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第十話 邪神の慈悲 四 剥き身の社交場


 訓練場の剣闘士たちは、小剣以外の武器を使う者も増えていた。

 調整で防具も強弱がつけられ、飾りつけも多様化している。

 中には奇怪な仮面をつける女剣闘士たちもいた。


「やっぱ邪魔だなこれ」


 小太りな色黒女がつけている角つきの黒い仮面は顔の上半分だけを隠していた。

 目の部分は大きく開いている。しかし武芸者は一般人にとって死角となるような視界の隅でも、反応できるように鍛えている者が多い。


「でもさ~、相手も顔や目をねらいにくくなっているし、悪くはないよ~」


 ひょろ長い色白女は似たような青い面をつけていた。

 ふたりはまだ日の高いうちに訓練をきりあげ、衛兵が素通しするようになった連絡通路をたどり、賓客用だった大浴場へ向かう。


「まあ重さはよ、もう気になんねえかな? マリネラさんの言ってたとおり、なんでか人気も出てきたし」


「中身が美人とか、勝手に勘ちがいする客も多いみたいでさ~? いやちょっとアンタ、そこまで露骨に残念がらないでよ」


 装備を女衛兵へ預ける際、新入りの立ち番はふたりが仮面をはずす姿をじっと見ていた。

 中堅選手『黒鬼ブムバ』と『青鬼ルネンバ』の素顔はお世辞にも美人ではなく、幼いころからの大きなあざも、剣闘士になってからの古傷も多くある。

 ふたりとも熟練の実力者だが、ブムバは短慮で粗暴、ルネンバは臆病で慎重すぎ、技術的な見ばえには欠けていた。

 仮面は見た目を派手にしただけだが『鬼』としての印象づけが、勝っても負けてもふたりの安定した強さを引き立たせる。

『黒鬼』と『青鬼』は下位選手にとって越えがたい壁であり、強豪である中堅入りを示す試練として、存在感を増していた。


 新人が装備を選べる規定になってから、すでに在籍していた選手も一度だけは『変更料金』を払わないで装備を選びなおせた。

 その検討には一年の猶予も与えられたが、従来の小剣と胴鎧という『標準装備』のまま戦う選手も多い。

 小剣以外を選んでも、このころはまだ棍棒やつち殻竿からさおといった一般的な武器が多かった。

 ブムバが衛兵に預けた武器は手斧で、小剣に近い使いかたをできる上、力押しな戦闘スタイルを見た目も含めて強めている。


「おめえは結局、その棒きれ使うんかよ?」


「もう試合にも出ちまったし、悪くはないさあ」


 ルネンバの武器は双節棍そうせつこんで、一般的なヌンチャクよりは棒部分もつなぐ鎖も短いが、小剣よりは間合が広がり、遠心力も働く。

 防御と牽制を多用し、とどめを避けたがるルネンバには小剣よりも相性がよかった。


「しっかし武器の種類が増えちまって、考えなくちゃなんねえことも増えたよなあ?」


「そうなんだよねえ。ヒルダのあねさんともやり合える凄腕まで増えすぎだよう。カモの新人がいくら増えたって、同じだけ勝ち星をとられちまう」


「医者まで凄腕のババアが入ったせいで、生き返るやつがずいぶん増えてよ……前の試合でオレに勝ちやがったバカ新人なんざ、縫われただけで治ったと思いこんで、買った男娼ガキの上で傷が開いてくたばりやがった」


「無茶しないでほしいねえ。アタシらみたいな見てくれでもがんばってくれるブツは珍しいお宝なのにさあ。そのボウヤの見舞いに、精のつくもんでも贈ってやろうかねえ?」


 立ち番の女衛兵は剣闘奴隷たちの会話を聞きながら眉をひそめる。

 女で男娼を買うなど、しかも贈り物まで届けるたわむれなど、貴族や大商人の身内くらいだった。

『地獄の島』で剣闘士の扱いが激変をはじめてから、まだ二年も経つかどうか。

 女衛兵はたった二年でひっくり返った常識にとまどう。


 しかし数年前に新領主となったフマイヤの政治改革からして、人事をはじめとした公正が徹底される激変だったことも思い出していた。

 身分などに関わらず才能の評価が重視され、島は人材の集結と育成の情熱で活気づき、その恩恵のひとつが、女衛兵という急拡大した部署でもある。

 とはいえやはり、目の前の奇怪な光景はやりすぎの感が否めない。


 剣闘士たちは毎月のように一生を賭けているためか、環境の変化にもやたらと早く順応していた。

 また、大陸から来た者たちでも女性の多くは、扱いがあまりに異質なためか、かえって男性よりも開き直るまでが早い傾向にある。

 遠い南東から来た『舞姫まいひめスール』は通り名が示すように踊り子だったが、当初は試合場の外だと半裸の出場衣装を広い布でくるみ、出入りに衝立ついたてが少ない大浴場では周囲へくりかえし目を配り、隠れるように移動していた。

 今はもう連絡通路で脱ぎ終えている。


「スールさん、全裸になるのは更衣室へ入ってからにしてください」


「あらそう? そこもお風呂場も巡回さんにけっこうのぞかれちゃうし、みんなわたしを見たがるから、わたしは少し早めがよくない?」


 脱いだ衣服で前を隠しているが、その衣服も帯のように生地が少なく、しかも大部分は透ける薄布で、長身褐色の豊かな肢体を堂々と見せつけていた。


「わたしだって風紀を乱してはいけないと思うけど、見たい人には見せてあげたいし、この連絡通路を通るのは水浴びに来た剣闘士か、その様子を観賞に来た衛兵さんくらいでしょ?」


 観賞ではなく監視だったが、スールの明るい笑顔にまともな議論は意味が薄そうだった。

 衛兵隊長の中年女は無言のまま、槍の柄でスールの尻をひっぱたいて奥へ急かす。

 以前の看守と奴隷の関係であれば、あざになるほどたたく姿も日常的だった。

 しかし衛兵隊の規律も厳格化した後になると、隊長格でない衛兵は、ふざける程度でさえ避けている。

『殺し合いの見世物』を急拡大しているはずが、剣闘奴隷とそれに関わる者たちの日常は明るくなり、温和にさえ近づいていた。

 衛兵隊長の中年女にとっては、かえって不気味な違和感だった。

 剣闘士には過保護な規定が多く足されているにも関わらず、年単位での死者は着実に増え続けている。



 大浴場は闘技場内部の施設としては広いほうだった。

 更衣室は治療や休憩などにも使われ、数十人までなら同時に使えなくもない。

 板敷きの浴場も数十人は入れる広さがあり、壁ぞいには水がめ代わりの溝が掘られ、桶やヘチマなども山積みにされている。

 更衣室と浴場は出入り口も広く、仕切りとなるカーテンはかかっていたが、無頓着な者も多い女剣闘士たちがいつでも開けっぱなしで往来し、あまり役に立っていない。


 通路に流れるほどの湯気が出ることも少なかった。

 三つに分けられた長細い浴槽はそれぞれ十人近く入れる大きさがあったものの、それらに焼けた石を放りこんで温めるような贅沢は冷えこみのひどい日か、なにかの祝日か、剣闘士の誰かがその料金を払った時くらいになる。

 それでなくとも『地獄の島』は一年を通して温暖な日が多く、くみあげている地下水は海水よりも少し温かい。


 剣闘士は出身にばらつきが多いため浴場での作法も様々で、他人の入りかたに口を出す者は少なかった。

 とはいえ舞姫スールが倒立前転で浴槽へ飛びこむと、ブムバにひっぱたかれる。


「水がもったいねえだろが」


「わたしを雇っていた御主人様は喜んでくれたのに~」


 スールは言い返しながらも、笑顔でブムバの腕を揉む。


「そんなアホ旦那だから身を持ちくずして、おめえも売られたんじゃねえのか?」


「また似たような楽しい人に雇ってもらいたいから、練習しておかないと」


「それよか『独眼鬼どくがんきディボナ』の楽しいつぶしかたでも考えておけよ。オレはブサイクだから逆怨みまではされねえけどよ。試合でもない時までかみついてきやがるぶん、おめえよりめんどくせえ厚かましさだ」


「ディボナさんの武器は短剣で決まりそうなんでしょ? それならまあ、鍛錬と気合でやりようもありそうだけど……」


 標準の金属防具である胴鎧、小手、すね当てをすべて排除すれば、刃渡りが肘から手首ほどしかない小剣の代わりに、拳ふたつほど長い短剣を持てる。

『独眼鬼ディボナ』は攻撃偏重の装備で戦績を挙げて『灼熱のヒルダ』や『舞姫スール』と並ぶ上位陣に入っていた。


「……それよりアンナちゃんの武器はわかりません?」


「ん? あっちのおしゃべり娘か……そういや腕を上げてそうだったな」


 アンナというバサバサした短髪の少女は細身という以上にやせていて、手足は長いが女剣闘士としてはさほど高い背でもない。

 遠い東方から来た訓練教官アンレイを『師匠』と呼び、訓練中でもひものような衣服で、武器らしい武器は持たない。

 厚い革小手で拳を守るだけで、アンレイの木剣をさばき、かわし続けていた。

 新たに訓練教官として雇われた『女巨人ヒュグテ』には誰もが度肝を抜かれたが、アンナはアンレイに対する時と同様に、ひたすら打ちのめされては挑みかかり、その間もひたすら話し続けていた。


「あのガキ、なんで言葉も通じねえやつとまでしゃべり続けられるんだ?」


「そこは客商売の真心でしょ? そっちの腕も負けられないけど、アンレイ先生はわたしよりアンナちゃんのほうがお気に入りらしいから、やきもちやいてんの!」


 スールが明るい笑顔でバシャバシャと風呂の水を蹴り上げ、ブムバは横から蹴り止める。

 いまや自分よりひとまわり上の実力なだけに、余計にうっとうしい。


 島に来た当初のスールは踊り子としての体力や身軽さこそあったが、格闘はまったくのシロウトだった。

 しかし闘技場に整えられた育成環境はみるみる素質を磨き、半年もしないでブムバとならぶ中堅選手に仕立てあげる。

 頭がよくて意志も強かった『可憐なるアメリ』でさえ一年以上はかけた過程だけに、ブムバは驚いていた。

 そこへさらに妙な魔法を加えたのが教官アンレイだった。

 もともと軽快だったスールの『ちょこまか逃げまわっては小まめに当ててくる』身のこなしが、急にぴったりと攻撃へかみ合うようになって『かわされた時にはくらってる』という、手のつけられない実力差になっている。


 しかしブムバは、教官アンレイの実力をつかみきれないでいた。

『灼熱のヒルダ』ですらアンレイのことは格上とみなしていたし、技術の引き出しが多いことも知られていたが、誰に対しても地味な基礎鍛錬を勧めるばかりで逃げてしまうことが多い。

 好きにもなれなかった。

 表向きだけなら、教官の中では珍しいほど物静かで言葉づかいも上品だが、そっけない態度の裏には底知れない傲慢が潜んでそうに思える。


「あの猫目女、そんなにすげえ教官なんかよ? オレからはひょいひょい逃げやがってよ。あの野郎、本当はオレのこと虫ケラくらいに思っているかもしれねえ」


 ブムバが口をとがらせてふくれると、スールは笑顔のまま目つきだけ鋭くなる。


「技術の追求に熱心すぎる職人さんは、それと関係ないぜんぶがどうでもよくなるのかな? わたしの踊りの先生も、似たような怖さを隠していたけど……」


 それに続く『ああいう難しい人に見捨てられないうちは、稼ぎの守りようもありそう』という言葉は飲みこみ、余計な競争相手は増やさない。

 スールは教官アンレイがブムバをはじめとした剣闘士のほとんどをとっくに見限っている冷淡さを肌で感じていた。

 自身も鍛えてもらえる機会をいつまで保てるか、危うい気がしている。



 スールにとって剣闘の仕事は直接に相手の命を奪う点で異質だった。

 しかし芸妓も表裏に体を張って、実績を積極的に求め続けなければ生き残れない点では変わらない。

 大陸の故郷では国一番の踊り子をめざし、引き取られた大商人の屋敷でも頂点を維持し続けていた。

 その労苦に比べると、この島の闘技場では思ったよりも手早く、一人前として扱われるようになっていた。

 この島へ来る前に売り払われた先では、貴族の主人が女を刻みたがる異常者で、スールは主人のほかに使用人も何人か殺して逃げのびている。

 そんなひどい経験も、人体へ斬りつける気持ちの整理には役立った。


 教官アンレイはそんなスールの『武芸に使える素質』だけは即座に探り当て、執拗に底までまさぐっている。

 スールが得意なつもりだった足さばきや身のこなしの甘さを懇切丁寧に暴いて追いつめ、詰めこめる限りの技巧を見せつけて押しつけ、それを吸収できないうちは避けられない打突で急かし続け……スールは過酷な指導に少しばかりの不満を感じた瞬間、ひどい寒気に襲われた。

 病的に世話焼きな母か姉のようだった気配が一瞬に、ダニでも見下ろすような空虚をにおわせる。

 見限られる境界へ、踏み入りかけた感触だった。



 浴場にやせっぽちな少女が入って来る。


「アンナちゃんもわたしみたいにすばらしい成長をしてくれたらいいと思うけど、アンレイ先生にはその倍くらいわたしを育ててほしいの。いったいアンナちゃんのどこが……」


 ぼやいていたスールは少女の姿に気がつくなり、浴槽から飛び出して駆け出して飛びかかって抱きつく。


「なんですかい舞姫のあねさん!? そのぶりぶりした見てくれでからみつかれちゃ、このガキみてえにガリガリな貧相が余計に目立つんで、勘弁してくださいよ!? 衛兵さんにしょっぴかれますよ!?」


「これくらいならたぶんだいじょうぶ! だからアンレイ先生と仲良くなるコツを教えて!」


「そんなのわかりそうもありやせんし、知っていたって教えませんよ! あっしの数少ないとりえですし、ただでさえやっかいなスールの姐さんをさらに強くしたらメシの食い上げというか、そろそろ組まされそうな対戦相手とわかっていて押しかける厚かましさに手ばなしで言いなりなんてのもおもしろくありませんや!」


「そこをなんとか! ね!? 愛してる! あれ……ちょっと待って? これはわいせつなそれとかではなく……」


 スールは衛兵たちに両脇を捕らえられ、引きずられていった。


「アンナちゃん、もう装備は決めたの!? 戦術とか手ごろな弱点も教えてね!? 今度ふたりきりで!」


 連れ去られながら手の代わりに足先をふる全裸をブムバは呆れ顔で見送る。



「おめえはやっぱ、拳闘でいくんか?」


 ブムバはアンナの災難に同情して口をすべらせた。

 ルネンバはブムバ以外に対しては無口なことが多く、無言のままブムバの肩を抑えたが、遅かった。


「いえ探るまでもなく開催前には誰でも誰の装備も確認できる決まりになっているでしょうに、あっしの訓練を見て拳闘以外の戦いかたがありそうっていうなら教えてほしいくらいなもんでして、装備に少し加えた工夫といや紐みてえな防具と引き換えに腕力のなさを補えそうな刃は頼みましたけど、せっかく同業のよしみで教え合うならアンレイ先生が妙に気にかけていて妬けちまう有望選手の話題にしていただけると一番弟子を勝手に自称している身としちゃありがたいのですが、いやほら例の黒髪青目の美人さんのことなんですが、この前なんか……」


 しかし口実を与えるまでもなく、アンナはささいなきっかけで舌が止まらなくなる。

 ブムバは自分から話しかけておきながら、ほどなく話をさえぎって怒鳴りつけた。


「うるっせーな!? たまには死ぬまで黙ってろよ!?」


「いや姐さん、それだと二度としゃべれなくなっちまうんで、もう少しほどよくまけてくれなきゃ困りますし、人がいるのに話しかけないでいると自分が消えちまいそうな気がするガキのころからの不安とかも少しだけわかっていただけたらうれしいですけど、ヘルガさんはそのあたりが真逆で、やたらと無口なままずいぶん気ままでけっこうなもんですが、親の顔も知らねえ捨て子同士でちょいと気にかかるところもあるといえば……」


 青鬼ルネンバは慎重で臆病で、黒鬼ブムバの表裏も思慮もない言葉に安心する。

 舞姫スールのように人づき合いのうまそうな言葉は裏も多そうで警戒する。

 そしてアンナの病的に多すぎる言葉はどこか空虚で、酷薄なアンレイや獣じみたヘルガとも似かよった痛ましさを感じてしまう。




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