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第十三話 修羅の楽園 十三 まじないを孕む


 翌月の剣闘試合の前に四強『女巨人ヒュグテ』は族長の少年と供に闘技場の内部にある執務室を訪れる。

 しかしその日もフマイヤは剣闘士や領民の間をさまよって声をかけまわり、マリネラは常軌を逸した鍛錬の重ねすぎで寝込んでいた。

 代わりに第七夫人デルペネと軍務長官アルピヌスが応対し、身重の第四夫人ボルイライも同席する。


「私の妻は今日、四強の『闘鬼アンレイ』と決闘する! 私の妻にただひとり勝てた『赤虎タヌム』をも倒した戦士だ! そして妻はそのアンレイに勝つ! 妻がまた、最も強くなる!」


 族長の少年は礼儀正しくも饒舌じょうぜつで、ヒュグテはかすかに顔を向ける。


「アンレイ、タヌム、ブレイロは、私でも勝機を見出しがたい戦士です」


「しかしアンレイは四強『鴉のブレイロ』に負けたこともあるが、妻は勝ったことしかない! 卑怯な臆病者に遅れはとらない!」


 ヒュグテがさらに顔をかたむけると、少年はどうにか発言をとどめる。


「戦士ブレイロは臆病にあらず。ただ父母より授けられた命こそを尊ぶ者です。私の卑怯は、卑怯になれぬこと。大きくありたい驕りが過ぎ、内なる刃の鋭さにおいて、かの者を追いきれません」


 ボルイライはヒュグテの言葉づかいに目を輝かせて手をもむ。


「ヒュグテさんはなんのために剣闘をしているのでしょう?」


「私の妻は最も大きくて強くて賢い! そして私の子もたくさん産むから、さらに大きくて強い戦士に育てるために、その模範となる!」


 少年は同意を求めて妻へ期待の目を向けるが、ヒュグテはかすかな動揺を見せた。


「今はそのほかに、秀でた戦士の成長に魅入られてもいます」


 ボルイライはヒュグテの渋る表情を見上げて首をかしげる。


「秀でてなお、成長を続けるものなのですか?」


「恐るべきものです」


 重々しいうなずきが返された。


「恐ろしいのに魅入られる……ヘルガさんも成長しているのでしょうか?」


 ヒュグテはじっと、ボルイライの瞳から真意を探ろうとした。


「その者は……誰よりも鋭く学びながらも、今はさなぎのように迷いのからつむいでいるように見受けられます」


「迷いのから……そう。あのかたは、すべてを見通しているようでいて、そのことに怯えているようでもありました」


 立ち会っていたデルペネとアルピヌスは、後宮にこもりきりだったボルイライがヘルガへ意外な理解を示したことに驚く。

 ボルイライは中空を見つめて思案に没頭し、ふたたび首をかしげる。


「すべてを見通し、怯え……フマイヤ様に背いて剣闘士を続けるあのかたも、成長を続けているのでしょうか? なんのために?」


 側室たちの前では、とりわけボルイライの前では避けられていた第五夫人の話題だった。

 デルペネは気まずそうに顔をしかめ、アルピヌスはにこやかに顔をそらす。

 ヒュグテもかすかに眉根をよせ、厳然と首をふった。


「その者の妄執は、噂にまでまじないをこもらせ、災いを招きかねません」


「そのようです。ええ。それでも。ええ。いまだにフマイヤ様も気にかけていらっしゃるなら。この子に知らせなくてよいものかどうか……?」


 ボルイライは心配そうな表情でも声は落ち着いていて、自身の腹をなでながら首をかしげていた。

 デルペネはそれが母親になりつつあるボルイライのたくましさなのか、不安や混乱の表れなのか、判断つきかねる。



 昼の休憩時間が終わりに近づき、衛兵が報告に入った。

 ヒュグテは少年を抱き上げ、抱きしめる。


「今日の決闘は厳しいものとなります」


 少年も元気づけるように抱きしめ返す。


「試合の前にいっしょに寝ておくか? 子といっしょなら勇気も増える!」


「いえ…………ひとりで」


 ヒュグテは辞儀を見せて先に退室するが、いつも以上に表情が硬く、動作もこわばっていた。

 少年は残った者たちへふりむいてうなずく。


「私の妻は私の誘いに照れただけ! アンレイのことは恐れていない!」


 少年は明るく笑うが、今日の試合を恐れていた。

 現チャンピオン『女巨人ヒュグテ』はまだ『赤虎タヌム』戦の一敗だけだが、痛めた膝のために不戦敗もしている。

 また追加試合を受けないため、試合数は少ない。

 対してアンレイは負けが多くても試合数の多さで勝率を補っており、しかもほとんど無傷か軽傷で、欠場したことがない。

 気がつけばいつの間にか、ヒュグテとの直接対決に勝利できれば首位を奪える位置になっていた。

 しかもヘルガ戦での敗北を最後に圧勝を続けており、タヌムとブレイロ以外はまともに戦えていない。



「木剣使い『女巨人ヒュグテ』対、髪剣使い……『風神アンレイ』!」


 アンレイは『闘鬼』や『鬼神』の異名で呼ばれることも多くなっていたが、審判のヒルダは客席の様子も見て合わせておく。

 入場してきたアンレイはなにかつぶやいていたが、弟子を真似たような言葉の濁流ではなく、故国の言葉らしき高低がよく変わる声音をゆっくりとつないでいた。

 ヒルダには意味を理解できなくても詩のようには感じられ、時おり、歌になりかけてはつぶやきにもどる。

 そしてふと照れたようにヒルダへ苦笑した。


「詩作は難しい。ボルイライ様に助言をいただいて故郷の言葉で試してみても、それはそれで余計な思いがまざってしまう」


 ヒルダは返答に困る。

 近頃のアンレイは試合ごとに容姿が見違えるようになっていたが、鬼が本来の美女へもどってきたようでもあり、より実体の濃くなった悪霊のようでもある。


 前回の試合ではヒュグテの圧勝に近かった。

 ヒュグテの精緻で腕力も腕の長さもある木刀さばきに対し、アンレイが身のこなしでどう対抗するかを期待されたが、タヌムのようには勘よく飛びこめなくて得意の手数も見せられないままだった。

 ヒュグテには珍しい砂の蹴りかけを浴びせられ、やはりヒュグテはほとんど使わなかった体当たりをよけきれなかった。

 その後も善戦と言えるしのぎかたは見せたが、四強としては期待はずれに思われてしまうあっけなさで降参する。

 前評判では最強と噂されていたアンレイだったが、実戦での勝負弱さや打たれ弱さを指摘する声が相次ぎ、評価は一気に落ちた。


 タヌムがヒュグテへ雪辱を果たしたような乱打戦か、アンレイがタヌムへ雪辱を果たしたような打ち合いを再戦では期待されている。

 それに近い展開にはなったが、アンレイは反撃をいっさい受けないまま、じわじわとヒュグテの手先足先を削り続けた。

 身のこなしと手数ではアンレイが一枚上手とする評価は以前から多かったが、そのふたつの差でヒュグテの攻撃がまるで当たらない。

 観客席のアイシャは拍子抜けしていた。


「え……? このままジリ貧で結着……か?」


 腕力や間合いでの優位が、打撃を浅く抑える程度の役にしか立っていない。

 技巧では互角か、アンレイがやや上。


「変化をつけねえと、足さばきと手数で押しきられるが……」


 前回、ヒュグテが奇手を使った理由は無傷で捕獲勝利を狙う余裕と思われていた。

 しかし今回、タヌムのような『魔性の勘』を持たないヒュグテこそ、アンレイに対しては不利な相性と発覚する。


「……あのクソまじめなデカブツは、そんなことアタシよりよほど承知してそうだ」


 堅実に打ち合いながら、なにかを狙っている気配は感じる。

 仕掛けられない苦しさも伝わる。

 アンレイは隙を見せないまま身のこなしに多彩な変化をつけ続け、傍目にさえ目まぐるしい。

 ヒュグテには珍しい蹴りが放たれる。

 スキを最小にした低い振りでも、丸太のような足で払われたら体を宙に浮かされる威力だった。

 アンレイはとっさにひざを合わせる。

 完全にすねを捉えていればヒュグテ自身の体重で骨を壊せたかもしれない。

 しかしかするだけで、互いに体勢が崩れた。

 ヒュグテはそれを見越したように、両腕の長さに任せて襲いかかっている。

 アンレイはわずかに早く姿勢を整え、木刀を拳撃でずらし、小盾による殴打をくぐって肘で小手を打つ。

 わずかな差で、攻撃の肝心な当たりはずれが分かれた。

 ヒュグテは小指を痛めても意に介さず、倒れるように後退しながら蹴り上げる。

 巨体を丸め、着地姿勢が乱れてでも素早く放つ。

 その足首にも肘打ちを落とされ、痛みと絶望にヒュグテの顔がゆがむ。

 すぐに膝、続いて木刀を持つ小手にも鉄棒のような蹴りが打ちこまれた。


「こ……っ! ……ぐ……!?」


 ヒュグテは声をまともに出せなかったが、アンレイは相手の動きに合わせて手を止める。


「貴方のことは苦手だったが、その落ち着きが臆病の大きさだと気がつけなかった私の未熟だった」


 完封と言っていい圧勝で結着する。


「今は以前よりも尊敬し…………その……失礼にあたるかもしれないが、劣情もわく」


 照れたような会釈を向け、晴れがましい踊りで『新チャンピオン』への喝采にも応えてまわった。

 観客席ではにわかにアンレイ最強説が再浮上して怒鳴り合いになる。



 賭け札の売り場も混乱した。

 アンレイはチャンピオンになってみると、対抗株の準備が怪しい状況になっていた。

 四強も、それに迫るとされていた新人たちにも勝っていて、しばらくは再戦もない。

 なかば本気で「もうマリネラ様しかいなくねえか?」などと陰でささやく者もいた。


「無傷のようだが、さすがに巨人退治の後では追加試合を入れないのか?」


 アンレイは勝った試合のすべてで追加試合を申請していたが、今回はその報せが出ていない。

 日没後の表彰式になってフマイヤに確認されると、アンレイは明るい笑顔でうなずいた。


「今回も追加試合をお願いします。ただ今後の試合は、みんな殺します」


 アンレイが詩歌のほかに冗談を習っていたという噂はない。

 この日を境に『闘鬼』の異名が多数派となる。




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