第十話 邪神の慈悲 七 怪物の解剖
『地獄の島』における剣闘興行の改革は選手評価の整理も含まれていたが、その検討は二年が経過しても、その後までも難航が続いた。
個々で算出する戦績は試合数の少なさから結果が不安定で、実力の指標としては違和感が大きくなりやすい。
比較しようにも負傷などによる不戦敗が多く、死亡で突然に消える事態も多い。
『灼熱のヒルダ』と互角とみなされる急成長の直後に消えた『閃光のゼアクロ』のような例もある。
賭け札の売り上げを元にした観客の評価は、容姿や風聞にも大きく左右されてしまう。
そもそも剣闘試合は相性での優劣も大きく、装備の多様化でその傾向はさらに強まり、教官をはじめとした専門家でも見解はまとまらない。
結局、順位づけは勝率を基礎にしながらも、在籍が一年以上の選手に対象を限った。
あとは人気や話題性なども考慮した試合組みを専門家たちで試行錯誤している。
割合としては実力の近い選手と組まれやすいが『一年以内に同じ選手とは組まない』などの総当りに近づける方針も入った。
同時に、実力差の調整として『鐘三回』の時間制限を課す規定も試用されはじめている。
いっぽう、選手自身の判断で格づけを譲る制度はまだ導入されていない。
さらに何年も後になってから、選手たちを研究しつくしてから参戦する『天才新人』が一年も経たないで上位陣すべてを圧倒する事態になり、ようやく試用がはじまる。
まだ興行改革から間もないころは毎月のように新たな強豪が入り続け、実力の高い新人でも連勝を重ねることは困難だったこともある。
選手同士での評価は、不正利用される懸念のほうが大きいと判断されていた。
マリネラは『ヘルガ』の戦績を入念に調べていたが、評価はどうしても中堅どまりになってしまい、首をひねっていた。
ヘルガは古参でも突出して欠場の少ない選手で、負傷からの復帰が異様に早く、強引な日程の追加試合や穴埋め試合も断った形跡がない。
出場した上での不様な敗戦が多いため、強豪に勝利した試合も偶然とみなされやすく、格下にまで負けやすい不安定さから、賭けでは特に評価が低い。
人気もない。
灰や煤を塗りたくる演出は止められたが、装備は『標準』とは名ばかりのボロ防具を使い続け、装備変更の説明を理解しているかも怪しい。
せっかくの見事な黒髪もボサボサにのばして『つかみやすいあたり』を自分でぞんざいに切り離してしまう。
見ばえのよい選手はほかにも増え続けており、とりわけ『舞姫スール』は化粧や着飾りも巧みで、愛想にあふれた表情やしぐさも含めて魅了の専門家だった。
比べると『ヘルガ』は美貌で飛びぬけていながら、動作はのっそりとして、表情は観客にも試合にも無関心なことが多い。
しかも領主の『悪魔公』にだけは気の抜けた笑顔を向けることが多いため、観客は自分たちには向けられない媚びへつらいを嫌悪して『悪魔の娼婦』と罵倒することも増えている。
島の外から来た客がその見事な容姿へ目を留めても、試合を見るほどに、噂を聞くほどに、その奇態と異常性がより深くわかるばかりで、それをあえておもしろがる変わり者は少ない。
領主フマイヤとは深い仲を噂されていたが、ヘルガにも他の剣闘士と同じように罰則が課されており、フマイヤは他の剣闘士たちにも気さくに声をかけまわっているために、観客の興味は次々と参戦する新たな強豪たちへ移っていた。
ヘルガは興行改革の発端となった選手でありながら、その存在はかつて以上に埋もれはじめている。
しかし剣闘への興味が薄かったフマイヤに与えた衝撃はなんだったのか。
不人気で戦績もふるわない『墓下の怪物』が、大観衆の幻滅を熱狂に塗りかえた光景はマリネラ自身も目撃している。
それでもわからない。
主君フマイヤが政策を大きく転換し、最優先の事業に据えた剣闘興行……その根幹となっている『ヘルガ』について、マリネラは二年をかけても正体をつかめないでいた。
世にも人にも理解しえない事象は多くある。
それでも探求を止める理由にはならない。
まして主君フマイヤに必要となれば、マリネラの執念が尽きることはない。
これまでに目撃したヘルガの行動とその意図は理解できなくとも、分析材料が尽きたわけではない。
剣闘士や奴隷に限らず、ひとりの人間に査定できる評価項目は無数と尽きないことも知っている。
ヘルガに限って言えば、その異常性ゆえにすでに多くの才質も見せていた。
まともに訓練をしないために、かえって技術を盗む眼の鋭さは多くの強豪も気がついている。
招聘される武芸者が増えるほど、いつの間にか新しい芸当を身につけていた。
しかしその技術もまた、指導には従わないため、手持ちの在庫をつかみがたい。
視力そのものが異常な可能性も高い。
変装して客席へまぎれたフマイヤに気がついただけでなく、ほとんどの者には見えない遠くの鳥や蝶を目で追っていたことがある。
教官の鞭に対し、振る手元も見ないで避けたことがある。
日中のほとんどを剣闘士自身の裁量で動きまわれるようになって、ほかに判明したことも多い。
大浴場にいたヘルガが不意に訓練場の隅まで向かった時には、雑草が咲かせたばかりの花弁へ鼻先を近づけていた。
似たような挙動で甲虫の死骸へ行き着いたこともある。
延々とトカゲを追って見つめていたこともある。
ながめていた遠くの樹木で鳥のひなが孵っていたこともある。
ヘルガはしばしば形容される『獣』のごとく、耳や鼻も鋭い可能性があった。
それらは『勘』や『悪運』と呼ばれてしまう能力の、正体の一部かもしれない。
少なくとも五感は鋭敏に用いており、外界への興味も薄いわけではない。
……結果としての行動と目的はわからない。
花や死骸への興味はともかくも、それらが自分と殺し合う者たちへの興味よりも優先される理由はわかりそうもない。
「きれい」
問えば答えることもあるが、極度に端的なことが多く、無言でほほえんだり、うなずいたりするだけの反応がほとんどだった。
「ほう。これを気に入ったのか? 近いものでも探してみるか」
フマイヤは激務の合間にとれたわずかな休憩時間を割いてヘルガの奇行につきあい、落ち葉や死骸や、それを見つめるヘルガを観察する。
教官や剣闘士ほども接する時間がないはずのフマイヤのほうが、なぜかヘルガとの会話は続いていることが多い。
……ヘルガについては判明することが増えるほど、新たな謎まで増えていた。
マリネラは二年もかけながら肝心な部分はつかめないまま、ヘルガはフマイヤの心の大部分を掌握しつつある。
「ばかたれが! 集中できないなら引っこめ!」
ついには医局の研究室でも『治癒が早いヘルガの体質と人格への影響』を手術中に考えてしまい、助手としての反応が遅れてプラクシテラに怒鳴られる。
それでも助手を代わった医師は、そんなマリネラよりも怒鳴られる回数が多かった。
プラクシテラは施術がひと息つける段階になってから、隅で雑用をてきぱきと片づけるマリネラの表情を気にかける。
「アンタがおかしくなるのは領主どのがからんでいる時くらいで、アンタが迷うのは黒髪青目の娘がからんでいる時くらいだ。さんざん好き放題に島をこねくりまわしたくせに、まだなにか不満なのかい?」
ほかの助手たちはプラクシテラの言い草に青ざめるが、マリネラはめずらしく仮面のような表情をゆるませ、安堵の混じった素顔を見せた。
マリネラがヘルガについての調査考察をまとめて報告すると、プラクシテラは意外なところを気にとめる。
「待ちな。あの娘は『話せる』のかい? 人の言葉をまねるだけなら鳥でもできる。頭が赤んぼうみたいなままになる病気でも、できることもある。でもあの娘は、あれだけまわりをほったらかしながら、聞かれたことに合わせて答えることもあるんだね?」
マリネラは『ヘルガの知性』という大きな要素について、自分の分析が雑だったことに気がつく。
「『言葉を学べない頭』と『学ぶ機会がなく育った頭』をいっしょくたにするんじゃないよ。アタシのボンクラ弟子どもは文字と接する機会も多いが、みんな書かれていることの裏までは読めないアホぞろいだ。あの娘は……どれだけ話す相手がいたんだい?」
「剣闘に出され、娼婦の仕事もはじめるまでは……地下の牢番くらいでしょうか?」
「それで噂どおりに犬猫なみの扱いだったなら『エサ』と『待て』をおぼえられるだけでもマシな気がするけどね? 赤ん坊は親から日に何十も何百も言葉を注がれて、ようやく『片言』からおぼえるもんだ。もし日に一個や数個、他人から投げ捨てられるだけでおぼえたなら、その娘の頭は……アンタより鋭いかもしれないだろう?」
ヘルガを理解できない原因について、マリネラは『ヘルガの欠落』にあると思いこんでいた。
部分的にはその面もあるはずだが『自身の能力不足』も関わる可能性を考えると、急に納得できたこともある。
ヘルガはしばしば、人知を超えた洞察力があるかのような行動をとっていた。
異常に鋭敏な感覚へ、高い思考力まで合わさっているとしたら……
『呪術師ホドゥカ』の隠し持った反則武器を『試合場に出てから』見抜けた理由も考えられそうだった。
仕込みがあること、使う意識があることで、ホドゥカの目配りや立ち回りは多少なり不自然な変化や制約を見せたかもしれない。
反則を知っていた審判も、仕込み武器が隠れていることを見て確認し、その視線を読まれていたかもしれない。
観客が不審に感じている様子で、どの部位、どの動作を気にかけているかもしぼれたかもしれない。
前試合の敗者であるアメリも横たわっていたことで、被害の痕跡を観察して武器の種類も推測できたかもしれない。
しかしそれらはいずれも、自分の時間だけ何十倍にも増やして分析しなければわかりそうもない、細すぎる手がかりだった。
『海賊狩りのゼペルス』がとっさに相手の死角を嗅ぎとる乱戦上手だったように、ヘルガも様々に打ち合うことでゼペルスの太刀筋や身のこなしを読み続け、無意識に恐れている立ち回り、あるいは過度に意識していた戦術などにも気がつけたかもしれない。
ゼペルスの強さは単に多角的な乱撃ではなく、相手の出鼻をつぶせる攻めどころの目ざとさにある。
しかし防御すら攻めで補う大胆かつ強引な野生味と裏腹に、首や頭部への攻撃は不自然なほど避ける組み立て傾向があった。
自身の死角をおとりに使いすぎる屈折も……そこまでは今のマリネラであれば、多くの武芸者に鍛えられた力量で推察できるようになっていた。
しかし仮に、ゼペルスが気に病んでいた記憶の情景まで察しえたとしても……試合中のヘルガが背を向けてまで再現する理由は考えにくい。
そしてあの青い瞳は……おそらく領主という地位などには関心もない。
大観衆の中でフマイヤの瞳だけが、まったく異質な心情で自分を見つめていたこと、さらにはそれが『親密なほほえみ』を返すにふさわしい想いだったことまで見抜いていた。
それを認めたくなかったマリネラ自身の嫉妬が、証拠に変わる。
「研究姿勢に謙虚さが欠けていたようです。貴重な示唆に感謝いたします」
マリネラが瞳に業火を宿してほほえむと、プラクシテラはすげない舌打ちを返した。
自分がまた余計なことを言って、一番弟子を医道から遠ざけてろくでもない魔道へ近づけてしまったことを悔やんでいる。
「……ああ、そういや領主どの以外でもうひとり、あの娘と話せる変わり者がいるかもしれないね?」
「え? ……あ」
マリネラはもうひとつの見落としにも気がつくが、そちらは明らかに、対象に原因があった。
誰に対しても言葉を延々とばらまき続けているために、会話かどうかの区別がつかない。
「アタシはてっきり、あのおしゃべり娘の病気が舌だけでなく頭にもまわって『話せている』と勘違いしているだけかと思ったが。あの黒髪青目にも話せる頭があるなら、気が合うだの仲がいいだの、変人同士ならありうるかもしれないね。殺されかけた相手にもヘラヘラ笑っているあたりは似てなくもない」
ヘルガとは真逆に言葉が多すぎる『名無しのアンナ』についても、マリネラは自分の分析が拙かったように思えてくる。
あふれる浅い言葉にまみれ、闘鬼アンレイにも見込まれる素質の本体を見過ごしていた。
マリネラが調べなおしに向かった矢先、ヘルガのほうからアンナへ近づく姿を見かける。
大浴場の更衣室に居座るアンナの長話をほほえんで聞き続け、うなずきもしたが、なにをどのように受けとっているかは察しがたい。
「その名前はどこでもらったんです?」
立ち聞きしていたマリネラはさらなる見落としに気がつく。
部下に命じてヘルガの名づけ親を調べさせたが、わからなかった。
剣闘の訓練をはじめたころに名前を聞かれた本人が『ヘルガ』と答えているが、それまで名前で呼び扱う者はひとりもいなかった。




