35 王都騒乱 其の参
「北の森に入っただと!? 何故それを先に言わぬ!」
「は、は! なにぶん深夜で兵も職員も数が少ない時間でもありましたし、なにより王都の水瓶が破壊されまして、これからの渇水期に向けて十分な水が確保出来なければ……」
バン!
テーブルを叩く音に、言い訳の続きは喉の奥へと引っ込んでいった。
場所は王城の一角。王を含む王国執政に当たるものの中でも、特に位の高い者が執務室を持つ階。昼夜を問わず明るく、フロアは温度が一定に保たれ、廊下に敷かれた絨毯の毛足は長い。
その階でも王の執政室の隣に部屋を持つこの者は、王国のみならず、この大陸において特別な人物であった。
部屋の中は白く冷たい光で煌々と照らされ、植物や果物の実る小さな樹が鉢植えされている。
部屋の主は、執務机を叩いた手で頬に落ちかかった髪を耳に掛ける。
肌よりも明るく艶のある茶の髪は頭の高い位置に結われ、細く長い首と美しいうなじを見せている。
50代と思われる長身痩躯の女性は、黄色い瞳で報告に来た文官をもう一度睨む。
「セトはどうしたか? 警備の為に王都に呼んでおいた勇者達は?」
萎縮した文官は、制服のズボンを強く握り、顔を上げずに答える。
「は! セト様と勇者パーティの一つは侵入者を追って北の森に入ったとの事です。他の2パーティは被災者救助と水瓶の応急処置に動いています。近衛長は王城に向かっている筈ではございますが、前例の無い事態にどう対処すべきか、どなたも判断が付かず……アキニー様、どうかご指示を」
耳に当てた手をそのままに、アキニーと呼ばれた女性は軽く瞼を伏せる。
(先日のキドゴ山脈の件はやはり前触れだったか。セトを王都に常駐させ、成長の進んだ複数の勇者にクエストを与えて王都に置いたが、やはり軍を戻すべきだったか……)
アキニーは音もなく立ち上がると、かかとの尖った靴で絨毯を踏みめて、力強く歩き始める。
「直ちに街門を閉ざし外壁を見張る兵には外の索敵をさせよ、騒動が囮かも知れぬ。近衛兵は王城の警備に専念。待機の兵が集まったら北の森を封鎖させて誰の出入りも許すな」
「は……索敵……専念……封鎖……」
メモを取りながらアキニーの後ろを追う文官は、ドアの前で突然立ち止まったアキニーの背中に危うくぶつかりそうになる。
「女王陛下へ報告に行ったか」
「いっいえ、誰も判断出来ずひとまずアキニー様へと。報告に上がればよろしいでしょうか?」
「いや、お休みになられているなら起こすな。どうせ有益な途中報告など出来ぬし……」
アキニーはここで言葉を切り、あとに続く「横から命令を出されても面倒だ」との言葉を飲み込んで、ドアを開けて再び歩き出す。
「以後の報告は近衛長に、私は北の森へ……」
その時。
特大の揺れと振動が王城を襲い、歩き始めたアキニーと文官、廊下にずらりと控えていたメイドが立っていられずに廊下に転がった。
直後、北側の窓にはめたガラスが次々に割れ、衝撃と突風が轟音と共に城内になだれ込んで吹き荒れる。
……。
揺れと轟音が収まり、城内に吹き荒れた埃がおとなしくなった頃。
「失礼いたしました」
「失礼いたしました」
「失礼いたしました」
「失礼いたしました」
謝罪の言葉と共に、一人また一人と、折り重なっていたメイドが立ち上がる。
「失礼いたしました」
「失礼いたしました」
最後の二人が立ち上がると、その下からは、メイドに身を持って守られたアキニーが体を起こす姿が見えた。
「ありがとう。感謝するわ。後は近衛長の指示に従うように」
アキニーはそういってメイドに軽くではあるが頭を下げると、スカートを強く引く。
紫を基調とした美しい装飾の施されたドレスは、飾りのスカート部分が優雅に舞い離れ、その下の動きやすそうなズボンが現れる。
アキニーはガラスを失った窓に足を掛けると、一瞬の躊躇も見せずに窓から飛び降りた。
船の帆が風を孕んだような音がして、黒い影がその翼を広げて北の森へと遠ざかってゆく。
「「「いってらっしゃいませ。大賢者アキニー様」」」
文官とメイド達は、腰を折り、美しい礼でアキニーを見送るのだった。
◇
「な、何が起こってるんだ!?」
「わ、分かりませんよ!!」
組法術を放った先。三角岩があった辺りは脈打つように強い光を発し、都度周囲に強力なエーテル震を撒き散らしていた。
「標的に少なくとも三条の法術が刺さったように見えたんだが……」
「あたしらとセト様の他にもう一人……いやもう一組いたってこと?」
「もう帰りましょうよぅ」
少しずつ光が弱まり、目標地点の様子が見えてくる。
「だ……誰か説明……できるか」
ナンダガは吹き飛んだ地表に下にある物と、そこで今起こっている現象を理解出来なかった。
◇
「よし。通った! 感謝するぞ四天王! さあその分厚い膜の向こうを見せてみろ」
上空にあったセトはゆっくりと着地し、アルゴスと距離を取りながら、興奮した様子で地表が吹き飛んだ場所を見ている。
「もしかして私を利用したのですか? 蛮族ごときが? ……ふふ、あなたは本当に興味深い」
アルゴスは愉快そうに笑うと腕を組んで髭を摘み、自らが利用された事の成り行きを見守る構えだ。
吹き飛んだ地表の下。
そこには金属とも陶器をもつかない黒い面があり、攻撃の中心点だった辺りは白く変色していた。
変色部分がわずかに色を変え、灰色になると、風に吹かれた灰のように薄く剥げた表面が風に舞う。
目を凝らすと、剥がれて舞う物は六角形に分裂してから塵になっており、単なる物質以上の存在である事が判る。
「防護術壁ですか」
幾重にも幾重にも張られた術壁は、剥がれ舞う層が進むほどにその範囲を小さくし、クレーター型の窪みの壁面は薄く薄く積み重なった地層のようだった。
そして遂に術壁の最後の層が剥がれ舞う。
直径1メートル程になった穴。その向こうは広大な地下空間だった。
緑が見える。
セトを警戒する様子もなく、穴の奥が見やすい位置まで移動するアルゴス。
一方のセトは、警戒を緩めずにアルゴスと穴とを同時に視界に収める位置まで真っ直ぐに後退した。
穴の間近まで来て覗き込むアルゴスの目が、珍しく糸ではなくなる。
「あれは……樹族か?」
アルゴスの目に映ったのは、法術の鎖によって幾重にも巻かれた老いた大樹だった。枝の先こそ緑の葉を茂らせてはいたが、根本は随分と前に裂けたのか治癒隆起の痕があり、地面の苔の色も茶色い。アルゴスは珍しく見開いた目を忙しく動かし、多くの情報を収集していた。
その隙きを突いて。
「そうだったのか……」
そう言ってセトが直上から穴に飛び込む。
「全く……」そう言ってアルゴスが首を振り、セトを追って穴の中に入ろうかとクレーターの縁に足を掛けたその時。
剥げ朽ちて舞っていた灰が穴の縁に吸着し、六角形の光を帯び始める。
「クロノスの逆針だと?」
飛び退いたアルゴスの眼前。時間を逆戻ししたかのようにクレーターは修復され、吹き飛ばされた地表の土や岩、草や樹木までもが舞い戻って来て、元通りに復元され始める。
「しまった。逃げられ……」
追跡の術を編もうとしたのか、複数の尻尾を出したアルゴスの遥か上空から、大量の光の槍が降り注ぐ。
「王国の秘密を知った魔獣を、生かして返す訳には行かぬ」
尚も生み出され続ける光の槍は、一度に五十本ずつ、立て続けに生み出されては地に向けて放たれ、さながら星が降り注ぐようであった。
流星の発生源。そこには踵の尖った靴と紫のズボンを履き、背中に二対四枚の黒い翼を生やした大賢者アキニーの姿があった。
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