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第八話 地獄の産声 六 消せない傷


「うぎ……おのれ!? 天罰をくらうがよいわ!」


 ホドゥカは小剣で斬りかかりながら、左手に隠していた刃をかまえる。

 ヘルガは小剣を小剣で受けながら、ホドゥカの左手を左手で握る。

 ホドゥカが隠し持っていた刃は、自身の手を傷つけた。


「あういっ……!?」


 ひるんだ瞬間、腕に巻きつけていたボロきれをむしられ、その結び目に仕込んでいた砂がばらまかれる。

 ホドゥカは目を押さえて逃げまわり、観客はアメリとの試合で抱えていた不審があきらかにされ、堰をきった大歓声をあげた。

 フマイヤは『ヘルガ』がなぜ不正な仕込みに対応できたかはわからないが、目の前の番狂わせには感心する。

 マリネラは驚いていた。剣闘には興味などなかったはずのフマイヤが、わずかに笑顔を見せていた。



 ホドゥカは逃げながら、隠し武器がヘルガに知られていた理由を考える。


『ゼペルスかヒルダあたりが吹きこんだか? だが木串や刃なら隠し場所が同じだから見抜けるにしても、砂の仕込みは位置を変えておるのに、なぜ一回でつかめおった……本当にまぐれか?』


 答は出ないが、逃げて視界を回復させながら、自分の口内を刺激してつばを溜める。


『だがまだ、ヒルダをも制した奥の手がある』


 出場の直前に、香辛料を口に含んでいた。


「待つがいい! 今は運気が巡らぬゆえ、この勝負は譲ってやってもかまわん! 出直すとしよう!」


 ふり向いたホドゥカは小剣を握ったまま両腕を広げる。

 口内では目つぶしの唾を吹きつける準備をしていた。

 追っていたヘルガは歩調を抑える。


「そなたも万全ではない相手などを討ったところで、栄誉などは……おぐぁ!?」


 唐突に小剣がホドゥカの口へ投げこまれ、くちびると舌を裂く。

 驚いた隙に殴り倒され、手を踏みつけられて小剣を奪われ、顔面や腹を蹴られて転がり、腕や脚も踏みつけられた。

 観衆がヒルダ戦でも出さなかった大喝采をあげ、フマイヤは驚いて顔を上げ、客席を見渡す。


「あの者らを熱狂させているものはなんだ……?」


 競技の公正が回復したことか?

 しかし元から不公平な演出や裁定は多く、それでも不平は少なかった。

 強者がその実力を見せつけていることか?

 しかし本来の力量ならヘルガのほうが劣り、番狂わせの逆転が歓迎されている。

 それに職人芸術としての運動技巧をつきつめるなら、安全性を高めた拳闘などのほうが発展成熟するのでは?

 そもそも出場者そのものを損壊しやすく、偶然も影響しやすい『殺人術の競技』自体、技巧の表現には適さない。


『この熱狂が剣闘へ求めているものをつきつめると、正しさや強さへの感動とは異なるのか? ……いや、理屈のみで探りすぎて、見解が現実から離れてきたか?』


 もっと平たく考えれば、刺激の強い娯楽にすぎない。

 最も身近で衝撃的な『殺人』という行為を見世物にしただけ。

 公開処刑に格闘競技と演劇を混ぜただけの……

 フマイヤの考察が、突然に断絶する。


「わ、わかった! だいじょう……ぐぶう!?」


 馬乗りにされたホドゥカの口へ、砂が押しこまれていた。



 ヘルガはあたりの地面から、あるいはホドゥカ自身の吐き出した砂をかき集め、黙々と無表情に押しこみ続けた。


「んぐお……!? んぶっ……ぐ……んん~ぐ!?」


 観客は当初、尊大な『呪術師』がうろたえもがく不様に哄笑し、さらなる喝采を送っていた。

 しかし『墓下のヘルガ』が調理人のように静かに無表情に作業をくりかえし、ホドゥカが誇りを捨てきった哀願の泣き顔でうめき続けると、声援はえ、直視が避けられ、長すぎる断末魔の苦悶から耳を守るようにどよめき、惨劇へ非難の言葉を漏らしだす。

 ヘルガは黙々と砂を押しこみ続けた。

 ホドゥカはやがてきこんで吐きもがくこともできなくなり、白眼をむいて小刻みな痙攣けいれんをくりかえす。


 審判のゴフガスは、客席の異様な反応にあせっていた。

 元は剣闘士だったゴフガスにとって、剣闘試合を見に来る客など、どんな剣闘士よりも残忍で悪趣味な異常者たちだった。

 自分の命もかかっていないくせに人殺しを望み、腕や首を斬り飛ばせば大喜びする狂った連中……泣きわめいて命ごいする弱者を斬り刻む光景こそ、剣闘においては定番ありきたりにして必須となる主菜のはずだった。

 しかしなぜか、人の心を持たないバケモノ女の『お砂遊び』に限ってはお気に召さないらしい。

 ゴフガスはヘルガに対して陰気な罵声が大勢を占めていく様子を確認し、試合を止めに近づく。

 まだ利用したいホドゥカを助けられそうな口実もできた。


「おい! とっくに勝負はついているだろうが! もうそれくらいで……ん? ……んお!?」


 腹を刺されていた。

 元は歴戦の剣闘士で、多くの荒くれ者を調教してきたゴフガスが、皿を渡すように静かで無表情な一撃に不覚をとった。

 腹を押さえてうずくまる。


「なにしやが……る? なん……で……?」


 試合場へ衛兵たちが駆けこみはじめた。

 ヘルガはなおも砂をつめこみ、押しこみ続ける。

 ホドゥカはもう、見開いた目が虚ろになっていた。


 ゴフガスは焼かれるような腹の激痛に青ざめて脂汗を流しながら、長年のくせで客席の反応を気にする。

 残虐への賞賛が非難に変わったことなどはじめてだった。

 さらには審判まで刺しやがった怪物女に対して、観客は態度を迷っているのか妙に静かで、それがまた経験したことのない異様だった。

 競技の仕切りと盛り上げをがんばっていた自分に同情して、バケモノ女への罵声を強めて欲しい。

 あるいはイカサマの肩を持った自分を非難しているなら、せめて嘲笑と喝采が欲しかった。

 そのどちらも得られない試合場など、自分の人生のほとんどだった剣闘の世界がわからなくなりそうで不安だった。

 あのバケモノ女と、バケモノにふりまわされている観客どもが無性に、わけもわからず憎い。



 衛兵たちが一斉に槍の柄でヘルガを袋だたきにする。

 その光景でフマイヤは我に返った。

 しかし自分はなにを見せられていたのか、理解できないでいる。

 劇でも競技でもない。一方的な『惨殺』のはずだが、単なる公開処刑を超えて強烈に何事かを訴えてきた光景。


 しかし仮にフマイヤの今まで見た剣闘士たちが同じ行いをしていたなら、幼稚な野蛮として軽蔑しただけに思えた。

 あるいは初対面であの姿を目撃すれば、正気などわずかも残っていないと確信できたかもしれない。

 それなのに先ほどの『ヘルガ』には、なぜか一貫した意志を感じた。

 ごく自然で純粋ながら、広さと深さまでもが見えてしまいそうだった。


 たたきのめされたヘルガが引きずり去られる姿を見ても、フマイヤの脳裏には黙々と砂をつめこんでいた光景ばかりがこびりつく。

 ヘルガは両脇を抱えられながら、あざだらけの顔で呆けたように客席を見渡す。

 そしてぼんやりと笑顔を見せた。

 貴賓席の玉座にも青い瞳を向けると、いっそう無垢にほほえむ。

 フマイヤの胸をしめつけた感覚は不安や同情だけでなく、自覚のない畏敬と憧憬までもが染みついて、消せない傷を開かせた。




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