第九話 手遅れの天才 一
ささいな傷や病も死と密接だった時代。
まだ医術と祈祷の境界があいまいだったころは、それらを扱う医師は卑賤な職業として忌避される地域も多かった。
大陸の片田舎で小さな屋敷とはいえ、下働きの弟子を何人も雇えるなら、高名な名医とされる国もあった。
「危なくなったらすがりついてきやがるくせに、そうなる前に手間や金をかけて医者を頼らないからくたばるってことをいつまでも飲みこめないバカばっかりさ。熱さましや虫下しを使えるだけの薬草師をもてはやす蛮族のほうが、よほど道理をわかってやがる」
「南の大陸には医師を高貴な役人として厚遇する国もあると聞きました」
マリネラがまだ容姿に近い年齢だったころ、プラクシテラはすでに老婆だった。
それでもなお屋敷の母屋ではなく、薄暗い離れの小屋で薬草などの加工や調合ばかりしていた。
細かく仕分けられた薬品棚に囲まれ、天井の梁からはいくつもの布袋や干物が吊り下げられている。
「うちの亭主はそういった医者たちを『慎みがない』なんて妬みやがるくせに、そいつらの下手な猿まねでえらそうにしていやがる。術を盗むなら、なぜ調整や症例も頭にたたきこもうとしないんだか! 何度もしくじって恥をかいてやがるくせに、いつまでも片手落ちがわからない頭の出来こそ手遅れさ! ……そんなやつのところへ下働きに来て、なにか学べると期待しているアンタもマヌケなもんだ」
プラクシテラは干した種をすり鉢で擦り砕き、奥の土間では弟子の中年や青年たちがいくつもの鍋を火にかけ、やはり薬草となる葉や根などをさばいては放りこんでいた。
母屋は庭木でやや隠れた位置に見えていて、その入口には患者が何人か並んでいる。
そちらから小間使いの少年が離れの小屋まで駆けて来て、小声で報告するとプラクシテラは舌打ちする。
「そんなにでかく腫れていたら、切り取るのが先に決まっているだろう!? 薬の量だけ増やしたっておさまるどころか、腸までおかしくするだけだバカタレ!」
怒鳴られた少年が逃げるように駆けもどる。
「刃物もろくに使えない腰ぬけの怠け者が! ……アンタもなにをぼけっと見ているんだい!?」
マリネラは突き出された鉢を受け取り、作業を真似て砕く……しかし強く速く擦ると粉が多くなることに気がつき、渡された時に見えていたように、砂利ほどの粒で残るように加減する。
そのほうが手間で、量が少なくなると鉢の向きも小まめに変え続ける必要があった。
プラクシテラは返された鉢をのぞき、均質に砕かれたことをいちおうは確認するが、マリネラの目つきと手つき、砕く音の変化で察しはついていた。
さらに道具の手入れや清掃なども命じて、配慮と根気を細かく観察する。
珍しく、悪くない下女が手に入った気がした。
見た目は小さく幼いが、物腰は落ち着いており、最初の印象よりは聞いていた年齢に近く見えてきた。
「うちの亭主へずいぶんな金を積んで学びに来たんだろ? ここでそれなりの役に立ちゃ、医者のまねごとをできる程度の薬と技術は分けてから追い出してやる……その包みは?」
マリネラは持参していた風呂敷を開き、数段重ねの浅い箱を手渡す。
縦横に細かく区切られ、乾燥した葉や根、種などが少しずつ入っていた。
一部はまったく同じ品が量を変えて複数配置されていて、なにかの目印が記されている。
「ふん……体格のちがいで変える分量の目安かい? 症状別にも分けられて……どんなボンクラでもこれを見れば、それなりに薬草師のまねごとをできるわけか。悪くない工夫だ。どうせなら、これを作ったやつに弟子入りしてほしかったね」
「同じものを家にも置いてきたので、父に遠出を許されました」
「ん? これはアンタが作ったのかい……その年でもう、薬草師を継いでいたか。遠くの小さな島とは聞いていたが、なんて島だい?」
「特には名づけられていませんが、最も近い『地獄の島』では『毒虫の島』や『毒蛇の島』と呼ぶこともあるそうです」
さらに後、マリネラの名が広まってからは『悪魔の島』と呼ばれることも多くなった。
「噴煙と疫病の『地獄の島』……そんな海の果てかい!? ご苦労なこった……下剤と熱さまし、腫れどめ……このへんはありきたりだが、こいつは?」
「地元で採れる痛みどめの代用品ですが、吐き気や下痢がひどくなりやすいため、激痛で死にかねない時に限って使います」
マリネラは言葉に無駄がなく、説明をしながらも作業は途切れない。
「おもしろそうだね。どうしようもない切開や骨接ぎにでも試してみたいが……」
そんな風にプラクシテラが興味を示した品に限って、別の包みにそれなりの量が用意されていた。
「ふん……島の外の医者事情だけでなく、薬の取引事情も少しは耳に挟んできたってわけかい」
プラクシテラは今まで何十人という役立たずどもをマシに育てたり、たたき出したりしてきたが、はじめて見込みのある弟子が入った期待を感じる。
しかしやたらと気がまわるのに、子供同然の娘が船旅をして住みこみの弟子など、不釣り合いに突飛な無謀さも感じる。
そんなところも含めて、プラクシテラはどうにも、念入りにしごいてやりたくなった。
マリネラはプラクシテラから多くの仕事を押しつけられ、日に何度も叱られ続けた。
しかしその何倍も怒鳴られ続けるほかの弟子たちは驚き、おぼえの早すぎるマリネラを対等に扱うどころか、物の怪のごとく畏怖するようになった。
いっぽうでマリネラは、プラクシテラが診察や施術にも優れていながら、その腕をふるう機会はほとんど奪われている不遇に気がつく。
難しい患者の時だけは頼られるが、夫から技能の高さを妬まれ恐れられ、隠されていた。
「前の亭主はボンクラ貧乏なりにアタシをうまく使っていたが、今のは金まわりがマシなだけで、頭も度量もケチなペテン師さ。アタシはやつの看板へ寄ってくる連中の話を集めたくてここを借り、術を探り続けているが……マリネラ。アンタがその気なら約束どおりの三年で出て行くこたない。アタシがくたばるまでのもう十年か二十年、みっちり仕込めばアタシよりも……」
そんな話をマリネラが来てから一年後には切り出していた。
二年目にも同じように恐縮を返され、プラクシテラは歯噛みしてふてくされる。
「……そんなに大事な約束かい?」
「私の故郷は古くから『地獄の島』と密接な関係で、何代か前からは特に、交易の恩恵に預かることが多くなりました」
「族長の父親が『地獄の島』の領主と交わしちまった約束か……娘を見る目もないのかい……」
プラクシテラはつい、人様の親を罵ってしまった後で、黙りこくる。
娘の並はずれた素質を認めているからこそ、バカ高い旅費を払ってまで弟子入りに来させたことは、本当はとっくに気づいていた。
三年目。マリネラの見た目は変わらないまま、年齢だけは大人として扱われる国も多い程度になっていた。
「聞いた限りじゃ『地獄の島』の領主の奇病とやらも、そうそう治せるものではなさそうだし……アンタが治せない限りは結局、役立たずの男医者どもが威張り続けるだろうさ」
もう二度と会えないであろう見送りに立つプラクシテラは、なおさらくどい嫌味しか贈ってやれなかった。
「おひさしぶりですプラクシテラ様」
「まだ半年しか経っていないよ!? それになんだい、その……」
突然にもどってきたマリネラは、やはりほとんど育っていない背を上等な着飾りで包み、何人もの従者を連れ、贈答品を山と積み上げ、プラクシテラへ片膝をついた。
「どうか、お力ぞえをお願いしたく……『地獄の島』では何代も前から、各地から名医と評されるかたがたを招聘しているのですが……」
「ふん。修行を途中で投げ出した腕前じゃたたきのめされるだけで、助太刀を頼みにきたってわけかい」
マリネラは青ざめるが、返答はプラクシテラの予想とは異なっていた。
「……その私ごときほどにも、知識や技術がなかったのです。あの島の医師たちには……」
プラクシテラも大陸の片田舎に長らく留まり続け、自分の腕がどれほど広く通用するものかは確かめる機会も少なく、予想外だった。
「だからって、女のアタシが行ったところで思うようには……」
「少なくとも診察と施術、それに研究も自由にできるよう、この屋敷の倍以上の施設は用意いたしました。孤立した小さな島ではありますが、各地からの船が停泊し、薬剤の調達や話の収集は何倍もはかどります。この件はすでに領主フラドルバ様と正室のメイセリア様にも許可をいただいて……」
プラクシテラはマリネラが反論をはじめた時点から内容は聞き流し、短く一筆したためていた。
そして年長格の弟子を呼びつける。
「アタシの末の息子はボンクラの中では一番マシだから、こいつの手土産を届けて呼び出しな。アンタも助けてやれば、亭主がペテンを続けられる程度には支えになるだろうさ」
あとは身ひとつで、家族へのあいさつもなしに海の彼方へ旅立つ。
プラクシテラは弟子ほども冒険をしたことがなかった自身をひそかに嘲笑した。
しかしマリネラが従者を引き連れる身分になってまで彼方から航海してくるなど、頭がまわるようで向こう見ずな危うさは変わりなく、そんな様子になぜか安堵も感じてしまう。
そしてマリネラ自身が直接に頼みに来なければ、頑として断っていたであろう自身の性分には気がつかないふりをしておく。




