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この人レベル1じゃないじゃないですかー! やだー!


 彼女。


 元の世界で僕が愛したはずの、彼女。


 いつも一緒に居たはずの、彼女。


 ずっと愛している、幸せにするって約束したはずの、彼女。


 何一つ約束を守れず、失望させ、僕が死なせてしまった彼女。



 …確かに憶えていたはずなのに、彼女と同じ世界に行くことを望んで、そして今度こそ幸せにすると、約束を果たすためにここに来たはずなのに。

 彼女がどういう存在だったのか、顔も声も何も思い出せない。

 ただ彼女が居たという事と、この世界に生きている彼女を探し出さなきゃならない事だけは憶えている。


「あー……これは世界間のシフトの弊害で、前世の記憶が欠落しちゃってるパターンだと思います。

 たまに居るんですよ、上位世界から下位世界へのシフトを行うと、下位世界での器となる体に対して情報量が収まりきらなくて、圧縮パッケージングされた結果一部の記憶が引き出せなくなる人。

 普通は私たちと同じかそれに近い階層の上位世界から、相当に低い階層の世界にシフトする場合に起こるんですけどね。

 私もこのPDAにインストールされてる形じゃなく、肉体を持って下位世界に物理顕現したら多分似たような事になると思います。

 最悪、与えられた任務忘れちゃったりしますから。

 だからハイペリオン(かみさま)の方々は下位世界にシフトして直接干渉するようなことは避けて、観察だけに留めるんですが……」


 ナビ子がそう解説するが、何の慰めにもならない。

 彼女に関しての事をいっさい思い出せず、ただこの世界で彼女を探して、見つけなければならないという考えだけが僕の頭にある。

 でも、顔も声も、なんて名前で呼んでいたのか、僕とどういう関わりだったのかもはっきりとは思い出せない。

 これじゃ、彼女が本当に実在したのか、そもそも僕の記憶自身がどこまで正しいのか、いや、この世界に来ることになった経緯や動機すら本当の事だったのかさえ、確証が付かなく……。

 急に井戸の底にまっさかさまに落ちていくような感覚と、恐ろしい考えになりはじめたところで、ナビ子から声がかかった。


「……はいストップ。 ゆっくり深呼吸してください。

 彼女さん以外のことで、他に憶えてることあります? 一つずつでいいし、順番や時系列考えなくていいですから、言葉に出しながら思い出して言ってください。

 前世の自分の名前とか、住所とか、そういうのでいいですから」


 自分の名前……僕は、名前は和臣。 松元和臣。 生まれは日本。 ○県の出身。

 19××年生まれ。 血液型は0。 誕生日は……。


「落ち着いてきましたか? 以前の自分の世界の事や、人生を全部忘れてしまっているわけではないですね?

 つまり思い出せないのは彼女さんの事だけのようですか。

 一般常識とか、武器の作り方とか、自転車の乗り方とかそういう知識まで無くなるという例は元々少ないもので、何かの特定の物事とそれに関連付けられた記憶だけが引き出せなくなる現象ですからね、一般的に言う記憶喪失って。

 まあこれは記憶喪失とは厳密には違うものですけど」


 元号は明治、大正、昭和、平成、令和……こういうのじゃなく、重要な記憶が思い出せない。

 他の家族の事は思い出せるのに、彼女だけが思い出せないんじゃ、どうやって彼女の手がかりを見つけろと言うんだ?

 頭を抱えるしかない。


「そうでしょうか? そこまで大した問題じゃないと思いますよ?

 まず貴方……和臣さんにしたって、この世界に生成(スポーン)された時点で、前の世界の貴方と別の人間になってますし、彼女さんが見ても貴方だとすぐに判るとは思えません。

 彼女さんだって、この世界では和臣さんの知ってる姿とは別の存在として生まれてきて居ますから、多分彼女さんを見ても最初は同一人物と思わないじゃないですか?

 つまり、前の世界での彼女さんの記憶って、あってもそこまで重要なものじゃないんですよ。

 それに、既に文明が滅んだ世界と言っても、まだまだ全世界には1億人くらいは人間が残存していますし、世界の広さも和臣さんが居た前の世界と同じようなものですから……お互い生まれ変わってからも出会える確率なんて元々かなり低いと優秀で天才的な私は判断しますよ。

 ま、まあバスティータ様がその当り配慮してくれていれば、案外今の彼女さんが居る付近に和臣さんを生成(スポーン)させていて、出会う確率を上げて居てくれてるかもしれませんし、出会った瞬間にお互い記憶が解凍されて認識し合うこともあるかもしれません。

 まずは気楽に……じゃない、割と真剣かつ本格的にこの世界で生きる方法を確立しましょう。

 ほら、まだチュートリアル的なことは終わってないですし」


 おまえ、少し黙ってろ。 

 さっき作ったばかりの即席の槍の柄を握りしめて、ガッと床を叩き、イライラする気分をナビ子にぶつけると彼女はピロロリッという電子音を残して画面から消えた。

 そのまま、PDAを床に放り投げる。

 ……八つ当たりなのは判ってるし、彼女のせいじゃないのも判ってる。

 でも、自分の中から一番大事な宝物が奪われたような喪失感と焦燥感、そして怒りのような感情は、誰かに当り散らしたくなる衝動を抑え切れそうになかった。

 こっちの事を気遣ってくれているつもりなのは判るし、言ってる事に理があるのも判るんだけど、今の自分はあまりに心の動揺が大きくてそういうのを受け入れられる心理じゃない。

 椅子に腰掛けたまま、深く、ため息をつく。

 

 何分かすると少しは冷静になり、ナビ子の言葉が反芻されてちょっとずつ受け入れられるようには、なってきた。

 考えてみれば、一度死んで、それからこの世界に来た彼女や僕はいわばリセットされたようなもので、いわゆる「前世」を憶えていることの方がイレギュラーだろう。

 実際あの猫の神様(バスティータ)も、そういう事に関して保障して居てくれたわけじゃない。

 彼女と同じ世界に行かせてくれるってなってからあまりに話がスムーズに、というより割と軽いノリで進んだのを、少しは疑うべきだったんだ。

 むしろ今僕が自分自身のことと、「彼女を探す」という目的だけは憶えていることは偶然が生み出した幸運だと思ったほうがいい。

 でも、果たしてそれも本当に幸運なのか。

 彼女はきっと僕の事を覚えていないし、たとえ記憶を持ってたとしても、僕を見て気付いでくれる可能性は薄い。

 僕も彼女の事を見分ける術がないし、前世でのことを語ったとして、信じてくれるかは怪しいものだ。

 ……それらの問題をクリアしたとしても、世界中じゃなく1国に絞ったとしてもなお平均して数千万から1億以上の中から彼女を見つけ出さなきゃならない。

 なんだ、元から砂漠でコインを探すようなもんだったんじゃないか。

 その砂漠が地球全部の大きさになってるだけだ。 考えようによっては別に何も全然変わってない。

 

 ここでうだうだしてたって何も進まない。

 目的ははっきりしてるんだ、じゃあ他に何がある。

 そう思って椅子から立ち上がったとき、部屋の外から何かの物音と、そして生き物の鳴き声のようなものが聞えた。

 ……ネズミか? でも、天井裏とかじゃないし、足音が軽くない。

 明らかに犬かなにかのような足音が……そう思って蝶番の壊れて外れかかったドアの方をみると、ドアと壁の間からその「妙に大きな」生き物が顔を出した。

 ネズミだった。 だが、ゆっくりと慎重に部屋の中の様子を窺いながら入室してくるそれは、体の大きさが中型犬くらいになっている。

 背筋が凍りついた。 地球でも猫より大きくなるネズミが居ることは知っているし、写真や動画で見たことはある。

 だが、そんなレベルの大きさじゃない。 しかも、体のところどころに火ぶくれのような膨らみがあり、体毛を押し退けて歪なシルエットを作り出している。

 唐突に、猫の神様が言っていた言葉を思い出す。


『今流行ってるゲームみたいな世界だよ!』


 わかってたけど、本当にゲームのやつ(F○ll○ut)じゃないか! ていうか放射性のヤバげなやつでこんなのになってる生き物が居る系か!

 これで人型のやつとかまで出てきたらMi○cre○tedやH1○1や、Inf○station: ○ewZ……ゾンビアポカリプス系のジャンルで確定だぞ!?

 そう思いながら巨大変異ネズミの動向を見守っていると、あらたにもう一匹が部屋の中に入ってきた。

 無意識に槍を握り締め、ゆっくり構えようとすると、床からピロロリッとあの電子音が鳴った。


「和臣さん! だからチュートリアルまだ終わってないって言ったじゃないですかー!

 それ、『汚染』で凶悪化してる変異ネズミで、シーカーって呼ばれてます! 

 歯がメッチャ鋭いし感染症を持ってるんで噛まれたら怪我じゃ済みませんから、絶対噛まれないで!」


 結構役に立つアドバイスと、化物ネズミの注意をこっちに引いてくれるナイスな援護射撃どうもありがとう!

 ていうか、まさかとは思うけどこんなのが居るのにお前さっき先端尖らせた木の棒程度のもの作らせて、戦わせようとしてたのかお前?

 そもそもこいつら、何処から入ってきた。 さっき家捜しした時には確実に姿どころか形跡すら無かったぞ。

 まだ探してない方の建物の中に居て、こっちに移動してきたってことか?

 こうまでデカいと天敵がいくつか減って、イチイチ物陰に隠れたりせず堂々と外を歩けるようになってるだろうな。

 ギギギギッて威嚇してくる声がもうネズミのそれじゃない。

 ああもう、出口はあいつらが入ってきた方だし逃げ場は無いしやるしか無いのか。

 それに、何よりもだ。


「ギィィィーーーーッ!!」


 こんなお化けじみた危険な生き物が居る世界の何処かに、彼女がいる。

 彼女はこんな荒廃した世界で、こんな生き物達が居る酷い場所で、今も暮らしている。

 だったらなおさら、一刻も早く探し出して、守ってあげないとならない。

 僕は彼女を今度こそ幸せにすると自分に誓ったんだから。

 槍の穂先を、襲い掛かってきた変異ネズミの背中に突き刺し、僕は叫んでいた。


 この野郎。


 ――に手を出してたらお前ら一匹残らず根絶やしにしてやるぞ!!


 槍を引き抜き、また刺す。 思い切り力を込めて刺す。

 刺して捻って抉ってまた刺して刺す。

 気味の悪い悲鳴を上げて変異ネズミは動かなくなった。


「和臣さん! もう一匹!」


 PDAからの声に反応して、さらに襲い掛かってきてこちらの脚に齧りつこうとしていた変異ネズミの片割れを、咄嗟に蹴り飛ばす。

 ギッ!と鳴いて怯んだそいつも槍で攻撃しようとしたが、一匹目の体に深く刺さってしまっていて、引き抜けない。

 何か代わりの武器は無いか、と目を泳がせると、さっきまで自分が座っていた椅子と、槍を作る時に使ったナイフと斧が床に放りっ放しなのをそれぞれ見つけた。

 椅子の背もたれに手を伸ばし、掴み、再びこっちへの攻撃を試みる変異ネズミに投げつける。

 上手く変異ネズミの頭に当って、それが効いたのかそいつは尻尾を巻いて入ってきたドアの方に一目散に逃げ出した。

 待てこの野郎! ぶっ殺してやる!

 床から斧を拾いあげ、外れかかったドアを蹴り飛ばして部屋の外に、そして家屋の外に出るが、変異ネズミはどこへ入ったのかもう影も形も見えなくなっていた。

 またその辺の廃墟のどこかに潜んでいるのかもしれない。

 一軒一軒虱潰しに探す事も考えたが、そこで急に冷静さが戻ってきた僕は、2、3回大きく息を吸って、吐いてを繰り返し、まだバクバク言っている心臓が落ち着きを取り戻すのを待ってから、家の中に引き返す。

 薄暗くなってきていた家の中で、画面の光で足元をわずかに照らすPDAを拾いあげると、ナビ子が硬直した面持ちでこっちを見つめてきた。

 ……ネズミは逃げたよ。 あとさっきはありが……と言い掛けたその時。


「な……何なんですかさっきのは!? 何で最初ネズミ見たときビビッてたのに、いきなりブチギレ全開モードで戦えるんですか貴方!

 しかも割と圧倒しちゃうし、あそこはネズミに一回二回くらい噛まれて苦戦しながらなんとか倒して、それで怪我の手当ての仕方とか私が解説するって流れじゃないですか!?

 ていうか現代文明人って生き物殺す経験あんまないから、人間同士だけじゃなく動物だって殺すのに抵抗感あるのが普通ですよ!?

 それなのになんで躊躇なく槍グサグサできる上にぶっ殺すとか追いかけていけるんですか! おかしいでしょ!!」


 ……何を言ってるんだ、というか何か今聞き捨てならないことを聞いたような気がするんだが。

 お前は僕が怪我するのを予想したりその予定で居たって受け取れると思うのだが。

 あとお前のその謎の現代人認識は何だ。 全員が全員生き物殺したこと無いとか決め付けられても。

 そりゃあペット用のハムスターとか殺したり虐待したりするのは可哀想だし頭おかしいって思うけどさ。

 さっきの……あそこで死体になって転がってるのは野生のネズミだろ? ネズミにしては異常な大きさだったけどさ。

 あんなので無くても元々農家からすれば害獣としか認識しないし、死ねとしか思わんよ。 死んで良いわ。

 あと猿とか。 猪とか鹿とかはまだお肉に還元できる分まだ許せなくもないけどさ。

 ついでに言うなら、あれ明らかにこっち襲ってこようとしてたじゃないか。 だったらこっちも反撃するし正当防衛だよ。

 こっちを殺して食べるつもりだったら、逆に殺されても文句言えないだろ、自然の掟で考えても……。


「それはわかるけど、殺す覚悟キマってる人の想定なんかこっちはしてませんよ! ラノベじゃないんですから!

 世界間シフト初心者で、割と平和な日本生まれの人で、ナビゲート役が居ないと下位世界で生きていくの大変だろうからってバスティータ様が言うから超優秀で天才的な私が付いてくることになったのに……。

 和臣さん割と結構私の解説や案内なしでやって行けるタイプの主人公じゃないですか!?

 全然話と違います! この人レベル1じゃないし、これじゃ私活躍できないじゃないですかー! やだー!!」


 ……。

 相手にするのも面倒くさすぎるので、PDAは再び床に放り投げ、荷物を纏めることにした。

 あと変異ネズミの死体に突き刺さった槍は引き抜くのにえらい苦労した。


 そして、ネズミを足で踏みつけながら槍の柄を引っ張っている最中、僕は気が付いた。

 僕はさっき、確かに「彼女」の名前を呼んでいたと。

 冷静さを失っていた時だったから何という名前だったのか、全く覚えていないけれど、それは彼女の名前だったんだ。




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