169『ホーロー屋』
相変わらず賑やかな市場は、昼どきを過ぎていたがその喧騒は変わらなかった。
学研都市ゆえの賑わいというものもある。それは学生向けの寮の従業員による食事の支度のものであったり、その従業員の家族が夕食の材料を買いに来たりしていた。この町では、富は正常に上から下へと流れているようだ。
「でもあまり馬車が滞ったら、例えば野菜とか不足しないのかな。
見たところ、今のところはそんな感じもないようだけど」
生鮮食料品の品揃えも豊富で何か欠けているようには見えない。
確かに前世とくらべれば見劣りするが、この世界ではそれぞれ旬にしか手に入らないのだ。
「さて、もうすぐホーロー屋さんだね。キャセロールはいくつ売ってもらえるかしら……あれ、今日は売り子さんが2人いるね」
アンナリーナが近づくと、昨日の青年が笑いかけてくる。もうひとりの表情は、何故か固い。
「こんにちは! 楽しみにしてました」
「いらっしゃい!
今日はどうしても主人がお客さんに会いたいって事で、一緒にきています」
「ようこそお出で下さいました。
あの、僕の作った鍋に興味を示して下さったと聞いて、嬉しくて」
硬かった表情がみるみる破顔していく。同時に興奮ゆえか顔が真っ赤になっていった。
「あなたが考案してくれたの?
この “ ホーロー鍋 ”は鉄鍋とはまた違った利点があるわよね?
私、こういう鍋を探していたの」
鍋に関しては一家言あるアンナリーナである。
「名乗り遅れました。
僕はトビアス、トビアス・サントノーレです」
トビアスが手を差し出してきて、アンナリーナはそれがこの世界に転生してからはついぞ見なかった、握手を求めているのだと気づいて目の奥が熱くなる。
「初めまして。私は稀少な薬草を求めて旅をしている、リーナと申します。
彼は護衛のテオドール。
ところでトビアスさん、このホーローの技術はあなたが開発したの?」
「ベースになるものは昔から我が家に伝えられていました。
でも今の形にしたのは僕です」
素晴らしい!
アンナリーナは叫び出したい思いだった。
「でも白い商品ばかりだよね?
まだ色を付けるまでは至っていない?」
「色々な染料を試しているのですが……」
『ん? 染料……』
岩石系のものを混ぜようとしているのか、失敗を繰り返しているようだ。
アンナリーナは、この手の技術にはあまり明るくないが、かすかな記憶を手繰ってみる。
「金属を……釉薬に銅や錫を混ぜてみたらどうかしら?
他にも色々試してみたら」
「そうか! 金属か!」
いきなり大声を出したトビアスが興奮した様子でアンナリーナの手を取り、振り回し始めた。
とても女性に対する態度ではない。
さすがにテオドールも目をひそめるほどの行為は、アンナリーナの少しの威圧で収まった。
「トビアスさん、今日は新製品をお勧めするんだって、そういう事じゃなかったんですか?」
売り子の青年がトビアスを宥めにかかって、彼はようやく冷静になったようだ。
「新製品?」
アンナリーナはと言えば、興味津々、瞳爛々だ。
そんななか、トビアスは台の下から布に包んだ、鍋と同じくらいの大きさのものを取り出した。
「これです」
ほどいた布のなかから出てきたのは。
「こ、これは【水切りボウル】ではないですか」
それも、持ち手と高台付きだ。
水を切る穴は渦巻き状に空けられていて、使いやすそうである。
アンナリーナの身体が興奮でブルブル震え、言葉にならないなかさらに布包みが2つ現れた。
「うわぁー!かわいい!!」
それらは水切り穴が花の形に空けられていて、実用だけでなくインテリアとしても使えそうだ。
「どうでしょうか?」
もちろん買いだ。即決である。
そして今日も、店の商品を全部買い上げてトビアスたちと別れた。




