第十話 邪神の慈悲 十六 神学猥談
古豪『灼熱のヒルダ』の引退試合から一ヶ月。
新たな競技祭では『赤虎タヌム』が『氷結のシェギー』にも圧勝する。
同じく無敗の連勝を続けていた『鴉のブレイロ』は反則を使った選手として観客の人気は低かったが、上位陣『独眼鬼ディボナ』まで正面から打ちのめす実力を見せると『赤虎』との対戦が熱望されるようになった。
古参の中堅『黒鬼ブムバ』と『青鬼ルネンバ』は試合で負傷していたが、半月ほど経つと訓練場へ出てくる。
「つうかよう、なんでさっさとあの物騒なカラスババアとトラ女をぶつけて食い合わせねんだよ?」
ふたりとも試合でかぶる仮面は訓練場でも外さなかったが『青鬼』の仮面は一部が片方の角ごと欠け、額に大きな傷が見えていた。
「カラスさんのほうは、イカサマで目をつけられているからね~え? 同じように戦いかたの汚い山賊ババアとぶつけて、お仕置きをやり合わせて、手口も様子見……ってところじゃないかね~え?」
ふたりが手をふると、教官のヒルダが視線を向けてうなずく。
選手同士での訓練には立ち会う教官が必要とされているが、古参の見慣れた組み合わせであれば、教官は責任だけ引き受けて訓練は本人たちに任せていることも多い。
ふたりは軽い打ち合いをはじめるが、ブムバは木剣を左手に持っていた。
「あの『赤虎』がそれくらいでつぶれるタマかよ……ぐあっ!?」
「だから、無理はやめなって~。右手は使えないことをおぼえていられないなら、おとなしくしてなよ~」
ルネンバの指したブムバの右手には包帯が巻かれていた。
「おめえが折った指なんだから、ちったあ殴らせろよ。つうかヒルダの姉御みてえに斬り飛ばせたわけでもねえだろが」
ブムバが木剣を握る左手は薬指と小指が関節ひとつぶん足りない。
それだけでも欠けた当初は拳の威力が半減し、握りや打ちかたを様々に変えて少しずつ、一年以上もかけてようやくかつてに近い『補助武器』にもどせた。
しかし今でも手斧の持ち換えは厳しく、変則的な振りになると刃筋を通しにくい。
「きれいに斬られるより、汚くつぶされるほうが治りにくいことだって多いじゃないのさ~」
「だったらなおさら、使って頑丈にしねえとよ。それに指先がやられただけでもなんでか、わりと足さばきの調子まで悪くなりやがるから、早めに慣らさねえと……ぐげあっ」
「ほらあ。そういう無茶はとうぶんやめなって、お医者も言ってたろ~う?」
「そういや、言われたかも、しんねえな。婆さん先生に逆らったら、死神に好かれちまうか……」
ブムバは痛みで青ざめてふらふらと汗をぬぐい、ルネンバは何度もうなずく。
ルネンバはブムバの背を押して宿舎牢へせっついた。
狭い内部通路の階段を昇ると、ふたりは下位選手の通路に少しだけ目を留める。
「そういやアンナの野郎が『不戦敗』って、どういうこったよ? もう戦えねえ深手なら引退じゃねえんか?」
「領主様の『誰であろうと剣闘士になれる』っていう言葉どおりだと、本人さえ望んでいるなら、死にかけだろうと牢に居座っていいのかね~え?」
中堅選手の階につくと、さらに上の階から『舞姫スール』がすべり降りてくる。
「アンナちゃんの話? 『もう試合に出られない』とみなされた引退は罰金がすごくて、奴隷としての扱いも最悪だから、そうなる前に首をくくる人が多いらしいけど……」
「死にぞこなっているんか? もう一ヶ月も経つのに、まだ自分の首へ包帯を巻きつける元気もねえんかよ?」
ブムバは首絞めを手伝いそうな顔で心配し、ルネンバはその声が階下へ届かないかを心配して、ブムバの背を無言で押し続ける。
「……でもなぜか、マリネラさんまでアンナちゃんをひいきにしているみたいで、個人で借金を肩代わりして買い取るお誘いまでくれたらしいの」
「ああ、あのおしゃべり、あちこちの言葉をおぼえているらしいから、一生しゃべり続けりゃ鉱山奴隷や場末の売春窟みたいに早死にしなくて済むんか?」
「でも断ったの」
「そんなに首くくりてえんか?」
ブムバは顔をしかめ、スールは真顔でうなずく。
「あの膝だと、ほかには娼婦くらいしかできないはずだけど……」
「おめえほど稼げる見た目でもねえだろがよ?」
「罰金の額からすると、わたしでも首をくくったほうが楽そうかな……それはわかっているらしいけど」
スールは真顔のまま首をひねり、ルネンバはずっと黙って聞いていたが、つい顔をしかめて口を出す。
「それってさあ、まさか本人から聞き出したのかい?」
スールは冷淡な笑顔を向け、階上へ去ってしまう。
「わたしも、あとがないから」
ルネンバはブムバを牢へ押しこんでから、大きなため息をつく。
「むごいことをするねえ……」
「スールの野郎は、そうも言ってられねえんだろ。気まずい思いをして、下手すりゃ剣闘士仲間に嫌われてでも、勝ちが欲しい時には欲しいかんな」
「だからって、今のアンナを探って、どんな得があるのさ~あ?」
「そんなのオレだって知るかよ。スールの野郎は自分があがくために、なんでかアンナの傷口をえぐるしかねえんだろ?」
「そうだね~え……は~あ…………アタシは、そんな風にはなりたかないね~え?」
ブムバは自分の寝台へ横たわるが、途端に退屈そうにあたりを見回し、卓に乗っていた巾着を開き、中の干し豆をつまむ。
「つうかよう、オレらは男に体を売れねえぶん、やつらより後がねえんだな? ずるくねえか?」
ルネンバは勧められた干し豆へ伸ばしていた手が止まり、不自然にこわばった顔をそらす。
「ん? どうした? まだ腐ってねえだろ?」
「いや…………ブムバ、アタシらの試合、おぼえているかい?」
「傷が増えたぶんは盛り上がったろ?」
「そ、そうなんだけど……それでさ……」
古参同士の試合では、互いに致命傷を避けたがる。
それでも手を抜くわけではなく、仲のいいルネンバとブムバでも、勝負の流れから凄惨な激戦になった。
ルネンバは双節棍の腕を上げていて、容赦のない乱打でブムバを一方的に押し続けた。
ブムバは強引に踏みこみ、ルネンバの頭へ斧をたたきつける。
『青鬼』の仮面が割れて落ち、ルネンバは素顔を血に染めながらも踏みとどまって、ブムバの首へ双節棍を巻きつけて絞め落とした。
意識を回復したブムバは首の骨が無事だったことを意外がって喜んだが、右手は薬指が折れていて、腫れあがった痛みでろくに眠れない日が続いた。
「おめえを買う客がついたあ!? ……もの好きもいやがるもんだなあ?」
「まったくだよう……ものはためしで会ってみたけど、それほどひどくもない見た目の野郎でさ~あ……」
「お? のろけか?」
「い、いや、そんなまともな男でもなかったけど……でも、のろけになっちまうのかね~え?」
「いいから続けろ。むかついたら殴る」
「いや本当に……こんなドブスが好みなだけのもの好きなら、素直に喜べたんだけどさ~あ……アンタとの試合で『勝ち姿に見とれた』なんて言われても、それを寝床でどうやれって言うのさ~?」
「できねえこともねえだろ? やってきたんか?」
「いや…………まあ、客がくたばらない程度に。アタシの心が折れない加減で。どうにか喜んでもらえたらしいけど……」
「オレも、おめえの頭をもっと深くかち割って勝ってりゃ、いかれた客がついたんかな? 惜しいことしたな?」
「それなりの小遣いも稼げたけどさ~あ。あんな姿を好かれてもね~え? アタシはケンカ狂いってわけでもないし、稼ぐために仕方なしで、たいして強くもないから頭に血がのぼってやらかしただけでさ~あ……本当に悪かったねえ?」
「ん? 別にオレはくたばってねえんだから、うまくいったほうだろ? くたばっていたとしても、たいしてしんどい思いもしねえでのびちまったしよ。それで相手がおめえなら、オレには上等なくたばりかただ」
「そ……そう?」
ルネンバは自分を指名した男とふたりきりになった時よりも胸が高鳴って『ブムバが男ならアタシはとっくに言いなりだ』などと考えて顔を赤らめる。
「……ん? そんならオレは、おめえに首を絞められてえクソヘンタイ客と同じくたばりかたをしたがってるんか?」
「別にくたばりたいわけじゃないだろうけどさあ。どうせくたばるなら、ってことだろ? アタシもブムバだったら……」
「おう。一発や二発でやりそこなっても化けて出んなよ?」
「いやそこは、やる時にはひと息に逝っちまえるように……というかやっぱり、なるべく死なない加減で倒しておくれよ。アタシだってヘンタイ客ではないんだし」
「オレだって、そんないちいちぶっ殺すように頼まれたって困らあ。ヘルガでもあるめえし」
「……そういやヘルガは、客の男を絞め殺したことがあったっけ」
「あのツラなら、殺されたがるヘンタイ客も多そうだな?」
「もしかして本当に、客に頼まれたとおりにしただけかね~え? まだ奴隷への罰がひどかった時なのに、やけに騒ぎが小さく済んだし」
「大商人のガキだったか? てめえのガキがクソヘンタイすぎて殺されに行っただけなら、ヘルガにゃ感謝するのが筋だろがよ」
「だとしても世間様の手前、そうも言えないだろうさ~あ……というか、もし本当にそのとおりなら、なんでヘルガはそんなことまで引き受けちまうかね~え?」
「そんなん、見りゃわかるだろが。あのガキ、なんも考えてねえおひとよしだ」
「おひと……よし?」
ルネンバはヘルガを恐れて警戒していたが、つきあいが長いはずのブムバの評価は意外だった。
「殺ろうとしねえ限りは殺りにこねえし、あとはなんでもやられ放題でにこにこしてやがんだろ?」
「まあ、そうだけど……?」
「その上にクソべっぴんなクセして、どうにも気色わりいもんだな。アンナのクソ長話も、どれだけ聞き流しても止まらねえ薄気味わりいもんだったが、ヘルガみてえに生まれつきなんでもやらせ放題の売女なんざ、好きな野郎には神様みてえに見えるだろが、オレには悪魔と見分けがつかねえよ」
「いや結局、アンタはヘルガを嫌いなのかい?」
「おめえは、おひとよしが好きなんかよ?」
「まあ、たしかに……あまり好きではないかもねえ?」
「オレは神様なんて見かけたら、とりあえずで頭をかちわりそうだ」
「また、ばちあたりな無茶を言って……」
ルネンバは苦笑しながら、どれだけ祈っても応えてくれない神より、隣にいれば死ぬ怖さをやわらげてくれるブムバを拝みたくなってしまう。
階下のアンナは、自分で包帯を扱えるようになっていた。
砕かれた膝は動かさないように、腰、腹、胸まで寝台へ念入りに縛りつけてから、ゆっくりと両腕を動かす。
鍛錬用の丸岩はひとまわり大きくなり、両手にひとつずつ握れるようになっていた。
「婆さま先生でも、この膝はもうどうしようもねえらしいんで。師匠やブレイロさんに勝てる見込みなんて、残ってねえとは思いますがね」
それでも暗闇に笑顔を浮かべ、汗を流し続ける。
床には汚れた包帯が広く散らばり、ヘルガは下女のように這いつくばってかき集めていた。




