62 混乱の最中に
明るい空の蒼から深海の暗紺まで、その水竜の鱗は見る角度や光の反射によって多様な蒼を見せていた。
水中を泳ぐように空中に浮く長大な水竜。その美しさと圧倒的な存在感に帝国勇者達は、腕の筋が切れたかのように武器を構える事すら忘れ、ただ茂みの中にいた。
水竜の四天王。
ここ帝国で数週間前から報告されていた、カバの四天王に代わって現れた、第二の四天王。
それと、報告に上がった事も無い、熊の特徴を持つ魔獣。
「ようやくオレの前に現れたか」
そう言って指の骨をポキポキ鳴らして一歩二歩と前に出たのは、帝国の誇る最強クラスの勇者。大将軍ホルス。
「よくも我が兵を幾人も再起不能にしてくれたな。我が賢者オドゥオールは計画の狂いを望まぬ。故にオレも望まぬ」
間合い、と言うには遠すぎる距離で、ホルスは一旦足を止めた。
重レベルアップで光の収縮と拡散を繰り返していた王国勇者達に、水竜の四天王の後方、義足の熊から声が掛けられたからである。
「そこの僧、お主もしや二周期程前にヌビアの城を襲ったヒトの一味か……」
意識を失って居たのか、ハッと我に帰ったような表情でミズリは顔を上げ、周囲を見渡して、今更ながらに水竜と熊の魔獣に驚いた。
「水竜が陸におるだと!?……ヌビア……?」
ミズリは未だ明滅するアスカをその背に隠し、水竜の向こうに座る義足の熊を睨んだ。
その時ミズリにぶつかられたドローンも意識を戻し、周囲を確認する。
「こ……これは駄目でやんすよ……」
目を白黒させて、アスカを背に隠すドローン。
それを見た義足の熊が首を傾げる。
『そこの混種。お主は何処の生まれじゃ?』
アスカを背に隠しながらも、本能が告げる警告に、その湧き出す恐怖に押しつぶされそうになり、徐々に震えだすドローン。彼は押さえつけられた様に頭を低くし、義足の熊の言葉に小さく答えた。
『あ……あっしは洞窟で覚醒したでやんす……旦那のお陰で洞窟から開放されたでやんすよ……その前の事は……分からないでやんす……』
『ダンナってそのヒトの事?自分の意志でヒトに従ってるって事?アスカってヒトで合ってる?』
割って入った水竜の言葉に、ドローンは困惑する。アスカの言っていた四天王は鷹の魔獣ではなかったか?……と。
『何処の洞窟じゃ?』
水竜の質問への返答を待たずに、さらなる質問をドローンに浴びせる義足の熊。
「会話をしているのか? まさか王国の勇者は魔獣と! 四天王と通じているのか!?」
流石のホルスもこの事態は想定外だった。しかし事実のみを見れば、仲間のピンチに姿を現したとも見れるし、容態と作戦を確認し合っているようにも見える。
「ブレディよ! 喝を入れて軍団を掌握しろ! 加減も名誉も要らん。我が賢者オドゥオールの為に総掛かりで倒すぞ!」
短く返事をしたブレディは額に指を当てると、いつもより強烈なインパクトをもって念話をブチ込み、それにより小隊員達に正気と冷静を取り戻そうと試みる。
ブレディの起こしたエーテル波に反応した水竜の四天王。その一瞬を付いてホルスは大地を蹴って、水竜に迫る。
唸りを上げて水竜の頭に迫ったホルスの拳は、空中で身をよじった水竜に苦もなく躱され、反撃とばかりに振られた尾を今度はホルスが飛び上がって回避する。
ホルスが落下し始めるのを見てから、水竜は口の中に舌で方陣を描き、着地点を狙って氷水の濁流を放つ。
だがホルスは濁流の命中寸前で翼を広げ、ふわりと宙返りをして濁流をやり過ごしてから着地をした。
「上手じゃない。今までの勇者とは違うってことね」
「魔獣如きが上から偉そうに!」
ホルスは翼を低く広げると、フェイントをかけてから低く速く水竜の真下を飛び過ぎ、背後を取ってその日初めて抜刀した。
長い弯刀が枝から漏れる光を反射して、不吉に煌めいたその時。
「きゃあああぁぁ!」
悲鳴の主は、眠り続けていたミアだった。
大きく見開かれた瞳は、驚愕と恐怖で満たされていた。
そしてミア本人も恐らくは無自覚に、それは一瞬で発動した。
アスカ、ドローン、ミズリ、ミア。四名の頭上と足元に金色の方陣が現れ、その瞬間から既に高速で回転している。
そしてミアの叫びが終わらぬ内に上下の方陣はその距離を詰め、一つの方陣となると短く鋭い発光と共に四名をこの場所から連れ去ってしまった。
アスカらの居た空間は球状にスカスカになっており、樹木は倒れ、地面はすり鉢状に崩れ、すり鉢の中心に向かって水がチョロチョロと流れ込んでいた。
あまりの一瞬の出来事。その場に残された者達は刹那、我を忘れた。
「パーティ単位でのゲートレス転移だと!?」
「何て速さだ!!」
水竜の四天王の背後を取ったと思ったホルスであったが、悲鳴からの超速転移に驚き、好機を活かせずに仕切り直すことになった。
『あーん! 師弟って何するのか聞きたかったのに、どっか行っちゃった!』
『ほれビアタン! そっちでエーテルを練り上げとる奴に注意じゃぞ』
『分かってるわよ』
水竜がそう言って顎をしゃくりあげると、泥の地面各所から水が浮き上がり、空中に氷の結晶となりながら方陣を描く。その数十二。
『氷針乱舞』
氷の方陣はそれぞれが意思を持つかのように飛び回り、方陣の中心から氷の矢を立て続けに飛ばす。
「ぼっ、防御!!円陣!」
「ぐぁ!」
「隣を支えろ!」
「手が……氷付いて……」
帝国勇者小隊を襲った氷の矢は、大盾を凍り付かせ、腕を凍傷にし、盾の隙間から帝国勇者を突き刺した。
水竜の周辺空間を縦横に飛び交う氷の矢は、大剣を肩に担いで片膝を付く姿勢で長い詠唱の中にあるブレディにも迫る。
ドスドス!
氷の矢は、ブレディを守ろうと立ちはだかった四本腕の赤い異形の身体によって防がれた。
総掛かりで討てと命ぜられたブレディは、この湿地帯一帯を吹き飛ばす覚悟で、躊躇う事なく奥義ヘルメリーの詠唱に入った。
長い詠唱中を守る為にロブスキーは身を挺し、見事に四天王の攻撃を受け切ったのである。
そしてホルスには全方位から氷の矢が迫る。
その時ホルスの翼が大きく開かれ、ホルスを包み込む。
全方位から来る氷の矢は更に迫り、ホルスの翼に触れる寸前に、水となり、水蒸気となり、空中に霧散した。
「流石はホルス様の術解の翼! 四天王でも破れはせぬ!」
腕に刺さり、つららのように太くなった氷の矢を砕きながら、赤い異形ロブスキーはホルスを讃えた。
それをみた義足の熊が、愉快そうに口角を上げる。
『ほほう! これはこれは。エーテルに逆干渉して術を分解しとるようじゃな。よく見えたか? ビアタン』
『異世界の者は面白い術を使うわね。エーテルの動きは確か……』
「今度は逃がさん。四天王覚悟!」
氷の矢の連射を受け切ったホルスは、翼を広げて低空から水竜に迫り、弯刀を振るう。
弯刀の振り始めの鍔元。最も力が掛からないこのタイミングのこの位置に、氷球が突然実体化して斬撃の振り出しを邪魔する。何度も何度も何度も。
目を凝らすホルス。その瞳に映ったのは宙に浮かぶ幾つもの水滴。水竜が地面から浮かび上がらせた水滴が、最適のタイミングと最適の位置で、氷球へと変化していた。
「小癪な!!」
ブレディの部下である帝国勇者が一人また一人と光の塵となって死に戻る中、ブレディは制御不能の奥義ヘルメリーの詠唱を続け、ホルスは水竜の四天王との接近戦を行っていた。
読んで頂き、ありがとうございます。




