58 チャリーン
「見つけたよ。君の霊体を見るチャンネルを」
アスカはヒュドラの攻撃を紙一重で回避し、一回の斬撃で尻尾を五つの輪切りに斬って落とした。
苛立ちの唸り声を上げるヒュドラの反撃は、アスカの影すら踏めない。
「斬られた肉体は、霊体の持つ本来の形を元に再生を開始する……」
アスカの解説に合わせるようにヒュドラの尻尾は再生し、感触を確かめるように泥の地面を一度叩いてから振り上げられる。
「そしてあれがドローンが裂いた足。霊体の形にそぐわない形で再生してしまった二本の脚は、制御もままならない」
アスカは窮屈そうに生えている足を水面蹴りでまとめて払い、ヒュドラを這いつくばらせる。
小さな振動は森の葉を揺らし、距離を取って様子を伺う帝国勇者の小隊を唸らせた。
「一次変化でなんてパワーだ!」
「この泥の中、あの速さで動くのか」
彼らより近い茂みから観戦している四人の反応は分かれている。
「如何に麻痺ブレスの心配をしなくて良いとは言え、これ程一方的に……」
茂みから身を乗り出して観察と感心をするロブスキー。
「相打ち……いや、カウンターなのか! だが全ての攻撃がカウンターだなどと……」
ブレディは懐から紙の束と筆を取り出し、目の前で起こっている事を事細かに書き記し始めた。
「アスカの振った爪にヒュドラが首を差し出しておるようにも見えるが……一体何が起こっておるんじゃ」
「凄いでやんす! 旦那は生え替わる早さに挑戦するかのように、ひたすらに首を、足を、尻尾を斬り飛ばしてるでやんす! あっしのカウントだと、五本の首を十七回斬首をしたでやんす!」
水中にいるかの様な音の伝わり。
淡い黄色の輪郭を持ったヒュドラのアストラル体。
質量を持たず、慣性も生じさせずに動く自らのアストラル体。
そして繰り返されるヒュドラアストラル体への攻撃。
マテリアル体から30センチ程先行して動く淡い黄色の輪郭を持ったアストラル体。これは時間軸で捉えれば五分の一秒程の未来に相当した。
アスカの師匠である四天王ズーや、分け身でアストラル体戦闘をこなした王国最強勇者セトからすれば、「まだまだ」と言われるであろうアスカのアストラル体での戦い。二人のアストラル体での戦いはマテリアル体から数メートルは先行していた。
アスカの口角が上がる。
「む……ふふ。なる程……こう動くのか……おっと気分の良さに任せてドローンが裂いた首まで落としてしまった。楽しい! 楽しいぞ! ヒュドラ退治!」
師匠ズーの言った通りだ。
アストラル界で起こった出来事が数瞬遅れてマテリアル界で起こる。マテリアル界のアスカがヒュドラの首を落とした時、それは既にアストラル界で確定された出来事の余韻でしかないのだ。
アスカは気分の高揚を感じながらも、肥大した高揚感が自制の腕を振りほどく程に躍動している事に気付けずにいた。
アストラル体への攻撃は、王国最強の勇者セトと四天王ズーの戦いがそうであったように、その殆どが一撃必殺である。無防備な未来に爪を立てて首を撥ねる。
アストラル体への攻撃自体が貴重な経験であり、アストラル体を知覚しない殆どのヒト種にとっては一生得ることのない経験でもある。
貴重な体験は一つの命に対してただの一瞬で終わり、故にその価値を失わない。
だが……例外がここに。
強靭なマテリアル体と尋常ならざる再生能力を併せ持つヒュドラという獣。この特殊な獣のアストラル体は首を撥ねても、尾を斬り飛ばしても、マテリアル体の再生に支えられて死にあらがい続け、結果アスカに膨大な質と量の経験を与えていた。
「ふははは! 先を能動する俺と今を受動するお前では、勝負にならないな!」
そう高らかに笑いながら、アスカはヒュドラを上下左右前後の六面から削ぎ落とし始める。
激しく動くヒュドラは周囲に自らの薄切りされた肉片をバラマキ始め、その周囲でまとわりつくように高速移動するアスカが異形の爪を振るう。
地に落ちた薄い肉片は再生を試みているのか、切断面が醜く膨れ上がり泥の中で蠢いていた。
再生が追いつかない速度で、麻痺袋を避けて六方向から削ぎ落とされ続けたヒュドラは、ついに50センチ程の臓器の集合体のみとなり、アスカの左手の上で最後の脈を打った。
「俺つえええもアリだな」
右腕を大きく引いて振りかぶったアスカは、脚、腰、肩、腕とエーテルを螺旋させながら伝達し、アストラル体の臓器集合体中心をその爪で貫く。
数瞬の後、アストラル界の余韻はマテリアル界に現れ、ヒュドラの中心部は爆散する。
そして周囲にいまだ飛び散っていたヒュドラの薄切りの肉片は、色を失い、飛散中の臓器は勢いをそのままに砂となって泥の地面に落ちた。
チャリーン。
コインのポーチに飛び込む音が、ヒュドラの完全な死滅を伝える。
「おおおおおおお」
「最後! 何が起こった!?」
「王国の……やるな!」
距離を取って伺っていた帝国勇者の小隊員達が次々に茂みから姿を表し、口々にアスカの武勇を称える。
「ご覧下さいでやんす! ついにあっしらの旦那が! アスカさんが! ……俺つええを成し遂げたでやんす!」
「見事な俺つええだったぞ。アスカちゃん」
目をうるうるさせながら動画を撮るドローンと、強く拳を握るミズリ。
「とにかく今は詳細な記録だ! 記憶などあてにならん!」
「途中からの加速も、カウンター気味の攻撃も……違和感しかないな……」
忙しく目を動かし止めどなく筆を走らせ続けるブレディと、目前で起こったアスカの戦いぶりに惚けるロブスキー。
称賛を口にしながらアスカに近づく隊員達。勝どきが沸き起こりそうな一体感のある高揚。
だがそれは、アスカの一言で一瞬で凍りつく事となった。
「さあ。次は誰が相手だ?」
お休みを頂きありがとうございました。
まだ不定期かとも思いますが、ぼちぼち更新して参ります。




