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32『御者さんと餌づけ』

 口内に湧き上がってきた唾液を慌てて飲み込む。


「いただきます」


 アンナリーナの言葉に、我に返った御者はスープを一口、口に運んだ。


「美味いっ!」


 大きめに切られたジャガイモと人参と、芽キャベツがほどよく煮込まれ、大ぶりのソーセージが2本入っている。

 味つけは塩とほんの少しの胡椒の香り。


「嬢ちゃん、これっ」


「うふふ、気に入ってもらえてよかった」


 隠し味は溶けた玉ねぎだ。

 細かくみじん切りにした玉ねぎをバターで炒めて、形がなくなるまで煮込んである。

 次にローストビーフに手をつけてまた唸る。


「嬢ちゃん、これは酒のアテだ。

 俺なんかにはもったいないよ」


「そんなことないよ、たくさん食べて?」


 コテンと首を傾げて笑う。

 もし、わざとしているのならあざとすぎる。


「パンもたくさんあるの」


 一口分、ちぎるとバターの芳しい香りが漂った。

 口に入れるとさらに広がる。


「これはこうして食べると美味しいんだよ」


 ちぎれてしまわない程度に切り込みを入れて、自分の分のローストビーフとグレービーソースをはさみ込む。

 そうして手渡した。


「!!

 何だよこれ! 俺、こんなに美味いもの生まれて初めて食べた!」


「大げさだね」


 こんな野外の、机も何もない場所で、それでも品良く目の前の少女は食事をしている。

 ようやく慣れてきたのか、口調が和らぎ普通の女の子のように話し始めた。

 それにしてもこの料理の数々。


「なあ、薬師様っていうのは普段からこんな美味いもの食ってるのか?」


「んん……どうだろう?

 ……私ね、身体が弱いからちゃんとしたものを食べなきゃいけないの。

 だからなるべく美味しいものを、とは思っているけどね」


 上品な手つきで、ちぎったパンでグレービーソースをすくう。

 そのまま口に運んで咀嚼した。

 彼女は決して、口の中にものが入っている時は話をしない。

 そんなところも育ちの良さを感じさせるが、なんのことはない。

 身についている前世の習慣なだけだ。


「嬢ちゃん、遅くなったが俺の名はザルバという。

 いや、本当にご馳走になった」


 初夏とはいえ、日が落ちると冷えてくる。そんな中、暖かい食事をしっかりと腹に入れられたのは大きい。


「おそまつさまです。

 私はリーナといいます」


「ええと、嬢ちゃん。いや、薬師様」


「あ〜 その呼び方はナシで」


「もしよかったら、これから7日間、一緒に食事をするっていうのはないかな?もちろん金は払う!

 食事係として雇うって形にしてもいいし」


 旅が始まってもどうせ一緒に食事を摂る事になる……一度、アンナリーナの出す料理を食べたら、それが手に届くところにある限り、無視する事など出来ないのだから。


「良いですよ。ザルバさんに雇われたって事にしておいたら周りも煩くないだろうし」


 アンナリーナに、乗客たちの食事係をする気はさらさらない。

 もちろん、対価が支払われるならやぶさかではないが。


「それよりも私、馬車の旅は初めてなんです。と、言うかつい最近、育ての親の薬師様が亡くなって、住んでいた森から出てきたところなの。

 よかったら色々教えて下さいませんか?」


 こうしてアンナリーナは、餌付けしたザルバから情報収集する事に成功した。




 翌朝、昨夜からの焚き火の周りに男が2人増えていた。

 その2人が、空き地の片隅に貼られていたテント……これも老薬師から遺されたもので、中は実際の1畳分よりも大きな3畳ほどで、立って歩ける高さの空間魔法がかけられている……からアンナリーナが出てきたのを見て愕然としている。


「おはようございます」


「おう、嬢ちゃん……

 本当にそこで野宿したんだな」


 ザルバが何だか遠い目をしている。

 昨夜アンナリーナが、ここで寝ていいか?と聞いた時は耳を疑ったものだが【結界】を張る事が出来るから、と笑って言った彼女の自信に溢れた顔。

 さもありなん、彼女はここまで1人で旅をして来たのだ。

 身を守りながら夜を過ごす術を、持たないはずもない。


「うん。あれ?

 この人たちは初めてですね?

 おはようございます。リーナです。

 よろしくお願いします」


 彼らの胸にも届かないほど小さな少女がペコリと頭を下げた。


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