60 大将軍ホルス
キドゴ山脈を挟んで北のビア王国と南のハラ帝国。
高い山脈に隔てられた両国は風向きにより天候までもガラッと違う。
だがこの日は珍しく山脈から見て横あい、西から風が吹き王国帝国共に大きな雲の塊を青空に散りばめた快晴だった。
その西風に乗って猛禽類の翼を広げて中空に留まり、湿地に蠢く者達を見下ろす者が居た。
ハヤブサの頭に黄色い目。両翼十メートルに届こうかという巨大な猛禽の翼。腕組みをした姿勢の鍛え上げられた褐色の上体は何も身に纏っておらず、下体には白いズボンと銀のブーツを履いている。
「オヴァースラッシュ後も激しいラドエナジーの流れを感じて、件の四天王かと思い翼を広げたが……なんだソレは」
応えを待たずハヤブサの半人は葉を揺らす事なく高度を下げて湿地に降り立つ。
背中の翼がゆっくりと畳まれるがやはり微かな風も起こらず、その翼がこの世界とは別の理によって浮力を得ている事が分かる。
「「大将軍ホルス様!」」
「「ホルス様!」」
帝国の勇者兵はアスカへ注意こそ怠らないが、安心感からか明らかに緩んだ。
ハラ帝国には現在五つの軍団とそれぞれの軍団を統べる五人の将軍が居る。そして五人の将軍を指揮する立場として大将軍が存在する。
大将軍は帝国軍部において最高権力者であり、帝国全てを含めても大将軍よりも高い地位は皇帝と賢者だけである。
武人として名を馳せる大将軍ホルスは、ビア王国の勇者セトと共に人社会の武の双璧であり、魔王領奪還作戦の要であった。
正三角形の頂点にそれぞれ位置する格好になったアスカとホルスと帝国勇者達。
ホルスは値踏みする様に黄色い瞳でアスカを眺め、太い声を再び発した。
「その服装はビア王国か。勇者のようだが魔王領奪還作戦発動まで越境は許可されておらぬ。双方の賢者ならびに元首が同意した契だ。任意、強制関わらず帝都に同行させるが、まず名を名乗れ」
「あんたはホルスって言うのか、大将軍とか……さぞつええええんだろうな」
アスカはそう言うとなんの構えも無い状態から、一瞬で膝が地面に付くほどに姿勢を落とし、沼地の泥を跳ね上げてホルスとの距離を一気に詰める。
「俺とどっちがつえええええか勝負だ!」
アスカは体格に勝るホルスの周りを時計回りに移動しながら、腹への突き、膝への蹴り、顔への突きと攻撃を繰り出す。
アストラル体を意識するアスカは、五分の一秒程未来から攻撃を繰り出していたが、その淡く光る右手の爪はすんでのところでホルスに届かない。
なぜだ。
だがアスカの意識は高揚感に飲まれ、思考がまとまらな。
攻撃が当たらない疑問を振り払うかのように、アスカはホルスの正面に飛び上がって右腕を振りかぶり、必殺の一撃を構える。
「名を……」
淡い黄色の輪郭を持ったホルスのアストラル体。上げられた左腕が残像のように幾重にも別れ、そのうちの一本がアスカの爪をすり抜ける。
爪の攻撃範囲の一歩内側まで伸びたホルスの腕は、迫りくる爪の根本、アスカの右手首を払う。
ボキンと嫌な音がしてアスカの右腕は大きく払われ、勢い余って宙に浮いたアスカの体を後ろ向きにまで回転させてしまう。
「な!」
力ずくで回れ右させられたアスカは、それでも次の事態に備えようと首を振ってホルスを視界に収める。
「名乗れと……」
ホルスの右手がアスカの背中に振り下ろされ、更に爪を払った左腕が追い打ちを掛けようと肘を高くしている。
「言ったろうが」
地面に叩き落とされたアスカがバウントするより早く叩きつけられた筈だったホルスの左腕は、だがしかし泥の地面を叩き、大きく深いクレーターを生み出した。
ホルスの連撃を辛うじて躱し、十メートル程先で左腕を抑えて膝を付くアスカは、その場に崩れた。
「浮かれているのはその捷さ故か。力に浮かれる未熟がこのホルスに敵うと思うなよ」
「旦那!!」
「アスカ!!」
茂みから飛び出したドローンとミズリがアスカへと駆け寄る。
アスカを抱え起こして回復加速の法術を施すミズリと、アスカらを庇うように前に立ち鎧の背中の剣を前にスイングさせてホルスを威嚇するドローン。
「今の手応えだとせいぜいレベル四十台か? ……治癒など無駄だ。粉微塵にならなかっただけだ。衝撃で肉体が保たぬ」
「そんな……」
ドローンが言葉を詰まらせ、ミズリが懸命に法術を使う腕の中。アスカを光の塵が覆い始める。
「そこの二人と一匹で越境者は全てだな。ヒュドラと対峙していたとは言え、王国の勇者を放任にていた訳は帝都でしっかりと説明して貰うぞ準将軍ブレディ」
「はい」
頭を垂れるブレディはホルスの圧倒的な強さに畏敬の念を持ちつつも、アスカを死に戻りに追いやってしまった事には憤り未満の不思議な感情があった。
王国勇者であるアスカ本人から話を聞く機会を失った事もあるが、ホルス程の強さがあれば、もっと余裕を持って手加減出来たのではないかと。
再びミズリらを捕らえようと詠唱されたロブスキーの法術はなぜか発現せず、部隊の兵達に捕縛を命ずるロブスキー。
ミズリの腕の中。光の塵を散らすアスカはその姿を徐々に失い、ミズリの腕はアスカの感触をうしな……わなかった。
混乱するミズリの眼前にペンで書いたように光の文字が浮かぶ。
「レベルを上げよ」と。
かつて神官だったミズリは即座に理解した。
勇者の魂に近い場所に貯まる経験値と呼ばれる存在、それを肉体を含む霊体や精神体へと充填し定着させる行為をレベルアップと言う。
そしてレベルアップを受けた各体は定着の為に急速に活性化する。
ヒュドラとの戦いで得た経験値は、元々レベルの低いアスカにしてみれば一匹で1レベル分を超える経験値かも知れない。もしレベルアップに足りるだけの経験値をヒュドラから得ていれば、一気に回復することも可能な筈だ。
ミズリは光の文字が誰の仕業かを一先ず捨て置き、レベルアップの法術を施し始める。
別に不死性の高い勇者が死に戻りした所で、どこぞの教会で復活するだけ。事実としてはそうかも知れない。だが、目の前で討ち倒され力なく横たわる仲間を、死ぬに任せる事などミズリの魂が許容しなかった。
「おい!何をしている!」
「隊長!……この法術って……」
言葉も似通ったビア王国とハラ帝国。そして幾度となくレベルアップを重ねてきた帝国の勇者兵。
その場に居た全員が今行われている事を理解し、その後に起こる事を微塵も想像できなかった。
読んで頂き有難うございます。
今後ともお付き合い頂けば嬉しいです。




