41 珍客
まだ夜も開けきらぬ薄明かりの空。
気の早い鳥種が寝床を後にして、朝の捕食へと群れをなして飛んでゆくが、距離がありすぎてその大きさは知り得ない。
鳥種の列から北に数キロ。この大陸に住む人種の中でも一二を争う勢力を誇るビア王国の首都アビリ。
街を囲む四角い箱状の壁。その中心からやや北にある王城の一室は、薄明かりの空にも関わらず十分な光量で溢れていた。
紫のドレスに踵の尖った靴。長身痩躯を更に際立たせるように高い位置に結われた茶の髪。知性を磨き上げたような黃の瞳。部屋の主「大賢者アキニー」は王女の補佐と言う立場ではあったが、この国の多くの実質的権力を握っていた。
応接セットに出されたティーを囲むのは、三人と一匹。
勇者のパーティに加わらんとウージー教高位神官を辞し、昨夜の魔獣襲撃で多くの怪我人を手当して命を救った初老の筋肉……いや……初老の男。ミズリ。
勇者アスカの獣魔として、装備充実の為にミズリに随伴して王都を訪れ、崩壊した協会本部の瓦礫の下から、これまた沢山の命を救ったドローン。
救われた中の一人。勇者アスカの担当導師でり、アキニーによってドローンが害されようとした時、恐れることなく身を挺して進言した導師ミア。
それと、さっきから妙に部屋の入口付近を気にする素振りを見せるアキニーだった。
各人の前に出されたティーセットは紙のように薄く、中のティーが透けて見える程の逸品だった。
薄いカップの上部を親指と人差指で持つミズリ。
両手で慎重にカップを持つミア。
そしてドローンだけが、右手にカップ、左手にソーサー持ち、背筋をピンと伸ばして、色と香りと湯気で、ティーを嗜んでいる。
「どういう事か……いやいい……」
ドローンの見事な姿に一瞬目を奪われたアキニーだったが、小さく咳払いを一つすると本題に入った。
「貴殿らを呼んだのは事実確認の為だ。私の方でも情報は集めてある。嘘偽りは立場を悪くすると予め言っておく」
その言葉に小さく身震いをして、明らかに緊張したのがミアだった。
勇者の担当導師としてアキニーの政策に携わっているが、今までは遠くからお声を拝聴するだけの遠い存在。
ミアの反応は妥当であった。
妥当でないのは他の二人。
「クッキーはクリームよりジャムの方が、この茶葉には合いそうでやんすね」
「ジャムの作り方知っとるのか」
「観たでやんす」
「……おい」
すっと目元の鋭さを増して二人を見るアキニー。部屋の温度が下がった気がして、ミアはぶるりと震えた。
「ミ、ミズリさん!ドローンちゃん!大賢者様の尋問中なのですよ!自重して緊張して落ち着いて下さい!」
一番落ち着いていないミアに落ち着けと言われて、ミズリはクスリと笑った。
アキニーは入口付近を気にしながら、質問を開始する。
「昨夜教会本部を破壊し、北の森に侵入した魔獣はドローンでは無いのだな」
ミアが即座に答える。
「ドローンちゃんではありません。北の森で戦闘が行われている間、ドローンちゃんはずっと救助活動をしてました」
「それは間違いない。騒動の始まりと思える協会が崩れた時、ワシらはペンとインク亭で楽しんでおった」
「……パンチドランカーとはな……懐かしい」
アキニーはテーブルからファイルを取ると、そこに挟まった大小様々な紙を捲る。
大急ぎで情報が集められ、メモのまま寄せられたのだろう。
「だが疑念もある。私が放った塵還動陣をアレは地中に潜るという方法で逃れ、そのタイミングでドローンが地中から這い出たのだ」
「たまたまとしか言いようが無いでやんすね。あの術を見て膨大な数の怪我人が出ると思って近付いたでやんすよ。所で暴れた魔獣はあっしみたいなモグラ系なんでやんすか?ま、あっしはコウモリとの合の子でやんすが」
アキニーは溜息を付いた。この話し方はそもそもアレが人の姿をしていた事を知らない。
王都で暴れたアレは、人の姿を最後まで崩さなかった。大賢者たるアキニーが本気で殺しに掛かったと言うのに、姿形を偽ったままで、まんまと逃げ果せてしまったのだ。
そしてまたアキニーは入口付近に目線を送る。その辺が妙に気になる。そんな素振りに見えた。
◇
『勘がいいのかなー、見えては無いみたいだけど』
『流石は大賢者って所でやんすかね』
大賢者アキニーの執務室。アキニーが頻りに気にする入口ドアの脇。そこには確かに珍客が居た。
霊体のアスカである。
『ミズリ神官には知らせた?』
『残念がってるでやんす。こんなことなら律儀にパーティを抜けるんじゃなかった。だそうでやんす』
感情が伝わるパーティという仕組み。
そのお陰で長くパーティを組む仲間とは、絶妙な連携が可能になるとされている。
ミズリはマッシー(大森林そばの街)でアスカのパーティへの参加を決めたが、教会本部から「好き勝手が過ぎる。そこまでするなら教会を正式に離脱する為に、本部へ来て手続きしろや」と言われて、マッシーを発つ時点ではパーティを一旦解除していた。
ミズリは、霊体のアスカと自分が共感出来ないのは、パーティに入っていないからだと考えていたようである。
◇
「ところでザバラウよ。敵がアレ程の魔獣を送り込んでくるのは想定外でははいのか? アレはわしらが倒した領主クラスを超えておるぞ」
ミズリの言葉に最も鋭く反応したのは、部屋の主たるアキニーだった。
ソーサーが悲鳴を上げるほど乱暴に、アキニーはカップを置いた。
「何故その名を……ミズリ……まさか記憶が……?」
「え? 今のはどういう?」
ミズリを睨み殺すほど険しい視線を向けるアキニーと、きょとんとした顔で両者を交互に見るミア。ティーを飲み干して優雅に余韻を楽しむドローン。
アキニーはミアとドローンをちらりと見る。
(記憶を封じるのは存外手間が掛かるものを……)
「導師ミア。従魔ドローンよ。今ここで交わされる会話は決して漏らしてはならぬぞ」
ぎこちなく、そして鷹揚に頷くミアとドローン。
それを見て、アキニーは覚悟を決めたように話し始めた。
「ミズリ。お主、記憶が戻ったのだな」
「そうじゃ」
「いったいどうやって」
「ワシの記憶を封じた誓約術式が、教会脱会の書類として出てくるとはの」
アキニーは肺が空になるのでは思われる程の、大きな長い溜息をついた。
「勇者伝説が嘘じゃと、言い広めるつもりは無いぞよ」
「ええええええええええええ! 嘘なんですかあああ!?」
ミアが驚きのあまりカップを取り落す。美しく薄いティーカップはゆっくり回転しながら、儚く砕け散る為に床へと落下する。……が、隣のドローンがさり気なく空中でキャッチ、テーブルのソーサーに乗せる。
「伝説の真相はこうじゃ……」
ミズリは自分の記憶を確かめるように、ゆっくりと話し始めた。
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