転入日の朝
女の子になってからの二週間は、言ってみれば慣らしの期間だった。
性別が違うと骨格も変わるらしく、身体を動かすと違和感を感じていたが、病院でのリハビリのおかげで生活に支障をきたすほどではない。たまに何もないところで躓いたりするが、特に気にならなくなっていた。
食事量の差や体力・筋力の違いも把握でき、退院後は女の子の服装にも慣れるように頑張った。家の中でもひらひらしたスカートや短いデニムパンツなど、意識して脚を露出するものを履くようにしたのだ。別に母さんから脅されたわけじゃないし、茜ちゃんにおねだりされたわけでもない。男としての名誉のためにそう言っておく。
ともかく、入院生活と退院後の数日間で、女の子の身体にはかなり慣れた。男との違いに戸惑うことやわからないことはたくさんあったけど、母さんと茜ちゃんの手助けもあって、普通に生活できるようになっている。
俺が登校する水曜日までの二日間は、茜ちゃんは学校に行っていた。今年度から高校一年生の茜ちゃんは新入生なのだが、中学校からの友達がクラスメイトにいるおかげで周りにはすぐ馴染めたようだ。ショッピングモール・ペイスで出会った三人もその友達なんだろう。
家でだらだらするのも何なので、茜ちゃんの代わりに掃除と洗濯をした。夕飯は茜ちゃんが帰って来てから作るので、俺はその手伝いをした。大丈夫だよと言われたが、居候みたいなものだし手伝わないと気が済まなかった。
母さんはと言えば、隣の小坂宅で寝泊まりをしていた。母さん自身はあの広い家に一人で帰るのを寂しがっていたけど、長年放置していた息子に言える我儘じゃないよな。いや、仕事だから仕方ないのはわかってたけど。実際は北見宅に寝泊まりできる部屋がなく、小坂宅に帰るのがベストだったというだけである。茜ちゃんと一緒に寝たのは一夜だけで、その後は別々のベッドで寝るようにしていた。
ハブられた母さんは、朝は俺の顔を見に北見宅へ来て、ついでに朝食を一緒にとる。そして昼近くになると愛車のミニバンを運転してどこかへ出かけて行った。行き先を聞いてみると、どうやら俺を撥ねたトラックの運転手のところらしい。示談やら保障やら、いろいろと話し合いが残っているのだそうだ。今回は死亡事故とはいえ、完全に俺が悪いので相手方にも申し訳ないと思う。でも話し合いの場に同席することはできないので、せめて刑が軽くなるように嘆願書を作ることを母さんにお願いした。「もちろん」という返事を残して、二日間とも昼は出かけていた。
要するに俺は二日間、ほとんど一人で北見宅にてお留守番だったのだ。これまで実質一人で生活していたわけだし、別段寂しくなったわけじゃないんだけど、早く学校に行きたいなあと昼ドラを見ながら思っていた。そこそこ面白かったけど、いつの間にかテーブルに突っ伏して寝てしまい、茜ちゃんが帰ってくるまで起きなかったりした。
そして今日、ついに水曜日の朝を迎えた。
二日間が退屈だったからか、自分で思っていたよりも俺はこの日が楽しみだったらしい。寝床についてもなかなか眠れず、七時になったら起きてリビングへ出た。
「あっ、お兄ちゃんおはよう」
朝食を作る茜ちゃんが俺に気づいて声をかける。俺も挨拶を交わして洗面所へ行った。気を抜いたまま鏡を見ると、未だに慣れない自分の顔が映っていて驚くことがある。今はもうかなり少なくなったけどな。
「ふう」
冷たい水で顔をすすぎ、寝不足の表情を引き締める。それから一度トイレへ行ってから部屋に戻った。
クローゼットを開けると、昨日母さんが持ってきた高校の制服が入っている。もちろん女子の制服だ。紺色のブレザーとチェック柄スカート、同じくチェック柄のベスト、リボン、黒の二―ソックス、白いブラウス。黄色の花柄パジャマを着ておいてなんだけど、よもや女子高生の格好をする日が来ようとは。
昨日のうちに茜ちゃんから着方を教えてもらったし、試着してもサイズは大丈夫だった。けれど、やっぱり着替える手は早くならない。学校には行きたいけど、この格好をしたいわけじゃないんだよな。スカートには慣れたけど、俺はまた一つ男だったときの何かを失ったのだ。
いかんいかん、せっかく楽しみにしてた転入日なのに、沈んだ顔してどうする。天気は快晴、テンション上げるには申し分ないだろう。俺は自分に言い聞かせて、ばっちり制服を着た。部屋にある小さい鏡で軽く身嗜みを確認してから、俺はリビングへと下りた。同時に玄関のチャイムが鳴る。
「ごめんお兄ちゃん、鍵開けてあげて?」
「へいへい」
いつもと同じように、母さんが朝ご飯を食べに来たんだ。インターホンの画面を確認してから鍵を開けると、
「うぶぇ」
「楓ちゃ~~ん♪ 会いたかったわぁ」
予想通り、母さんが俺に飛びついてくる。二日間前からこの調子なのでわかってるから避けたいのだが、なかなか上手くいかずに今日も捕まった。最近の母さんは頬同士を擦りあわせる儀式にお熱らしく、俺はそれに付き合わされている。
「わお、制服来たのね! 最高よ! もうこの場で押し倒して胸元のリボンをしゅるって解いてあげたいわ」
「そんなことしたら二度と口利かないからな」
母さんの危ない発言にも慣れ、冷静に突っ込みができる程度には成長した。そんな俺に母さんは不満げだけど、女の子なら正解だと真面目に評価してくれた。母さんは反面教師のつもりなんだろうか。それにしては俺を弄る時の表情がいつもイキイキしてる気がするけど。
「あんまり時間ないんだよ。そろそろご飯食べなきゃ」
「もうちょっとこうしていたいけど、しょうがないわねぇ」
渋々俺を解放する母さん。抱き付くだけなら構わないんだけど、その細い手をわきわき動かすのはやめていただきたい。なんかこう、背中に怖気が走って、見るだけで身の危険を感じるんだよな。
そんな一騒ぎがあった後、ようやくリビングに三人が揃う。
茜ちゃんが用意した朝食を運び、テーブルにメニューが揃った。ご飯と味噌汁、ほうれん草と人参のお浸しという純和風メニューだ。調理の片付けを終えた茜ちゃんが椅子に座ろうとした時、再び玄関の開く音がした。
「ただいま」
と聞こえたのはおじさんの声だ。俺がこの家に住んで初めて、おじさんが仕事から帰宅した。引いた椅子をそのままに、茜ちゃんがぱたぱたと玄関へ小走りする。
「お父さん、お帰りなさい。ちょうど朝ご飯つくったところだけど、食べる?」
「すまないが、時間がなくてすぐ出なければならないんだ。だが、楓くんの様子を見ておこうと思ってな」
玄関先でそんな会話が聞こえたと思ったら、おじさんがリビングに入ってきた。
「お帰りなさい」
「ああ。楓くん、調子はどうだね」
おじさんは俺の顔を見るなり、身体のことを気遣ってくれた。働き通しだったのか、俺が退院した時より髭が目立っている。忙しそうだけど、疲れている感じではなかった。
「目立って悪いところはありません。この身体にも大分慣れましたし、学校でも茜ちゃんがいるから、なんとかなると思います」
「そうか、それを聞いて安心したよ。だが、くれぐれも用心するんだ」
「あ、もちろんです。元の俺だってバレないように茜ちゃんと口裏合わせてますし」
「まあそれも気をつけてほしいことだが……」
おじさんは何か言い籠った後、横に首を振った。
「いや、いい。久々の学校だ、君なりに楽しんできなさい」
「はい」
何を言おうとしたのか気になったけど、おじさんが必要ないと判断したなら心配することじゃないだろう。俺は頷いて食事を再開した。おじさんは茜ちゃんからリュックサックと巾着袋を受け取ると、また出かけて行った。
「茜ちゃん、おじさんっていつもあんな忙しいの?」
「そうだよ。帰って来た時に数日分の洗濯物をまとめて持ってきて、また数日分の着替えを持っていくの」
聞くところによればおじさんは病院の宿舎のほうに寝泊まりすることが多く、家には数日に一度のペースでしか帰って来ないらしい。
「じゃあ、あの巾着は?」
「あれはお昼用のおにぎりだよ。片手間にでも食べれるほうがいいと思って、帰って来た時は持たせてあげるの」
茜ちゃんは俺とおじさんが話している間におにぎりを作ったようだ。着替えの入ったリュックサックは、おじさんがいつでも帰って来ていいようにあらかじめ準備しているんだとか。うん、なんだか母親みたいなレベルで気遣いのできる子だ。うちの母さんとは違う方向でしっかりしている。俺も一人暮らしは長いけど、何だろうなこの差は。
「楓もこれからは特に見習わないとね」
「うん……」
これでは年上として、兄としてのメンツが立たない。が、経験の差で開きすぎていて、すでに追い付けない状態だと思う。ずっと茜ちゃんに家事を甘えるわけにはいかないから、出来ることはするつもりだけれども。
「ほら、早めに食べないと遅れるわよ。初登校で遅刻なんて印象が悪いわ」
時計を見ると、朝食を取り始めてけっこう経っていた。確かに今までなら俺の評価なんてどうでもよかったんだけど、茜ちゃんと姉妹になってからは、茜ちゃんの評価も下げかねない。俺は時計の針を追いながら朝食を食べ終わった。茜ちゃんもおじさんの対応で時間を食ったため、いつもより早めを心がけて箸を動かしていた。
歯を磨いて、身嗜みの最終チェック。服装の皺・乱れなし、寝癖なし、目やになし、ついでに忘れ物も――大丈夫だ。
「昼はいないけど、夕方には戻るわ。家事もしておくわね」
「出かけるの? 例の示談?」
「まあね。今日で最後だから、あんたは心配せずに行ってらっしゃい。茜ちゃん、楓のことよろしくね」
「わかりました。お兄ちゃん、行こっ」
「うん。じゃあ行ってきます」
母さんに玄関先で見送られて、俺たちは家を出た。ローファーを初めて履くけど、革靴と変わらない感じだ。スカートを意識して大股で歩かないように気をつけながら、茜ちゃんの隣を歩く。以前から二人で登校することは珍しくなかった。その時は茜ちゃんに合わせてゆっくり歩いていたけど、今は同じ速さで歩くのでも精一杯だ。俺が非力なせいか、鞄が重いのも原因の一つ。ちなみに学校までは徒歩で約十五分かかる。
「大丈夫?」
「うん、なんとか」
弱みを見せてたまるか。力がないならこれから鍛えればいい。今日から毎晩腕立て伏せとスクワットをしよう。いずれ茜ちゃんにとって頼れるお兄ちゃん――もとい、お姉ちゃんに戻れるように。




