第四話 咲き競い 十 成熟未成熟
「手足が萎えるの怖くて練習しちゃったから、治りが遅れて間に合わないみたい」
ベフィの腕は包帯が薄くなっていた。
「無理に出て大ケガするよりいいって、コルノさんも言ってたよ」
新人用の狭く暗い個室牢で、ルチカは包帯の交換を手伝う。
「ルチカ、だいじょうぶ? ……けっこう仲良さそうだったから」
「ベフィにもそう見えたんだ? あいつとは口ゲンカばかりだったのに」
「ドルジェはいつでも暗く笑っていたけど、ルチカと話す時だけはなんとなく……乾いた冷たさがなかったよ」
「……もうこれで、わたしたちのほかはシアンとリュノとリーシーンだけか。なんだかさびしくなっちゃったね」
「ルチカはアイシャさんたちとうまくやってるでしょ? ルドンたちなんか、わたしが大ケガをしたら、もうまるで興味がないみたい」
「同期が減るさびしさは、またちょっと別だよ……おっと、でも今日はまだシアンとリーシーンが決まってない。どっちかと当たれないかな?」
「やっぱりベテランよりは勝ちやすそう?」
「うん。それに二連敗のわたしが三連勝のシアンに勝てば、一気に見返してやれる。リーシーンなら、降参したって斬りつけてやる!」
「だめだよ!」
「ベフィと同じことをされるのは当然でしょ?」
「必要のない追いうちをしたら、ルチカまでほかの人たちに警戒されちゃう。それにリーシーンとは、少し話したんだ。やり過ぎたことでみんなに目をつけられていないか、気にしていた」
「そんな勝手な……気にするくらいなら、やらなきゃいいのに」
「あと、生まれたばかりの娘を家に残してきたって……」
「そんなこと、殺し合いの前に聞かせないでよ」
「殻竿使い『水牛リーシーン』対、小剣使い『子猫のルチカ』!」
ルチカはすさんだ顔で試合場へ入る。
「負かした相手に同情を求めるなんて、馬鹿にするにもほどがある」
ドルジェやフロッタが人の姿をしたバケモノの『血祭り』に遭った現場を踏みしめる。
コーナもベレンガリアもコムリバも、この砂地へ血だまりを広げて息をしなくなった。
向かいに立つリーシーンは頭ひとつ高い上から見下ろし、胴体の厚みはルチカの倍もある。
初戦では息切れして『銀胡蝶シアン』に負けたが、そのあとはしつこく走りこんでいた。
武器に頼らない、体格を活かした格闘も練習していた。
新人とはいえ、中堅以上と組むよりはマシというだけの相手。
リーシーンは家族ぐるみでケンカ屋をしていたという。
生まれ故郷は集落が細かく分立し、いさかいの絶えない地域で、リーシーンは男に混じって同じ額の報酬で雇われていた。
しかし大国によって地域は強引にまとめられ、侵略に協力したいくつかの集落を除いては困窮に陥る。
以上はアイシャがどこからか仕入れてきた情報だった。
『で、この先の助言は有料だ。おまえが十戦をこなせたら酒をおごれ』
開始の鐘が響く。
リーシーンのほうが腕も武器も長い。
合わせて小剣一本ほども有利な間合いを保って鎖を振り回し、近寄らせない。
ルチカは小刻みに前後しながら様子を見て、刃を大きく横から振りつつ飛びこむ。
『武器を狙うクセがありますよね?』
『んだよ気がついていたか。ケンカ屋のクセだ。アザができたり歯が飛んだりは気にしないが、勝ちを決められる状況でも刃物は先に始末したがる。ケンカ屋は致命傷さえ避ければ、負けても殺されることは少ないからな』
狙われることを予測していた右腕をすぐにひっこめると、鎖は空を切る。
すかさず殻竿を握る手へ斬りつけた。
ガギリと小手に当たった感触、そしてコッと骨に当たった感触も続く。
斬りつけた親指のつけ根が血をしたたらせ、殻竿が地面に落ちた。
『戦争屋は逆だ。小さなケガでも嫌がる。行軍が「死ぬほど」きつくなりやすいし、戦場じゃそのまま命取りだ。だが手柄首をとれる時には、手足の一本くらいは覚悟する……おまえは戦争屋のふりをしろ』
『危険でも大胆に攻めれば、ケンカ屋は命を惜しんで守りがちになってくれる……?』
ルチカはさらに踏みこみ、続けざまに斬りつける。
『たぶんな。だが教官やそいつ自身も、その辺は気がつくかもしれねえから、あてにしすぎんな』
リーシーンは両腕の小手を守りにかまえて身をちぢめたが、さがらないで突進してきた。
ルチカは自分が攻めまくる姿勢は『ふり』だけで、慎重でなければまずいことを思い出すのが遅れて倒される。
リーシーンがのしかかり、ルチカの振り上げた小剣を押さえつける。
もう片方の腕を首へ押しつけ、絞め落とそうとしてきた。
ルチカは笑いをこらえる。
刃物さえ押さえれば、小柄なわたしがどうあがこうと、たいした危険はない……そう思ったんだろデカブツ。
わざと剣を振り上げて、気を引いたんだ。
自分の武器の落とし場所くらいおぼえておけ。
殻竿の鎖がリーシーンの後頭部を打った。ひるんだ側頭部にもう一撃。
リーシーンがたまらず殻竿も押さえようとした瞬間、顔面へ頭突きをたたきこむ。
ルチカはさらに側頭部へ鎖を打ちつけ、利き腕を捕まれたまま体を逃す。
さらにもう一撃。
「こ、降参!」
「ふざけるな!」
ルチカの腕がまだ捕まれていた。
決着の成立前なら、降参を宣言した者が反撃しても規則違反ではない。
両手を上げるか、せめて腕くらいは放して宣言するべきだった。
体格や腕力の差を考えればなおさら、ルチカは攻撃の手を休めるわけにはいかない。
リーシーンが頭を防ぐようにかざした腕を砕くつもりで、鎖を振り下ろす。
その腕が不意に下がり、鎖は頭に直撃した。
「お願い……命だけは……」
ルチカはさらに振り上げながらおびえる。
なぜ頭を守らなかった?
なぜまだ右腕をつかんでいる?
「手を放せよ!?」
肩へ振り下ろすと、また無防備に打たれた。
リーシーンはうつむいたままで、鎖を見ていなかった。
「動かない……許して……」
「自分でつかんでいるくせに、なにを……?」
「その腕は折ってもいいから」
リーシーンは片手を地面につけ、足も崩して自分から不利な姿勢になろうとした。
ルチカは背に嫌な汗を感じ、耳鳴りが聞こえはじめる。
「認める……降参を……」
小さくつぶやく。
「降参成立だ。ふたりともそのまま動くな」
いつの間にか、審判の中年女が数歩の距離まで近づいていた。
普段と違い、観客席には聞こえにくいであろう抑えた声。
「ルチカ、おまえの勝ちだ。オレを攻撃するなよ」
審判女はひょいと体を割りこませてくる。
「これでもう安全だから、その殻竿はこっちによこせ」
ルチカは武器を差し出すが、指が固まったように動かなかった。
「え……なにこれ……え?」
「同じ症状か。新入りではよくある。頭や体をまともに操れなくなり、相手が動かなくなるまで打つとか、勝った実感がわくまで刻むとか」
ルチカは一本ずつ指をこじ開けられながら、ようやく観客の声が聞こえてくる。
勝者への賞賛はまばらで、罵声や嘲笑も多い。
審判女は殻竿も小剣も取り上げてから、いつもの大声で宣言する。
「『水牛リーシーン』の降参により、『子猫のルチカ』の捕獲勝利!」
続く観客の声は盛り上がりに欠けた。
剣闘士席ではプレタが両手を抑えるように動かして『落ち着け』の合図を送っている。
ルチカはいつの間にか衛兵にとり囲まれていた。
「ケガはないか?」
「え? ……いえ、わたしはだいじょうぶ……です」
医者の老婆まで来ていて、リーシーンが傷の手当てを受けていた。
「歩けるよ……ここだと邪魔だろ」
リーシーンは頭の血を布で止められると、衛兵の肩を借りるだけで立ち上がった。
ルチカはとまどい、声をかける。
「ベフィが降参してからも打ったのは、あなたも体がいうことをきかなかったから?」
リーシーンは血まみれの顔でふり返ったが、しばらくは黙っていた。
「勝ったやつは堂々としてりゃいいんだ。負けたやつはつぶされて当たり前」
いつもの横柄そうな表情が、かすかに笑っていた。
リーシーンがよろよろと立ち去る後ろ姿を見送ると、衛兵はルチカに退場をせっつく。
「客にあいさつくらいはしておけよ」
「あ、あの、ありますよね?」
ルチカの言葉に、衛兵たちは首をひねる。
「賞金なら『捕獲』あつかいになったぞ? 人気がでる試合内容かは怪しいが」
「いえ、続けて戦うアレ……」
「追加試合の申請か? やめとけって。ケガはなくても相当に疲れている」
「でも」
勝利と呼ぶにはみじめすぎた。
「それに言っちゃなんだが、客がそんなに……」
「やらせてください!」
一部の客が状況を察し、新たな嘲笑や罵声を飛ばす。
「さっさとひっこめ四流シロウト!」
「追加試合なら『酔っぱらい』と寝床でやってろ!」
審判女が寄ってくる。
「申請だけなら誰でもできる。認められるかどうかは別だが……もう一度『まわり』を見てから考えたらどうだ?」
観客席のプレタは首を大きく横にふり、両腕で大きなバツを見せていた。
「追加試合を、お願いします!」
ルチカは審判ではなく、貴賓席の玉座へ直接に叫ぶ。
全身包帯の男はわずかに首をかしげ、側近の小柄な女と二言三言かわし、足元の褐色美女をなでて顔をのぞきこみ、なにかをつぶやく。
側近の女が手をふり、審判女がうなずいた。
「退場しろ。後がつかえている」
ルチカがとぼとぼ控え室へ帰ると、息を切らせたプレタが入ってきた。
「無茶すんな! 追加試合なんて、なんの得もないって!」
「でも、あんな勝ちかたじゃ……」
「どんなだろうが、のどから手が出るほど欲しかった初勝利だろ? とにかく、よくやった」
ルチカは急に全身の力が抜け、へなへなと長椅子に腰かける。
「追加申請も流れたんだろ? よかったな。『ヘルガ』と組まされるんじゃないかとあせったよ」
「三戦一勝のわたしでも上位陣と組んでもらえるんですか?」
ルチカは褐色美女『愛しのヘルガ』の試合もすでに見ていたが、力量差のある下位選手がすぐに降参してしまい、アイシャが警戒するような危険はまだ実感できない。
ドルジェがあと少しで倒せなかった上位陣……処刑場を巣穴に君臨するバケモノたち。
「だからアレだけはやめとけって。あの包帯……さんがいじくりながら話していたから、本当にギリギリだったかもしれないんだぞ? まだしもテルミンとかラカテラのほうが……」
「ルチカさんにお話があります。通していただけますか?」
プレタが飛びのいてふり向く。
狭い通路に、ルチカより小さな女が仮面のような笑顔で立っていた。
「追加試合が認められました。日時は二日目。明日の夜明けになります」




