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第十話 邪神の慈悲 十九 望んだ予後不良


 それが『復帰』と呼べるものかは怪しいが、ともかくもアンナがふたたび試合へ出場するようになった三ヶ月の間も、ヘルガはふらふらとアンナへまとわりつき、訓練場でも宿舎牢でも親しげな仲を見せていた。

 アンナは自分の膝を壊した『からすのブレイロ』に訓練相手を頼み続けていたが、時おりブレイロが外出許可を購入して不在の際は、ヘルガと向かい合って奇妙な遊びを仕掛けている。

 それはアンナが復帰から三戦目で『雲雀ひばりのキアリア』の脚をずたずたに裂いて勝った数日後にもくり返していた。


 数歩から十歩ほどの間合いをとり、アンナが指先ほどの小石を投げると、ヘルガはそれを打ち返したり、そっとよける。

 アンナは投げ方を様々に変え、ヘルガにも細かく指示を出して姿勢を変えさせる。

 多くの剣闘士は呆れていたが、教官ヒルダはその遊びがはじまるなり休憩をとって密かに注視するようになっていた。

 その隣へ『赤虎あかとらタヌム』が笑顔で肩を寄せてくる。


「ねえヒルダ。あの小石はブレイロの動きを真似ているのかい?」


「まるで訓練をしないくせに、よく見抜けるね?」


 ヒルダはタヌムの勘の鋭さに呆れる。

 そして『訓練をしない剣闘士』としては、ヘルガのほうがひどかったことを思い出す。

 まだ剣闘奴隷が教官へ従わなければ鞭をふるわれていた頃からの筋金入りだった。

 怒鳴りつけても、殴りつけても、言葉がわからない者のようにふるまい、痛ければ意地もなしに泣きうめく。

 アンナの訓練は遊びのようなやりとりとはいえ、なぜ指示に従うのか、わからない。

 タヌムは意外そうな声を出す。


「あれは、訓練なのかい? お互いに命を狙っているように見えるけど?」


 アンナもヘルガも、運動の軽さに比べて汗をかくのが早かった。

 ふたりの瞳は研ぎ澄まされていたが、浮かべている笑みのせいで緊張の深さはわかりにくい。

 この日に限って、ブレイロは外出してもすぐに引き返し、訓練場へ入ってきていた。

 アンナとヘルガのやりとりを目にすると、顔を険しくして詰め寄る。


「貴様……よくも!?」


「あれ、ばれちゃいましたか。でもこれくらいはお互い様でしょう? それに師匠の弱点だって教えてあげるのですから、そう悪い取引でも……」


「今すぐ言え」


「聞いたらそれきり相手にしないつもりでいるくせに……ま、それでもお世話になりましたし……」


 アンナとブレイロは訓練場の端でひそひそと話しはじめたが、その前までの会話はヒルダにも聞こえていた。

 しかしブレイロが剣闘士でもない教官アンレイを敵とみなしている理由は不可解で、アンレイに弱点らしい弱点などもあるとは思えない。

 もし弱点などが存在しうるなら、自身で探しあさって潰しきらねば収まらない、病的な求道者だった。

 それでもブレイロは念入りに聞きなおした上で、おとなしく離れて去る。


 ヒルダはブレイロでも納得できそうな『アンレイの弱点』を考えながら、訓練場の別の隅へ目を向けた。

 かつてはアンナや『舞姫まいひめスール』がアンレイの指導を受け、容赦のない打突をしのぎながら、対抗するように無駄口をばらまき続けていた場所。

 今はアンレイが独りでたたずんでいる。

 いつものように微笑したような顔のまま。しかし近寄る剣闘士はいない。

 タヌムは興味深そうに、ヒルダとアンレイを見比べる。


「どうにかあの鬼教官さんを試合に出せないものかね? あのままだとかえってブレイロも気が休まらないよ」


「あんたもブレイロも、なんでアンレイがわざわざ剣闘奴隷になってまで殺し合いの見世物をはじめると思っているんだい?」


「あれほどケンカをやりたがっている顔だと、やらせたくなるだろ?」


 タヌムは明るく笑い、ヒルダもアンレイの中で病巣が深まっている気配は嗅ぎとっていた。

 礼儀正しさの裏にある傲慢、余裕の裏にある空虚は以前から感じていたが、執着のすべてを注ぎ続けている武芸への渇望が、きしむように漏れ出ている。

 誰もいない訓練場の隅を見つめる『闘鬼』の姿は、とても常人が声をかけられるものではない。


「あの『雲雀ひばり』をアンナにつぶされたことが、それほど頭にきているとも思えないけどね?」


 ヒルダがつぶやくと、タヌムはまたも意外そうな顔を見せる。


「つぶしたのはアンレイだろ? 惚れてもいない相手をかわいがった自分が憎くてたまらないって顔だ」


 ヒルダは言われてみて、直感的に納得する。

『雲雀のキアリア』には『名無しのアンナ』や『舞姫スール』に感じたような怖さがない。


「筋の悪い子でもなかったけどね……」


 うまく育てばヒルダとも互角に殴り合えそうだったが……その先を感じない。

 命を奪われたり、生きかたを曲げられそうな危険は嗅ぎとれない。


「今のアンレイなら訓練のふりをしたケンカも最後までやってくれるかな? いや、今は下手に手助けしても、余計に意地をはらせるだけか?」


 タヌムは複雑な苦笑を見せる。

 ヒルダは自身の直感が『獣に近い』と思っていたし、周囲からもそう言われていたが『赤虎タヌム』はまさに猛獣そのままの鼻をつけて暮らしている様子だった。



 この時の訓練場に『舞姫スール』の姿は見当たらない。

 衛兵につきまとわれながら宿舎牢の階下、下位選手たちの狭い独房を見てまわっていた。


「かわいい後輩ちゃんを見舞っているだけなのに、あまりよく思われてないのかな? ……なんてね。これくらいでつぶれるタマなら、かばうこともなさそうだけど」


 スールの監視につく衛兵は特に無口で無表情な者が選ばれていた。

 スールは下位選手たちに明るくじゃれついてまわり、妹弟子にあたる『雲雀のキアリア』も入室は拒まなかった。

 硬い表情と態度は隠さない。

 右脚には厚く包帯が巻かれ、寝台に横たわったままだった。

 狭い独房でのびやかに踊りはじめたスールへ迷惑そうな目を向ける。


「なにか、わたしを試しているんですか?」


「キアリアちゃんには、わざわざいじめつぶしたいほどの才能はなかったから、たぶんもうこれきり」


 スールは胸元から巾着を取り出し、卓で広げた。

 中には滋養の豊かな木の実や干した果実が入っていて、キアリアは勧められると屈辱をこらえて口へつめこみ、念入りに噛み砕く。


「わたしはアンレイ先生の気持ちを知りたかっただけなの。でもやっぱり、ずいぶんちぐはぐな指導をしていたみたいね? まるで別の誰かに組み換えたがっていたような……」


 スールは干し杏子あんずをひと粒つまんで舌へ転がすだけで、あっさりと背を向けた。

 キアリアは黙々と、肉体回復の原料をとりこむ。


「キアリアちゃんはまじめね? 気も強い。余計な欲もない。でも必要な欲まで足りない。それだと色気も面白みもふくらまない……ああでも、わたしの訓練相手としては相性が良さそうだし、大歓迎だからね?」


 キアリアは憤怒や恐怖に耐えるため、決してスールへ視線を向けないように沈黙を保つ。

 スールは去り際にふり返って『それだから貴女は限界が早い二流どまりなの』と思って冷やかな表情になる。

 キアリアが不意に、驚いたようにスールと目を合わせた。

 スールは黙って立ち去りながら『今なにか感じとれるくらいには勘が悪くないなら、訓練相手にはぎりぎり使えるかな?』と考える。


「才能が足りない同士で、うまく利用し合わないとね」


 通路をとぼとぼ歩きながら、声に出す。


「アンナちゃんの今の姿が、そのままわたしとの差なのかもね? あの子はわたしと真逆に望みが低すぎて……とってもくだらないことでも、夢中になれちゃうの。たかがケンカの見世物なのに。ただのケンカ馬鹿から少しご贔屓ひいきにされただけなのに」


 スールは聞こえよがしに独り言を続け、無口な監視の衛兵はかすかに迷惑そうな表情を見せた。

 つけ足されたつぶやきだけは、独り言らしい小声になる。


「でも舞台の勝手が違うなら、踊り手が合わせて変わるしかないよね。それができない負け犬は、お酒で自分をごまかすしか楽しみがなくなる」



 スールは訓練場へ出てすぐ、奇妙な気配を察した。

 隅にたたずむ教官アンレイの足元に、アンナが座っている。

 スールは手早く近くの剣闘士たちから状況を聞きだしながら近づく。


「うわ。邪魔が来ちまいましたね」


 ふり返ったアンナの小声が聞こえて、スールはずかずかと足を速めた。

 アンナはふらふらと立ち上がろうとする。


「いえね、ブレイロさんに見限られてヘルガさんもどこかへ行っちまったんで、師匠にまた指導をお願いしたんですが、ひどいことに『ヘルガを殺せたら考える』なんて言ったきり黙っちまいましてね。どうせ殺せたところで、あっしに新しい脚でも生えてこねえ限りは指導する気なんかないでしょうに。あっしもまあ、そこはわかっていて聞いたんでお互い様ですが、師匠はどうにも頑固なもんで……よっこらしょ、と……」


 アンナは杖で体を支え、師匠と呼んだ相手の肩にも手をかけて立ち上がると、アンレイの耳元で短くささやいた。

 スールが来る前に離れると、足を引きずって立ち去ろうとする。


「待ってアンナちゃん。今のはどんな口説き文句?」


「師匠に聞いてくださいよ。あっしはこれでも照れ屋なもんで」


 アンナはにやけた顔を赤らめてせかせかと離れ、スールはアンレイの変わらない表情を観察する。


「こっちも言いそうにないのだけど……そんなことよりアンレイ先生、私にまた指導をしていただけませんか?」


 アンレイは笑顔を向けてうなずく。


貴方あなたを殺してもかまわなければ」


 スールは少しも冗談ではない気配をひりひりと感じながら、意地でも笑顔を返してうなずく。


「それくらいはしてもらわないと、負けぐせが抜けきらないかもしれませんし」



 スールは後悔した。

 ほかの教官たちが止めに入らなければ、本当に殺されていたと思う。

 このまま死にかねない気もするほど、全身の痛みがひどい。

 倒れない加減で打たれ続け、意地を張って立ち続けるほど死が近づく拷問だった。

 それでもまだ口端だけは笑っていた。


『鬼の師匠様に殺されかけて楽しいと思えるくらいには、舞台になじんできた』


 しかし倒れて動けなくなると、ひしひしと全身の悲鳴が凄まじくなってくる。

 担架で運ばれながら、訓練場の隅ではアンナが小さく拍手を送っている笑顔が見えた。

 その隣にはなぜか、衛兵を引き連れた領主の側近マリネラも立っている。

 スールは必死に聞き耳を立てた。


「マリネラさん、本当にもうしわけないです。そこまで目をかけてもらえるなんて、あっしにゃ恐れ多くて、嬉しくてたまらないものですね……でもやっぱり、剣闘を続けさせてください。あっしの都合だけなんですが、これってたぶん、領主様のためにもなるんですよ。いえ、これがまた……」


 スールはアンナの言葉の内容よりも、かつてのように明るく楽しげな様子が気になった。

 人は死に密接すると、最後の生気をしぼりだすことがある。




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