第十三話 修羅の楽園 七 落ちこぼれ修羅
大勝負で四強『赤虎タヌム』が雪辱を果たし、無敗のチャンピオン『女巨人ヒュグテ』へ初の黒星を刻む。
止まない大喝采の中で『流れ巫女モニカ』が気まずそうにささやいた感想は、まだ『海の女帝』と呼ばれていたアイシャと一致する。
「脱け出して呑みたくない?」
このころはまだ『客席へ酒肴を持ちこむ権利』を買ってなかったし、後でアイシャが言い出すまでは誰もそんな発想をしなかった。
それでも『観戦』と『静養』は選べるため、自室の牢に残っている酒壺は頼れる。
ふたりが退場を申請すると衛兵に呆れられたが、アイシャも今はからかいを返しにくい。
あの名勝負の否定は、この島の剣闘への侮辱というより『悪魔公』の狂気への賛意になりかねない。
担架で運び出される『狂気の名君』フマイヤは意識があり、やけに落ち着いて見えた。
アイシャは冷めた顔で退場する自身とも重なって気まずい。
モニカは自室の牢へもどってからも領主の話題になると小声になり、格子の外の巡回を気にかける。
「古参のかたがたによると、以前はもっとのめりこんで観戦なさっていたようだけど。あれだけ盛り上げながら、なにがご不満なのやら?」
観客席の様子からは、今日ほどの大成功を収めた興行はないはずだった。
しかしアイシャは、似た空虚を知っている。
「アタシがあれこれ失くしてから『女帝』にかつがれた時……いくつもの海賊団が大連合を組めてはしゃいでやがったけど。そこにはもうアタシが欲しいものなんて見えなかったし、長くは続かねえとも読めちまった」
モニカはうれしそうに酌をする。
「でも御領主は、というか側近のマリネラどのは、呑んだくれることなく人材集めに躍起のご様子だけど?」
「それであのクソめんどうな新入りどもか……」
女剣闘士の観客席には、この三ヶ月で二十人ほども新顔が増えていた。
その多くは歴戦の猛者で、残りもシロウトには見えない。
「……おっと、やつらが来る前になにか調達しておくか」
食堂は日中ならいつでも利用できるようになっていた。
しかし朝夕と正午以外では調理人も少なく、人気の試合前後はさらに減る。
受取台から厨房をのぞきこむと、火はほとんど落とされていた。
「ボウズだけかよ……なにを出せる?」
ひとり残されていた見習いの少年はまだ温かい大鍋を指すが、アイシャはモニカの襟を押しさげて胸の谷間を見せつける。
「そこらの干物でいいや。ここいっぱいにぶちこんで」
「やあ~ん。魚くさくなっちゃう……でも、いれたい?」
少年に触れたら衛兵から罰金をくらいかねないが、ふたりは規定をすりぬけて困らせる手腕に長けていた。
少年は顔を真っ赤にして木の椀へ干物を盛り、おずおずと差し出す。
「たっぷりいれてくれたのねえ? うれしい」
モニカは胸元をなおさないまま、受けとりながら指先でさすって手を犯す。
アイシャもそこまで細かい芸には気がまわらないため、感心しながらもあらためて『流浪の巫女』の来歴をいぶかしんだ。
警備の衛兵に睨まれながら、近くの長机へとりつく。
「アンタもちぐはぐだよなあ? 育ちはよさそうなのに、そこまでふしだらを楽しめるなんて」
「あらん? 私は運命のまま天なる御心のまま。清らかな魂で生をまっとうするために酒食男女をむさぼっているだけよう?」
「どぐされ巫女が……もう少しペテン師らしく装う気はねえのかよ?」
アイシャは呆れて苦笑しながら、楽しそうに酌をする。
「インチキ占い師も嗜んでいたけれど、巫女が本職だってば。あまりに聡明で心清い美少女だったから、神殿に招かれてジジイどもに犯されまくったの」
モニカの容姿と鋭さでは、冗談として笑い飛ばしにくい。
「……それのどこが巫女だよ?」
「天の代弁者たるジジイどもへのご奉仕は聖なる使命で、私もそう信じて一生懸命だった……だから無理矢理ではなかったけど、なおさら酷い話かしらねえ?」
アイシャはモニカに初対面から『望みを持てない暮らしぶり』を嗅ぎとっている。
「ここの御領主もマリネラどのも、幼いころから多くを背負わされていたご様子だけども。私とちがって多くのかたを救い続けて功徳を積み重ねていらっしゃる」
「ついでに剣闘士の死体も積み重ねていらっしゃるけどな」
「それもまた功徳なのかしらねえ? 私の信じていた教義では、淫楽も『調和と成長の導き』として祝福されるものだったし」
「見世物の殺し合いも……?」
あの観客席の熱狂を調和と呼ぶなら。
命を軽んじあった体験なんかによる成長なら。
ただ地獄の悪魔へ近づくだけに思えて、さっさと逃げた自分を褒めたくなる。
「人にもよるでしょう? 私が生まれ故郷の神殿で教えられたあれこれは、異郷では『堕落した邪教』と思う人がほとんどだった……でも私の家族親戚やご近所さんたちは、あの神殿のおかげで心がまとまって、苦しい時にも希望や安心を与えられていたの」
最果ての孤島では『殺し合いの見世物』が絶大な信仰を集め、処刑場によって人心がまとめられていた。
アイシャとモニカはだらだらと呑んだくれていたが、いつの間にか厨房へ調理人たちがもどり、騒がしくなってくる。
「やっべ、もう表彰式は終わったか?」
通路も急に混みはじめていたので、いそいそと席を立った。
すでに人影が食堂へ近づいている。
「なんか探れた?」
アイシャがこっそり声をかけた相手は情報通として知られる『黄金のイングリース』と『魔女リュシャニヤ』で、その背後から近づく新人の一団も見えていた。
「やっぱり『リュクルガ軍』の出身らしいけど、関係が続いているかは微妙なとこ」
イングリースは手短に伝えてすれちがい、厨房へ二十人前の用意を急がせる。
「リュクルガ軍……戦争狂いどもの偵察部隊か、脱走兵あたりか?」
国家でありながら、極端な軍事偏重から『リュクルガ軍』と呼ばれる勢力が大陸で侵攻を続けていた。
まだ『地獄の島』へ迫るとは思えないので、アイシャにとっては利用価値が低く、いっぽうで気兼ねなくたたきやすい。
ただ問題は、アイシャより少し前に入っていた『石像ポリフォン』『闘兵ラディエッタ』『調教師ムカパペキ』という大柄な三人組も含めて、上位陣なみの強豪が数人も固まっていて、残りも中堅なみの実力者が多い。
リュシャニヤは拳を握って力説する。
「私は探っているわけではなく、本腰いれてすり寄っておりますので誤解なきよう……!」
アイシャも古参下位のたくましい無節操にはうなずくしかない。
「やつらが入ったおかげで売春窟とまちがえる客はいなくなっただろうが、女剣闘士席の見ばえはがっくりと落ちたよな……」
そしてアイシャも、すでに対応を迫られていた。
「……ああ、どーもー」
などと腰低く会釈して通路をゆずったが、新人集団の中心にいる大女は表情をぴくりとも動かさない。
四強『赤虎タヌム』をも上まわる背と太さで、重々しく見下ろしてくる。
人相も肉質もいかつく引きしまり、胸を隠せば男性にしか見えない。
その前を歩く大女もタヌムなみの背だったが、はるかにずんぐりと太って短足だった。
そして突然にがなりだす。
「ふざけんなガキがー!? 赤毛のくせに姉貴に睨まれたら、土下座しとくもんだろがー!? おおあー!?」
サメの鼻先をつぶしたような人相だったが、口調まで人間ばなれしていた。
「いえまさか~。期待の大物『暴竜ゴルダ』様に限って、そんなせこいこた気ににしませんでしょ~?」
アイシャは刺激しないように、困ったような笑顔でぞんざいに合わせておく。
「そうだ『ぼりゅ』って……『ぼりゅ』なのにテメー!? 『ぼりゅ』だろがよー!? なあ姉貴!? こいつ『ぼりゅ』とか……」
怒鳴り続ける怪物女の顔面に、無言で拳がめりこんだ。
巨体がよろけて壁にもたれ、首をふって許しを乞う。
「ごめっ、姉貴、うるざくしで! もうオレ、耳の近くでは! でもっ……ぐぎびっ!?」
ふたたび顔面に拳がめりこむ。
鼻先どころか頭蓋まで砕きそうに容赦ないが、倒れた巨体は両手を口でふさいでから上体を起こした。
ゴルダは妹分の『怪竜ルドン』に見向きもしないで通りすぎる。
アイシャとモニカもすかさず『ゴルダの一味』へ会釈して逃げだす。
直立した巨大ブタのような『震えるカペコッティ』と小柄で太いガマ顔『小怪獣パキ』などは特にひどい風貌だったが、ほかも男のような体とつらがまえが多い……生まれ持っての容姿にも増して、すさんだ内面のにじみがひどかった。
最後尾には三人ほど、おびえた小柄な少女たちが続く。
アイシャはモニカの部屋へもどると、考えたくもなかっためんどうごとに愚痴る。
「あいつら、今はまだおとなしいが……いくら新顔の凄腕が欲しくたって、ああいうのまで集めたらろくなことにならねえだろ?」
「あの仲間内でとどめを見逃しあうくらいならともかく、それで収まるお人柄ではなさそうねえ?」
かつて男剣闘士は一強の派閥が支配し、大きな問題を起こしかけたところでマリネラに一掃された。
その後も制度そのものは変わっていない。
これまでの女剣闘士はたまたま『四強』も上位陣も群れにくい気質の者が多く、スールたち『美女の集まり』も品のよい情報交換だけのゆるい協力関係にとどまっていた。
しかしかつての『黒獅子』『白鷲』のような『勝つための派閥』が大きくなると、四強とはまた別の脅威になりかねない。
「もう中堅以上でも、なびく連中が増えてやがる」
「かといってアイシャがまぎれこんでも、なじめるかたがたではなさそうだけど?」
「つまんなそうだよなあ……ま、せいぜい目をつけられないように、やつらが『四強』に間引かれるのを待つさ」
「ぐうたらねえ? 私も負けじと手を抜かなくちゃ」
しかしアイシャはほかの剣闘士との関わりは広め続けていた。
騒動を起こす気は薄れたつもりだったが『アタシはまだ、ここでなにかやりたいことでもあるのか?』とも考える。
しかし無目的な自堕落から脱しそうになると『楽しかった海賊時代』の仲間たちを裏切るような気まずさがもたげて、酒を足さずにはいられない。
「でも手ごわい新人さんが増えるほど、訓練に熱中しすぎる御方の相手が大変で……」
モニカのつぶやきへ合わせるように踊り跳ねるような足音が近づいてきて、アイシャはとっさに身を隠す。
「モーニーカーちゃ~ん、あーそーぼ。あーそーぼ。あーそーぼ」
四強を追う上位陣の筆頭『舞姫スール』が格子にへばりつき、口ばかりの笑顔で見据えてきた。
「今はお酒がまわっていますし……」
モニカは肩を抱えてちぢこまり、スールのギラギラした意欲から目をそらす。
「そんなこと言って、いつも試合前に呑んだくれても勝ってるくせに……ん? アイシャちゃんまでいた~。ちょうどいいね~。三人で朝まで首絞めごっこしよ~?」
スールは格子を乱暴にガチャガチャと鳴らす。
わざと衛兵の気をひいて『わたしが警告を受けたら逆恨みするからね?』という脅迫だった。
「あのですね。アイシャには自慰の手伝いをさせているようなもので……」
モニカが屈して招きいれると肩をがっちりと組まれてしまい、頬にも接吻される。
「いいよ~? わたしもどこだって舐めてあげるけど、その前に。お師匠様も仕留めた組み技を教えてね~? 教えてくれるよね? ね?」
寝台へ押したおしながらの要請だった。
「もっとゆっくり……というかアイシャは逃がさないほうが……」
モニカに言われてスールがふりかえり、足を忍ばせて逃げようとしていたアイシャへ飛びつく。
「遠慮しなくていいよ? アイシャちゃんはマリネラ様に訓練の監督をお願いしにくいでしょ? あの人いると体を痛める心配がないのだけど、このところ忙しそうだし……」
互いに立った状態で腕を捕えて攻防をはじめるが、実戦よりも遅く、動きの確認を重視していた。
まだ多くの剣闘士は投げ技、絞め技、極め技の仕組みをそれほど理解できていない。
そのため補助の攻め手として効果的な場合も多いが、互いに武器を持って装備の種類もばらばらなので、有効性は安定しない。
マリネラは招聘した指導者たちから組み技の広範な知識を得ていたが、モニカはその中でも試合で使いやすい一部だけに集中して鍛えている。
またモニカは仕組みの理解こそ早かったが、それでも実際に試しあって指導を受け続けて、ようやく少しずつ実用性の上がる技術だった。
使う機会もなく殺されかねない下位以下では後まわしにされ、中堅以上でもまだ『やりこむ手間に見合わない』と考える者が多い。
「スールの姐さんはじわじわ勝ちが増えて解放に近づいてんだし、組み技よりも八百長の根回しとかがんばったほうが早くねーかな?」
「四強にも勝つ気でいないと、すぐにどん底までおちぶれそうだから……少しでも決め手を増やしておきたいの。一度はお師匠様をぶちのめしたいし」
奇襲の手口を広げなければ、まぐれ狙いすら厳しかった。
「そこまで執念深いと『五強』になっちまいそうだけどな?」
「そんなことない。わたしはさっさと解放されて、もうあいつらとは関わりたくないのも本心なの。その半端さは勝負の詰めにも響くし、あいつらには見抜かれる」
アイシャはスールの思いつめを重く感じたが、それがうらやましい気もする。
「アイシャちゃんは、自分だと気がついてないのかな? お師匠さまに見込まれているモニカちゃんもだけど、こうやってじゃれているだけでも『殺されそうなこわさ』を味わえるんだよね……引退したヒルダからは抜けちゃった歯ごたえ」
スールに自覚はなさそうだが、その笑顔は『闘鬼』に近づきつつあった。
翌月。スールが「話しかけないで」と観戦した試合がある。
中堅でも不調の続く『愛しのヘルガ』がひさしぶりにまともな打ちあいを見せ、この当時のアイシャはただ感心していた。
「顔だけでなく腕までモニカなみなんて珍品がまだいたのかよ」
これまで見た試合では、勝っても負けてもまるで意欲が見えない奇特な剣闘士だった。
見事な容姿にも関わらず、今回も声援は少ない。
ほどなく打ち負け、たたき伏せられる。
しかしその後に観客席から大きな罵声が巻き起こった。
ヘルガのゆっくり起き上がる姿を『風神アンレイ』は追撃もしないで見おろし続ける。




