第十一話 悪魔の愛妻 四
第三夫人アルポナが実家へ立ち寄り、第四夫人ボルイライは剣闘奴隷ヘルガと夕食をとった翌日。
侍女長補佐でもあるデルペネは、第六夫人パヌッパに頼まれて外出の護衛についていた。
日がすっかり昇った後では市場の騒がしさも落ち着き、衛兵たちを連れた貴人が歩き回っても邪魔になりにくい。
パヌッパは領主フマイヤとは触れない暮らしを選び、その際に許可される『愛人探し』を目当てに側室へ入っている。
「パヌッパ様。いつまで入り浸って……こんなところで殿方を探す気ですか?」
しかしパヌッパは誰かを追うでもなく、買いそうにない槍や船具まで見物していた。
「んー、貴族の集まりとか大きな宿は、なんか少し飽きちゃったから。市場とか港は新しいものも入りやすいし」
そう言うわりには見慣れた食器や革細工などの店にもあちこち立ち寄っている。
店主がはりきって商品の説明をすれば明るくうなずき、少しは注文もするが、充実している様子でもない。
島へ来てから、長続きした交際相手はいなかった。
愛人候補が相手でなくとも社交は好んでいたが、最近は交友も減っている。
「……なんかだんだんね。わたしがどんな風に殿方を探して、どうつきあっているのか、楽しそうに聞いてくれるフマイヤ様といるほうが、落ち着く気がしてきちゃってね?」
当初のパヌッパはフマイヤを老人のごとく扱っていたので、それを知るデルペネは態度の変化にとまどう。
しかし第二夫人ニシェーラも当初は高慢な態度で見下し、第四夫人ボルイライなどは男性が苦手で引きこもっていたのに、今は両者とも夫としてのフマイヤに意識の多くを奪われていた。
悪魔公フマイヤはただ、ふたりの望むものを与え続けただけ。
ニシェーラの言い分を信用して謀反の嫌疑からはずし、第二夫人として遇し続けていた。
ボルイライが詩作だけをして暮らせる環境を整え、着想に役立ちそうな土産や風聞の補充にも気を配る。
それでふたりはいつの間にか、生きかたのすべてを悪魔公に奪われていた。
「パヌッパ様も、男性との接触を一年は控えていただき、体調などに問題がなければ、フマイヤ様の寝所へ入ることもできますよ? その後はほかのかたとの接触に注意が必要となりますが」
「うーん、人のものを欲しがる悪いくせが出ているだけかも、しれないし……」
故郷では別の貴族娘と世継ぎの王子を派手に取り合い、その娘が王妃となったことから、諍いを避けるために国外へ出されることになった。
「ニシェーラちゃんだけでなくボルイライちゃんまで仲良くなりはじめたのに、邪魔しちゃまずいだろうし……なんか、厚かましくていやだし」
明るく笑いながら、ふと黙りこんで視線を落とす。
ふり払うように、とってつけたように、市場の物色を再開した。
「珍しい香木が入荷しているね? ニシェーラちゃんが最近は香油にこだわっているみたいだし、試して良さそうなら分けてあげよ……うわ、高い」
デルペネから見て、パヌッパは着飾りが派手な以外は出費の無駄がそれほど多くない。
買った品も多くは交流のある貴族やほかの側室、それに身の回りの侍女や下女へこまめに贈っていた。
「デルペネちゃんは? どこか寄りたい店とかない?」
「いえ、私は護衛ですから。お気遣いなく」
「嫁入り先のほうは? まだ掘り出しものなさそう?」
「お気遣いなく……いえ難航はしているので、心当たりがございましたら御助力をお願いしたいです」
「もういろいろ知り合いにもあたっているけど、その半分は海の彼方だからねー。船なんかで連絡に何十日も何百日もかけているうちに、向こうの女とくっついていたり、返事とか旦那様が海に沈んでいたりするからねー」
パヌッパはフマイヤへ輿入れした動機はともかくも、大陸での社交に慣れていて知己も多いため、外交面では後宮の代表となる期待をかけられている。
フマイヤとマリネラは、パヌッパが世話好きで政務も楽しめる点を評価していた。
「とゆーか『役人仕事を自由にやらせてくれる貴族の夫』なんて、この島へ立ち寄るような物好きから探したほうが早いかもねー?」
「この島に関わるかたですと、マリネラ様の直属という立場を気になさることも多いので……私は安酒場にまで堕ちていた身ですから、正妻でなくともかまわないのですが」
男性としての夫はどうでもよかった。仕事の邪魔をされないことが最重要で、あとは対外社交で侮られないように家柄だけ補強したい。
「うーぬ。妻としての仕事をぜんぶ侍女に押しつけられる給金だったら、もうデルペネちゃんだけでも稼いでそうだけど『後ろだてになれる地位』があるのに仕事好きの嫁を欲しがる男は少なそうなんだよねー。しかもマリネラ様に忠実すぎるチクリ屋と暮らして楽しいなんて、よほどのヘンタイでないと……」
ただの市場見物に終わってデルペネたちが後宮へもどると、マリネラが待っていた。
「より近くでフマイヤ様にお仕えしたいと考えたことは?」
デルペネは目を丸くして呆然となる。領主の側室となる打診だった。
「あの…………? 私は、体を売っていたことも……」
「すでに一年以上は男性と接触がなく、身ごもりや患いの様子もないのでしたら、フマイヤ様は問題にされません」
言われてみると、今ちょうど大問題になっている愛人などは奴隷の売春婦で現役の剣闘士だった。
しかもいまだに疫病隔離の地下牢で寝起きしている。
奇妙なことに、ヘルガという存在が非常識すぎるために、デルペネの出自や経歴ごときは対外的な面目にも支障が薄そうな些事になっていた。
ヘルガを嫌うデルペネはどうにも釈然としないが、考えたこともなかった側室入りは、考えれば考えるほど自身の要望と合致してしまう。
この島における最高の後ろだてであり、デルペネのような少女が高官になれる制度を築き上げた張本人でもある。
実質では後宮詩人でしかない側室まで許されていたので、政務官の仕事ならまるで問題なさそうだった。
自負心も出世欲も強いデルペネにとって、望むべくもない厚遇……しかしどうしても即諾しかねる相手でもあった。
「その手が合ったかー。たしかにデルペネちゃんはもう、側室にぶっこんだほうがいろいろ便利そうかも」
デルペネはそれとなくパヌッパを第六夫人の自室へ追い払う。
今は主従の関係だが、パヌッパが側室になるまでは侍女の先輩として指導役もしていた。
「検討なさっていただければ」
マリネラは仮面のような笑顔のまま立ち去る。
後宮は出入り口の近くに、侍女を統べる侍女長の部屋が用意されていた。
まだ明かりとりから十分な陽射しもある昼日中、デルペネは炎の灯った燭台を手に訪ねてくる。
マリネラは卓上へ置かれた燭台を見ると、ほかの侍女たちを退室させた。
ふたりにとって、炎には特別な意味がある。
「失礼は承知の上で……」
デルペネはマリネラが望めば、すべてを差し出す覚悟を炎にこめていた。
「……私より先に、フマイヤ様と結ばれるべきかたを存じております」
マリネラは表情を変えない。
無言のまま、細すぎるつり目で見つめている。
「フマイヤ様と同じだけ尊敬すべきかたで、フマイヤ様に最もふさわしい女性でもあり……」
マリネラが燭台を手にすると、デルペネは一歩、あえて近づく。
「……そう知っていながら、自分の望みだけ先に叶えては、そのどちらにも不忠となってしまいます」
マリネラの指が、デルペネのあごへ軽く添えられる。
それが診察の動作と気がつくと、デルペネは口を大きく開けた。
燭台の炎が挿しこまれ、上あごに温かさがたゆたう。
マリネラは静かにささやいた。
「そのように気づかえる貴女だからこそ、フマイヤ様にも推薦できるのです。しかしフマイヤ様は、働きにふさわしい待遇を惜しみません。フマイヤ様に『より近い立場の者』ほど、その望みはすでに『叶えつくされている』のです」
ひと筋の溶けた蝋が舌へ落ち、肩を震わせて驚くが、悲鳴は殺しきった。
「それと、フマイヤ様と同じだけ尊敬すべき人物など……ありえません。お忘れですか?」
上あごに熱気が近づき、刺すような痛みが走る。
「……んうっぐ!?」
燭台はすばやく抜かれていたが、デルペネは体をひきつらせながらも口は開き続け、足の位置も変えなかった。
「まだ身につけていただきたいことも多くありますが、あなたの成長はこの目で確かめてきました。側室の立場でこそ果たせる役割も少なくありません」
デルペネは上あごの火傷に舌が触れないように、発音を試みる。
「およばずながら、務めさせていただきます」
側室という立場を護衛や諜報に活かす期待はもちろん承知していた。
そんなことより、身をはってでもマリネラの本心を知りたくて踏みこんだ。
口内にひりつく痛みが、マリネラの喉に詰まっている苛立ちだとしたら、ごく一部でも背負えたことは本望だった。
燭台を置いたマリネラは、今度は両手をのばしてデルペネの頭を引き寄せる。
貼りついたような笑顔ではなく、自然に優しい口元に見えた。
「それとフマイヤ様は、デルペネさんの人となりも見込んでおられるはずです。推薦した際には『仕方あるまい』という言葉を挟まずに『本人の希望を確認できれば』とだけおっしゃられたはじめての相手で……」
マリネラの両腕に包まれ、デルペネは当惑していた。
事務的な言葉しか出てきたおぼえのない唇が、耳元にまで近づいて、声を細めていく。
「……私がどのような心持ちになったのか、興味がございましたら」
「え。……いっ!?」
耳を噛まれた。ちぎられそうだった。しがみついたまま放そうとしない。しつこい。かなりしつこい。なにが『叶えつくされている』だウソつき……と思ったが、両手をばたつかせて悶えながらも、喜んでしまう自分も感じていた。
上あごの火傷が治り、耳に空いた穴もふさがったころには、輿入れの儀礼を終え、はじめて『第七夫人』として側室の間で領主を待つ。
取りつぎの侍女が領主の来訪を伝えると、それまで澄ましていたデルペネはふと眉をひそめ、つい侍女の顔を見つめてしまった。
この婚礼に不満などあるはずもないが、不安は残っていたことに今さら気がついてしまう。
女性としての自分は、フマイヤを男性として受け入れられるのか?
今まで、そのような目で見たことはない相手だった。
「……ええ。すぐお迎えに参りましょう」
奇妙な間を怪しまれそうになって立ち上がる。
治ったはずの片耳が、急に疼きはじめていた。
その痛みから、咬まれた時には『まさか』と思っていた疑惑が確信になってしまう。
噛みつかれた時も、咬まれ続けている間も、これまで受けたどんな男の愛撫より、体の芯が熱くなっていた。
真っ赤になってうつむく顔を侍女たちは意外そうに盗み見て、かすかにほほえむ。
どう誤解されているにせよ、男性を寝所へ迎えるには都合のいい体調ではある。
フマイヤを寝台まで招き入れると、罪悪感は強まり、喉も体もこわばった。
マリネラの情念が片耳の痛みにまとわりついている。
ほかの側室たちは口をそろえて『フマイヤ様は女性の意志を丁寧にご確認なさり、無理強いは望まれません』と言っていたことも思い出す。
日を改めるくらいなら難しくない……そう思った時には、頭の飾り布をはずされていた。
デルペネはフマイヤが他者へ『触れる』前には、細かく確認する性分を知っていたので驚く。
さらには、飾り布で隠していた耳の咬み跡が凝視されていたことにあせる。
よく見なければわからないような、いくつかの小さなくぼみへ、細長い指が這いなぞった。
枕元には燭台がふたつ、影を二重に増やして帳へ映している。
「あえてこらえて、咬まれ続けたか?」
低いつぶやきがやけに近い。
フマイヤは剣闘にのめりこんで以来、診立てにも詳しくなっている。
デルペネは『咬み傷』と見抜かれたなら、特徴的な『小さな歯形』の主まで特定された可能性を考える。
いきなり触れられたことも含め、ほかのどの側室とも異なる扱いは、自分の『人となり』ごときでありうるのか?
あるいは自分らしさを築いている要素の集まりに、なにを見出されているのか?
自分の意識のほとんどを占め続けている大きな目標は、フマイヤの中でも決して小さなものではなさそうだった。
耳への執着が尋常ではない。歯形の観察が長すぎる。なんの断りもなく甘噛みされ、舌でもなぶられると、二人がかりで犯されている気までしてきた。
それこそが自分も『悪魔公』の寝室に居ていい理由だとしたら本望のはずだったが、処女だった時よりもはるかに気が動転して、怯えている。
あとはせめて、ほかの側室たちが口をそろえて『フマイヤ様はとても優しくしてくださいますから』と言っていたとおりであれば少しは冷静になれるかと思った。
そんなことはなかった。
ひたすら激流の混濁へ溺れ、自身が『悪魔の側室』にされた感触へしがみつく。
第七夫人となったデルペネは、ほかの側室へ同等の立場から対応できるようになったほか、領主の寝室まわりでも仕事をしやすくなった。
すぐに増えた任務を平たく言えば、愛人ヘルガの監視だった。
自分の夫にもなった領主フマイヤに、奴隷剣闘士『墓下のヘルガ』が抱きつき、からみつく姿をマリネラに代わって睨みやすくなった。
第四夫人ボルイライのようなヘルガへの好意など持てない。
第三夫人アルポナのようにヘルガを理解したいとも思わない。
第二夫人ニシェーラよりもはっきりとヘルガを嫌っている。
むしろ自負心の強さゆえに、自身が第七夫人となったことで憎悪も嫉妬も抱えるようになった。
それがまた、マリネラの代役としてはふさわしいとも感じていた。
「ねーねーデルペネちゃん。みんなも気にしてるってば。実際どんなだったの?」
第六夫人パヌッパに何度も聞かれたが、自分の寝室に限ってはフマイヤが荒々しくなる詳細など言えるわけもなかった。
自分がそれを望んでいるはしたなさまで悟られかねない。
「お気遣いなく」
「お気遣いしてないし、妬み半分の興味だってば……そういえば、わたしが来る前に捕まった側室さんてどうなったの? わたしよりも熱心に人づきあいをしていたらしいのに、フマイヤ様とはどーゆーおつきあいをしていたのか、みんなもよく知らないみたいだけど?」
フマイヤの第五夫人は謀反人として捕えられたが、犯行の重要な部分に限って、関わった証拠や証言は得られなかった。
「まだ生きていますよ。もう謀反を起こせるような勢力はほとんど一掃されていますが……私個人としては今でも、そして今すぐにでも斬り落としたほうがよさそうな頭に思えますので、以前から警戒しています」
外部の勢力と連絡をとり合う手段もすでにないはずだった。
ただし食事や入浴は『愛しのヘルガ』と共にできる生活をしている。
(『悪魔の愛妻』おわり)




