第十三話 物語は続く 後編
物語は続く 後編
エリックがキティのことに気づいたのは、自分が「記憶受容症」であったことやアンジェリカの話があったからだけではない。
彼がずっと「記憶受容症」について考え続けてきたからこそ、キティの違和感に気づいたのだ。
「記憶受容症」に関して、かつてエリックを診た大学教授はエリックの父に対し「病気ではない」と語った。
だが、若き日のエリックは「記憶受容症」によりアイデンティティーの揺らぎに襲われ、アンジェリカは人からの称賛をそのまま受け取れない性質になっていた。「これは障害や精神疾患と同じではないのか」とエリックは常々考えていた。
「記憶受容症」者の中には、人にはない知識故に過度な期待を抱かれ、あるいは奇異の目で見られた者とていただろう。そういった者たちすべてがまっすぐ健全な生を全うできたのかという疑問から、過去の 事例を調べ漁りもした。
エリックの努力も空しく得るものは少なかったが、彼は1つ確信を得た。
「健全でない状態を病とするならば、「記憶受容症」はまさに病である。言いえて妙だ」
キティがそうであると気づいた彼は、自らの「記憶受容症」に纏わる記憶を書き起こし始めた。
彼女がこの先どういう人生を歩むのかは分からないが、だが自分の体験が将来何かの役に立ってくれればという願いを込めて。
シャーリーが自ら孫娘を抱いてエリックに見せたときのことはよく覚えている。わずか4年前のことだ。
未だ目開いておらず祖母と同じ赤毛もほとんど生えていなかった。だが、その誰かを思い起こさせる赤毛を見て不思議な気持ちになったのは覚えている。
「アンジェリカ……君が死んだとき、私は生きていても仕方ないと思った。何の希望もないと。しかしこうしてこの歳までのうのうと生きてしまっておる。何もないと思ったこの世で、何か新しい希望を見つけあさましくもそれを見続けたいとな」
彼にとって今はキティがそれだった。
「まだ当分君には会いに行けそうにないよ。さて……」
寂しそうな、しかしどこか嬉しさを含んだ複雑な独白をすると、ベッドから降りる。
どこが悪いというわけではないが、歳ゆえの節々の痛みに顔をしかめながら、キティが読んでいた原稿を手に取ると机に向かう。
「『お堀にその身を投げ出した』か。そうかあの続きからか……」
最後の場面を確認し、もう遥か遠くなってしまった記憶を思い出す。
「まさか、部屋から逃げ出そうとして堀に飛び込んだら足を攣って溺れかけるとは。思い切りがいいのは良いことだが、もう少し考えて行動してほしかったのう」
5年前に亡くなった最愛の妻の行動を思い返し、その顔をしかめる。
エリックとの結婚を前提とした交際を認めてもらうため、父親との直談判に向かったアンジェリカだったが、予想通り猛反対をくらった。
結婚相手は可能な限り娘の意思を尊重する気でいたレインフォード侯爵だったが、アンジェリカが好きな相手が兄弟のいない跡取りなので自分が嫁に行くと言い出した時には初めて怒鳴りつけてしまった。
その後は生まれて初めての親子喧嘩となり、更にはアンジェリカから代わりにと指名された弟まで巻き込んでの家族喧嘩にまで発展する。数週間に及んだ一大イベントは、駆け落ちしてやると言い放ったアンジェリカを家族総出で部屋に幽閉して一応の決着をみた。
しかしアンジェリカは折れなかった。
侯爵にとってはアンジェリカを領内経営に関わらせていたことがここで裏目に出た。既に屋敷内や領内には、アンジェリカに仕えているという意識を持って行動する家臣が複数いたのだ。
アンジェリカは彼らに密かに命じ脱出と逃亡の準備を進めた。そしてあの日、彼女は決行に及んだ。
堀に飛び込み泳いだ後、迎えの者に合流。そこで着替えて脱出し学校に戻った後は、二人で駆け落ち。後は既成事実を作りなし崩し的に認めさせる算段だったのだが、出だしてつまずく。
エリックの言った通り、足を攣り溺れかけたのだ。
もし見回りが駆けつけなければ溺死していたであろう。しかし溺死は免れたが、冬ということもあり風邪をひき肺炎になりかけた。
計画が台無しになり落胆したアンジェリカだったが、事態は思わぬ方向に進む。
飛び降りを我が身を儚んでの自殺だったと勘違いした侯爵が、泣く泣くアンジェリカとピープスの仲を認めたのだ。
「結局、お義父様には許してもらえなかったのう」
レインフォード家執事クレイグの言った通り、侯爵は二人の交際と後に結婚まで認めはしたが、エリックのことは終生許すことがなかった。
「時間をかけて説得するとか手はあったんだ。あるいは、我が家を別の者に継がせて良かった。親戚はいたのだから」
エリックの元にクレイグが訪れたとき、実家にもレインフォード家からの使者が訪れており、エリックとアンジェリカの交際そして婚約はいつの間にか正式なものとなってしまっていた。
このドタバタ劇に象徴されるアンジェリカが巻き起こす騒動は、結婚後もエリックを巻き込み続けることとなる。
「シャーリーが産まれたときは落ち着いてくれるものだと思ったのだが」
エリックが学校を卒業しアンジェリカと結婚して3年後、長女のシャーリーが産まれる。これを気に落ち着いてくれないものかと願っていたエリックだったが、成長したシャーリーは容姿性格ともに母そっくりであった。
自らを転生者だと語る母に憧れ、なんで自分は違うのだと文句を言われた日のことは今でも覚えている。
「そうそう居るものかと思っていたが、まさか私の曾孫がそうなるとはな。シャーリーめ、知ったらさぞ悔しがるじゃろうて」
そう言って楽しげに笑う、
大変な人生であったのは間違いないが、飽きることを知らない楽しい人生だった。己のこれまでを振り返りエリックはペンを執る。
曾孫のキティが「記憶受容症」であるが故に、どんな苦労に遭い、どんな辛苦を味わうか、それは分からない。
だがその人生は決して飽きることのない楽しいものになるだろう。いやなってほしい。そんな願いを込めて彼はペンを取り続ける。
「おお、タイトルは未だ仮題のままじゃったな」
『転生者物語』
彼自身は自らのことを転生者とは呼ばない。どうにもしっくりこないからだ。
だが、最愛の妻が好んで転生者という言葉を使っていたことからこのタイトルを付けたのだが、やはりしっくりきていなかった。
「ま、いいじゃろう。まだまだ話は続く。すべて書き終えれば、おのずと相応しいタイトルも思いつくであろう」
そう言って再びペンを走らせる。
とある転生者の物語。それは今もこうして続いている。
完結です。
あとがきを後日掲載して終了となります。




