53 実力
何故か薄れてゆく粉霧の中、ヒュドラは三本の首を12時4時7時の方向にそれぞれ向けて全周囲を警戒していた。
一方向に対する目が二つしか無いために、普段より視覚情報が不鮮明だがしかたない。小さな敵の包囲を崩して、兄弟と合流するのが先だ。ヒュドラはそう感じていた。
ヒュドラの頭と認識されている部分は、稼働可能かつ再生可能な感覚器官であり、首の先に視聴嗅味触の五感と捕食能力が備わっている。
通常五つの頭を持つヒュドラの視覚情報収集能力は、頭単体では頭が一つしかない種に比べると低く、対象を複数の目で違う角度から見ることで「3Dスキャン」するように情報量を加算していく。普段そうして対象の形状や動き、対象との距離を測っているヒュドラにしてみれば、一方向に二つの目と耳しか向けられない今の状況は、暗闇と雑音の中で戦うようなものだったかも知れない。
薄くなり続けた麻痺毒を含む粉煙は、ついに完全に払われ、ヒュドラを囲む帝国小隊の配置が確認できた。
六名で壁を形成していた盾兵は、二人三組になって、正面と左右後方からヒュドラを包囲。
弓兵と法術士の組は以前より距離を取ってやはりヒュドラを包囲している。
三本の首でそれぞれに三方向を警戒するヒュドラに対して、ブレディの号令下帝国小隊は同時に攻勢に出た。
盾を構えてヒュドラに近付き、後ろ足を斬りつける。盾でヒュドラの頭を殴りつけ、首に剣を振り下ろす。
危機を感じたヒュドラは、その場で一回転して尻尾を振って小隊との距離をかせぐと、一本の首が天を仰ぐ。
「ブレス……」
ヒュドラの首が根本から膨れ、毒粉を含んだ圧縮された息が長い首を満たしていく。
その時。
顎付近まで膨張した首が、今まさにブレスを吐き出そうかとする瞬間。
ヒュドラの首が上から殴られたかのように地面に叩きつけられる。
泥濘んだ地面は叩きつけられた頭を中心に泥を飛散し、地面に出来た窪みに泥水が戻ってゆく。その中心に居たのは……。
「こうするのはどうじゃ?」
穴の中心で、泥水に膝まで浸かっていたのは、ヘッドロックの要領でヒュドラの首を締めてブレスを止めたミズリだった。渾身の力で首を締める筋肉は膨張し、上半身の衣服が破れる。
「なんと!」
「まさか!」
ブレディとロブスキーが驚きの声を上げる。
「ロブスキー! 続け!」
ブレディの命令を受けたロブスキーが、腕を交差させて自らの身体を抱くように体を縮め、苦しそうに呻き声を漏らす。
ロブスキーの上半身が一回り大きくなったかと思うと、背中の筋肉隆起と移動を繰り返し、体側面から隆起した筋肉は腕とその先の手を形成する。
呻き声が深呼吸へと変わった時。ロブスキーはアンバランスな程に肥大化した上半身と四本の腕を持つ、赤い肌の異形へと変化していた。
ヒュドラへと飛びかかる赤い異形は、ミズリを喰らおうと伸ばされた頭を強烈なパンチで払い、もう一本の首をミズリ同様脇に抱え込んで締め上げた。
驚いたヒュドラは締め上げるミズリとロブスキーごと首を持ち上げる。
だが次の瞬間ヒュドラの足元の木の根から蔓が伸びて、左右の前足にひと絡みしてからミズリとロブスキーに巻き付き、二人を左右の前足へと引き寄せる。
「なるほどな!」
ロブスキーの意図を瞬時に理解したミズリは、腕でヒュドラの首を締めたまま脚でヒュドラの前足にしがみつき、首と前足を拘束する。
逆側ではロブスキーが蔓も利用して二本の首と左前足と一緒に拘束しており、ヒュドラは三本の首と両前足の自由と視界を奪われた。
ミズリが締め上げる首がその膨張力を失って萎んでいく。
ブレスを諦めて粉を一旦飲み込むのだろうか? そう推測したミズリは、自らのエーテルを首から戻ってゆくモノに流し込んで意識を集中する。
治療にあたる時の要領でエーテルの流れを探るミズリは、五つの枝が集約された大きな袋状の器官を感知する。
「尾と後ろ足を切断!」
「「おおおお!!」」
ブレディの号令に、左右後方の兵が幾度もブレスから身を守ってくれた盾を捨てて、剣を構えてヒュドラに肉薄する。
両手で持った剣を頭上に構えて、兵たちが同じ言葉を口にする。
「「オヴァースラッシュ!」」
発声から二拍程の間の後、兵達の体が微かに発光。直後に振り下ろされた剣は、これまでと比べ物にならない程の威力と切れ味を有していた。
これまで幾度となく刃を跳ね返して来たヒュドラの革は、茹でた鳥の皮の如く脆くも切り裂かれ、巨体を俊敏に動かしてきた筋肉は太い骨と共に両断された。
「みんな使えるって凄いね」
アスカが声を漏らす。
硬直を必要とするが故に使い所が難しいであろうこの強烈な斬撃は、幅こそ狭いが斬撃は5メートル先まで届いており、相手を拘束する手段さえあれば非常に強力な攻撃手段となりえる。それを小隊前衛の複数名が使える。もし帝国勇者全員が使えるとすれば凄い事だとアスカには思えた。
しかも……とアスカは分析を続ける。
この小隊員のレベルはアスカより随分上だと思える。それでも一次変化による異世界の能力を開放したのは、副長と思われる男のみ。そして徹底的に訓練された小隊戦術。帝国勇者の成長と実力は王国より随分と上に見えた。
「巻き込まれるなよ!」
大きく跳躍したブレディが、機動力を失ったヒュドラ正面から、分厚い大剣を振り下ろす。
ミズリに押されて少しだけ向きを変えたヒュドラを、大剣は真っ二つに切り裂き、泥水に覆われた地面に突き刺さった。
末端部から徐々に色を失い、遂には砂となって崩れ落ちるヒュドラ。
一つのコインがブレディの懐へと飛び、一際澄んだ「チャリン」という音を立てる。
「「うおおおおおお!!」」
「「よおおおし!」」
勝利の雄叫びを上げる帝国兵達。
隆々とした筋肉に覆われた上半身に付いた砂を払いながら、ミズリとロブスキーが互いを認め合うように笑う。
「全盛期のアンタとやってみたかった」
「今なら勝てると思うておるのか?」
「エバンス!ゴドウィン! どうか!」
鋭いブレディの声に、二人の法術士が目を閉じて意識を集中させる。
「も……戻りました! 風精の協力をまた得られます!」
「よし、次だ! まだ生きていろよ……」
高レベルの帝国勇者小隊が総掛かりで一匹のヒュドラを仕留める間、王国勇者の獣魔がたった一匹でヒュドラを相手にしている筈であった。
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