309『天幕』
本来ならばこの高級宿の土地を借りて野営できれば良かったのだが、何しろ明日から祭りが始まるこの町には収容可能人数いっぱいの観光客や商人が詰めかけていた。
「申し訳ございません。
何しろ馬車の数が多いて、当宿の敷地内はいっぱいなのです」
申し訳なさそうに言う支配人に罪はない。
アンナリーナは老公爵一行を連れて、一度町から出た。
「セト、どこか良い場所は見つかった?」
「この先、少し行ったところに中継地の跡地がありました。
ザッと雑草は引いてきましたのですぐに野営の準備が出来ます」
セトが公爵の前だということを考慮したのだろう。常にはないていねいな言葉遣いだ。
「わかったわ。
先に行って準備を進めておいてちょうだい。
私は公爵様と一緒に騎鳥を待って、それから向かいます」
一礼したセトは高速で飛んで行ってしまった。
「まったく……イレギュラーが多いですわね、公爵様。
ところで、お孫さんは男の子ですか?女の子ですか?」
「女の子だ。今は12才だが……」
生まれた時から常に命の危機に晒されていた少女は、見た目10才にも見えない。
「公爵様、この後私もご一緒して良いですか?この目で診て見たいのです」
どのような症状なのかわからないのに【劣化版アムリタ】だけ渡すわけにはいかない。
それに、病気にアムリタが効くかどうかもわからないのだ。
「何っ!それは誠か?!
リーナ殿は医師なのか?」
「私の職種は【錬金薬師】です」
「おお、神よ!」
老公爵は感激のあまり、その場にひざまづいた。
【錬金薬師】はこの大陸でも貴重な存在だった。主に体力回復ポーションを作成する彼らは、王侯貴族たちに厳重に秘匿されている存在だ。
「公爵様、お立ち下さい。
まず診察して見なければどのような状態なのかわかりませんし【劣化版アムリタ】にも限度はあるのです」
「だが、だが5日後には孫娘は診てもらえる。
……どんな医師にも見放された愛しいジャクリーヌ」
老公爵は一行が合流するまで嘆き続けていた。
僅かな移動の時間ののち降り立ったのは、何の変哲も無い空き地だった。
しかし、今そこにはいくつもの天幕が並び立ち、その間を見惚れるような美女やオーガが歩き回っていた。
「心配ないです。
皆、私の眷属たちですので」
「リーナ殿はティマー、いやサモナーなのか?」
「私自身は大した攻撃力もありませんしね、何人か護衛も必要ですし」
否定も肯定もしない。
老公爵はこの件はこれ以上追求するのをやめにした。
それよりもアンナリーナに誘われて入った天幕に圧倒されていた。
屈強なミノタウロスが入り口の布をめくり上げる。
そして中に入って我が目を疑った。
老公爵にはこの中のものが信じられなかった。たしかにこのゲル型の天幕はそれなりの大きさがある。
だが中はかなり広く、次の間まであるようだ。思わずアンナリーナの顔を見る老公爵に、アンナリーナは事も無げに言った。
「魔法で空間を広げてあります。
こちらを公爵様の宿としてお使い下さい」
「こんな、ものが、あちらの大陸にはあるのか」
自分が作ったと言えばまた騒動になりそうなので黙っておく。代わりにニッコリと微笑んでおいた。




