第十話 彼女の事情
彼女の事情
会場にはいくつかの個室が休憩室として用意されている。
休憩室としてあるが、用途は限定されているわけでもない。休憩だろうが会談だろうがおしゃべりに使おうがそれは自由だ。
その休憩室の1つで、先ほどからアンジェリカがこういう場で心構えや注意点などを饒舌に語っている。
私の1つ年上であるアンジェリカは昨年の夜会にも参加しているが、この面子にはさらに年上の4年生もいる。参加回数でいうならばその先輩の方がよく知っているのだろうに、先輩方は私たちと一緒にアンジェリカの話を聞いていた。
アンジェリカを中心とした派閥なのだから当然といえば当然なのだが、色々な思惑があって然るべき派閥という物の中で基本的に皆彼女が好きな者たちの集まりというのが根底になる。アンジェリカの話好きな性質は熟知しているところなので、先輩方もそれを妨げる気はないのだ。
一通り昨年の話をしたところで、話題は今回参加できなかった仲間たちのことになっていた。
アンジェリカの意向もあり、仲間には貴族でない者も多い。トムもその一人だ。
そういえばトムの話をヴァレンタインから聞きそびれていたと思い出す。
ちょうどそんなことを考えていたとき、私の顔を見てアンジェリカもトムのことを思い出したらしい。
「トム君がこれなかったのは残念よね。彼なら絶対場の空気なんて読まずにやらかしてくれるのに」
「止めてくださいよアンジェリカ様~」
「いたら本当にやらかしますからあいつ」
落胆するアンジェリカに対して、女子の中からそんな声があがる。とはいっても、そこに嫌悪の念はない。トムがアンジェリカのお気に入りだということは彼女らも知るところであるし、彼女ら自身も友人としてはトムのことを好いている。
トムのことで残念そうな顔をしている彼女の様子に、いささか嫉妬の念を禁じきれない。
「そのベーコンのことですが。今実家では大変なことになっていると連絡がありました」
「トム君に何かあったの、ヴァレンタイン?」
「彼には今年3歳になる妹がいるのですが、酷い高熱で今危篤状態だとのことです」
トムに妹がいることは知っていたがそんなことになっていたのか。
「状況次第では、年明けもしばらくは学校にこられないかもしれないと」
「そんなに……よくある話だけどお気の毒ね」
そう、本当によくある話ではある。3歳ごろの死亡率というのはかなり高い。私の記憶でも【七五三】という物があるが、ここでも同じである程度大きくなるまでの死亡率は本当に高い。
「私も同じころすごい高熱を出したことがあったの。死にかけたらしいわ。何とか助かったんだけど、そのせいかお父様が過激なほどに過保護になっちゃってね。跡継ぎってこともあって、姉弟の中では一番大変。弟なんか「姉様の立場でなくて良かった」って何度もいってるわ」
彼女の父親の話はここの皆もよく知っていることである。とりわけ、男連中は先ほどその身を持って体験したばかりである。
「今日もねぇ。本当はお父様が来る必要なんかないのに、私が王家に作り方を献上した料理やお菓子が初めて出るっていうから来ちゃったのよね。今頃自慢話してるんでしょうよ」
それは初耳だった。料理やお菓子の開発は知っていたが、てっきり自分のところで利用するのだと思っていたが王家に献上していたとは。
「すごいですね先輩!」
「ほんと、新しい料理を考えるだけでも素晴らしいのに、それを王家に献上されるなんて」
「そう大した物じゃないわよ」
「でも、それをわざわざ今日の夜会で使うというのは陛下がアンジェリカ様に目をかけておられる証ですわ」
「これを機会に先輩の名前を広めようということですね」
「あはは……まあ、純粋な好意だけじゃないんでしょうけどね」
口々にアンジェリカを褒め称える言葉に、彼女は褒められ慣れていないのかぎこちない笑いをしつつ謙遜する。
「料理だけではないでしょう。先輩が既に領地経営に関わっていることは知られていますから。そういう点から見ても、陛下は先輩に目をかけておられるのでしょう」
「ヴァレンタインの言う通りですよ。私の父も先輩の話を聞きたがっていましたし」
「私の両親もそうでしたわ。なんでも、侯爵閣下からは自慢の娘だと何度もお聞きしたと」
「どうりで会場で話しかけてくる人が多いと思ったら、オヤジィ~……」
なるほど。素では侯爵のことをオヤジと呼ぶのか、などと頭を抱えるアンジェリカの姿を見ながら考える。
先ほどの様子といい、侯爵閣下の娘に対する想いは想像以上に大きく重い。これは前途多難だな。
「はぁ……さて、あんまりここに籠っていてもダメね。私はしばらくここで身を隠しているけど、貴方たちは会場に戻りなさい。今日は貴方たちが主役だからしっかりね」
今の話で会場に戻る気力をなくしたのだろう。げんなりした面持ちで、彼女は私たちを会場へと送り出した。
さて、先輩ほどではないが我が両親とて似たような者だ。知り合いに妙なことを言ってなければ良いが、と考えると足取りも重くなってしまう。それでも立ち止まるわけにはいかず、私は再び会場へと足を向け歩き出した。
夜会は無事終わり王都で年を越した私は、ピープス領には戻らずそのまま学校へと戻った。
学校では、年末の夜会の話で盛り上がっていた。参加していた貴族の子弟はもちろんだが、参加出来なかった準貴族や郷紳など上級市民の子たちも、彼らを招いての会がゆくゆく催されるとあってその様子や雰囲気を知りたがっていたのだ。
学校全体が浮ついた雰囲気だったが、その中にトムの姿はなかった。
「そう、お亡くなりなったのね……」
そういってアンジェリカは目を閉じしばし黙とうした。
報告に訪れた私とヴァレンタインもそれに倣う。
トムの妹は、両親の懸命な看病にも関わらず年明けに亡くなった。葬儀は先日行われたらしい。
トムからはしばらくは学校にいけないと私たちに連絡があった。喪に服す意味もあるのだろうが、少しでも傷心の両親のそばに居たいという想いがあるのだろう。トム自身も深く傷ついているのかもしれない。
「私からもベーコン家へ弔問の手紙と使者を送っておくわ。わざわざありがとうね」
そういって彼女は談話室の窓の外、雪のちらつく庭園へと目を向けた。
部屋にはしばし、暖炉にくべられた薪のはぜる音以外は何も音がなくなった。
ジッと窓の外を見続ける彼女は何を考えているのか。
正直なところ、私はそこまで悼む気にはならなかった。トムには悪いがしょせん会ったこともない相手だ。思い入れが全くないのではどうしても他人事と受け取ってしまう。トム自身に対しては色々と気遣いやら同情やら浮かんでくるのだが。
隣に立つヴァレンタインもそこは同じはずだ。
だが彼女はどうだろう。やはりトムの妹のことを悼んでいるのだろうか。
「記憶受容症」により断片的に別の知識や記憶を持つ私と違い、彼女はほぼすべての知識と記憶を持っている。そのせいだろうか、彼女の考え方や感じ方に私たちと差異を感じることがあるのだ。
「あの後、領内で色々調べてみたんだけどね」
ようやく彼女が口を開いた。
あの後とは昨年の夜会のことか。
「やっぱり3歳辺りの子の死亡率はかなり高いの。原因はやっぱり栄養問題が主ね。私ももう少し考えるべきだったわ。あれこれ領民のことを考えていたつもりだったけど、どこかしら抜けは出てくるものね」
そういいながら、心底悔しそうに唇をかみしめる。
「領内では改善策として、医者に対して栄養学の研究を指示したり、私が思いつく限りの乳幼児向けの食べ物の開発を進めたりさせてるけど――」
それが上手くいったとしても、それはレインフォード侯爵領内だけの話である。ましてや既に死んだトムの妹がどうなるものでもない。
助けることができたかもしれない知識がありながら、それを活かせなかったことが悔しい。それが彼女の心境だった。
「エクルストン先輩……やはりあなたは素晴らしい人だ」
私が何か言おうと口を開きかけたところで、先んじてヴァレンタインがそう言った。同感だった。まったくの同感だった。
故にそれを先に言われたことが悔しい。みっともない嫉妬だが偽らざる本心だ。
ヴァレンタインの言葉は余計な物がないだけ率直に心に響くものだった。心からそう思っていると、私にはそう感じられた。
「……そう」
だが、アンジェリカの反応はそんなものだった。
一瞬だけヴァレンタインにその琥珀色の瞳を向けたが、再び窓の外に目を向ける。
言葉ではどうにもならないほど、彼女の悔恨は深いというのか。
「……」
彼女の態度に残念そうな表情を浮かべると、ぽんと私の肩を叩きそのままヴァレンタインは部屋を後にした。
部屋に2人だけになっても、彼女は相変わらず外の景色を眺めたままだ。私もすぐに話しかける言葉が出てこない。再び部屋には薪のはぜる音だけが残った。
彼女の横顔をジッと見つめながら不意に、彼女はそこまで感傷的な性格だろうかと思い至る。確かに感情豊かな性格ではあるが、他人に対してこんな態度を取るような人ではない。
ヴァレンタインへの冷たくすらある返事は、もちろん感傷によるところが大ではあろうが、根本的なところで褒められて嬉しくなかったのではないか。
「どうしたの?」
沈黙に耐え切れなくなったのか、それとも単に景色に飽きたのか。彼女はジッと黙り込んでいる私に声をかけた。
私は沈黙を続けたまま考え込む。
年の瀬の夜会の折も周囲に褒められてもどこかぎきちなかったあの態度。あれは褒められ慣れていないのかと思ったが、考えてみればそんなはずはないのだ。幼いころから「天才」だの「神童」だのと言われていた彼女が褒められ慣れていないわけがない。それに今まで彼女が何か仲間内に披露した時も称賛されていた。その時も嬉しそうにしていた記憶はない。
私の中で、彼女に出会ってから今までの記憶と彼女の行動とが組み合わさり1つの推論を導き出す。
「ちょっ、何よ真剣な顔して」
この推論が間違っていなければ。
アンジェリカを救えるのは私だけだ。




