第十話 邪神の慈悲 六 踊らされる意地
「なお、アンナには『鐘三回』の調整を与える!」
調整を宣告された格下の選手は、鐘が三回鳴るまで試合が継続されていれば、負けても三割の賞金を得られ、客の賭け札にも同様の支払いが出る。
少しずつ成長を続けている下位選手『名無しのアンナ』が、上位陣『舞姫スール』にどれだけ食い下がれるようになったかを試す組み合わせだった。
「同じ『踊り子』と言っても、スールの姐さんは大金持ちの豪邸で一番のお気に入り、こちとら貧乏酒屋の客引き身売りついでの数合わせですから、見てくれや踊りの腕前はもちろん、愛嬌や品の良さでも惨敗する自信しかありませんや」
「ついでに試合もきれいに惨敗してね!? もちろんわたしが勝つけど、無傷で勝たせてほしいの! てきとーに打ち合ってすぐに降参して!」
大観衆に囲まれている試合開始の直前に、大声で堂々と八百長を誘う選手は珍しい。
しかし審判のライシェルもさすがに真に受けて反則を言い渡す気にはなれず、あとで注意なり罰金なりの判断をしようと考える。
「そりゃスールの姐さんもあっしのことを無傷で負かしてくださるっていうなら骨折したり深手を負ったりで寝込み続けて不戦敗を貯めこむよりかは得ってもんでしょうけど、それをやっちまっちゃあ師匠にあっさり見限られそうなんで、やれるだけの仕事はやらせてもらおうと思いますし、考えてみりゃ姉弟子さんに鍛錬の成果を試せる機会でもありま……」
アンナの止まらない話の途中で審判ライシェルが「はじめ!」と叫んだ。
元剣闘士のライシェルは、殺し合いの直前にまで友人のように話し続けられるふたりの性格がよくわからない。
「……でもあっしの手の内までばれているのはやだなあ! 手が追いつけたとしても腕力や体格の差まであるってのに!」
「アンナちゃんがどう指導されているかもばっちりのぞき見していたから、安心して負けて!」
ふたりは開始の鐘が鳴らされても、打ち合いはじめてもなお話し続けていた。
人体は力をこめる時に息を吐き出す。
呼吸を読めば動きまで読めてしまうため、そうされないための呼吸法を指導する武術の流派も多い。
まして急速に息ぎれする決闘中に大声で話し続けるなど、あまりに非効率なはずだった。
しかしアンナとスールはなぜか、それで調子を得ているようにも見える。
「いやほら勘弁してくださいよこんなの! やっぱりあっしが身につけたことなんてスールの姐さんはとっくにお見事にこなしていやがりますのに、そんな本気を出しちゃおとなげないですって!?」
「いやうわやばいって、アンナちゃんすっごいうまくなってる! ここでしっかり才能の差をかみしめて、もう体がすくんじゃうくらいに怖がって、あきらめぐせをつけていって! お願い!」
それにしてもひどい会話だった。
アンナは両拳の刃先を攻めに使う余裕もなく、ひたすら守って逃げまわる。
スールは流麗な乱撃で圧し続けたが、かわされそらされ、打ちこめても深くは入らない。
審判ライシェルはふたりの打音を軽いと感じたが、手数は驚くべき多さだった。
ふたりとも防具はないも同然の攻めに偏った装備で、さらに速さを重視した戦術をとっている。
武器を両手に持つ選手はほかにもいたが、左手は防御や牽制などの補助に使う者が多い。
しかしアンナとスールは踊りや拳闘にも似た動きで、両腕とも動きがめまぐるしい。
一撃の重さ鋭さであれば『灼熱のヒルダ』や『独眼鬼ディボナ』のほうが上まわっているが、そのふたりもスールの手数に対しては拳や足まで使うことが多く、動きの変化を大胆につけてどうにか対抗していた。
スールの持つ鉄扇という武器は本来、一時しのぎの護身具であり、決闘には向かない。
薄い金属板を重ねているため、束ねた状態で鉄棒として使う。
しかし開閉するための構造はどうしても壊れやすく、打つたび受けるたびに鉄板の結束はゆるみ、その打撃は威力がばらけて弱まりがちだった。
本来、くつろいだ姿でも身につけている備えとして誇示したり、逆に武器らしい武器を見せられない場で代用品にしたり、装飾品としての外観で意表をつくことに意義がある。
はじめから主要な武器と示して打ち合い、毎月のようにひしゃげさせて交換するには贅沢な工芸品だったが『地獄の島』の興行主は『舞姫スール』の華やかさにふさわしい演出として助力を惜しまない。
鉄扇の中でも金属以外の材料は使わない種類のもので、羽根状の金属板を重ねていて、日常用としては手が疲れやすい重さだった。
広げて盾のように防ぐ用途では使いにくい。
強打されては小剣の斬撃でもへし曲がりやすく、技量によっては両断されかねない。
それ以上に致命的な欠陥は広げた形状での持ちにくさで、振りまわすぶんには問題がなくとも、打撃を受ければ取り落としたり指を痛めやすい。
それなのにあえて鉄板の先は研がれ、広げれば刃となるように造られていた。
閉じた状態では刃をつけた意味が薄く、広げて使えば指や武器を壊される危険が高まる。
いちおう対戦相手にしてみれば、鉄棒の打突だけでなく斬撃の可能性もあることは気がかりになった。
とはいえ主な目的はやはり、扇を広げた姿による見ばえの演出でしかない。
しかし舞姫スールは試合中にも鉄扇を小まめに開閉し、実用も兼ねた威嚇として使いこなせるようになった。
基本は鉄棒としてふるっているが、それが開いた途端、手首を返すだけで眼や首筋を傷つけかねない斬撃を走らせる。
実際には斬る時にも持ちにくさは大きな短所で、筋肉や骨へ下手な斬りつけかたをすれば、やはり使い手の指や鉄扇のほうまで壊れかねない。
足さばきに優れ、目がよく度胸もいいスールでなければ活かせない奇手だった。
アンナが両手につけている刃はまともで使いやすいが、固定されて持ち換えがきかない上、間合は手刀と大差がない。
鉄扇は小剣に近い間合がある上、スール自身も長身で手足が長く、腕力脚力でも上まわっている。
アンナは足さばき、腕さばきでかろうじて猛攻をしのぐ成長は見せたが、一方的に受け続けるばかりだった。
それでも審判ライシェルから見て、手数の応酬は目を見張るものがある。
会話まで大声で続いていた。
「だから無理ですって! なんなんですかその恵まれかたは!? 冗談は笑顔と胸のでかさだけにして腕や脚までがんばらないでくださいよ!? あっしの貧相な体と素質が余計みじめになるんで少しくらい哀れんでください!」
「それなら勝たせて! そろそろ勝たせて! アンナちゃん好き好き! 大好き! だから負けて~!」
言葉とは裏腹に大まじめに打ち合っている気迫は確かだったが、ライシェルはどちらとも戦いたくないと思う。実力とは無関係に。
「こちとら負けがこんで借金をためこんでいるせいで後がないんですってば! この若さでくたばりたくねえだけなのになんで見逃してくれませんかねえ!?」
「わたしは盛大に勝ち続けて王様や大金持ちに引き抜かれたいから、楽しんで協力して! この愛らしさとひたむきさで国一番どころか大陸一の名声をつかむまでがんばっちゃうから、ぜんぜんだいじょうぶ!」
耐え忍んでいるアンナはすでに鉄棒の受けすぎで手首の痛みがひどく、苦笑はゆがみ、手さばきも荒れてくる。
「そんなことを頼まれたって鉄扇で頭かち割られちゃ、姐さんが金持ちをだまくらかした晴れ姿も見物できませんし、おこぼれをせがむことだってできないでしょうが!」
「うっかりなにがあってもわたしが名前を語りついであげるから!」
スールがたたみかけて追いこむ中で、アンナが急に沈黙し、乾いた表情を見せる。
側頭部を鉄棒にかすられながら体を沈めてぎりぎりに飛びこみ、肘で強引に防御をこじ開け、はじめて拳刃を攻撃にふるう。
スールもはじめて笑顔を失い、なりふりかまわず跳びさがろうとした。
「自分の代わりにあっしを語ってくださるなら……」
アンナはさらに大胆につんのめって追いすがり、低い声でつぶやく。
「……オレが誰だか言ってみろよ」
空虚な眼が、拳刃を突き入れる。
同時にアンナは鉄扇にあごをはね上げられ、倒れる。
起き上がった口には血があふれていた。
スールは自分の首を押さえ、驚いたようにアンナを見る。
鉄扇を捨て、首を押さえていないほうの片手を高く上げた。
アンナもスールを指でさしてうなずく。
審判ライシェルはスールがのどを刺され、アンナも舌かあごが傷つき、ふたりともまともに声を出せない状態と察していた。
ふたりへ離れて待機するように手で示し、戦意がないと認めるに十分な時間を『十歩ぶん』で観客へ示してから確認する。
「スールは降参し、アンナはそれを認める……それでよいですか?」
ふたりは首を動かさないように腰の動作でうなずく。
打ち合い以上にしゃべり合いで騒がしかった勝負は、突然の静けさで幕となった。
ふたりは勝敗に関わらず笑顔を見せることが多い選手だったため、アンナの気まずくとまどう表情と、スールのすくんでおびえた表情は客の歓声まで低める。
ふたりは観覧席を見上げて、さらにそれぞれの表情を深めた。
貴賓席の近くにいた教官アンレイは、いつもよりはっきりとした笑顔をアンナへ向けていた。
一ヵ月後。スールは『独眼鬼ディボナ』に惨敗する。
いつもの華麗な立ち回りをほとんど見せないまま一気に押しきられ、早すぎる降参で観客の不評を買った。
さらに数日後。大浴場の更衣室で寝そべる『黒鬼ブムバ』と『青鬼ルネンバ』は男娼を呼びつけて垢すりをやらせていた。
少年は体も売っていたが、背中流しや散髪、体毛の手入れといった技術も磨いて主な稼ぎに変えつつある。
未熟なために料金は安く、仕上げをあまり気にしないブムバとルネンバはひいきにしていた。
「スールのやつ、もう声だってもどりそうなんだろ?」
「でも首だよう? 立ち直りが遅れるのも無理ないさあ」
「あとほんの少し深く刺さってりゃ、医者のババアが手を出すひまもなく、すぐにくたばっていただろうからな」
「新人は最初の実戦で怖気づいて負けぐせがついちまうやつも多いけど、それ以外でもはじめて相手を殺した時や、大ケガをした時、無傷だろうと死にかけた時に、ダメになっちまうやつは少なくないからねえ?」
「剣闘場に来ておいて、なに考えてやがんだか。けどよ、スールはそのあたり図太そうだったのに、あんがいと引きずってやがるな?」
「その点、負けが多くてもヘラヘラしていたアンナのほうが、剣闘には向いていたのかねえ?」
「他人を殺して笑えるケダモノ野郎に向いた職場だからよ、そんなところで負け続けて笑えるいかれ頭も紙一重かもしんねえな」
ふたりは浴場からぺたぺたと歩いてきたアンナを見ながらも話し続け、声を抑えることもない。
「はいどうも『黒鬼』に『青鬼』の姐さんがた。そのなんとか頭がお邪魔しますよっと。紙一重どころか景気よく突き抜けてそうな師匠様のおかげで、この前はヒルダの姉御にまでまぐれ勝ちを拾っちまう大金星ですから、紙一重もおおいにけっこうてなもんです」
アンナは作業中の少年にも遠慮して会釈しながらブムバの近くに座るが、腰を布で隠す程度で恥じらいはない。
しかし恥じらいのなさすぎる自分に疑問を感じたような間のあとで、平たい胸も申しわけ程度に隠す。
「おめえの手数もめんどくせえ忙しさになってきたよな。いくら肉を太く鍛えたって、防げる傷なんてたかがしれてっからよ、本当はひょろっちくてもちょこまかとすばしっこいほうが勝ちやすいんか?」
「刃筋を通さなきゃはじかれる筋肉も十分に便利そうですし、ヒルダの姉御なんかはその上に動きも速くて勘もいいし、そこまでの体格や腕力がない山賊ババアのディボナさんは太刀筋や足技まで性格が悪くて、人の嫌がることを目ざとくかぎとってきやがりますし、スールの姐さんだってしつこい負けず嫌いですから、今は調子を落としていたって、いつまた何十倍にしっぺ返しをくらうかもわかんねえ……やっぱりいろいろと、生まれ持っての恵まれかたがちがいますからね。あっしなんかが格づけ一位のチャンピオンなんてまだまだ……」
「ねらっていたんかよ。まだ負け越しのくせにあつかましいやつだな。でもまあ、実力で中堅以上はもう文句もねえあたりか。オレもおめえに勝てねえとまでは思わねえが、正面からは相手にしねえようにひっかけるしかなさそうだからな」
「ブムバの姐さんにそう言ってもらえるなんて光栄ですやね。なにせ考えなしに斧をぶんまわしているように見えて、実際あまり考えていないとは思いますが正面からバカ正直にヒルダの姉御と打ち合え……いたっ、なんでほめている最中にひっぱたきますかね!?」
「それよかおめえ、スールのことも殺すつもりだったんか?」
ブムバが唐突に聞きにくいあたりを切り出し、ルネンバはアンナが来てからは黙っていたが、さらに黙り続けることに決めた。
「ずばり聞いちまうあたりが黒鬼さんですやね……そんなつもりは少しもなくて、いえやっぱり事故かなにかでケガでもしてほしいくらいには願っていましたけど、スールの姐さんが国一番だの大陸一だの、高望みの名声をめざす姿勢は妬ましいとはいえ尊敬しちまうかっこよさですし、自分には縁がなさすぎる話なんで勝手にしやがれってなもんですが、あっしが死んだあとのことまで請け負われちまうと、なんだか自分がひいこら耐えてきたぜんぶも踏みつぶされちまった気がして、こちとら、あっしのことなんかろくに知らねえし知る気もねえ他人様ばかりとつきあってきたせいか、せめてそれでもこの顔をおぼえていてくださる皆様の記憶だけはてめえ以外の誰かにいじくられたくねえとか変な意地をこじらせがちなもんで『名無しのアンナ』というふざけた通り名だって、誰がつけたかもわからねえ名前を使いまわすしかねえ身の上にあてつけたもんでして」
「オレらが自分でも『鬼』を名乗りはじめたのだって、ブサイクな上に痣まで目立つ見てくれだから、開きなおるためかもしんねえな? あんがいと御利益は出ていやがるし、こんなツラでも少しは自慢できる気になってきた。おめえも格上に勝ち続けるツキを呼びこめているなら、悪くもねえ意地のはりかたなんだろ」
アンナは細い体をゆらしてヘラヘラと聞いていたが、そのままほろりと涙を落とす。
「おっと……ブムバの姐さんは愛想も言葉の裏表もなさすぎて、時おりひょいと出してくる親切が自分なんかには深く入りすぎていけねえや。しかし、そうなんですかねえ? 正直、いつかはまともな名前もほしいもんですけど、とりあえずのつなぎとしちゃ悪くもねえ名乗りと思っていいんですかねえ? どう思います?」
アンナの隣へふらふらと座った黒髪青目の少女はほほえんでうなずく。
「そうですか……って、そういや地下牢の先輩様も赤ん坊の時分に捨てられたとか聞いていますけど、その名前は誰からもらったんです? ……いや、うなずかれてもよくわかんねえですけど……」
青鬼ルネンバにとってはそろそろ自分の牢屋へ逃げ帰りたい顔ぶれがそろってきた。
しかしふと背後を見ると、いつの間にか領主の小柄な側近までも遠巻きに立ち聞きしていたので、下手に動いて目立つのも怖かった。
ヘルガの名づけ親を調べるように部下へ命じている様子だったが、聞こえないふりをしておく。
視線だけでも少年のみずみずしい首筋や太腿へ逃がしておいた。




