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第十話 邪神の慈悲 二 踏み外した善意


「新たに訓練教官として手を貸していただくヒュグテさんです」


 そう紹介するマリネラを指先だけで持ち上げそうな巨体。


「アタシより『はるかに』でかい女なんて、はじめて見る……というか、この島中の男でも、ここまでのデカブツは……」


 背だけなら『呪術師ホドゥカ』もヒルダなみに高かったが、腕の太さや胴の厚さでは劣っていた。

 しかしヒュグテは高いだけでなく、ヒルダよりも全体に太く厚い。

 それもぶよぶよと肥えているわけではなく、引き締まった筋が走っている。

 つらがまえすら厳然と戦士らしい彫りの深さで、眼の座りかたは武神じみていた。

 年寄りの男も伴っている。

 ヒュグテの隣にいたのでわかりにくいが、やせていてもヒルダと同じくらいに背が高い。


「ヒルダどの、試合は見た。あなたはよい戦士。よい女性。でも私の二十五人目の妻、もっと強い。もっと大きい」


 老人は得意げに笑い、ヒルダは当惑しつつも無言でうなずくしかない。



 マリネラは教官たちを連れてアンレイの元へ向かい、うめいて転がっていた角刈りの大男は衛兵たちに運び出させる。


「ヒュグテさんの部族では、体が大きく狩りが巧いほど、よい女性として歓迎されるそうです」


 マリネラはアンレイに角刈り男ともめた経緯すら聞かないで、ヒュグテを紹介した。


「アンレイどの、あなたの足はよい槍。でも私の二十五人目の妻、もっと腕が長い、太い」


 老人が自慢そうにまくしたて、アンレイはじっとヒュグテを見上げていたが、静かにうなずく。


「このかたは、私より強いかもしれません」


「そう! アンレイどのより……ん……?」


 ヒュグテが部族の言葉でぼそりとつぶやき、老人の笑顔が曇る。

 さらにぼそぼそと言葉を足されると、老人は嫌そうに小声でつぶやく。


「私の妻は、アンレイどのが私の妻より強いと言う……私の妻はたぶん、あわてている」


 ヒルダの目には、ヒュグテの重厚すぎる表情がわずかほどもゆらいだようには見えない。



 女巨人は落ちていた木剣をひろい、近くにいた男教官たちを指してボソボソと老人へつぶやく。


「私の妻は、訓練を与えたがっている」


 男たちはマリネラに頼まれ、仕方なく木剣を手に進み出る。

 ヒュグテは手招きするが、男たちは顔を見合わせた。


「私の妻は賢い。心配いらない。あなたたちは頭を割られない」


 男たちは声をひそめて話し合う。


「犬の飼い主が言う『うちのは咬まない』なんて、あてにならねえよな?」


「たいてい『自分はたまにしか咬まれない』とかで、何回も咬まれているのに勘定へ入れないものだ」


「自分以外へ吠えかかったことなど、さらに忘れやすいだろうな」


 などと嫌そうに押しつけあって一番手を決める。

 ひとりが木製の小剣をかまえて間合いをつめようとしたら、槍のような間合いで打ち倒された。


「心配いらない。息は止まってない」


 男たちは青ざめてヒソヒソと「息だけあればいいってものではない」などと老人へ悪態をついたが、一番手はかろうじて起き上がる。

 ヒュグテは手招きした。そしてまた、近づく前に腕ごと胴をなぎ倒した。



 見物していたヒルダは内心『あれのどこが訓練だ?』と苦笑していたが、一番手の男が間合いをつかんで姿勢も低くしはじめたあたりから、真顔になる。

 男の腕は決して悪くない。

 女剣闘士で言えば上位陣に入れそうな技量だったが、何度も一撃で倒されている。

 体格や腕力の差だけではできない芸当だった。

 アンレイはそっと、マリネラへつぶやく。


「大金を積んでも得がたい、もったいない指導です」


 一人目の男がへばり、二人目の男が出て、ヒルダにもはっきりとわかる。

 ヒュグテは防戦もうまい。

 小さな動きでさばき、ひと振りの反撃でたたき飛ばす。

 それを何度もくりかえす。

 相手はヒュグテの太刀筋をくりかえし見て、様々に工夫しているのに、たった一撃も防げない。

 弱点を見透かされ、的確に突かれていた。


 ヒルダも訓練相手がふたまわり格下で、しばらく打ち合った後ならできるかもしれない芸当だったが、ヒュグテは何倍も早く見抜いている。

 そして身のこなしに無駄がなく、判断も速くて正確なために、自然に当たったかのように見えてしまう。

 仮に体格差がなかったとしても、ヒルダには厳しい相手だった。

 それほどの技巧が、あれほどの体格で使いこなされている。



 男たちは一方的にたたかれ続けて全員が地面へ寝そべり、訓練場にいた多くの剣闘士たちもいつの間にか手を止め、青ざめて遠巻きに見ていた。


「心配いらない。私の妻も言っている。あなたたちはよい戦士。もっと強くなる。私の妻とひとりずつで戦ったこと、とても勇敢」


 老人は得意げにはしゃぎ、ヒルダは内心『まとめて相手をするつもりだったのかよ』と呆れる。

 そもそも倒された男たちは訓練をつける側の教官であって、これほど芸もなく打ちのめされた姿をさらしては、もう闘技場に居所はなさそうだった。


「私の妻は強い! 誰にでも勝つ! 誰も……」


 老人は興奮し、部族の言葉でなにかをわめきはじめるが、ヒュグテにボソリとなにかを言われ、すねたように顔をそむける。

 さらにボソボソと言葉を足され、しぶしぶと小声を出す。


「私の妻は、カバには勝てないと言う……でも私の妻は、槍だけで追い払った。負けていない」



 マリネラが老人を案内して立ち去り、ヒュグテだけが残ってしまい、ヒルダは扱いに困った。

 しかしアンレイが笑顔を向け、見物していた女剣闘士のひとりへ手招きする。


「ちょうどいい。ヒュグテさんに続きの教練をお願いしなさい。指導がうまいし、体格の大きな相手にも慣れたほうがいい」


 呼ばれた剣闘士はアンレイが男教官にからまれた時に指導していた少女で、露出しすぎた紐のような衣服を着ていたが、体はやせていて膨らみに乏しい。


「え。えええ? そりゃまあ、そちらさんと比べちゃヒルダの姐さんもかわいい娘さんでしょうが……やっぱゾウとクマのちがいだな。いえ、粋でいなせなクマってことなんで、殴らないでください姐さん。ではそちらのデカブツ先生、いっちょ相手を頼みます……ああ、問題ありませんや。いつもこのたわけた格好でチャンバラやりあっているんで、おかまいなく……」


「おい、ヒュグテの言葉がわかるのか?」


 ヒルダは思わず口をはさむが、アンレイはさっさと立ち去ってしまう。


「そんなわけないでしょうが。こちとら無学な捨て子で安酒場の客引きをやっていまして、そのころにいた大陸の港町もあちこちの国から客が来るもんだから、ハッタリとでまかせでどうにかあしらうくせがついているだけでして、アンナと呼ばれているんでよろしくお願いしますやヒュグテ先生。ア・ン・ナ。そうア・ン・ナ。師匠のアンレイ先生と名前がややこしいんで、まぜこぜにしないでくださいよ? あちらはアンレイさん、こちらはアンナさん。いや、そう、とりあえずおぼえるのはアンナだけにしておきましょうか。そうア・ン・ナ、で……」


 ヒルダもアンナのしゃべり癖を思い出し、アンレイの後を追った。


「アンレイ先生よう、いいもん見せてもらったよ……いや、うわっつらの礼儀作法なんかいらないって」


 アンレイは胸の前で拳を包むように示して先輩教官への礼を表し、ヒルダも冗談半分に異国の礼を真似て返す。


「アンタには一生かけても追いつけないことくらい、わかるつもりだ」


「そこまで感じとれる貴方なら、うまく追いつめればこの島の男剣闘士くらいは皆殺しにできる」


「いくらなんでもそこまでは……アンタはそんな先まで『見えちまう』のかい?」


 アンレイの笑ったような顔には冗談の気配がない。


「だけどそれでも、アンタやヒュグテには追いつけないんだろ? もっと見込みのあるやつはいないのか? アンタが鍛えれば、アンタたちにも勝てそうな……」


 アンレイの表情はわずかに動くが、無言だった。


「……ほら、中堅どころだった『舞姫まいひめスール』は、アンタが足さばきを教えただけでアタシに追いついちまった。まだまだ強くなるだろ?」


「彼女は目や動きの資質に優れている。しかし心の向きが武芸者としての伸びを鈍らせている」


「あれだけ図太くて明るいのに? じゃあ山賊あがりの『独眼鬼どくがんきディボナ』は?」


「剣闘士としてはより勝負強い。しかし彼女の先はさらに短い。別人になれるくらい大きな転機でもなければ……あいにく私は、人の道を案内する腕にかけては三流にも満たない」


 アンレイは表情を変えないで言い放ち、ヒルダは意外そうに困惑する。


「マリネラ様であれば、私を越えうるとも感じましたが……あとはアンナの素質を探っているところです」


「アンナが? そういえばアンタにしては、ほかの剣闘士よりも長く教えていたけど。あのおしゃべり娘につきまとわれていただけじゃなかったのか?」


「それもありますが、おぼえも悪くありません」


「それならアンナのことは、なるべくアンタへ任せるようにみんなにも伝えておくよ。領主様やマリネラ様も、たぶんそう望まれる」


「……貴方は訓練教官として、私より優れた面が多い。それだけに『剣闘士』とは異なる意識が強まっているかもしれない」


 ヒルダは言葉につまった。急所を突かれた痛みを感じる。


「言ってくれるね……まあたしかに『闘技場で死なないで済む』と思った時から、自分が少しずつ変わっている気はした。中途半端を続けていたら、ろくなことにならないだろうから、そろそろ潮時なんだろうけど」


 ここで激怒して、人生をかけてアンレイから技を盗もうとすれば、男性剣闘士の上位陣にも負けない技量が手に入るかもしれない。

 しかしもはや、そうできそうにない心の限界を突きつけられてしまった。

 親切だが、無慈悲に、剣闘士としての半生にとどめを刺された。



「それと、もうひとり……」


 アンレイがはじめて迷うように言いよどみ、ヒルダはそういう時に出される名前を思い出す。


「ヘルガのこと? ……黒髪青目のやつ」


「ええ……しかし彼女は誰よりも『剣闘士』から遠い」


 言葉と裏腹に、アンレイの表情は長く興味を示す。


「……『ヘルガ』という名前ですか」


 はるか遠い故郷を捨てて『地獄の島』へ渡って来たアンレイは、精密巧緻な武芸の宝庫だったが、どこか人の域を踏み外した孤独もまとっていた。




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