第十一話 悪魔の愛妻 三
領主フマイヤの第五夫人は、かつて重臣ゼペルスの孫娘アメリと共に、先代領主の側室に仕える侍女を務めていた。
先代領主の一族が虐殺されてからはフマイヤの後宮へ仕える侍女となり、やがて側室として迎えられる。
第二夫人ニシェーラや第三夫人アルポナに仕える侍女だった当時から、後宮の作法を細やかに教授できる先達でもあった。
第五夫人になれた経緯も、側室ふたりの推薦が大きい。
側室になってからは親交のあったアメリを専属の侍女として厚遇し、領主一族と英雄ゼペルスの歪んだ精神性について、その闇深さと自身の抱える苦悩も打ち明けはじめた。
謀反の手駒に仕立てる下準備だった。
第四夫人ボルイライは輿入れした当初、故国から連れて来た侍女たちばかりを頼りに引きこもっていた。
しかし第五夫人が教養豊かで、詩作にも造詣が深いことには興味を持っていた。
一度だけ、詩の添削を頼まれたことがある。
しかし『適度に配置された修正すべき点』に言い知れぬ不自然を嗅ぎとり、手をつけないで断っておいた。
添削のしかたで内心を探り読まれそうな気配と、そのような作為のために詩一篇ぶんの心を偽れる生き方が漠然と感じられ、目を背けたかった。
『地獄の島』の貴族は、血縁が複雑にからみあっている。
島外の者との婚姻も歓迎されており、平民でも能力や功績で出世しやすいが、それでも島は小さく、さほど遠くない縁戚で領主の家系ともつながる貴族がほとんどだった。
フマイヤの第五夫人も、先代の第三夫人の姪であり、フマイヤの従姉妹でもあり、フマイヤの異母弟ルオントスの教育係も務めていた。
フマイヤ暗殺計画の加担者たちは権力への野心、粛清への恐怖だけでなく、怨恨も動機にどれほど混じっていたか、余人には量り難い。
第五夫人がほかの側室たちへ不妊の毒を盛っていた証拠はない。
その噂の出所もしぼれない。嫌がらせの虚言にすぎない可能性もある。
それでも後宮の者たちへ不安を抱かせ、対外的な不信を煽る結果にはなっていた。
そんな折に、領主フマイヤは剣闘へ深く傾倒していく。
マリネラの側近デルペネにとっても後宮の問題は厄介だったが、剣闘関連……とりわけヘルガについての問題に比べれば、常識が通じやすく判断もしやすい。
しかしフマイヤの寵愛はよりによって、そのヘルガへ注がれるようになってしまった。
ヘルガに関わる難儀は今後もどこまで後宮へ飛び火するか、予想がつかなくなっている。
第二夫人ニシェーラの部屋には夜更けに第三夫人アルポナ、第四夫人ボルイライ、侍女長補佐としてのデルペネまでも集まって茶会を続けていた。
「私たちが毒を盛られていたかもしれないなら、念のため側室を増やしておくべきとも兄のアルピヌスには伝えておいたのですが……フマイヤ様はやはり……」
そこへ別の部屋からの取次ぎが入り、侍女たちを連れた褐色肌の貴婦人も顔を見せる。
領主暗殺計画の失敗後に、側室は新たにひとりだけ増えていた。
「アルポナちゃんが遅いと思ったら、みんなしてここでなにやってんの? というかフマイヤ様が寝床でどう変わるのかは、みんなにも聞いてみたいかも。うん」
第六夫人となったパヌッパは大陸の大貴族の娘で、色彩豊かな羽飾りをあちこち身につけ、口調も動作も活発だった。
「あー、でも世継ぎさんの話なら、わたしが口出しとかはまずいかな? ま、今度の愛人も逃げられたというか、放り投げちゃったところだけど」
親から『好きなように愛人を作れて贅沢もできる』と聞いてフマイヤの後宮へ飛びこんでみたが、今のところ長続きした交際相手はいない。
悪魔公フマイヤの側室であることを恐れて逃げられるか、パヌッパが飽きてしまうか、その両方だった。
いずれにせよフマイヤに触れることはないため、世継ぎは期待されていない。
「フマイヤ様は、わたしが望めば愛人との子でも養子に考えるとは言ってくれたけど、さすがにそこまではねー? みんなの実家の面目もあるだろーし。そこまで厚かましい真似してごたごたさせない根回しも大変そーだし」
明るくしゃべり続けながら、勝手に席へ割りこんで茶を求め、茶菓子に出ていたナツメヤシの実も手早くつまむ。
「侍女をやっていた頃は仕事をおぼえるだけで大変だったし、まだあまり島のこともわかってないのだけど、側室を増やしたいならマリネラ様ではだめなの?」
一堂に張りつめた沈黙が走り、第二夫人ニシェーラなどはつい背後と物陰を確認する。
第三夫人アルポナは控えめな苦笑をつくろった。
「やはり、体面もありますし……」
それだけで続きを言いよどむと、第四夫人ボルイライがぽそりと口をはさむ。
「剣闘教官のヒュグテさんによれば、こちらの風習のほうが奇妙に感じられるそうですが」
「んー、それでもあの人が世継ぎをこさえて、養子にでもして名目を整えたほうが……」
パヌッパの軽い語り口をニシェーラが露骨にさえぎり、茶碗を取り上げる。
「ずいぶん遅くなってしまいましたし、今夜はこのあたりでっ」
有無を言わせず侍女たちに茶をさげさせ、追い出しにかかる。
「えー。私は来たばかりなのに。なにもそこまでマリネラ様を怖がらなくても……といえば、ボルイライちゃんはまさか、剣闘の教官と直接に話したの? 意外に度胸あるんだね?」
パヌッパは急き立てられながらも談笑を続けようとする。
「いえ、いえ、もちろん、剣闘の試合や訓練などは恐ろしくて、とても見に行けません。しかしヒュグテさんの教養はフマイヤ様からお聞きしていたとおり、様々な異国の言葉を嗜み、そこへ加える解説の思慮深さにも惹きこまれました」
「詩作にからむとそこまでやるか……私もこの島に来て一年は経つけど、ボルイライちゃんとまともに話せたのなんて、これでまだ三回目? だっけ?」
「あううあ。もうしわけありません。いまだ人づきあいには不慣れでして。言葉に詰まってしまったり、詩作ばかりに気をとられてしまったり……今日はヘルガさんとのお食事に同席させていただいたのですが、なにも話せておりませんし」
アルポナもニシェーラも、デルペネも一斉にぎょっとしてボルイライにふり向く。
「ヘルガちゃんて、剣闘奴隷の?」
「ええ。フマイヤ様からお聞きしていたとおり、神秘的な魅力をにじませるかたでした。向かい合うだけで詩を紡ぎたくなるのに、言葉は選ぼうとするほどに失われていくような、青空にも似た孤独へ沈むのです」
「いやいやボルイライちゃん、剣闘士と直接に会うだけでも、貴族娘としてはかなり肝のすわった物好きだからね? まして『死神の落とし子』となんて……」
パヌッパが心配そうにのぞきこみ、アルポナも深くうなずくと、ボルイライはあわてて首をふる。
「もちろん、フマイヤ様におうかがいした上でのことです。マリネラ様も同席であれば、なにかの『対処』もしやすいとかで……」
ニシェーラにとって『墓下のヘルガ』と『影の領主マリネラ』がそろった空間など地獄でしかない。
そのため衝撃のあまり青ざめ、自室へ招いたボルイライが、直前にヘルガと会っていたことを今まで言わなかったことすら詰問する気になれない。
侍女デルペネはそんなニシェーラを横目に見て、あまり追いつめすぎても心身を病みかねないと考える。
後宮の安全を担う身としては、自分の外出中に大事故が起こりかけていたことを知って冷や汗をかいていた。
これからはボルイライの挙動も油断しづらい。
「……それにしても、あれほどきれいな肌を保つために、ヘルガさんはどのように気をつかって試合をなさっているのでしょう?」




