第八話 地獄の産声 十 鬼の一分
独房の床に耳をつけて横たわっていた『黒鬼ブムバ』は階下から聞こえた音の方向で、どの囚人が出されたかを知る。
「しかしまあ、ヘルガみてえにもともと頭のおかしいやつなら、なにをやらかそうとごまかしやすいだろ? なんかオレの試合相手、もっとめんどうなのがまわってきそうだ」
ブムバは看守に声をかけられ、舌打ちする。
「ブムバ、同情は命取りだよ。あのお嬢ちゃんはもう『呪術師』の悪霊にのっとられちまった。巻きこまれちゃいけないよ~う」
狭い地下通路に『青鬼ルネンバ』の細いしゃがれ声が響く。
『黒鬼ブムバ』は『可憐なるアメリ』と対照的に、外見も物腰も粗野だった。
試合場へ出れば声援もそれなりにかかる中堅の実力者だが、人気というほどではない。
女剣闘士としてはまあまあの背丈だが小太りで、腕、脚、首も太い。
黒人ではないが色黒で、短い黒髪は荒れがひどく、顔を含めた右半身に手の平ほどの黒痣がいくつも広がっている。
太りすぎた猫のような顔はいつでも不機嫌そうだったが、後から入場してきたアメリをにらんでいるわけではなく、挙動に呆れて当惑していた。
「殺し合いなどを見たがる人でなしが! こんな場所にいる者は、みんな人でなしだ! こんな見世物にされて殺し合う者たちも……みんな! みんな! 生きる価値のないバケモノだ! 生きている価値もないくせに! 人が殺される姿は見たがるバケモノだ! 人を殺してでも生きのびようとする……」
「いやおい、おめえだってそうしてきた剣闘士だろがよ」
ブムバが思わずつぶやくと、ひどい形相でにらまれた。
「誰がそうさせた!? 誰が!? 誰がこんなことを望んで、誰がやらせている!? こんな馬鹿げた見世物! 誰なら必要なんだ!?」
「まあ、ろくでもねえ連中だろがよ」
ブムバの誤解されやすい悪人顔が、殺し合いの場で露骨な同情を見せていた。
アメリが罪人となって剣闘士の牢獄へ収容された時、ブムバたちは声を競ってからかった。
『よう、お嬢ちゃん! 便所を探してこんな薄汚えところへ迷いこんじまったかあ!?』
『まがいものの忠義に迷った罰として、斬り合いに果てて道理を示しに参りました。アメリと申します。お見知りおきを』
肝のすわった声だった。
何十日と過酷な訓練をしのぎ、屈辱的な扱いにも耐え続けていた。
試合へ出されるようになっても気位を保ち、目ざましい成長まで見せると、一目置く者が増えた。
『よ。お嬢ちゃん、元気か?』
訓練場の出入りで目が合い、ブムバがなんとなく声をかけると、静かな会釈が返った。
『お気遣い、ありがとうございます』
ブムバの顔には目立つ痣もあるので、それまでからかってきたことを気づいていないとは思えなかった。
それからは、ブムバからぼやきを聞かせることも少しずつ増える。
『あいつら、無理をさせるほど強くなると思いこんでやがる馬鹿だ。無理をやらせ過ぎてつぶしたやつの多さを数えてねえ』
『私が意地を張って無理を続けたところで、試合でもない場で犬死にするだけのようですね……教えていただけて、助かりました。この強情で多くの失敗をしてきましたので』
アメリは礼儀正しさに皮肉を混ぜることがない。
そして相手がブムバのように野卑粗暴な者であろうと、侮蔑されない限りは剣闘職人の先達へ対する敬意を払った。
ブムバはアメリのことをなにも知らないでからかっていたことを気まずく感じて『おえらいさんの血筋』も馬鹿にできない気がしてきた。
そんなアメリが、壊された。
訓練教官ゴフガスの下卑た執念と、それに加担した『呪術師ホドゥカ』のねじくれた性分が、アメリの正気を侵食した。
殺し合いを強制される剣闘士は、世間的な礼儀や倫理を軽んじる者も多い。
そんなものにこだわって卑劣さや残忍さを捨ててしまえば、比喩ではない自殺行為にもなりかねない。
その代わりに独特の不文律もある。
『死体になったあとまで痛めつけなくていい』
戦争や刑罰であれば、死者の肉体までも苛む利点はいくつか考えられる。
しかし剣闘士の卑劣や残忍は、自分が生き残るための手段であり、その目的を断ち切られた相手には、同情しか残さなくていいと感じる者が多い。
どれだけ『呪術師ホドゥカ』が嫌われ憎まれていようと、その遺体を蹴りまわし、殴り続けた『可憐なるアメリ』の噂は剣闘士の間では観客よりも深刻に受けとめられていた。
しかもホドゥカを仕留めたのは『墓下のヘルガ』であって、アメリはその前にひどい倒されかたをしたとはいえ、子供じみて誇りに欠けたふるまいだった。
そして今、花形の美人剣闘士として宣伝されている身でありながら、剣闘興行とその観客への非難をわめき続け、試合がはじまる前から客席へしらけた空気をぶちまけている。
審判役には『灼熱のヒルダ』が立っていた。
威勢のいい大声は司会役にも向いていたが、ほとんどの選手より目立ってしまう体格は難点だった。
「別に言ってることはまちがっちゃいないけどさ。やる気はあんのかい? それとも……」
ヒルダからも気の毒そうに言われ、アメリはようやく対戦相手へ向き合ってかまえる。
しかし試合がはじまる前から、叫びすぎで息がきれていた。
ヒルダは笑顔をつくり、両腕を広げる。
「お客のみなさまがたよう! アタシはヒルダっていうんだ! 知っているやつも多いかい!? 昼前に会ったばかりだもんねえ!? またふたりがかりの相手をしようってわけじゃない! この試合で審判をやる予定だった野郎が、どこかへ首を置き忘れて探しに行ってやがるから、その代わりだ! こいつらふたりのことはもう紹介したけど、あらためてこの……」
「なぜ、さっさとはじめない!?」
アメリが唐突に、審判を威嚇する。刃まで向けて、ふってしまった。
ヒルダなら間合いを見切っているとはいえ、斬り返されても文句は言えない近さだった。
ブムバは驚き、ヒルダは冷静だったが、罰として殴れば客席がさらにしらけると思ってあせり、試合の開始を急ぐ。
「わかった、わかった……じゃあ」
そもそもヒルダはアメリの息を整えるために、不慣れでも紹介を引き延ばそうとしていただけに、失望が濃い。
試合が開始されて、ブムバはまた驚かされる。
アメリは自分とも互角に打ち合える強敵だったはずが、萎縮して受ける一方になっていた。
手ごたえがまるで、訓練場だけで威勢と器用さを見せるマヌケな有望新人なみだった。
何度か打ち合っている内に拳で殴りつけると、変な悲鳴をあげられる。
「ひ……い!? こ、殺される!?」
「そりゃ、オレたちゃ剣闘士だろがよ。まあ自慢じゃねえが、オレはまだ一度も殺されたことはねえが」
ブムバはまじめに言ったあとで、本当に自慢にはなっていない気もしてくる。
しかしアメリまで「なんで!? それならなんで!?」とわけのわからない言葉を返しながら不様に後退を続けたので、ブムバはだんだんといらついてくる。
「てめえ……ふざけんな!? なんのためにしごかれ続けたんだよ!? オレが勝ったら自慢できるようにやり合えよ!? オレは、おめえだったら……」
『海賊狩りのゼペルス』の美人な孫娘が、剣闘場の女帝へのしあがる踏み台として自分が斬られて埋められるなら、それなりに納得して死にやすいはずだった。
ブムバも鍛えこんで経験は積んでいたが、思慮の足りなさと短気はどうしてもなおせなくて、ヒルダやホドゥカくらいの強豪にはどうしても勝てない。
そんな才器の狭さだけは自覚している。
しかしアメリは飲みこみが早くて急な成長を続けていたし、試合でも手堅く粘れる勝負強さを持っていた。
それなのに今のアメリは、追撃してきたブムバへ無思慮に感情的に襲いかかり、雑な大振りを見せてしまう。
あとは剣をたたき落とされて一方的に殴られ、うずくまるだけだった。
小さくうめいて、泣き続けていた。
決着にも関わらず客席は重くよどみ、勝者であるブムバすら落ちこんでいた。
「ヒルダの姐さんには初の審判役だってのに、こんなしけた試合でわりいな。でもオレも、勝ってこんなに胸糞わりい試合なんて、はじめてだ」
ブムバも、アメリはもう斬り殺してやったほうがいいと感じる。
助からない相手が苦しんでいるなら、早く楽にしてやるほうが親切だった。
アメリの心はもう助かりそうにない。
しかしブムバは、とどめを刺す気力すらわきそうになかった。
自分が生き残るためではなく、頼まれたわけでもなく、憎くもない相手を殺すなど、どうにも気が重い。
審判のヒルダもそれを察して、ブムバへ退場をうながす。
「まあ……しかたねえさ。お疲れさん」
殺し合いだから。
ヒルダは試合でなにが起きても、見世物にならないほどしらけても、あの世行きだけは避けたい剣闘士を責められたって困ると思っていた。
そんな口出しをできるとしたら、賭け札を金銭ではなく命で払っている者だけではないのか。
しかしそれでも、殺し合いだからこそ。
戦う相手が少しでも納得しやすいように努めてやるのも『人殺し職人』が持っていい礼儀ではないのか。
ヒルダはそう考えてみるが、剣闘場を脱け出せる見込みがついた老いぼれのたわごとにも思えて、黙っておいた。
ただ、ヒルダ自身には成功をもたらした剣闘だが、やはり見世物の殺し合いなどは開催そのものをやめるほうが、まともな考えのようにも感じる。
次の試合はさらに胸が悪くなるはずだった。
「アメリ。今日に限っては、そのままそこで寝ていてもいいけどさ……まともに休んでおくことを勧めるよ」
ヒルダはつらそうに告げる。
「領主様はともかく、役人のやつらは今までと同じで、数字だけでものを言いやがる。剣闘の勝負なんて運も大きいのに、実力がどうでも、とにかく負けが多くなっただけで必要かどうかを疑いはじめる」
このころの格づけは訓練教官や担当役人の気分次第で、勝率の記録や試合内容の評価は大雑把だった。
「見た目がよくたって、愛嬌をふりまくどころか客どもを気まずくさせる『アンタら』は特にだ……次の試合は、負けをためている同士で組むことが決まっていたんだ」




