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第十話 邪神の慈悲 十三 殺戮人形


 アンナが急にふりむき、背後でデルペネが石板を抱えて座っていた姿に気がつく。


「あれ? わりとよくマリネラさんといる侍女さん?」


「は……はい」


 デルペネは正直にうなずいておく。

 すでにアンレイには盗み聞きを気取られており、アンナも妙なところでは勘やものおぼえがよかった。


「誰かの様子見ですかね? アンレイ先生はまだ血迷う予定もなさそうですし、ヘルガさんはぶらついてませんし……そういえば、まだヘルガさんの名づけ親とか探しています?」


「え? ……ええ」


「そいつはよかったです。いや、よかったのかな? なんかマリネラさんが気にしていたらしいんで、余計かもしんねえとは思いながら、ヘルガさんに聞いてみたんですが……」


「助かります」


 デルペネはせかせかとひざを寄せる。


「ところがそうでもなくて、答えてはくれたんですけど『かみさま』と言ったきりでして」


「……はあ」


 デルペネの期待は妙な方向へ外れてしまった。


「あっしがざっと紹介した神様の人となりをえらく気に入ってもらえたらしくて、そのせいで悪魔や死神さんから吹きこまれたことでも神様のしわざと思っているだけかもしれませんし、ヘルガさんの生まれ育ちから考えりゃ、ひろってくださった前の領主さんも、あれこれわけのわかんねえ世話を焼いてくださっている今の領主さんも、どちらも神様みてえなもんでしょうし……あっしはなんだか余計にひっかきまわしちまったみてえで、もうしわけありやせん」


「そうですね……いえ、それでも、ありがとうございます」


 デルペネはフマイヤの几帳面さから推して、やはり名づけ親は別の人物で、候補をひとつ消せたように感じる。

 フマイヤとマリネラが今のところ推測している最有望の候補は『同じ地下牢の囚人』だった。

 牢の間隔は広く、ヘルガが剣闘の訓練へ出されるころにはすでに、通りかかってもかすかにうめいているか無言の者ばかりだったが、なにかの偶然で呼びかけた可能性も絶無ではない。


 デルペネはまったく興味がなかった。

 牢屋番の下男あたりが名づけたことを忘れているか、領主との仲を聞いて関わりを恐れるようになり、忘れたふりをしているとでも判明して、早く終わってほしい話題だった。

 多忙なマリネラがわずかな余暇まで割いて調べる必要があるとは思えない。

 しかし領主にとっての大事であればマリネラにとっての大事でもあり、デルペネもまた無関係ではいられなかった。



 マリネラは領主フマイヤに関わることでは常人ばなれした集中力を見せるが、それが行き過ぎる危うさも感じさせる。

 マリネラ自身、デルペネを侍女へ任じる際に、ひとつの誓いを立てさせていた。


『フマイヤ様に害となるようであれば、私であろうと排除しなさい』


 フマイヤもまた、暗君となれば自身を処刑する『約束』をして領主になっている。

 デルペネは『自身の顔を焼かれることになろうと』恩人マリネラを諌めて抑え、必要ならば背後から刺してでも止めることが『マリネラの側近』でいられる条件だった。

 デルペネは誓いを立てた当初、マリネラに限ってそこまでの対処が必要になる事態などありえないと思っていた。

 しかし『ヘルガ』の関わる件に限っては、マリネラらしからぬ迷いや空回りを見る機会も多い。


 そのためデルペネは、場合によっては自身がマリネラよりも先んじて凶行に手を染め、どのように罰せられてでも恩人を守るつもりでいた。

 マリネラほど武芸の素養はないため、標的がアンレイであれば毒を盛れるように、ヘルガであれば独房の格子ごしに矢を射かける用意などを考え、早め早めの情報収集を大事にしている。


 とはいえフマイヤが剣闘士を公平に扱っている限り、中堅どまりのヘルガは遠からず試合場で死ぬだけ。

 そうなったあとのフマイヤが気持ちを切り換えるために使えそうなら、ヘルガについて調べておくことも無駄とは限らない。

 次の側室……もしくは、いまだに空けたままの正室を決める際の説得材料にもなりうる。



 デルペネはほかの剣闘士の様子も探りに向かいながら、統治の安定に思いを馳せる。

 フマイヤほどの人物がヘルガという変人女ひとりに引きずられる心情は理解しがたいが、闘病と政治に明け暮れて遅れた青春が、ようやく訪れただけかもしれない。

 それならなおさら、もっと目を向けるべき相手がいるはずで、ヘルガは下手に引退などしないで、とどめまでしっかりと刺されてほしかった。

 できればアンレイも剣闘に参加して、相討ちに倒れてくれることが望ましい。

 まだしも実害は少なそうなアンナに素質があるならば、技術だけすべて盗んで師匠もヘルガも排除してもらえたら助かる。


 それでなくとも剣闘士には凄腕の傭兵や暗殺者など、いつ本職にもどって領主をおびやかすかもわからない物騒な逸材が集まり続けている。

 異常な手口で何人もの犠牲者を出した殺人鬼でさえ、試合場の外で暴れそうになければ、気にする余裕もないほどだった。


「お、お役目ご苦労様です。あの、私、お邪魔ではありませんか?」


 デルペネに気がついた細身の色白美女が何歩もあとずさり、自分が打ちこみ練習をしていた丸太の陰で身をちぢめる。


「いえ、おかまいなく」


 病的におびえる『人喰いテルミン』も、威圧的に追いつめて痛みを与えない限りは、首を咬みちぎられる心配は少ない。

 彼女に限らず、この島の女性剣闘士は良くも悪くも個性の強い傾向だったが、全体としては欠場まではしないで済むケンカやいさかいが多く、衛兵や下女なども含めて時おり誰かが殺されかける程度で済んでいた。


 対して男性剣闘士は個々にはおとなしい傾向だったが、不審死や不正疑惑の増加が問題になっている。

 上位陣の数人を中心としたひとつの派閥だけが大きくなりすぎ、脅迫や私刑、不正の申し合わせなど、交流許可の悪い面が出はじめていた。

 諸侯や大商人の愛人として仲を深める者も増え、衛兵や教官に関係をほのめかして牽制するような態度も見せるようになっている。

 剣闘役人は密偵となる剣闘士も入れて探らせていたが、デルペネが見る限り、すでに分断を強制すべき段階に思えた。

 しかし担当官の面目をつぶさないように、マリネラへの具申だけにとどめている。



 訓練場は板塀で半々に区切られ、男女別に使われていた。

 装備倉庫だけは共有になっていたが、訓練場から入れる通用口は男女別に分かれ、時間帯によって片側の扉だけが通行を許可される。

 まだ女性教官が少ないこともあって、男性教官は手空きが多くなると倉庫を通って女剣闘士の指導も手伝いに来るため、鍵などはかけられていない。


 日暮れも近くなると、女剣闘士は木剣と防具以外の装備をもどすように号令がかかる。

 デルペネは倉庫内の装備を見てまわりながら、返却の様子なども探っていたが、やはり個々の品行では女剣闘士のほうがひどい。

 衛兵の態度にいちいち殺意を向けてにらむくらいはまだしも、胸元や太腿を見せつけるからかいは、放置しすぎると規律にも差し障る。

 装備をはずすついでに下着まで脱ぎはじめる者までいた。複数。


「ちょいとブムバ~。アンタの胸をおがみたい野郎なんて、めったにいないからさ~」


「汗まみれで気持ちわりいんだよ。スールみてえに見張りの気を散らす迷惑にはならねえブサイクだからいいだろうがよ」


『女だから』というよりは『この島に居つく女』の傾向として、それまで女である抑圧や孤立を強く感じていた者が多く、反動で大胆になりやすい面もある。それでもひどい。


 対して男剣闘士は今日も日暮れまでたいした騒ぎは起こさなかったが、まだ号令のかかっていないうちから大勢が装備倉庫の通用口へ押しかけ、衛兵を困らせていた。

 乱暴に言い争うなどの様子はない。

 しかし監視をする側にとっては、集団を成して動かれるほうが対処の手間がはるかに大きく、表面には見えにくい問題の広がりも早くて危険になる。


 女剣闘士が闘技場の宿舎牢へ引き揚げて木剣を集めるカゴも回収されると、まだ倉庫に残っていたデルペネも追い出されるように衛兵に退出を頼まれた。

 男女の通用口を換える時間として不自然ではないが、衛兵のあせっている様子からは男剣闘士たちへの配慮が見え、危険な兆候に思える。



 デルペネも闘技場施設へ入り、女性用の大浴場に隣接した更衣室で備品の確認をしていると、連絡通路から言い合う声が近づいてくる。

 なぜか男剣闘士たちがぞろぞろと、女性用の連絡通路へ入りこんでいた。

 武器まで持ち込んでいる。

 その先頭には衛兵もいたが、困ったように笑っているだけで、男剣闘士たちの威圧的な笑顔に圧されて止められない様子だった。 

 デルペネはふたりの衛兵を伝達に走らせ、もうふたりには更衣室の女剣闘士に顔を出さないように指示し、残りのふたりを連れて狭い通路に立ちはだかる。


「こ、これはちがうんです。こちらの施設も少し見ておきたかっただけのようで……」


 若い男の衛兵は剣闘士たちの威圧に媚びへつらいながら、デルペネには不始末の報告を嫌がる甘えた態度を見せた。

 そのこわばった笑顔へ、デルペネは護身用の短剣を抜いてつきつける。


「もどりなさい。すぐに」


「いえ、そん……つっ!?」


 反論をはじめた瞬間に頬を裂く。

 脅す際には、実行できないことでは脅さないようにマリネラから教わっていた。

 刃を抜いて顔へつけたからには、要求が通らなかった場合は確実に斬る。

 首へつけなかっただけでも大きな譲歩をしたつもりだったが、それもわからない愚か者では容赦の必要もない。

 眼球へ突きこむべきだったかもしれないが、デルペネもまだそこまでの技術や非情には自信がなかった。

 それでも次は首筋へ刃をあてようとしたところで、男剣闘士のひとりに腕をねじり上げられてしまう。


「く……うっ!?」


「これは失礼しました。でも僕は、侍女様に乱暴を働くつもりなどありませんので」


 長身金髪の美青年はほほえみかけながら、デルペネの口まで手で押さえつけていた。

 ふりほどこうとすると、さらにきつく押さえつけてくる。

 奥の大柄な中年剣闘士は嫌な笑いをあげた。


「ふぇっ、ふぇっ! しかしまあ、侍女どのがどうしてもとおっしゃるなら、自分が喜んでお相手しますがなあ!?」


 長い黒髪、濃い口ひげ、いかつく尊大な顔つき……男性剣闘士では格づけ一位の現チャンピオン『黒獅子くろじしルノンド』だった。


「男好きな貴族妻の相手を次々と押しつけられて、不自由はしておりませんがなあ!? たまには熟れる前の体も悪くない! ふぇあっ、ふぁっ!」


 デルペネは男剣闘士たちの下卑た嘲笑を見渡す。

 そのほとんどが自分を一瞬にくびり殺せる猛者だとは知っている。

 自分を押さえている男も格づけ二位の『白鷲しろわしイブリオス』で、飛びぬけた人気があり、多くの王侯貴族が男女とも金を積み上げて寝所へ招いていた。


「ご心配なさらないでください。僕たちも無用な騒ぎは起こしたくありません。それはここへ通していただいた衛兵さんのためでもありますし……貴女がその人を傷つけたことも、不用意にもらす者などおりません」


 美青年イブリオスの本性は冷酷な目つきと握力に出ていた。

 デルペネはこの状況で震えを隠せるほどの胆力はない。

 それでも提案のふりをした脅迫は無視してにらみ続け、相手の目的を推測する。


 要人を人質にとっての蜂起が狙いなら最悪だが、悠長すぎる。

 傭兵なども多い剣闘士たちで準備をしていた行動とは思えない。

 気まぐれに暴動をにおわせた脅しを試して、図にのってここまで踏みこんだらしい。

 自分たちを寵愛する王侯貴族の権勢を過信している。

 領主フマイヤと側近マリネラの人となりに理解が足りない愚かしさだったが、それゆえに本当の暴動まで起こしかねない危うさも感じた。


「女剣闘士どもであれば、そこらの男では満足できない者も多いでしょうなあ!? 隣の監獄との親睦にも『料金』が必要であれば、いくらでも払いますぞ!? この先いくらでも勝つことはできますからな! ふぇっ! ふぇあ!」


 デルペネは暴れず媚びず、一切とりあわない態度を相手と背後の衛兵たちにも示して時間を引き延ばす。

 連絡系統からすれば、すでに数人は増援が駆けつけ、マリネラにも連絡役が走っている頃合に思えるが、いかに被害を抑えて収拾を早めるか、見極めが難しい。


「衛兵の指揮権などにも値段をつけていただけると助かりますね。前借りさせていただけるなら、僕は言い値の三倍でお約束しますよ? 貴女も協力してくださるなら、お礼は十分に……」


 デルペネは『白鷲』と『黒獅子』が容姿と技量を兼ね備えた武人でありながら、最果ての島で剣闘士に堕ちるしかなかった事情をおおよそで察する。

 中途半端な狡知と統率力に加え、短絡と無節操まで併せ持つ迷惑ぶりが悩ましい。


「これ『白鷲』の若造! 政治などの面倒ごとは領主どのに任せておけばよい! 我らはただ勝ちの決まったケンカ遊びを続け、飲み、食い、財宝と女を運ばせておればよかろう! なんなら領主どののお体では不満も多かろう後宮へ、お手伝いにあがってもかまいませんぞ!? ふぇ! ふぇ!」


 できればマリネラが来る前に抑えたかったが、その意味合いも少しずつ変わってくる。

 当初はマリネラが剣闘奴隷たちの粗暴にさらされないように。

 しかし今は、マリネラが下卑た男たちの暴言を聞いてしまったら、どのような行動に出てしまうか……恐ろしくて想像もできない。


「デルペネさん。何歩かさがって、通路をふさいでください」


 マリネラの声が、男剣闘士たちの最後尾から聞こえてしまう。



「おお! これはマリネラどのまで! しかしその小さなお体では、やせ細った領主どののお相手がお似合いでしょうに! 無理をしてまで我らの屈強を望むほど、ご不憫ふびんをしておいでか!? ふぇふぇっふぇ!」


「お待ちください『黒獅子』どの。マリネラ様はなにか御用件があって出向いてくださった御様子。マリネラ様ほどのかたであれば、すでに僕らの意もくみ、しかるべき報酬の改善なども用意なされていたのでしょう」


 デルペネはようやく『白鷲』から解放されたが、大柄な剣闘男たちに視界をはばまれ、最後尾の様子はほとんどわからない。

 しかしマリネラの声と言葉にまったく感情を探せなかったことから、デルペネはただ言葉どおりに指示へ従うべき状況と察し、自身の連れていた衛兵をさがらせながら小声で『ご指示のとおりに』と念を押した。

 イブリオスはデルペネが距離をとっても一瞥するだけで、マリネラへ交渉のふりをした脅迫を得意げに続ける。


「多くの諸侯と親交を結び、かつてない戦績を挙げ続けている僕たちにふさわしい、どのような待遇をいただけるのです? その内容によっては、そちらのご提案も決して無下には……」


「刃をさしあげますから、沈黙だけいただければ」


 そんなマリネラの返答だけは不思議なほどはっきりと聞こえた。

 同時に鮮血とうめきが飛び交い、最後尾からデルペネの目前まで駆け抜ける。

『白鷲』の首を裂きながらわきをくぐり抜け、転がり出てきた子供のような背の細身は両腕が血にまみれ、顔には目をそらすべき気配が凝縮していた。


 その姿も瞬時に踵を返し、デルペネはようやく起きた事態を理解しはじめる。

『何歩かさがる』指示は着地の空間を広げるためで『通路をふさぐ』指示は話し合うための人払いではなく、ひとりも逃がさない、そしてマリネラ自身が全員を相手にする意図らしい。


 男剣闘士たちもまだ、狭い通路で開始された惨事を理解しきれていない。

 それでも血臭と殺意を嗅ぎとり、本能的に武器をかまえた者が多い。

 しかし試合場では強豪と讃えられる猛者たちの技巧も、狭すぎる空間では勝手が異なった。

 壁と密集した仲間に動きと視界を制限された中、密接距離で襲いくる極端な小柄、わずかな隙間をくぐり抜けてくる人外の集中力、達人の太刀筋まで併せ持つ『殺戮人形』への対処は困難だった。

 引き返すマリネラの姿に目が追いついた者も腹を刺し通され、そのまま股下をくぐられる。

 足首を裂かれた者、太腿から多量の血を噴き出す者も続いて崩れ、その肩を蹴った小さな影は『黒獅子』の両目を突き刺しながら頭上を飛び越えていた。


 デルペネはいつでも加勢へ入れるように衛兵と共に武器をかまえていたが、いまや試合に復帰できる者が少しでも多く残るように願いはじめる。

 だめだった。

 倒れる者が増えて通路を見通しやすくなると、マリネラが壁にすがって苦しげに息を整えている姿も見える。

 その時にはまだ立っていた剣闘士たちも、もれなく致命傷が提供された後だった。


 フマイヤへの侮辱を耳にした時点で、マリネラに残された選択肢は『すみやかな処刑』か『苦痛を与えきってからの処刑』に絞られている。

 これまでの彼らの貢献、内外の利益、公序良俗にかんがみ、最大限の譲歩に努めてかろうじて、全員に慈悲を施せた。

 あとは風聞と通路の清掃に頭を痛めるのみ。




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