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第九話 手遅れの天才 二


 絶海の孤島へ到着したプラクシテラには、やたらと気のまわる待遇一式が待ち受けていた。

 マリネラの勧誘文句はほとんど聞き流していたが、やはりなにも聞く必要がなかった。

 そしてマリネラがここまでの無理をするしかないほど、この小さな島でも役立たずで不勉強で了見の狭い男医者どもがえらそうにのさばっていた。


 プラクシテラも性別だけで末席にされたが、約束どおりに研究や施術は自由だったので、文句はない。

 同僚は夫や息子たちとたいして変わらないボンクラであふれていたが、中には正面から議論をふっかけてきた度量のある中年ガキもいたし、真剣に技を盗む気のあるジジイもいて、マリネラ以外の弟子と比べれば、おおいにマシだと言わざるをえない。

 なにより、ふたたびマリネラをどやしつけながら、診察の意見まで交わせるようになった。

 しかも以前とちがって、自分が好きなように刻んでいい患者をネタにしながら。


 ……しかしマリネラが従者を引き連れる身分になってまで、骨やはらわたをほっくり返す作業場へわざわざ本人が通わねばならない状況は気になった。

 領主フラドルバの病状は悪化を遅らせることに成功していたが、マリネラの指示を守って看護していた正室の奥方が亡くなって以来、前よりも容態が悪くなり、マリネラも苦しい立場へ追いこまれている。


 それならそれで、マリネラにはもっとマシな処世術もありそうなものだったが、なまじ鋭いあまりに、山を登らないで穴をぶち通して進みそうな危うさもある。

 そもそもあのくたばりかけ領主は、マリネラのことを出来のいい医者くらいにしか思っていないふしまであるのに。

 いくらマリネラが生真面目でも、いざこざに巻きこまれて命をくれてやるほどの恩義はないように思える。

 プラクシテラは、いざとなれば自分がマリネラをさらって、大陸の片田舎へかくまうことも考えるようになっていた。



 そんなころに、マリネラから「どうか」と頼まれ、興味もなかった領主の子息ガキとやらに引き合わされる。


「この島は長らく疫病に悩まされてきた。何代も前から医師を集め続け、祖父フメラニウスの代では特に大々的に招聘しょうへいし、ようやく鎮圧できたと思ったところで……領主の一族に、この奇病が出はじめた」


 その子供は顔や体の半分が包帯に包まれていて、出会ったころのマリネラと同じように、年齢不相応に落ち着きすぎていた。


「治療方法は見つからず、どのように感染するかも絞れないままだが、マリネラが伝えてくれた対処によって悪化は遅くなり、新たな感染者は出なくなった。感謝している」


 静かな微笑が痛ましく、マリネラが本当はなんのために命がけで働いているのか、納得できた。

 それでもやはり、かたくなすぎる忠義に思える。

 それとプラクシテラは、マリネラが年齢不相応にババくさいところを気に入っていたが、どうもこの『包帯のぼっちゃん』の前でだけは、年齢なりの若い表情を見せる時も多いと気がつく。

 とはいえ長子フマイヤの実母メイセリアはすでに亡く、父は重篤。

 ふたりの異母弟には奇病もなく、そいつらをネタに親族は二分して派閥争いをはじめようとしている。

 フマイヤは奇病の悪化を待つまでもなく、マリネラよりも先の短そうな命だった。


 その後にふたりきりになったマリネラは、いつになく真剣にすがってきた。


「まだ詳しくは打ち明けられないのですが、近いうちに大きな面倒ごとをお願いすることになりそうなのです」


「ふん……老いぼれババアにさんざんありえないもてなしを続けてきたんだ。最期まで勝手にすればいいさ」


 かくまう荷物に包帯まみれのガキや、その護衛どもが増えたとしても、船倉に隠れて逃げる覚悟を決めるだけなら、たいして変わりはない。

 研究を少しまとめておいて、棚を少し整理して、動きやすいように待つのみ。

 ……そう思っていたのに、マリネラはフマイヤの異母弟たちとそのとりまきをごっそりとぶち殺し、領主フラドルバの首まで飛ばしてフマイヤを玉座へすえてしまった。



 プラクシテラは自分の誤解に気がつく。

 あの切れすぎる頭が、あれほどの野心を持っていたなら『大きな面倒ごと』とは……いまや領主も同然の後見人となったのに、かつて下働きとしてこき使われていたババアに近くをうろつかれては不都合も多かろう。

 よくて追放か、悪ければ……


「どうか医局を統括する主席医師となって、いっそうの御指導をお願いしたいのです。私もできる限りは直に御意見をうかがいたく思いますが、まだしばらくは外交をはじめとした急務が……」


 領主の代がわりを主導し、改革と粛清の辣腕らつわんで恐れられるようになったマリネラが、気のせいかアホに近づいて見えた。

 やたらと鋭く気がまわるのはたしかで、意志の強さも並大抵ではない。

 そうでなければ不可能な大仕事を短期間にやり遂げ、こなし続けてもいるが、身に余る無茶をしている自覚もあるらしい。

 それならなぜ、そこまでやる必要があった?

 暮らすに困らないだけの金品をかすめとり、包帯のぼうやをさらってずらかるだけでよかっただろうに……しかしそんなこともぜんぶ承知の上で、そうできないたぐいの難病らしい。


「なんでそんな『大きな面倒ごと』をアタシが……だいたい、女が上でまとまる連中かい?」


「そうおっしゃられるかと思いまして、事務や人事などの補佐役には副長も推薦させていただきますので、監督役だけでも、どうか」


 すでに呼ばれていたジジイと中年ガキは、同僚の中ではなにかとマシなほうで、ほかの男どもを抑えるくらいの気骨はありそうだった。

 しかもこの格づけの並びは、半分くらい新領主どのの提案らしい。

 いずれにせよマリネラはもう領主の側近になってしまい、以前のように同じ患者の傷をいじくりながら話し合える機会はなさそうだった。

 ……そう思っていたのに。



 実際に数年は、マリネラは医局や研究室へたまに顔を出すだけで、それも一服する程度であわただしく出て行く多忙が続いていたのに。


「今日からは私も医局の副長を兼任し、助手を勤めさせていただきます」


「縫合の研究を急ぐって? 戦争でもはじまるのかい?」


 領主フマイヤの奇病は数年で全身へ広がっていたが、執刀が必要な障害が出ているようには思えない。

 後宮にいる側室たちの体調にも大きな問題ごとはなく、おめでたもなく、妙な奴隷女へ興味を持ったなんて噂がある程度で……

 マリネラがはじめて、プラクシテラの問いに長く沈黙し、視線までそらし、ひどく青ざめている。

 とても嫌な予感がした。


「け……剣闘試合の興行を拡大することになりまして……」


 頭がよく、意志が強く、生真面目なマリネラがそう言うからには、なにか深い事情があるのかもしれない……プラクシテラも理屈だけでは、そう思う。そう思いたい。だが。


「殺し合わせるために治す医者がどこにいるかあああっ!?」


 大喝せずにはいられなかった。



「くりかえし斬らせるために縫わせる気か!? 苦痛を長引かせるために、治療へ心血を注げというのか!? 施術がどれだけ医者の心身をすり減らし……見世物の殺し合いが、医術の信義からどれほど遠いものか……わからないアンタじゃないだろうに……」


 情けなさのあまり、腰の曲がる年になってまで泣けてきた。

 領主の後見人となってまで、震えてひれ伏すバカ弟子を見下ろしているとなおさら。


「も、もうしわけございません! しかし娯楽や芸術には、心に作用して生きかたを整え、医術の根本に通じる面も……」


「屁理屈ぬかすな! 生きるためなら、もっと大事にすべきものがいくらでもあるだろうが! 仮にそんな治療を必要とするやまいがあるとして、命をもてあそんで長らえる命なぞ……」


 生かす価値もない。

 ……そう言いかけて、おおよその事情を察した。

 プラクシテラが感情のままにまくしたてた説教など、重々心得ているはずのマリネラをここまで愚かしくさせる原因など、ひとりしかいない。


「領主どのが剣闘の視察を妙に増やしていると……どこかで聞いたかもしれないね。あの奇病のためか、健康でいられることのありがたみや命の重みは深くわかっているように見えたが……しかしこれもまた奇病のためか、どこか極端な危うさもあった」


 どこでゆがみ、ねじれてしまったのか。

 子供でありながら父親と弟たちを含む親族を殺戮し、その後も対立派閥への粛清や陰謀劇を続けたせいか?

 内外政務の忙しさも重なって、心身に積もっている疲労はマリネラも案じていた。

 それらがいつ、とてつもない病巣に化けてしまったのか。

 まさか『地下牢の怪物を抱いて狂った』なんて妙な噂も、少しは本当だったのか?


 ともかくも、聡明気丈なマリネラにおびえて縮こまる姿を見せつけられてしまうと、あの領主にとって剣闘試合は必要不可欠な『治療』と思うしかなさそうだった。

 それ以上に、この『才能にあふれた愚か者』にとっては、あの領主の幸福がつくづく手放せない『特効薬』らしい。

 それは魂をむしばむ毒でもあり、酒や阿片あへんに溺れた生けるしかばねのように、手の施しようがない破滅へ向かっている。


「アンタの『めんどうな難病』は、いつから手遅れになっちまったのかね。それほどの才覚でも心酔できる主君を得ていながら、悪趣味な狂気の沙汰にまで盲従しちまうとは…………勝手にすればいいさ」


「プラクシテラ様……?」


 マリネラは出会った時からおそろしく老成していたが、その肉体と同様に、妙なところで幼子おさなごのようなもろさが置き去りに残っている。


「前にも言ったが、この老いぼれババアは、最期までアンタの好きに使われてやるさ……毛ほども納得できないがね」


 医局長の席を任された責任感などではない。

 唯一まともな弟子という以上に、はじめて対等に頭と腕を競える相手を得られて、いまさら手放した暮らしなど耐えられそうもなかった。

 いつからかプラクシテラの『めんどうな難病』も、すでに手遅れになっていた。



 狂気の沙汰へ巻きこまれてみると皮肉なことに、いい資料となる新鮮な腸や骨を飛び出させたバカタレどもがしょっちゅう飛びこんで来るようになり、ある方面での研究はやたらと進むようになった。

 剣闘士には元傭兵や暗殺者や強盗といった親不孝者のロクデナシがうじゃうじゃといて、そいつらが見聞きした話などから、ある方面での症例や治療例もやたらと詳しく多く集まるようになった。

 マリネラは一時期よりは医局へ立ち寄れる時間も増えたが、今度は闘技場の運営に関わる仕事をやたらと増やして自身を忙殺しはじめる。


「バカめが。アンタか領主どのか、どちらかがいつかは正気にもどって、闘技場なんざ埋めちまえばいいのに」


 マリネラは月に一度くらいは諸連絡なども兼ね、プラクシテラが言いたいかぎりの愚痴につきあうようになった。ほぼ丸一日かかる。

 そこへ運ばれてくる患者の傷が『工夫を凝らした新開発の武器』のせいともなれば、舌の毒はいっそう濃度を増し、マリネラの笑顔をこわばらせた。


「このバカめが! 野蛮人どもは勝手に殺し合って地獄へ堕ちりゃいいが、医術を心得ていながら、それをダシに人殺しの見世物を盛り上げるなぞ、地獄でも責めきれるか!」


「もうしわけございません」


「そんな見た目でも、もうずいぶんいい年だろうに。いつまで色ボケしたアホガキみたいに……アンタの正気はいつから手遅れなんだろうね?」


 そんな風に苦い言葉で刺しまくっているのに、うれしそうな照れ顔を返されてしまうと、いかに名医のプラクシテラでもさじを投げるしかない。






(『手遅れの天才』 おわり)






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