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第五話 罪深き純真 二


「ヘスポアともうします。料理と裁縫は得意です。家畜と菜園の世話もしていました」


 少女の肌は労働で荒れていたが、表情は明るく、物腰は落ち着いていた。


「しかも品がよくて顔もまあまあじゃないの。侍女の募集は待てなかったの?」


 先導して歩く長身女は呆れ顔で、闘技場の玄関広間を案内する。

 ふたりの衣服は近海でも一般的な、一枚布を両肩で止めて腰を結わえたもの。

 ただし領主の侍女たちと同じように白く清潔な生地で、銀製の留め金は簡素ながらも優美なデザインだった。

 侍女と違う点としては、髪を白い頭巾で覆い、馬が彫られた銀の腕輪を身につけている。


「父が戦争で捕らわれ、身代金を急がねばなりませんでした。この島で医者見習いになれば、体を売らずともそれ以上の額を得られると聞きまして。相応の覚悟はしております」


「私は家事なんか下男下女に任せていたから、医者見習いを選ぶしかなかっただけなのよね」


 ふたりは衛兵に割符を確認させ、上層へ通じる長い階段への扉を開けてもらう。



「見習いでもかなりの給金が出るけど、仕事は猛獣使いのようなものよ? 剣闘士は人の言葉なんか通じない荒くれ者が多くて、いつ飛びかかってくるか……」


 背の高い医者見習いは階段を昇りきったところで足を止め、大げさに疲れたしぐさで壁に寄りかかる。


「『毒蛇』つきになれば休みも多いみたいだけど、あとあと噂がめんどうそうだし」


「あの……『毒蛇』とは?」


「いるでしょ? ひょろ長い包帯まみれの……あのヘンタイ男の悪趣味のせいで、この島の奴隷ときたら……」


「案内は終わりましたか?」


 突然に背後から声をかけられ、背の高い医者見習いは肩をすくめてふり向く。


「は、はい! 今のは、その……」


 子供のような背の女が、仮面のような笑顔で立っていた。


「ごくろうさまです」


 黒髪はかっちりとそろい、細いつり目の顔はきっちりと整い、肌は陶器のよう白い。

 細く均整のとれた容姿とあいまって、やたらと人形じみて見えた。


「はじめてのかたは、この島での奴隷のあつかいにとまどうかもしれませんが、領主フマイヤ様の『持ち物』として、丁重なあつかいに努めてください」


 小さな女の右腕から、キリキリと奇妙な音がした。

 肩近くまで覆う金色の小手が、金属のかみ合うような音を内側から発している。


「そしてもちろん、領主フマイヤ様への敬意はお忘れなきよう」


「は、はい。マリネラ様、あの……」


 カキュッ、という小さな金属音と同時に、小手が一閃していた。


「二度は言いません。わかりましたね?」


 背の高い医者見習いの後ろ髪が一房、切り離されていた。

 金色の小手は手の甲が腕につくまで曲がり、内部の空洞から小剣の刃がとび出ていた。

 髪より少し遅れて、首から大量の鮮血も床へまき散らされる。


「ひゅ……ごぶっ……!?」


 首を押さえてのたうつ女をマリネラは冷たく見下ろす。


「あなたにはすでに言いました」


 そう言い捨てた時だけ、口元から笑みが消えていた。



 もがいていた腕が、ゆっくりと動きを止める。

 ヘスポアは壁に背を押しつけて震えていたが、口は両手で強く抑え、悲鳴だけはもらさなかった。


「入ったばかりのかたに、怖い思いをさせてしまいましたね?」


 もうしわけなさそうに会釈されても、ヘスポアは冷汗ばかり噴き出す。

 足元には血の池が少しずつ広がっていた。


「さっそくでもうしわけありませんが、床の清掃をお願いできますか?」


 日常家事のごとくおだやかに頼まれ、ヘスポアは震えたままうなずく。


「手伝いの衛兵も呼びますので『力仕事』などはそちらへ」



 巨大闘技場の内部は様々な施設を兼ねていた。

 地上階と最上階を中心に、兵舎などの軍事施設がある。

 地上の正門側には賭け札の販売所をはじめ、観客相手の施設が多い。

 中層の多くはかつて貴族や賓客の休憩所だったが、そのほとんどは外部に隣接した宮殿へ移され、剣闘士の宿舎牢に改装されていた。

 牢と言っても共有のきらびやかな食堂広間や浴場はそのまま残され、剣闘奴隷は宿舎牢の区画内であれば好き勝手に行き来し、談笑し、中には昼日中から酒盛りで騒ぐ者までいた。

 下位選手の多くは毎日のように訓練場へ出ているが、ケガ人や一部の怠惰な選手は延々と広間でたむろする者も多い。


「まるで……」


 ヘスポアのつぶやきに、案内を代わった中年女が苦笑する。


「まるで、ではなく『貴族様』かしら? 月に一度の競技祭を除いては、そういうあつかいね」


 浴場に隣接した広間は立ち番の衛兵も女性で、包帯の交換など、簡単な看護も行われていた。

 ヘスポアは看護道具の詰まったかごを抱えたまま、はじめて見る女剣闘士という生き物の群れに呆然とする。

 多くは男のように大きく筋肉質で、殺伐とした傷だらけの風貌。

 中年女の医者見習いはヘスポアに女剣闘士のひとりを指す。


「え……? あの、看護の手順は?」


「本人に聞いて。あなたには楽な人からあてるよう、マリネラ様から指示をいただいていますから」


 ヘスポアが最初についた女は、剣闘士にしては自分と同じくらいの平均的な背で、やせていた。

 しかし体は筋肉しかなく、髪はバサバサで短く、化粧もしてない鋭い顔つきは追いはぎ男のように見えた。

 ヘスポアは『領主様の大事な持ち物』『貴族様』と念じ、なんとか会釈を作る。


「はじめまして。ヘスポアともうします。看護の手順を教えていただけますか?」


「え? ……ああ、かまわねえよ。自分でやるから」


 女はそう言ってかごの中を勝手にあさり、手慣れた様子で包帯の長さをはかって切り取る。


「いえ、それでは私が仕事をおぼえられませんので……」


「じゃあここ、押さえていてくれ」


 無愛想で言葉づかいも乱暴だが、広間にちらほら見える人間かどうかもわからない奇怪な女たちよりはマシな気もした。

 しかし自分にこの女剣闘士を任せた中年女は、気弱そうな美女を看ている。


「もういいって……ああ、アレはああ見えて、剣闘士じゃない人間も何人か殺している」


 小柄な剣闘士はそれだけ言うと立ち去ってしまう。

 見た目ほど凶悪ではない気もしてきたが、持っている小手からは大きな鎌の刃が出ていた。



 ヘスポアは中年女に手ぶりで次々と指示され、何人か終わるとようやく一息つける。


「どう? あなたが会ったのは、家畜より言葉の通じる人たちでしょ?」


「それより下のかたもいるのですか?」


 ヘスポアは強がって冗談を返したつもりだったが、中年女は心配そうにうなずく。


「言葉をぜんぶねじ曲げて逆恨みする人とか、じゃれているつもりで骨を砕く人とか……美人にも気をつけなさいね? 特にあの、黒髪青目のかたから逃げるためなら、たいていのことは許していただけるから」


 広間の片隅に、裸同然の褐色美女がぼんやり座っていることはずっと気になっていた。

 同じ姿勢と視線でだらしなく座ったまま、時おりほほえみを浮かべている。

 女剣闘士の中には意外な美人も混じっていたが、中でもきわだつ美貌だった。

 しかし誰も近づこうとしない。それどころか意識して顔をそらしている。


「そんなに凶暴な大罪人なのですか?」


「それより悪いあつかいかしら? でも領主様には最愛の女性なの」


 ヘスポアは目をしばたたかせ、どう質問を返していいかも思いつかない。



「ヘルガ。新しいやつが手に入った」


 かごを手に、全身に包帯を巻いた長身男が広間へ入ってきた。

 たった数人の衛兵と侍女を連れ、金刺繍のローブ姿で剣闘奴隷の群れの中へ入ってくる。

 この島の領民と周辺諸侯から絶大な信頼を集める名君『悪魔公フマイヤ』だった。

 ヘスポアは驚き、小声でささやく。


「なぜあのように無用心な……それに剣闘士とはいえ、多くの女性が肌をさらして治療を受けている場へ、いきなり入ってくるなんて?」


「あら。みんな試合場と同じ格好か、少し着重ねているくらいだけど? それに看護は個室でも受けられるけど、浴場に近いここで済ませたがる人も多いの。たまに男性も巡回で通るけど、気にする人は少ないわねえ?」


 新たに女剣闘士が入ってきて、ヘスポアが向かうように指示を受ける。

 今度はとびぬけて古傷が多い体で、腕や脚も男の衛兵より太い。

 そして新しい傷も多すぎ、どこから手をつけていいのか、判断がつかない。

 いっぽう領主はいそいそと膝をつき、黒髪青目の剣闘奴隷へかごの中を見せていた。


「いっしょに見るか? 酒の用意もしてある」


 褐色肌の美女はぼんやりした顔でかごへ手をつっこむ。

 ゆっくり持ち上げた指には珍しい形のトカゲが食いついていた。

 ヘスポアはうっかり領主と怪女の奇妙なやりとりに気をとられる。

 あわててふり返ると、患者の女剣闘士も同じ方向をじっと見ていた。

 小さな三白眼、いかつく傷まみれの顔。


「あ、あの、どこで手当てをしましょうか?」

 

「え? ……ああ、脱ぐなら通路から離れたほうがいいか?」


 その剣闘士は暗い表情でボソボソつぶやきながら、革の胴防具をずり下げきった。下にはなにも着ていない。

 全身が太くて筋肉質だが、胸の脂肪も大きい。

 女性的なふくらみにも多くの、そして形の様々な傷がついていた。


「おいボリス、変なもん見せびらかすなよ」


「あ、わり……メシがまずくなっちまうか?」


 通りかかった巡回の衛兵男が笑い、女剣闘士も苦笑いして、奥の壁に彫られた長椅子へ向かう。

 巡回衛兵は広間の片隅に数人の護衛と侍女、そして領主までいることに気がつくと、急に体をこわばらせて早足に立ち去る。


「ここなら巡回には見えにくい……医者の嬢ちゃん? ここならいいだろ?」


 ヘスポアはどこから自分の疑問を聞いていいかもわからない。

 その間にもボリスという女剣闘士は革帯をゆるめ、腰部分を隠していた下着のような革防具まで降ろしてしまう。


「ほらここ。刺し傷だからふさがりにくくて……ばあさん先生は、臓物をそれただけ運がいいとか言ってたけど」


 ヘスポアは足のつけ根あたりに空いた大穴を見て、とりあえず治療以外の疑問は別に置くことにした。


「とどめの体当たりにここまでやり返すとか、狐の最後っもバカにできねえや」


 ヘスポアは傷を酒で洗いながら、この患者はこの傷でも平然と歩いていたこと、傷の多くが包帯もなしに放置されていたこと、ついさっきまで訓練をしていたらしい両拳のすりむけなど、新たな疑問に悩まされる。



「すまん、いいか?」


 治療で忙しい中、背後からかかった男の声は領主によく似ていた。


「またか? かまわねえけどよ……」


 全裸のボリスはちらっと見るだけでうなずく。

 ヘスポアがふり返ると、包帯だらけのやせた長身が見下ろしていた。


「今日はそいつもか?」


 ボリスの気がかりは同伴していた褐色肌の美女へ向いていた。

 ヘスポアは駆け逃げたい気持ちを抑え、心の支えに両親の顔を思い出す。


「おそれいりますが、今は治療のために服をお召しになっておりませんので、のちほどのほうが……」


「傷を見たいんだってよ。オレのなんか上位陣のやつらに比べりゃ、みっともない傷ばかりなのに、なにがいいんだか」


 ボリスは口をとがらせて顔をそむけ、手では治療をせかす。

 ヘスポアは『領主様の大事な持ち物』と自分にくり返し言い聞かせ、これまでの数人でおぼえた傷の洗浄、止血、閉鎖をこなす。

 これだけひどい傷でも痛がるそぶりを見せず、怖がらないで任せてもらえることはありがたい。

 しかしなぜか、すねている、というか……照れているような表情にも感じられたが、それにしては堂々と体を開きすぎていた。


「背に並んでいるのは焼きごてによる尋問……いや、見せしめの拷問だな?」


 領主フマイヤは淡々とつぶやき、ボリスもそっけなくうなずく。


「味方殺しの時のやつだな。先に雇い主さんの従兄弟が裏切ったんだ。だけど傭兵部隊で生き残ったのはオレだけだったから、雇い主は吹きこまれた嘘を信じて……結局は従兄弟に殺されたのに、なぜかオレの悪名だけは残った」


「ふむ。右肩の裂けかたはなにかを押しつけられたようだが、まるで想像がつかん」


「それも言うのかあ? 死んだふりだよ。やたらと馬に踏まれたから、上にかぶってたやつの鎧飾りがくいこんで……落城のドサクサでなんとか逃げのびた」


「ほう。がんじょうさを活かした工夫だな」


 なぜ領主はそんなに傷に詳しいのか。興味を持つのか。

 なぜ剣闘奴隷に乱暴で気安い言葉を許しているのか。

 ヘスポアには疑問だらけだったが、この場にいる者はみな、そうでもないらしい。

 領主といっしょにほほえんでいる黒髪青目の美女は特に。


「なあ、普通は背中の傷なんて恥の跡で、自慢できるもんじゃねえだろ? たいていは逃げたり負けたりでつくもんだ」


「ならばなおのこと、逆境を生きのびたあかしに誇らんでどうする。私の奴隷に対する考えかたと同じだ。大陸とは大きく違うあつかいをしているが、なにか疑問でもあるか?」


「はた目に変だろ?」


 近くにいた侍女たちが青ざめただけでなく、背を向けていた護衛、さらにその向うで知らん顔をしていた剣闘士たちまで、一斉に息を飲んだ。


「でもまあ、この島にも長くいるせいか、大陸とは別のやりかたで筋を通している気もしてきた」


 ボリスは苦笑して見せ、フマイヤはおもむろにうなずく。


「そのようなものだ」


「あんたやっぱ、変わっているよな」


 ヘスポアはふたりの非常識なやりとりには置きざりにされていたが、話の内容ではなく、患者の表情や手指のしぐさを見て気がついたことがある。

 話がはずむほどに、安心と緊張が複雑に交錯していた。

 物騒な話題で安心を見せる顔というのも物騒だが、領主に全裸をさらして乱暴な言葉を使う奴隷に、なんの緊張があるのか?


「やっぱ、今日はもうかんべんしてもらえるか? そいつにまで見られているのは、どうも落ち着かねえ」


 わずかに沈んで冷めた声。

 領主は黒髪青目の美女を連れて立ち去る。

 その背が消えてからも、小さな三白眼は通用口を見つめ続けた。



 いつの間にか、広間にはほかの剣闘士たちの姿も見えなくなっていた。

 災難を避けただけかもしれないが、日暮れ前は夕食の時間でもある。

 ヘスポアは気が散りがちだったが、ボリスの食事時間を削らないよう、最後に残った背の傷の治療を急ぐ。


「なんであんな……」


 ボソボソと話し続けるくせのある患者だったが、さらに低い声でつぶやく。


「ガサツで品のない女にいれあげてんだか。あの包帯野郎」


 ヘスポアはふと寒気をおぼえ、そっと視線を上げる。

 わずかに残っている衛兵が、青ざめた顔で自分の背後を見ていることに気がついた。


「あ、あの……」


「なんだよ?」


「……いえ、お体をお大事に……」


 背後をふり返る勇気はなかった。しかし誰かが立っている気はする。


「ずいぶんバカ丁寧にやってくれたんだな? ありがとな。嬢ちゃん先生」


 この女剣闘士の暴言は、いつから聞かれていたのか?


「でも本当に、なんで……同じ美人ならマリネラさんのほうが品もいいし、気もきくじゃねえか」


 ボリスが名前を出してしまい、ヘスポアは覚悟を決め、そっとふり返る。

 子供のような背の女が、仮面のような笑顔を見せながら、やや困った様子で首をかしげていた。


「剣闘士のかたの境遇を考慮しても、許されない失言はあります」


「あれ? いたのか。わりい。マリネラ『様』って呼ばねえと、示しがつかねえかな?」


 ヘスポアはボリスの口へ包帯を巻いてあげたい衝動にかられる。

 マリネラはさらに首をかしげて眉間にしわを寄せ、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「ボリスさんの場合、言葉づかいはともかく、悪意はないものと思われますが……フマイヤ様に対しても……」


「ああ、アイツのほうか。そうだよな。妙に話しやすいから慣れちまっていたけど、あんなでもいちおうは領主なんだよな……」


 治療は終わったが、背後からキリキリと小さな金属音が聞こえはじめ、ヘスポアはしゃがんだまま体を動かせなくなる。

 傷だらけの顔は落ちこんだようにうつむき、長く黙っていた。

 背後の金属音も止まる。

 ボリスは不意に、生傷だらけの頭を乱暴にかきむしる。


「なんなんだよアイツ……オレなんかの裸をギョロギョロ見やがって……クソヘンタイのくせに……」


 カキュッ、と金属音が鳴り、シャッとなにかがすべり出る音もした。


「ちくしょう……包帯野郎!」


 鋲つきの拳がたたきつけられ、石彫りの長椅子にヒビが入る。

 全身深手でも平然と歩いていた女剣闘士が、涙を浮かべていた。


「少しくらい、さわってくれてもいいだろ……」


 ヘスポアが静かすぎる背後へふり返ると、マリネラは小手から刃を出したまま、頭を抱えていた。

 困りきっている様子だった。




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