第十三話 修羅の楽園 三 魔女の集い
アイシャは自分の試合が終わり、あらためて観客席を見渡す余裕ができた。
やはり財物が異様なほど豊かにあふれ、諸国との交流はやたらに広い。
自分ひとりで密かに逃げるだけではもったいない上、分も悪かった。
闘技場は警備が整っている上、断崖絶壁に囲まれた『地獄の島』そのものが天然の牢獄になっている。
最果ての孤島であるため、海を渡る労苦も大きい。
どうせなら計画的に暴動を起こすなり、領主をたらしこんで寝首をかくなりして、海賊稼業へもどれる船と資金を奪いたい。
いずれにせよ人脈と情報がもっと必要だった。
手を組めたら心強い猛者も多そうだったが、油断ならないクセ者だらけでもある。
特にアイシャが最初に近づいた美女たちは、剣闘場でその顔を壊されないだけの実力を持ち、容姿にも関わらず娼婦や芸妓ではなく剣闘士になった事情からして怪しい。
「姐さんがたにお尋ねしますけど、ここから出るコツってあります?」
「こっちが教えてほしいくらい。今のところだと、相手が『四強』ならケガを抑えて負けて、ほかの相手から勝ち越しを貯めるしかなさそう」
最初に答えた『舞姫スール』の口ぶりは冷淡だった。
解放をあきらめているというより『四強』への対抗をあきらめきれない顔つきにも見える。
対してモニカは解放そのものに興味が薄そうで、アイシャの思惑へ流し目を注ぐ。
「アイシャちゃんなら『いろいろなやりかた』を思いつきそうだけど、ここではかなりの手口が暴かれているから、失敗談は集めておかないとねえ?」
モニカでも不正や脱獄は厳しいと考えているらしく、遠まわしに気づかわれた。
スールはもう他の相手と雑談をはじめて『その話題には関わりたくない』という態度にも見える。
卑怯を嫌悪するほど潔癖な性格とも思えないので、不正はよほど損になりやすいらしい。
モニカが近くの金髪女と小声でなにかを話し合い、衛兵に手ぶりを示す。
アイシャはてっきり密告かとあせったが、席を交換しただけだった。
モニカはくすりと笑ってアイシャの肩をぽんとたたく。
「席を立つ時は、いちおう許可がいるから」
このころの観客席では、まだ剣闘士の足に重りつきの鎖がついていた。
「こちらは『黄金のイングリース』さん。けっこうな事情通ね?」
渾名どおりの見事な金髪は肩にかからない短さで、体型も顔も小気味よく整っている。
剣闘士としては十分に場違いな美女のひとりだったが、モニカやスールほどではなく、並んでいるとさほど目立たない。
「よろしく『海の女帝』さん。わたしも天才様たちと並べるような素質はないから、情報や人脈を集めて生き残りやすくしているの」
気さくに話しながら、急に小声になる。
「……というのはウソでもないけど、わたしは剣闘士の監視役だからね?」
「いやおい、それをいきなりばらしていいのかよ? 言っちゃなんだがアタシは捕まりたての賊だからな?」
「モニカさんの見立てでは『どうせ気づかれそうだし、言っておいたほうがお互いのため』らしいから」
きわどい話題のはずだが、イングリースは落ち着いている。
年齢はモニカやスールと同じくらいで、アイシャよりは何歳か上でも、三十過ぎには見えない。
「でもわたしからなにか融通できるわけではないし、わたしもなにも優遇されてないからね?」
「せっかく潜らせた密偵なのに、試合場で刺されたら終わりかよ?」
「そう。というか元々は、この島を探りにきた密偵だったの。でも見抜かれてそうだったし、うちの国より何枚も上手だったから……」
「鞍がえしたわけか」
「ちがうちがう。今でも祖国のため。この島と戦う予定ではなかったし。報告はぜんぶ送る前にフマイヤ様にも見せて、協力的な国交を探ってもらっているの」
「アンタもここの領主も、ずいぶん器用な真似してんな?」
「でも刺されたら終わり」
「ひでーな。ここの領主は大物なのかアホなのか……」
領民にまで『狂気の名君』と呼ばれていた。
政治に関しては柔軟で度量もありそうだったが、剣闘に関わると公正の異常さが際立つ。
アイシャはまだ『悪魔公』の人物像をつかみきれないが『とりあえずかなりのヘンタイだろ』と推し量っていた。
「……この島のことが、余計にわからなくなってきた」
そう自覚させることこそ、モニカがイングリースを紹介した意図とも察する。
まだ『暴動を起こして脱出』もできない手とは思わないが、不測の事態が多くなりそうな気はしてきた。
この島では『人を扱う発想』そのものが歪んで非常識で、アイシャはこれまでの人脈づくりのような『たらしこみ』がまともに通じるかも怪しむ。
くどいてもいない逸材たちからすでに続々と好意を示されている一方、やばい仕事に限ってはすっぱりと距離を置かれそうでもある。
「しばらくは姐さんがたと呑んだくれて猥談しながら様子見かな……というか、ここを出られたところで手下どもはあらかた海の底だし、手を組んでいたほかの海賊連中はどうせまた見栄の張りあいでいがみあってそうだし、アタシがわざわざもう一度まとめるのも、なんかもうめんどくせ~な~?」
「六隻の船団でならした『海の女帝』様がそんな投げやりでいいの?」
「ふっへへ。アタシは海賊どものいさかいに、加勢や仲裁に入るふりで自分が稼いでいただけ。ついでにアタシと組んだほうが得になるみたいに思いこませてまわったら、仕切り役に誰も反対できなくなっていた」
「あらら……マリネラ様は、またずいぶんなクセ者をお招きねえ?」
試合が進んで、スールと話していた長い黒髪に黒衣の女が衛兵から声をかけられる。
肌と瞳は淡い褐色で、顔だちも仕草も話しだすまでは優美に見えた。
「あーもー終わり~。どなたか代わってくださらない~?」
周囲の美人仲間の肩をわしわしとつかみまわって顔をのぞきこむが、苦笑を返されるだけだった。
「今日のリュシャニヤさんの相手は『四強』でしたっけ?」
「たは~。あらイングリースさん、いいネタあります。私が天に召されたら『リュシャニヤはフマイヤ様をお慕い申しておりました』という極秘情報をぜひマリネラ様の耳へ……」
「それで埋葬が手厚くなったりはしないと思いますよ?」
「まあそういうおかたですよね。ではみなさま、お世話になりました。ごきげんよう~」
いやそうに苦笑してひらひらと手をふり、控え室へ向かう。
アイシャにはどこまでが冗談なのかわかりにくいが、周囲はまじめに同情していた。
「よりによって『鴉のブレイロ』さんかあ。お気の毒」
スールから「近づかないほうがいい」と助言されていたボロ着の中年女だった。
剣闘士としては小柄で、いつでも陰気に顔をしかめている。
「あのオバハン、強そうではあるけど『女巨人』に対抗できるほどか?」
アイシャから見るとブレイロは周囲を警戒しすぎていて、余裕がなさそうに見えた。
「たしかに『四強』では賭けの評価が最低だけど、四人の中では最も戦いたくない相手……かな?」
イングリースがそう言って周囲を見ると、暗いうなずきが集まる。
特にスールは何度もうなずいた。
「気難しくて容赦ないとか、マリネラ様でさえ手を焼く反則もあるけど……なにより執念深い凝り性だから。あの体格でほかの『四強』に互角と言わせるくらい、ひどいから」
「短槍使い『鴉のブレイロ』対、小剣使い『魔女リュシャニヤ』! なお、リュシャニヤには『鐘三回』の調整を与える!」
試合場にはリュシャニヤが先に入り、優美な剣舞を披露する。
「アタシの船でも、男の一人前連中と並べていい即戦力に見えるが……」
アイシャから見て、身のこなしも剣さばきも安定していた。
それでも実力差の調整を与えられていたし、しかも勝負にならなかった。
開始の鐘と同時にリュシャニヤは両手を上げ、わめきながらばたつく。
「はい降参します! 降参しますってば! 降参させてくださいよ~!?」
武器を持ったままでも『降参の意思表示』と相手の『認める意思表示』さえあれば、降参は成立する規定だった。
明確に『降参』と発声すれば、相手は『認める』と言ったり、動きを止めてうなずくだけでもいい。
しかしブレイロは黙々と迫り、リュシャニヤは後ずさりながら刃をかまえる。
「私ごときの弱小を殺めたところで、ただでさえ少ない賞金が半分になるだけでしょうが!? 降参させてくださいま~せ~!」
木槍が刃先をつつきはじめると、小剣はすぐに投げ捨てられた。
はじめから武器を捨てなかったことが気に食わない様子だったが、開始時は『十歩』の間合で十分に離れている。
それなら降参を拒否された時にも一方的な惨殺を避けるため、当然の用心にも思えた。
まして武器を捨てた後までねちねちといたぶっては、今後はブレイロ自身が降参されにくくなる損になりかねない。
しかし壁まで追いつめて、鋭い突きが一瞬に連続して放たれる。
首と腹の左右すれすれに木槍がはじけていた。
「降参だな?」
「ええ、はい。降参させていただきます」
多くの観客はとどめを刺されたものと勘ちがいしたが、審判は『捕獲勝利』を宣言する。
「相手が下位選手でもあれだもの。リュシャニヤさんも相手をよく調べて、弱点や不意を突く戦いかただけど、強い相手には絶対に逆らわない方針なのに」
イングリースの言うとおり、アイシャから見ても『四強』があれほどむきに威圧しなくてもよさそうな相手に思えた。
ただ、結着前後でのリュシャニヤの態度は気になる。
笑顔はこわばっていたが、結末そのものには自信があったようにも見えた。
「ららら~かすり傷ひとつなし~きれいなままの私~高潔なる武人様に感謝~大穴ねらいに陳謝~」
優美な歌唱まで披露しながら退場するが、賭けていた観客からは怒声が集まる。
低い実力でも生き残れるふてぶてしさ……実力差があっても、念入りに脅しておく必要もあったのか?
ブレイロはあの強さでもなお徹底しているから、ほかの四強にも対抗できているのか?
アイシャは自分がまだ甘く見積もっている危うさを感じた。
「中堅に近い戦績の『魔女』リュシャニヤさんでも生き残れるだけで十分。無傷なら大成功かな? ブレイロさんも故郷では『雪山の魔女』なんて呼ばれていて、相手の探りかたまで人間ばなれしているし」
「狩人ぽい感じはしていたが……あのオバチャン、人間も狼の群れにしか見えてねえだろ?」
「そういう目に遭ったらしいから。山にこもって狩人仲間も軍隊も独りで返り討ちにして。国も手をつけられないものだからあきらめて、むしろ暗殺仕事を頼むようになったとか」
「バケモノじゃねえか……不死身なんて噂があるタヌムも『密林の魔女』とかいう渾名まで持っていやがるけど」
「ヒュグテさんも故郷では猛獣の狩りすぎで『荒原の魔女』みたいな異名で呪われていたとか」
「実際、あいつらのやばさは魔法や魔物のたぐいだろ?」
肩をすくめるアイシャとイングリースの横で、スールも長いため息をつく。
「なんでバケモノ同士でつぶしあってくれないかな~?」
「あいつら、手を組んでやがるの?」
「ぜんぜん。四人とも他の三人と一度はガッツリやりあっているけど、誰もつぶれてくれなかったの」
木槍、木剣、盾……致命傷になりにくい武器とはいえ、そんな常識が通じそうな使い手たちではない。
「『赤虎』さんと『鴉』さんの組み合わせだけは二戦目で、初戦はタヌムさんが降参を脅しとるみたいに負け。半年前は逆にタヌムさんが勝ってチャンピオンになったけど、左腕を骨折する重傷」
「左……?」
アイシャが見たタヌムの包帯は右腕と右眼に巻かれていた。
「今の傷は、左腕が治っていないのに出場した時の……ああブムバさん、なんできっちりをとどめを刺してくれないかな~?」
スールがうらみがましく離れた席の太い女へぼやく。
黒い鬼の面がふりむいてがなった。
「んだテメエ!? 『四強』のバカでけえ賞金をわざわざ半分にしてえなら、テメエでやれ!」
見るからに粗暴だったが、体つきや傷痕からすると、かなりの経験と鍛錬を積んでいる。
アイシャは『スールやミランダほどではないにしろ、やりあうなら互角と思ったほうがいい相手』と感じた。
ついでに『そんな猛者がどれだけいやがるんだ。おぼえきれねえよクソがっ』とも思う。
「ほかには『ノーマ』ちゃんがブレイロ様に勝っているけど……あれ? いない?」
スールが見た背後の空席は、小柄な少女が座っているはずだった。
そして衛兵たちが近づいている。
「モニカ。出番だ」
「あら? 私は明日のはずですが?」
「『空飛ぶノーマ』が急病だ。仮病仲間に『四強』を押しつけられたな?」
「あの子ったら。素質はいいのになんてだらしのないことを……」
「人のことは言えんだろうが。早く立て」
もうひとり、控え室へ向かう黒髪猫目の女がいた。
からみつくような笑顔でモニカの全身を視線でなぶっている。
それに気がついたアイシャは強い悪寒に襲われた。
ほかの『四強』に比べれば見た目は地味だが、人間大の毒虫でも見てしまったかのように胸が悪くなる。
強さ以前に、人間らしさが感じられない。
「貴方の素質は底が見えにくい。まだまださらけ出せる」
対戦相手への激励や挑発にしては、眼光が猥褻だった。
モニカは控えめな笑顔で返答を急ぐ。
「ないですそんなもの」
「言葉で装うまでもない。血肉へ尋ねる」
相手にも『人としての皮の下』しか求めていない。
ふたりが去ったあとで、アイシャはうめく。
「うええ……なんだあれ? 一番やべーのアイツだろ?」
スールは迷いながらもうなずく。
「相手によりけりかな? 興味がなければそっけなく倒すだけだし。『四強』以外にもあっさり負けちゃうし」
アイシャは『下手な成績の良さよりもやっかいそうだ』と嗅ぎとる。
ほかの三人の『魔女』とは別の方向で、人間ばなれした奇怪さ。
「故郷では賊狩りのやりすぎで『街道の魔女』とか呼ばれていたみたい」
試合場へ先に入ったモニカは遊女じみた袖の長いローブのまま、両手に短刀のように小さな武器だけ持っていた。
「髪剣使い『風神アンレイ』対、鉄針使い『流れ巫女モニカ』! なお、モニカには『鐘三回』の調整を与える!」
教官だったころのアンレイは荷運びにも向きそうな格好ばかりしていたが、剣闘士になってからは遠い東方の祭衣にも似た着物になり、色柄も華やかな生地を選んでいる。
袖はなく、裾も腰までの深い切れこみがあり、むきだしの四肢が映えた。
普段は化粧をしていないが、試合に限っては目元と唇にも紅をさし、腕輪や髪飾りでも彩る。
普段は微笑かどうかわかりにくい表情で無口だったが、試合ではわかりやすい笑顔で四方の客席へ愛想をふりまいた。
「いつも化粧は人任せにしていたから、ここまで慣れるだけでもずいぶん月日をかけている。まして香油はまだ習いはじめたばかりで、どうもまだ加減に品がない。遠い客席まで届くわけでもない香りだが、自身の顔つきや居ずまいを整える効能はおもしろい発見だった。しかし余計な分量は贅肉のように身ぶりの邪魔にもなる。鼻だけの問題のようで、影響はなかなかに広く……」
入場門から試合場の中央へ向かうまで、安酒場の踊り子のように拙く舞い続け、病的に長い独りごともばらまいていた。
モニカは剣闘士になる前のアンレイを知らないが、今のふるまいがひどく不似合いで、無理に自身を歪めようとしている強固な妄執は感じとれる。
観客席のスールは虚ろに暗くなっていた。
「ほかの『四強』がそろって『最強』とみなしているのに、その三人に全敗して、それでも貴族娘みたいな着飾りや踊りの習いごとに夢中なんだよね……気色悪い」
客席の歓声も散発的で、異国の麗人による熱心な媚びへつらいも含めて期待はずれの様子だった。
求められていない努力に熱心な異様さへ、首をかしげる者も少なくない。
「あれがわたしのお師匠様。嫌いで嫌いで尊敬もしているけど、やっぱり大嫌い……モニカちゃんは気に入られているから、降参できるか怪しいかも」
スールはアンレイについて語るたび、悲鳴と飢渇をこらえたような小声になる。




