第六話 転生者の嗜み
転生者の嗜み
「ピープス、君はレインフォード侯爵令嬢と付き合っているのかい?」
ヴァレンタインの言葉に鋭く反応したのは、私ではなくトムであった。焼き菓子を口に咥えたまま、ジッと私の反応を注視している。
校舎にいくつかある休憩室。その中でも、ここからは噴水のある中央庭園を見ることができる。
私がそこへ視線を向けると、件の令嬢アンジェリカ嬢が友達と談話している姿が見えた。
午前の講義の合間にある休憩時間。彼女も私たちと同じように友人と軽食を取りつつ何か話しているのだろう。時々やたら大げさな仕草をしているのが見える。
そういう関係ではないと答えると、トムは安心したようだった。自分が失恋したのに友人が恋愛するのは我慢ならないとは器が小さいと思う。
「ではどういう関係なんだい?」
人と人の関係をあれこれ詮索するのは美徳ではないと思う。
「君と彼女に接点がないからな。何か変なことに巻き込まれたのではないかと、友として心配しているのだ」
そう言われると嬉しいしありがたいのだが、この関係をどう説明すればいいのだろうか。
「良い友達じゃない。「友として心配しているのだ」とか。素直クールってやつ?」
彼女の言葉がしばしば分からないまま会話が進むのは、初めての出会いから1ヶ月が過ぎた今でも変わらないままだった。
「でも……確かに説明の難しい関係よね」
まさしくだ。「記憶受容症」彼女に言わせれば「転生者」仲間との説明が一番正しいのだが、それは彼女に禁止されている。
アンジェリカ曰く「転生者は簡単に正体を明かしちゃいけないのよ」とのことである。それに逆らってまで教えるメリットもないのでこの説明は却下とする。となると、単なる話し相手という関係でしかなくなるのだが。
「それも寂しい関係よね。会っているのも、週に1回夜の自由時間か、こうして授業や休憩時間にたまたま会った時だけだし」
何時もはパッチリと開いている琥珀色の瞳を細め、ジッと前を見つめながら彼女が言う。
時期が時期だけに帽子を被っていても汗が出てくる。川べりでこの暑さだ。乗馬などしていたらどうなっていたことか。
「ね、だから釣りで良かったでしょう?」
水面にプカプカ浮かぶ物を見つめたまま彼女は言った。
今日は午後の時間をすべて使い全生徒合同での野外活動を行っている。
何をするのも自由。運動をしようが散歩をしようが乗馬だろうが、庭園でおしゃべりしようがこうして釣りをしようが。結局たまの息抜きということであろう。
私は同級生数人と遠乗りする予定だったのだが、突然現れたアンジェリカに引っ張られこうして釣りに付き合わされている。
まあ釣りも貴族の嗜みだ。
「ほんと、この国ってイギリス的よね。【ヨーロッパ】貴族って基本的に宮殿での舞踏会や宴会好きだったらしいけど、イギリスはカントリーハウスで釣りや狩りを楽しむのが好きだったらしいわ」
イギリスというのは国名だろうか。確かに、この国では釣りや狩りを好む貴族が多い。もちろん、舞踏会などもそれなりに行われているが。
「あっそうだ! 今度、そのヴァレンタイン君やトム君も一緒にこの街の私の屋敷に招待するわ。私も、同室の娘や他にも何人か呼ぶからちょっとした食事会でもしましょう」
学都にまで屋敷を持っている辺りさすが侯爵家――と言いたいところだが、たぶんこれはアレなのだろう。
私が苦笑しているのが気配で分かったのだろう。彼女も同じく苦笑しながら言った。
「そうよ。これも、お父様の例の病気よ」
レインフォード侯爵閣下はそのご息女を大変可愛がられておられる。まさしく【目に入れても痛くない】というほどの可愛がりようである。
ままある話なのだがその可愛がりようはやや行き過ぎているのである。
アンジェリカの話によれば、寄宿舎に入る際に侯爵は娘に侍女を付けろと学校に乗り込んで校長に直談判したそうである。なんでも、ステイナーウッド公爵家の娘には侍女がいるのだから自分の娘に付けても良いはずだとのことらしい。
ステイナーウッド公爵のご令嬢であるセシリー先輩はいささか病弱なために、最低限の補助として実家から侍女が付いてきている。その侍女とて、先輩の希望により最低限の手助けしかしていないのだ。そんな特例を引き合いに出したところで通る要求ではない。
結局は、アンジェリカが説得して侯爵閣下は引き下がったという話だったのだが、どうやらまだ聞いていない後日談があったようである。
それにしても、なんで急にそんな提案を彼女はしたのだろう。
「お互いの友達同士、まとめて友達になっちゃえば関係の説明とか不要じゃない。他の人に尋ねられたときも説明が楽になるわよ~。集団交流だから私たちの関係も邪推されないでしょうし」
素直に友達になりましょうと言えばよいのに。
「それに、トム君。まだ失恋の傷引きずってるでしょ? あんな方法じゃそりゃ彼女出来ないわよ。というわけで、良さそうな娘紹介してあげようと思ってね」
ほう、と思わず口にする。そんなことを考える人だとは思っていなかった。意外と人のことを気にする人だったのか。
「やっぱりさ、将来のことを考えたら準貴族とか郷紳にもパイプが欲しいのよね。先々王家に協力していくか対立するかはともかく、どっちに転んでも今国王が取り込もうとしてる勢力との【コネ】はあるだけあった方がいいわ」
前言撤回だ。彼女本気で言っているのが聞いて取れるので怖い。
まあ、そもそもこの手の学校というものは今彼女が言ったことを体現した場でもあるので現実はそんなもんだなと思い直す。
学校を通じて王家への忠誠心を養いたい王と、学校を通じて貴族間そして新興勢力との繋がりを作りたい貴族。出来れば自分が爵位を継ぎ引退するまでは平穏が続いて欲しいものだ。
「食事会だけど【天麩羅】をみんなに食べてもらうつもりよ。こっちの世界、少なくともこの国周辺にはない物だけど、エリックはもう食べたかしら?」
天麩羅か。確かに小麦粉と卵と油があれば作れる料理だ。もちろん、今言われて知識が分かったのだから食べたことなどない。そもそも、日本の料理は何一つ口にしたことがないのだ。うどんやおでんなど。
そこで初めて、彼女は水面から顔をあげ私の方を向いた。
何か不思議なものを見る目をしている。
「ねえエリック、1つ質問だけど。あなた実家で何をやってた?」
意図と意味の分からない質問に私は困惑した。
「つまり、貴方が持っている知識を利用して何かやったかってことよ。例えば、今言ったうどんやおでんを試しに作ってみたとか。前に言ってたお尻の……【ウィシュレット】を作ってみたとか」
そう言ったことは一切していない。確かにいくつか浮かんだ料理はあったら、それを作らせたことはない。道具なんかもそうだ。お尻洗いの件も、あの違和感さえ取れ知識欲さえ満たせばそれで満足したというだけの話である。
「あっきれた……記憶の話を聞いたとき、正直期待外れだったかなと思ってたけどここまでとは」
あの時のあれはそういうことだったのか。
しかに、いったい今回の何にそこまで呆れているというのか。私にだって誇りというものがあるのだ、目の前でこんな態度を取られて笑っているほど鈍くはない。
「前世知識を使った領地改革とか産業振興とか商品開発は、転生者としての嗜みでしょ! 取りあえずお手軽内政は基本よ基本!」
さっぱり意味が分からない。
今度はこちらが呆れ顔になるが、気にせず彼女は力説する。
「まあ嗜みは冗談としてもよ。せっかく知識があるんだから使いなさいよ。活用しなさいよ」
そうは言うが一体何をどうすれば良かったというのか。そもそも、アンジェリカは人に偉そうに言えるほど何かやっているというのだろうか。
「天麩羅食べさせるって言ったでしょ。こういう再現可能な料理は、うちのコックと協力してどんどん再現させてるわ。料理法が完全に分からなくても、材料と出来上がりが分かっていれば意外となんとかなるものよ。今度うちの【肉まん】食べてみる? もちろん食材の捜索もやってるわ。米作の為にモミをわざわざ商会に頼んで取り寄せて、5年がかりでようやくまともに収穫できるまでにこぎつけた。食べ物ばかりじゃないわよ」
食べ物の話が続いたので、食い気かと言いたげな私の顔に気づいたのだろう。
他の例をあげだした。
「たとえば紙。今の紙って亜麻とか木綿が主流よね? できれば木を原料にした紙を作りたかったけど、パルプを作るところで頓挫したわ。そこからの知識がないから。代わりに始めたのが【和紙】こっちは成功して一部は出回り始めてる。他にも」
そういって手にしていた竿をもちあげ、糸を引き寄せる。
彼女が私に見せたいのは糸……ではない。浮きか。随分細長い浮きであるが、しかし浮きなら昔からあるではないか。
「浮きはね。でもこれは竿浮き。今までこの国にはなかったものよ。今日釣りを選んだのも、これを試したかったって理由もあるわ。他にも、実家にいたころには領民への指導として【手洗い】【うがい】の徹底をさせた。清潔な水じゃないから効果はどれほどか分からないけどね。上下水道の整備もやりたいけど、これは爵位を継いでからね。元の世界みたいに、こっちでも過去にはあったけど技術が絶えてるから、すでに技師にその研究はさせてるわよ」
怒涛の様に続く彼女の話を、私はただ茫然と聞き続けるしかできない。
「腐葉土や家畜の糞を利用した堆肥は既に行われていたけど、これは大昔からだっていうしね。でも、街中はやっぱりゴミと糞だらけだったわ。利用はあってのそれを回収する仕組みがなかったの。だから、【公衆トイレ】の設置やゴミの回収の仕組みを作ったわ。人糞は寄生虫の問題があるから利用を迷っているところだけど……さっき言ってた米作りも、米が食べたいだけじゃない。モミ殻は肥料に使えるし米ぬかだって肥料になるわ」
ようやく彼女の口が止まる。
彼女はそれまで座っていた岩の上に立ち上がると私をジッと睨みつけた。もともと背の高い彼女が岩に立っているのだから、完全に上から見据えられる形になる。
「エリック。最近あなた、例の詩を作ってないそうね?」
例の詩。私がたまに作っていたあの短詩だ。私はあれを、彼女に会って以来作っていない。いや、書き出していない。
当然だろう。あれは、百人一首という日本の歌集にある詩が元だというのだ。ここにいない人物とはいえ、誰かが作った作品をどうして私のものとして発表できるのか。私はそんな恥知らずではない。
「ふーん……じゃあ、元の世界の知識を使っていろいろやってる私は恥知らずな訳だ」
それは違う。誰かの文学作品を自作として世に出す行為と、誰かが生み出した技術を使い何かをなすこととは全く別の話だ。でなければ、技術はそれを開発した者にしか使えないということになる。
その上、彼女はもう1つ勘違いをしている。
「……わりぃ。少し興奮して言い過ぎた」
にらみ合ったのは数十秒足らず。彼女は視線をそらしそう言った。
「せっかく、ここにはない知識を持ってるのにそれを使わないのがなーんかもどかしくってね。もったいないじゃない。まあでも、エリックの人生はエリックのもの。私に口を出す権利はないわね」
そうだ。私の人生は私のものだ。
「今言ったことは気にしないでね。まあ、日本の味とか恋しくなったらいつでも言ってよ。実は味噌に【醤油】も挑戦してる最中だから。取りあえずは今度の天麩羅パーティーね。招待状は近々出すけど、今度の休日は空けておいてね」
彼女に初めて会ったとき、心にひっかかるものがあった。あの時無視したそれは、はっきりとそこに在ることが分かった。そしてそれが何であるのか、私は薄々気づき始めている。まだはっきりと言葉にこそ表すことができないが。
それはともかく。この日が2つ目の分岐点だったのだろう。
筆がのったので続けて書き上げ投稿。
次話書きあがり次第投稿します。
順調にいけばあと3~4話で終了。




