第十三話 修羅の楽園 九 空虚を練る
「売春は心身の急所を扱い、医療に準じて専門性の高い仕事です」
マリネラの表情はわずかに、とまどいと苛立ちを深めていた。
「ええ。シロウトの真似事では、どのような惨事になるかと危ぶんでの相談でして。私自身も今はフマイヤ様の所有物として、商品価値は落とさないように心がけたいと思いますし、武芸以外に向く才能の持ち合わせなどないつもりですが、これも後学の一環になるものかと……」
アンレイをまだよく知らないアイシャでも、言葉の多さが不似合いな痛々しさは感じる。
自分が支えたい男のために、他の男へ体で媚びていた頃を思い出してしまう。
それでつい、軽口をはさんでいた。
「人様の仕事をいろいろ手伝ってみると、自分の仕事を見直せることもあるよなあ?」
「……ええ。そういうことです」
アンレイが向けてきた笑顔には『どうでもいい虫ケラが、たまたまいい時に鳴いた』と書いてある。
アイシャも自分の素質はモニカに劣る気がしないでもない。
それも一歩だけの差のようで『怪物になれるかどうか』の決定的な境界だった。
この場でアンレイが興味を保てる相手はマリネラとヒュグテだけ。
人外の域へ踏みこめる者たちだけが、その言葉も鬼の心胆まで届きうる。
「詩歌に関しては、アンレイさんに興味を持っているかたがいました。それと女性の扱いに慣れていて、アンレイさんを芸妓に望まれそうなかたについても探してみましょう」
「性根はともかくも、うわべの素養はそろっているつもりです」
アンレイは他人事のような笑顔で礼を見せる。
翌日は昼間から『流浪の巫女モニカ』がアイシャの牢へ立ち寄り、マリネラに打たれた手足と鼻を見て笑いころげた。
「あら失礼。でもいったい、なんでわざわざマリネラどのと手合わせなんて?」
「バケモノの巣窟でちまちま勝ち星なんざ貯めてられるかよ? もっとてっとり早い方法をだな……モニカの姐さんだったら、下半身で領主を言いなりにできねえの?」
「めったなことを言わないの。もし領主様のご酔狂で妾になれたとして、あの領主どのだからこそ、色仕掛けごときでは操れないでしょうよ」
「クソヘンタイの趣味に合わせて釣るしかなさそうだよなあ? ……ていうか結局、あの女は何者なんだよ?」
「どのご婦人かしらん……私はマリネラどのも、ヘルガどのも、アンレイどのも、近寄らないように努めて祟りを避けているばかりねえ? 見込まれたって困ってしまうもの」
「おう、姐さんだけは末永く自堕落な呑み仲間でいてくれ」
「そんなの、いやよう……楽しすぎて、抜けられなくなりそうで、いや」
すねたような甘いささやきを上目づかいで向けられ、アイシャは『このオバハン、こういう口車で野郎どもをたらしこんできやがったな』と察する。
連れだって訓練場をひやかしに向うと、通路で担架をかついだ衛兵に押しのけられた。
「どけ! 酔っぱらいども!」
アイシャはモニカと視線を合わせ、衛兵を追って駆ける。
剣闘士や教官の事故であれば、これほどあわてないはずだった。
訓練場の模擬試合場では四強『赤虎タヌム』が拝むように謝り続け、マリネラは足首を押さえてしゃがみこんでいた。
「よい勉強になりました。この手傷には約束どおり報酬を……担架は念のためです。ひびは入ってなさそうです」
しかし足は痛々しく腫れあがり、汗もひどい。
アイシャはこそこそと『舞姫スール』へ近づく。
「昨晩は『女巨人』とやりあったばかりで、今日は朝から『赤虎』の相手かよ?」
「やっぱ、マリネラ様はやばい。息がもたなかっただけで、あの体格でわたしよりもタヌムと打ち合えていた……お師匠様といい勝負で人間やめてる……」
多くの野次馬たちも熾烈な乱打戦に感嘆していた。
マリネラは担架で運ばれながら、四強『鴉のブレイロ』に声をかけていく。
「練習相手の件、どうかよろしくお願いします……どうか……」
仮面のような笑顔の気迫にブレイロは苦々しく顔をしかめ、アイシャも冷や汗を浮かばせる。
ヒュグテの体格と技巧、タヌムの野生的な勘と腕力へまともにぶつかるだけでも尋常ではないが、ブレイロは練習相手として不向きすぎるように思えた。
「あのチビ、とっくにバケモノのくせして、さらにどう化けたがっていやがんだよ? それも領主がくたばりかけの時に……」
モニカは首をかしげ、ちらと闘技場の別の隅を見る。
「んん……だからこそ、かしらねえ? その御領主どのも担架で市井の見回りに出ているとか」
壁際の地面に座る黒髪褐色肌の美女ヘルガは訓練場のあちこちを見渡していたが、技術を探るというよりは迷子のようになにかを探す不安そうな仕草だった。
「下民の真似事みてえな働きかたしてるから早死にするんだっての。……バケモノどもは、なにをあせってやがんだ?」
アイシャもアンレイの弟子とヘルガの仲についてはすでに聞いている。
そしてヘルガはただ容姿だけで領主の愛人になれたわけではなく、フマイヤの顔を斬り刻んでいながらマリネラの前で生きていられる特異な存在だった。
モニカもまだ理解はできていないが、調子の不安定な中堅剣闘士『愛しのヘルガ』は重要な人脈の多くと関わっていることをアイシャに伝えている。
アイシャがこれまでに集めた噂では、極度の変り者であるほか、今の装備に換えてからは試合でも日常生活でも萎縮しているらしい。
以前はもっとバケモノじみていたとも聞く。
訓練場をのぞきこむ野次馬たちをあてこんだ干物の行商もいたが、客引きの声も出さないでぼんやり座っていた。
若い衛兵が顔をのぞきこむ。
「どうしたじいさん? 稼がないとばあさんにどやされて、賭け札も買えなくなるんだろ?」
「ああまあ……ここのところ、どうもその気になれなくて。剣闘にあやかって稼いでいる身で言えることでもないが……」
背後からも声がかかる。
「血生臭い見世物から離れられるならば、年相応の落ち着きとして悪いことでもあるまい……しかしその喉は、望むものが足りてなさそうな声音をもらしている」
行商の老人はまたひやかし客かと思ったが、衛兵の敬礼であわててふりむく。
護衛を率いた領主『悪魔公フマイヤ』はやつれた顔で苦笑し、弱々しい仕草で無礼を許可した。
「……よりよい興行の手がかりをもらえたらありがたい」
「めっそうもない……おそらくは、剣闘の場に求めるようなものではないのです」
老人は卑下してちぢこまるが、領主はよだれをたらさんばかりに身を乗り出す。
「それだ。おそらくはそれを聞きたかった。頼む」
「ですが、その……強い者が勝つ姿を見る場所でしょう? それに虚しさやみじめさをおぼえるなど……老いぼれた弱さゆえの、歪んだ性分でしかないのでは?」
老人は増えてきた人だかりを気にするが、悪魔公が相手の身分が低いほど寛容になる変わり者とは知っていた。
「ひとつ、思い違いをしている。私は領民が求めるものを集約させて政務に……闘技場の運用をしているにすぎない。あの舞台には、なにを求めてもよいし、心からの願いを捧げてほしい。そうしやすいように工夫は重ねなければな……弱さも歪みも、救われるように……」
夢物語のように異様な寛容さだったが、その多くは実現されているか、実現へ向かっている。
心躍る希望に浸らせながら、底なし沼のような不安にも引きずりこみ、その両方が病みつきになりそうな奇怪な弁舌だった。
「いや弱さや歪みにこそ、救いがあるべきなのだ。絶対的な救いとは? 絶対的な強さではない。それは見る立場によっては、ただの絶望でしかない……あるいは強者自身にとっても……ククククッ」
だんだんと小声になって背を向け、わずかな仕草で行商への配慮を指示する。
衛兵隊長は行商の商品を確認し、まとめて高めに買い取ってやった。
領主フマイヤは足を引きずるようにフラフラと去るが、目だけはギョロギョロと訓練場の剣闘士たちと野次馬たちの表情を探りまわる。
「そう、足りていない……求める者にこそ、足りていない……だから、頼む……いや、私こそ、まだなにか、手を尽くせていないことが……?」
護衛たちは担架を手に、妙に足の速い重病人を追う。
闘技場に隣接する施設の中でも、領主の居館には贅沢な広さの庭園が充てられている。
高官や来賓でも入れない奥側に後宮があり、正室は不在のまま、投獄された第五夫人を除く五人の側室がそれぞれの部屋で寝起きしていた。
側室同士の間柄は当初よりも親密になっていて、遅すぎた最初の懐妊にも全員が支えに通っている。
特に心配される気性の妊婦だったせいもある。
「ふあああの、やはりですね? どなたか、代わっていただくわけには……ううはあ……いえ、うとんじているわけではないのですお腹のかた。ただ私のような未熟者では。ご要望に叶いますものか……ええ。……うううああ」
まだ目立つ腹ではないが、第四夫人ボルイライは心身とも弱り続けていた。
歩きまわってもすぐに寝台へもどってしまい、枕元には詩作の練り途中である石板が積み上がってしまう。
燭台も多めに灯していた。
「できるものなら私へ移し変えていただきたいです」
第二夫人ニシェーラは冗談には聞こえない困り顔でつぶやきながらも、ぽんぽんと手を重ねてなだめる。
ニシェーラは地元の大貴族で、他国の王女だったボルイライよりもいくつか年上でもある。
死別している前の夫がいたこともあり、姉代わりになろうとは努めていた。
しかしつい、ボルイライよりもさらに年下の第三夫人アルポナの笑顔へすがるような目を向けてしまう。
アルポナは背も胸もいくらか育ち、より落ち着いた話し方になっていた。
「すでにわたしたちは、ボルイライ様のおかげで希望をいただいております」
謀反者の第五夫人が後宮へ仕込んでいたという『子を授からない毒』の噂を崩せただけでも、ボルイライの懐妊は手柄になっていた。
アルポナはそんな励ましでなだめつつも、言いまわしには苦心する。
「明日はフマイヤ様も立ち寄られるそうです」
「んんっく!?」
「うれしい……のですよね?」
アルポナは念のため確認しておくが、ボルイライの表情は複雑で、おどおどとうなずくまでにも間があった。
そのため気にしないそぶりで、下女といっしょに部屋の清掃にいそしむ。
「もちろん、です。フマイヤ様は、私を支え続けると言ってくださいました。それにフマイヤ様ですら、はじめてのこととあって不安に思っているとも、打ち明けてくださいまして……えふふ。そこは幸せのいたり。ええですがそれだけに。おおああ。それだけに、ですよね? ああのニシェーラさん?」
「よくわかりませんが。その……フマイヤ様からいただけた期待であれば、頼ってもよろしいのでは?」
ニシェーラはやっかいそうに眉をしかめながらも、もじもじと精一杯の気遣いをひねりだす。
「はい……横顔をいただけますか? その優美な鼻を描き写していると、少し気持ちが落ち着くことも……うー、今日はだめかもしれません。いえ鼻のせいではなく……はうっ!?」
ボルイライは描画用の石板をつかみかけたが手放し、来訪者の足音に肩をすくめた。
しかしそれは色鮮やかな腰帯をいくつも巻きつけた第六夫人パヌッパだと気がつく。
「妊婦さんの調子はどーよ? うんまあ、見てだいたいわかったけど。でもほら、もう考えたってしかたないし、考えすぎはよくないって」
「んんううう。そう、なのです。はい……そうです……です」
「気晴らしも大事なお薬だってマリネラ様も言ってたし、どこか行きたいところとかない?」
ボルイライの不審な身ぶりが少しずつ収まり、パヌッパの元気そうな顔と化粧をじっと見つめて思案をはじめる。
創作に意識をとられている時の仕草だったが、その後の発言は突飛なことも多い。
「ヘルガさんと話しておきたいのですが……あいえ、みなさま、お忙しそうですので、無理には……」
剣闘奴隷の名前を出されてニシェーラは顔をひきつらせるが、叱りつけたい気持ちは飲みこみ、アルポナはそれを察してそそくさと茶を勧める。
パヌッパも早めに話を終わらせたいと思ったが、ひとつだけ確認してみた。
「わたしから手配を頼んでみるけどさ、なんでまた?」
「フマイヤ様が最も大事にしているかたですよね?」
ボルイライは首をかしげて当然のように返答し、ニシェーラはむせこんで形相が変わり、アルポナはこそこそと侍女たちへニシェーラを退室させるように促す。
パヌッパはどうにか笑顔をつくろいながらも困っていた。
「まあ、闘技場をあれほど盛り上げるようになったのも、あの剣闘士さんがきっかけらしいけど……フマイヤ様たちは、もう少し休んだほうがいいのに」
ボルイライはまたゆっくりと首をかしげる。
「ヘルガさんのための剣闘だったなら、もう興行はしなくてもよろしいのでは? ヘルガさんはもう引退なさったほうがよさそうですし」
「え……と、そんな簡単に言われても……というかなぜ引退?」
パヌッパは目を丸くして首を大きくひねるが、アルポナは身をのりだした。
「ヘルガさんは引退の意志を見せていたのですか? フマイヤ様から剣闘を引き離せるきっかけになるかもしれません」
退室しかけていたニシェーラはなんの騒ぎかと寝台へふりかえるが、侍女たち
は背を押して急かす。
ヘルガが引退するとなれば、後宮へ入りかねない恐れでニシェーラがさらに気を揉みそうだった。
「いえ、あの、ヘルガさんに剣闘のなにが好きなのかとお聞きしたところ、ただ首をふるだけで、フマイヤ様もさびしげにうなずいていらしたので……」
アルポナの形相が変わる。
「それならなぜ、あのような見世物をいまだに……!」
シーツを握りしめてふるえ、パヌッパは驚いてなだめ、ボルイライもとまどいながらうなずく。
「それをお聞きしておきたいのです。フマイヤ様の子供にはどのような生まれを願えばよいものか、私には決めかねておりますから」
そう言ってアルポナの握り拳をほぐして開かせると、自分の腹へのせて押さえ、胎児へ伺いを立てるようにまた首をかしげた。




