32 再登
時間は少し戻り、場所は大森林。
月下の元、四天王ズーによる勇者アスカ強化計画が進められていた。
「そうだ。世界を流るエーテルを捉え、アストラル体とマテリアル体との連動を意識するのです」
緑の豊かな髪と金の瞳を持つ美人は、腕組みをして月下の沼を見ている。
その視線の先のアスカは、うっすらと目を開け、リラックスした様子でまっすぐに立っている。
水面に浮かぶ木の葉の上に。
「アストラル界で起こったことが、少し遅れて結果としてマテリアル界に反映される。メンタル界・アストラル界・エーテル界・マテリアル界の、薄い膜のように折り重なった世界を理解し、上位界から順にコントロールするんだ」
「え? メンタル界? わっ!」
思わずズーを振り返ってしまったアスカは、ボチャンと沼に沈む。
「集中を切らすなと……」
ズーは右手で顔を覆い、うなだれる。
水面に浮かんできたアスカは、ズーに質問する。
「概念の世界だと思ってたけど、メンタル体ってコントロール出来るの?」
「今はまだマテリアル体に染み付いた常識が重りになっているが、本来アストラル体は自由奔放。それを規律と理性で抑えるのがメンタル体なのです」
「う〜ん……理解が追いつかないな」
「まずは知る事だ。理解までの距離はそれぞれだが、現にこうして水面の葉に立てたではないか。無知が理解に至る事はないのです」
アスカは唇を噛んで、ズーから目を逸らした。
胸の中に疚しさがある。
嘘は付いていないが、ズーが勘違いするに任せて狐の人から命令を受けた仲間と思わせて、今こうして修行を受けている。
初めは時間稼ぎ、次いで情報収集の為に、そして今は……強さを手に入れる為に、利用している。彼女の善意を。
本当は狐の人に殺されたと告げたら、騙したと怒るだろうか。卑劣と見下され殺されるだろうか。
泳いで岸辺へ来たアスカは、水から上がろうとしてよろめき、浅瀬の泥中に転がってしまう。
「か……体が、重い」
アスカの傍らに歩み寄るズーの足元の泥は、泥濘んでおらずズーの足跡も無い。
「マテリアルのエーテルにたよっているな。もっとラドエナジーのエーテルを効率よく使うのです」
「どうすれば、効率よく、なるんだ?」
泥中で仰向けのまま空を見上げ、まるで持久走をしたあとのような荒い息をするアスカ。
「足裏から吸い上げたエーテルを、マテリアル内のエーテルと螺旋状に撹拌するのです。そうする事でエーテル全体に運動エネルギーが生まれ、マテリアル内のエーテル消費を抑えつつエーテルはより効率的にその力を発揮します」
「……でも先生は飛んでますよね? あれは何処からエーテルを?」
「……」
「え? あれ?」
「もう一度……」
「何処からエーテルを?」
「もちょい前」
「どうすれば効率……」
「もっと後」
ズーに期待感に満ちた視線を向けられ、困惑するアスカ。
「えっと……。先生は飛んでますよね?」
「もっかい」
「先生は飛んでますよね?」
光悦の表情で身体をふるふると震わせるズー。
「あぁ……先生! なんて素敵な響き! 何なら師匠と呼んでも良いのですよ! むしろ1回呼んでみて! さあ!」
何をこんなに喜んでいるのか分からないアスカは、混乱のまま要望に応える。
「ズー師匠」
「ああぁぁっ! なんて美しい調べ! 弟子アスカよ! しっかり精進するのですよ!」
心の底から嬉しそうなズーの顔を見て、アスカは観念したような柔らかい笑みを浮かべた。
あぁ。やはり本当の事を告げよう。彼女はこんなにも熱心に指導し、師弟という繋がりを大切に思っている。
失望されても仕方無い。
合う度殺されても仕方無い。
この胸の後ろ暗さは、きっと時が醜く育ててしまう。
「し、師匠。実は……」
「おおー! 連発かぁー!」
そう言ってズーは、上半身を起こしていたアスカの背中を、嬉しそうに叩いた。
ズチャ!
「あ……」
ズーのスキンシップにすら耐えられなかったアスカの肉体は、腰から上が肉片となって沼に散り、一瞬の後、光の塵となって宙に舞い始めた。
「ああああああ! 脆い……脆すぎる……。ごめんなさいアスカああああ! ちゃんと強くしてあげるから、帰ってくるのですよおぉぉぉ!」
消えゆく光の塵へと叫ぶズーの声が、月下の森に響くのだった。
◇
時は現在に戻り、場所は王都アビリ。
轟音を立てて崩落してゆくのは教会本部だった。
屋根の最頂部に飾られた、円と十字の意匠が地に落ちる。
その落下地点に程近い所に、逃げ惑う人々とは明らかに異なる人影があった。
「この施設を破壊すれば勇者の復活に支障がでる筈。やりすぎると盟主様の不況を買うでしょうが、このくらいなら遅延工作と認めて貰えるでしょう」
背中に束ねられた灰色の長髪。長い前髪の奥の糸目。その人物は崩落する教会本部を見上げながら髭を摘んだ。
「私の術に似たエーテル振を感じて来てみたのですが……あの感じは相当に古い記憶操作術。なぜ蛮族の街であんなものを感じたのか……」
「そこの曲者。こっちを向け」
糸目の男の背後十メートルに立つ影。
「やっと現れましたか。中途半端な隠蔽術が罠っぽかったのでね。こうして招待した訳ですが」
未だ崩落を続ける教会本部を背に振り返ったのは、狐目の人種に扮した補佐官アルゴスだった。
「ああ。なるほど。貴方がセトですね。少し話がしたいのですが」
黒い肌、黒い鎧、銀の短髪、そして異様な存在感を放つ長剣。糸目の男と対峙しているのは、紛れもなく王国随一の勇者、セトだった。
セトは警戒意識を一気に引き上げ、腰間の長剣を抜いた。
(あのもの言いは……先日の四天王と同じ。今回は油断などしない)
石畳が爆ぜるが、そこにすでにセトの姿は無い。
目にも止まらぬ速さで一気に距離を詰め、セトは糸目の男に長剣を振り下ろす。
風に舞う葉を指先で摘むように、アルゴスはセトの長剣を掴み、アルゴスの周囲の石畳と背後で崩落中の教会本部だけが、一気に砂にまで還元される程の速度で砕ける。
「ふむ、言葉が通じていない可能性は低い筈ですが……」
「勇者が人前で曲者と話せるか。一度反撃して付いて来い」
糸目の男は「ああ、なるほど」と愉快そうに答えると、分かりやすい程に大きく振りかぶった拳を、せーのとセトに突き出した。
余裕をもって躱された攻撃ではあったが、その破壊力はセトの想像を遥かに上回った。
その一撃は、大通りの石畳を幅5メートル深さ2メートルに渡って抉り、その先の文官庁舎に大穴を穿ち、更にその向こうの貯水池を破壊して濁流を引き起こした。
追う物と追われる物の体でその場を離れた二人は、王城の北、王族が催事や狩りを行うための管理された森へと流れて行く。
後ろを振り返り、追従する糸目の男と破壊された王都を視界に収めるセト。その口角が微かに上がった様に見えた。
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