第八話 地獄の産声 三 悪魔の後宮
よく観察するほどに『墓下のヘルガ』の肉体や容貌は女性としてかなりの素材に思え、なぜわざわざ肌を塗り汚して怪物のように演出されているのか、フマイヤには不可解だった。
審判の中年男がヘルガを怒鳴りつけて急かし、試合を開始させると、余計に謎が深まる。
意外にもヘルガは強豪『灼熱のヒルダ』と打ち合える技量があり、体格のよさからも『可憐なるアメリ』より善戦していた。
老兵ゼペルスは複雑な表情でヘルガを見つめている。
「奇妙な太刀筋と足運びですな……人として育てられなかったせいか、言葉はわかっているようでも訓練はまともにつけられないそうですが……試合に出せば、見よう見まねであそこまでの芸当をこなせてしまう……ところが……」
試合は開始からずっと、ヒルダのほうが優勢だった。
それでもヘルガは持ちこたえ、しばらくは粘れそうに見えた。
ところが。
そのヘルガのほうが、打ち合う手をゆるめる。
多くの観客がそれに気がついて八百長を疑う前に、ヒルダは怒鳴り声で威嚇した。
「うっら~あ! 墓の下で生まれたくせに! 元いた場所へ帰るのが、そんなに怖いかい!?」
ヘルガが『おびえて萎縮した』ように見せかけて蹴り倒し、くりかえし踏みつけて決着させる。
ヘルガは蹴られた背や腹を抑えて泣きわめき、転がり這って逃げまわった。
「ああ……う……!」
観客は怪物女の不様を嘲笑し、あるいは気味悪がってどよめく。
しかし『手抜き』に気がついたフマイヤは、ヘルガの意図を読めなくて首をかしげた。
ゼペルスも細いため息をつく。
「不思議な娘ですな……あれほどあからさまに痛がるのに、試合はまったく嫌がらないそうです。娼婦としての仕事も嫌がることはなかったそうですが、なぜかいきなり客を殺したことがあり、あのような扮装で物好きの興味をそらしているとか。素顔は意外に悪くないそうで、地下牢の疫病をうつされる恐れがあるとはいえ、それなりに人気だったとか……」
ゼペルスはそこまで言って、ずっと無言だったマリネラの表情をそっとうかがう。
しかしこの当時すでに、その笑顔は仮面のように固まっていて、内心を探ることは難しい。
ゼペルスは遠慮がちに言葉をたぐる。
「その……もしやフマイヤ様は、あの『ヘルガ』を近くで御覧になりたいとお考えでしょうか? いえ、あくまで剣闘士として……」
領主へ若い女性を近づければ、寵愛する相手としての推薦にも思われかねない。
「そのようなつもりはない。後宮についてもまだ、考えねばならんことが多いしな」
フマイヤは病状や多忙を理由に、領主となっても縁談は避けていた。
しかし名声が高まるほど縁談は増え続けて対応が難しくなり『側室でもかまわないなら』という条件をつけたところ『正室の候補』と誤解され、四人の女性を次々と住まわせることになった。
「側室へ迎えたばかりのかたがいなくなり、どなたも多少なり動揺なされています。お声をかけて差し上げるのもよいことかと」
マリネラは仮面のような笑顔で静かに提案し、フマイヤが不意に漏らしたひとりごとは聞き逃さない。
「……なんのために試合場へ立っているのか? そのようなこと自体、考えているのか……?」
マリネラは『墓下のヘルガ』が入場した際、自身の庭のように平然と歩いていた姿を思い出す。
しかし手を抜いて負け、さらには幼子のように痛がって泣きわめいていた。
まともに育てられなかったせいで、ものごとをつなげて考えられないだけ……そう断じたいところだが、マリネラにも漠然としたひっかかりは残っている。
もし仮に一貫した意図があるなら、それこそ人間ばなれした精神になりそうだった。
しかしフマイヤが興味を持った以上、それはマリネラの気がかりにもなり、関連と影響の分析が開始されている。
フマイヤは試合後の儀礼を手短に切り上げ、領主の居館へ向かった。
その途中に『大劇場』を出たところで多くの衛兵を連れた長身の男が一礼し、副官に指示を言い含めてひとりで近づいて来た。
フマイヤは苦笑し、先んじてうなずく。
「ついて来てもかまわないが……アルピヌス、貴様に限っては出入りも自由と言ったはずだ」
フマイヤが親族を殺戮した際、ゼペルスと共に指揮を務めていた若い衛兵隊長アルピヌスは数年で貫禄が出ていた。
フマイヤとマリネラをのぞけば軍の最高責任者となり、多くの指揮を任されている。
どこか子供のような笑顔の明るさは変わらない。
「妹には会いたいのですが、誤解を招きたくありませんので」
領主の居館には、側室と侍女たちしか入れない。
男の衛兵たちはゼペルスと共に入口で待機し、アルピヌスだけがマリネラや侍女たちと共にフマイヤへの同伴を許された。
最初に向かったのは正室となる第一夫人が予定されている部屋で、かつては前領主フラドルバの正妻、フマイヤの母がいた部屋でもある。
フマイヤがまだ正妻を迎えていないこともあり、ほとんどは母の生前そのままに残されていた。
大陸の真似をした彫刻飾りの柱は一本だけ備えられ、絨毯や寝具などはすべて白に近い配色で、模様なども含めて汚れを見つけやすいように配慮されている。
質素ながらも品よくまとめられ、几帳面な清潔さが大事にされていた。
フマイヤは侍女もいない無人の部屋を見回し、わずかにアルピヌスの表情も盗み見る。
次に向かった第二夫人の部屋ではフマイヤより何歳か年上の長身女が出迎え、びくびくと怯えながら笑顔を取り繕うとしていた。
「いや、かまわないでいい。様子を見に来ただけだ。なにか困ったことがあれば言ってくれ」
フマイヤは見回す程度に部屋へ踏み入り、そのまますぐに立ち去る。
かつては前領主の第二夫人、フマイヤの『下の異母弟』ラポクスの母がいた部屋でもあった。
扉を閉めたあとで、フマイヤは小声で話す。
「マリネラ。脅しすぎたわけではないのだな?」
「ええ。フマイヤ様を暗殺する計画までは本当に知らなかった様子ですから。しかし私たちをあなどり、後ろめたい程度には動きを黙認していた反動のようです」
フマイヤが最初の側室として迎えた第二夫人は、フマイヤが領主を継承した後に力を増した貴族家系の娘だった。
まだ若すぎたフマイヤへ真っ先に縁談を持ちかけ、領主の居館へ住みついてからは正妻のようにふるまい、他の側室やマリネラを抑えようとする。
しかし領主暗殺計画がマリネラによってつぶされ、しかもはじめから対立派の残党をあぶりだすために誘発させていたことを知ると態度が一変した。
三番目の部屋では童顔の少女がパタパタと駆けてくる。
「フマイヤ様! ……お兄様まで!?」
明るい笑いかたはアルピヌスと似ていた。
「こらこら。もう領主様の第三夫人なのだから、もっとおしとやかでないと」
かつては前領主の第三夫人、フマイヤの『上の異母弟』ルオントスの母がいた部屋でもある。
上の弟も、その母も、槍で刺し殺したのはアルピヌスだった。
「オレも本当はここまで入ったらまずいのだが、もしもの時のため、間取りに慣れておく名目だ。長居はできないし、あまりはしゃがれても困る」
そう言いながらもアルピヌスは清楚で華麗な居室と妹の着飾り姿に目を細める。
アルピヌスは身分の高い家系ではないが重用されていた。
マリネラもアルピヌスが侍女に推薦した妹はすぐさまフマイヤへ紹介し、第二夫人を迎える際には同時に第三夫人として推薦している。
次の居室には侍女だけが取り次ぎに入り、フマイヤは部屋に入らないまま会釈だけ向けた。
「そのままでいい。またなにか足りなければ、遠慮なく言ってくれ」
中の娘は文筆具の木板を抱えてオドオドと手を揉み、緊張しきっていた。
「あり、ありがとうごいます。こんなに、なにもかも……ありがとうございます」
かつては前領主の第四夫人が居住していた部屋でもある。
前領主の第四夫人には子がなく、フマイヤが領主を継承する前の夜宴でも別室へ呼び出されて生かされていた。
しかし一族殺戮の惨事を知ると気を病み、フマイヤかマリネラの顔を見るなり悲鳴をあげて命ごいをするようになった。
やがて閉じこもりがちになり、体調を崩して亡くなっている。
「次の詩作も楽しみにしている」
フマイヤの第四夫人は小国の第三王女で、王はフマイヤに多額の借金をしていた。
フマイヤは返済をいくらでも待つ前提で縁談を断り続けていたが、無礼にもなりかねない段になって押し切られる。
しかしフマイヤはそれぞれの側室が望まない限りは接触を避け、疫病を恐れていた第四夫人の部屋には一歩たりとも踏み入らない。
扉を閉めたあとで、フマイヤは小声で話す。
「愛人も好きに探すように言っておいたが、いまだに同じ調子か?」
「それがどうやら、フマイヤ様への遠慮や恐れではなく、男性や人づきあいそのものが苦手なようでして」
マリネラも小声で答え、アルピヌスはふたりの会話が娘の嫁入りを心配する両親のように見えて眉をひそめる。
第五夫人の部屋は調度品がすべてそろっていながら、侍女もいない空室になっていた。
アルピヌスは妹の部屋でさえ入口で止まっていたが、この部屋にだけは踏み入る。
「すでに調べ終わっているのですよね?」
「うむ……しかし謀反人の持ち物とはいえ、処分となれば持ち主の意向も気になるものだな?」
フマイヤがつぶやくと、マリネラは卓の上を手で示す。
衣服や装飾品などが数点ほど置いてあった。
「そのようにおっしゃられるかと思いまして、未練のある品については聞き出しておきました」
「家に長く伝わる品のようだな。牢へ届けてやってくれ」
マリネラはうなずいて品物を侍女へ預け、アルピヌスはその荷物をくやしげに見つめる。
「アメリさんはこの部屋で侍女をしていたばかりに巻き込まれ、ゼペルス様まで心痛であのように……」
フマイヤはその横顔を見つめていた。
「アメリとは縁談も進んでいたのだろう?」
マリネラも剣闘士『可憐なるアメリ』をかつては侍女として歓迎していた。
アルピヌスの妹と同様に、望めばフマイヤの側室にもなれたが、フマイヤは本人の気持ちを探らせ、アルピヌスとの仲を後押しした。
アメリはそこまで厚遇されていながら、仕えていた第五夫人への義理立てから謀反へ加担してしまう。
暗殺の手引きとは知らなかったにせよ、その可能性も感じていながら協力を続けてしまった。
アメリはすべてを認め、自身の処断にはフマイヤが何年もかけて築いてきた公正な刑罰の徹底を望んだ。
祖父とよく似て、律儀で強情すぎた。
フマイヤの腹心ゼペルスもまったく同じことを望み、助命嘆願もしないことを早くから公言してしまった。
孫娘を救い出す手段を自ら閉ざしてしまった。
以来、ゼペルスは物忘れが急に増え、ついには『可憐なるアメリ』が孫娘であることも忘れ、剣闘試合の観戦にのめりこむ。
「私はフマイヤ様の兵を預かる身として、謀反の協力者とは縁をきらねば示しがつきません。それに……」
「またしばらくは、妻を迎えない言いわけをしやすくなったか?」
フマイヤがつぶやくと、アルピヌスは困ったように苦笑する。
「フマイヤ様には言われたくありません」
そう言いながらも、フマイヤが正室を迎えない『本当の理由』は聞かない。
ただそっと、マリネラの表情を盗み見る。
「フマイヤ様は、まだ正室にふさわしい女性が見当たらないようでしたら、見込みはともかくも、興味を持った女性にはより多くお会いしてみては?」
淡々と見解を述べる仮面のような笑顔からは、つきあいの長いアルピヌスでも本心をうかがうことは難しくなっている。
「……それが『墓下のヘルガ』さんだとしても……」
冗談かどうかもわかりにくい。
ただマリネラにしては珍しく余計な言葉が足されたように思えて、アルピヌスはそれさえも心の揺れだと思いたかった。




