを自分の手足のように感じていても、彼らはそう感じていない。そう感じきれない」


 密接しての乱打戦。

 互いに斬り傷を増やして血しぶきを飛ばし合いながら、一歩も退かない。

 異常に速い打音の連続が地上の砂に這うフマイヤの鼓動まで追いつめる。


「彼らも心の奥底では、貴女とひとつであると感じたい。彼らの中にまで、貴女を示しなさい」


 声はむしろ落ち着いてきたのに、だんだんと強まる殺気はフマイヤにまで伝わった。


「私もそうです。私の中にも、貴女はいるでしょう? ……ヘルガ。貴女は、誰ですか?」


 暗闇からべちゃりと音が響いて、それきり静かになった。


「く……訓練、を、終わり、ます……」


 フマイヤは半ば四つん這いに駆け出しながら「担架!」と叫ぶ。

 身ぶりで伝令が次々と届けられ、地下牢への扉も打ちこわしが開始される。

 夜明けの光も届かない暗がりで、ヘルガは両手から血を滴らせながら笑っていた。


「そう、ヘルガ……あなたは『ヘルガ』です……『墓下の怪物』……『死神の落とし子』……『悪魔の娼婦』……」


 血溜まりに横たわるマリネラはヘルガの嬉しそうに流す涙を見上げ、優しい笑顔で頷く。


「よくできました……『愛しのヘルガ』……」


 右腕を失い、その傷口を押さえる手は力が抜けはじめていた。

 視界と意識もかすみはじめる。

 しかし半狂乱になったフマイヤの叫び声がどこからか聞こえ、休憩は少し延期しておいた。


「マリネラ! 死ぬな! マリネラ! 死なないでくれ!」


 格子の鎖が砕かれた瞬間、飛びこんできた馴染み深い体臭がすがりついてくる。

 即座に患部の根本を押さえる適切な対応しながらも、威儀すら忘れたように叫び続けていた。


「まだ死ぬな! マリネラ!」


 マリネラはもう自分がいなくなっても、フマイヤが領主として独り立ちできるとは思っていた。

 そして今日ようやく、自分しかできそうにない仕事は完遂できたように思える。

 ただフマイヤの泣き叫ぶ顔を見ていて、ふと『自分は何者だったのか』と考えた。

 遠のく意識の中で、はるか昔の情景を思い出していた。

 後宮の庭園の木陰で、まだ幼いフマイヤとふたりきりの講義をしていたころ。

 フマイヤといる時間が誰よりも長かったころ。

 最も返答に困った質問は、今でも毎日のように思い出す。


『マリネラが私の妻にはなれないのか?』


 なりたかった。


 なりたかった。


 なりたかった。


 しかし、その言葉だけで十分……そう自分へ言い聞かせるしかなかった。フマイヤのために。


『残念ながら…………私はすでに、フマイヤ様の父君に……』


 フマイヤのさびしげなうつむき顔を見せられ、声をあげないように涙を隠すだけで精一杯だった。


「マリネラ。ああああ……頼む! マリネラ!」


 領民と諸侯から名君と認められるまでに育てたはずが、子供の頃よりも子供のように泣きじゃくる悲鳴で意識がわずかにつながる。

 かろうじて、声をしぼりだす。


「まだ……楽になるわけには、いかないようですね。フマイヤ様には、まだ……」


 また声も出せなくなるが、どうにか笑顔は見せられた。


『まだ代わりの母親が必要なようですから』




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