52 提案
ドローンは、ヒュドラの吐いた灰色の粉を含んだ泥水の中で動く蛇を、アスカに知らせる。
「旦那。あれ……どう思いやんすか?」
一転してキリリとした思案顔のアスカは、瞬時に幾つかの仮説を立てる。
1、そもそも毒じゃない
2、あの蛇が耐性を持っている
3、人にだけ毒性を発揮する
異世界の食べ物でアスカの興味を引いたものがある。
「アボガド」である。
人が食すには問題ないが、それ以外の動物が食すと毒性を発揮するという、変わった性質があるらしい。
またその逆にキノコムシやナメクジという生き物は、人に毒性を発揮するキノコを食べても平気とか。
アスカは、ヒュドラの石化ブレスをミズリも知っていた事、ヘビが奇抜な色合いをしていない事、鳥の姿もあり森の生態系が壊滅してはいない事などから……。
「人に近い種にだけ効くのかも」
そう予測した。すると……。
「ちょっと試してみるでやんすね! ミズリさん解毒出来るんでやんしょ?」
軽い口調でドローンはそう言い、少し離れた所の灰色の泥水にチョコンと爪を付け、次いでビチャビチャと泥水を叩くと、アスカ等の元に項垂れて戻って来た。
「どうした? ドローン! 大丈夫か?!」
「解毒してやる! 側にくるんじゃ!」
慌てたアスカとミズリに、ドローンは低いテンションで答える。
「思ったより泥跳ねしたでやんす」
ドローンはお腹に跳ねた泥を拭っていた。
弛緩した安堵に包まれた虜囚一行とは逆に、帝国勇者の小隊は苛立ちと焦燥に胃の腑の熱さを覚えていた。
「小隊長! このままでは合流されてしまいます!」
ロブスキー等が作る、盾を組んだ壁には、未だ断続的に灰色の粉が吹き付けて来る。
戦いの最中ヘルムが飛ばされてしまったようで、ロブスキーはくっきりとした顔立ちと黒い短髪を晒していた。
「ヒュドラが風精に関与するとは、完全に想定外。あの粉煙さえ何とか出来れば……無念だ」
悔しそうに歯を噛むブレディに、ロブスキーが食い下がる。
「勇者の力と小隊長のスキル『ヘルメリー』を使えば、ブレスの範囲外からヒュドラを消し去る事も……」
「アレは火力制御が出来ん。下手をしたら一帯が吹き飛ぶ」
支流一本の毒化で済んだ所を、湿原を丸ごと吹き飛ばすのか。ブレディはそう諌める。
「粉煙を何とかしたいんだよね?」
「援軍の方も何とかなるでやんすよ?」
突然の背後からの声に、びっくりするブレディ。
「お、お前ら……」
盾壁の影、ブレディの後ろには捕虜の身だった筈の三人と一匹が、悪びれもせずしゃがんでいた。無論簀巻きにした大量のロープも猿ぐつわも、巻き付いてはいない。
「剥がされてるのは風精だけだから、ヒュドラの足元を熱くして、周りを冷やせば風精の力を借りなくても上昇気流が作れるよ」
「上へ飛ばすのか」
「倒すだけなら一分あれば倒せるんじゃろ?倒せば剥がされた風精は戻る」
「旦那の一声があれば、アッチはあっしが足留めしとくでやんすよ」
驚いた顔のブレディだったが、決断に時間は掛けなかった。
既にヒュドラに撤退戦で一分稼がれている。ここで逡巡しては合流されてしまう。
「乗った」
「ドローン!」
「了解でやんす!」
三者の言葉が食い気味に発せられ、ドローンは翼を羽ばたかせて、もう一匹のヒュドラの方向へと飛び去った。
だが、ブレディの即決にロブスキーが異を唱える。
「小隊長! 王国のヤツの言うことをやすやすと信じるんですか!?」
「大切なのは誰が言ったかではない。何を言ったかだ。エバンス!ゴドウィン!」
名前を呼ばれた2人の法術士がブレディの指示を聞き、「やってみる価値ありますね」と頷く。
「ロブスキー! お前の力が必要だ。開放して貰うぞ!」
事が進んでしまっては、異論は不和の元でしかない。ロブスキーは諦めたように笑うと一転、明瞭な是を示した。
「了解しました!……小隊長、嬉しそうですな」
「そうか?」
ニヤリと野性的な笑いを交わし合うブレディとロブスキー。
長い間、二人はこうして死線を潜り抜けて来たのだろうか。ロブスキーは全身を覆う金属鎧を脱ぎ始めた。
「見事な筋肉じゃのう」
「あんたの筋肉も相当にいいぞ」
「「ふふふ」」
ミズリとロブスキーが笑みを交わす。
「時にその女は呪われてるのか?」
ブレディの指す「その女」とは、ミズリに背負われた意識が無いミアの事である。
鼻の提灯が膨縮しており、状態は「寝ている」だと推測されたが、ミズリは肩を竦めて苦笑いするだけだった。
「アントニー!」
次いで呼ばれたのは枝上の弓兵。先程から見張りを命ぜられていた男だ。
「ハッ。逃げる素振りは無かったので……」
「見張りを厳重に、三匹目を警戒」
「ハッ!」
アスカ等の接近戦を報告しなかった事を咎められると思ったのだろう。
胸を撫で下ろした弓兵がほっと息をするのを見て、アスカとミズリはクスリと笑う。
粉煙を上昇気流に乗せて逃がす。
その任を預かったエバンスは、もう一人の法術士ゴドウィンと打ち合わせをし、アスカの案に改良を加えた。
ヒュドラの足元を火精で熱し、周囲を氷精で冷やすと共に、手元に残った僅かな風精にヒュドラを中心とした渦を形成して貰う。
これにより生まれた螺旋状の上昇気流は、風精の助力が失われても継続する筈であった。
ヒュドラは理解が及ばなかった。
密林の風は止み、小さな敵に協力する風精はもう僅かしか居ない。
なのに敵を阻む灰色の霧は徐々に薄れ、そこまで来ている筈の兄弟は現れない。
更に後退しようとして、ヒュドラは後方からあの不快な音を聞く。
敵が身に纏う物が擦れるアノ音。
自然界に存在しない物同士を擦り合わせる、アノ不快な音。
それが後方から聞こえる。
何故包囲されている。
何故毒霧は薄れている。
何故兄弟は来ない。
そして何故小さな敵は攻撃してくる。
ヒュドラの理解は及ばなかった。その命尽きるまで。
文中の「膨縮」は膨らんだり萎んだりするする様子を表す造語です。




