313『ジャクリーヌ・テラシォン』
ジャクリーヌにとってその朝もいつもと同じ朝になるはずだった。
乳母に起こされ洗顔をする。
就寝中に汗をかいたため全身を、湯に浸した手巾で拭い、新しい寝間着に着替え、髪を梳く。
そして暖かな紅茶と薄切りにしたパン、皮をむいたりんごが朝食として運ばれてきた。
その頃には、もう朝とは言いにくい時間になっていたが。
「ジャクリーヌ様、公爵様がお見えです」
朝食を摂るだけで疲れてしまったジャクリーヌが、背中にたくさんのクッションを挟んで半ば横たわっていたところに、侍女から先触れを受けた。
途端に、ジャクリーヌの瞳に力が戻り、自分で身を起こそうとした。
この頃はもう上体を起こして座るのも辛くなっていた。
ほんの数ヶ月前ならば、気分の良い時はソファーに座り、刺繍なども刺せたのだがここ数日は身を起こす気力もおきないほど弱っていたのだ。
「お爺様!」
「おお、昨夜遅くに戻ったぞ。
息災であったか?」
その顔色を見ればそうでないことは見て取れる。しかし老公爵はことさら上機嫌で部屋に入ってきた。
「はい、今回の視察は長うございましたね。ジャクリーヌは寂しゅうございました」
そんな会話をしている間にも、どんどんとジャクリーヌの顔色は悪くなっていく。そしてその唇が紫色に変わり始めた時、後ろにいたアンナリーナが老公爵の腕に触れ、かぶりを振った。
「公爵様、もうこれ以上お話は……」
アンナリーナの方を振り返った老公爵は、今しがたジャクリーヌに向けた表情とはまったく正反対の表情……今にも泣きそうな状態を、唇を噛み締めて耐えている。
「公爵様……」
アンナリーナに促され、老公爵はぐう、と呻くとその顔に笑みを浮かべて振り返った。
「ジャクリーヌ、今日はお客をお連れした。
こちらはバルトニェク大陸で高名な薬師でいらっしゃるリーナ殿だ。
これからおまえの容態を診て下さる」
「初めまして、リーナです」
ジャクリーヌは目をパチクリと瞬いた。
大柄な祖父の身体の影から現れたのは、自分とそう年の変わらないように見える少女だ。
だが、本を読んで得た知識ではヒトとは違う種族には成人している年齢でも子供にしか見えないものがいるそうだ。
きっと彼女もそうなのだろうと思い直し、かすかに口角を上げた。
「初めまして、リーナ様。
わざわざ遠いところまでありがとうございます」
このテラシォン公爵領は大陸の北の端、辺境だ。
おそらく祖父は視察だと言っていたが、彼女を探して連れてくるため出かけていたのだろう。
ジャクリーヌがもの思いに没頭している間に、アンナリーナは音もなく近づいて、気づくとすぐそばにいた。
「ジャクリーヌ様、お手を拝借しても?」
頷いて差し出された手を、その手首に触れて脈を見る。
そして【解析】をかけた。




