29 パンチドランカー
城門東口からほど近い、通称武漢通り。体力自慢の武官や兵士を相手に酒と食事を振る舞う店が軒を連ねる通りである。
数ある酒場の中でも老舗の一軒に数えられる「鉄のコブシ亭」は、店に入りきれない大勢の客が大きな窓から店内を覗き込み、通りに人だかりを作っていた。
押し合いながらもジョッキを片手にどうにか店内が見える位置まで割り込んだ男。押しつ押されつ店内の様子を見た男は、その上気した顔から更に湯気を出す程に興奮し、目と口で三つの丸を作って驚きを表した。
「勇者 VS 伝説のモンク with パンチドランカー」
特等席たる鉄のコブシ亭店内はバトルスペース確保の為、既に入店禁止。開け放たれた窓からは「見るなら酒を買いな」と言わんばかりに、給仕が眼前にジョッキを伸べる。鉄のコブシ亭のジョッキを持たない者は押しのけられ、ジョッキが空になった者もやはり端に追いやられた。
店内ではバーテンダーが、小さな弦楽器を肩と頬に挟んで軽妙な音楽を奏で、既に第一ラウンドが始まっている事を示していた。
この伴奏がキッチリ5分。対戦者はその時間を掛けてじっくりと黄金色の強酒を呑むのが習わしだ。
テーブルに向かい合わせに座ってショットグラスを空にする両者の、言葉の応酬もドランクラウンドの楽しみの一つである。
「ふん! 妙な盛り上がりだが、勇者がハゲジジイに負ける訳が無いんだが?」
そう言って4杯目のショットグラスを空にしたのは、勇者一行のリーダーと思われた男だった。すぐ後ろにはパーティメンバーが店内外の異様な盛り上がりに、ちょっとだけ不安そうに立っている。
「うんむ……この酒は……美味いのう! あっさり負けんでくれよナンダガ殿」
テーブルを挟んで向かいに座るミズリは5杯目をゆっくりと喉に流し込み、その酒の尾と鼻へと抜ける戻り香を楽しむと、足元で興味津々の様子で目を輝かせているドローンに笑いかける。
「あ? 何がナンダガだって? 俺様は世界を救う為に召喚された勇者様なんだが?」
「お、おい」
「……ナンダガ……って、そゆことなの?」
5杯目に口を付けようとした勇者が、ナンダガと呼ばれたのが自分だと気付いて目をむくが……。
「頑張れナンダガ様! 負けるなよ!」
「「勇者ナンダガ! がんばれ!」」
店内外から掛かるナンダガ頑張れの声援と、テンポアップの末に終了した伴奏に尻を押されて、5杯目のグラスを空にしてテーブルへと乱暴に置く勇者。
「……ふん。まあいい。一次変化の制御が完了すればどうせ好きな名を名乗る事になる。今の名など、どうでもいいさ」
ナンダガ頑張れを叫んだ者が、人の背に隠れて懸命に笑いを堪える中。双方が5杯の盃を空にしたテーブルは素早く壁際に移動され、店内のバトルスペースは歓声で満たされた。
「なんかさっき伝説のモンクとか聞こえたけどさ、あのジジイ格闘家あがりなの?」
「だとしてもアガリ。だったって話さ。体つきが良くたって直ぐに息があがるだろう。負ける要素がないんだが」
「おいおい、賭けてやがるぜ。賭けが成立すんのかよ」
パンチドランカーはその勝負の数だけ、博徒の歓哀を産んできた。
いつ決着が付くか分からない為、ラウンド毎に掛け金が増えてゆく。
勝負が長引けば長引く程に配当は大きくなり、その配当が呼び水となってさらなる掛け金を引き寄せる。
第一ラウンドの掛けが締め切られ、掛け金の総額と配当がメニュー板に書き出される。この時点ではまだ配当の大半は店の報酬金であり、金額は大きくない。だが……。
勇者3 対 ミズリ7
七割の客が勇者の敗北を予想したその比率に、勇者一行は熱り立った。
「はぁ?!」
客席を睨む低沸点勇者を「まあまあ」となだめたのは、これまで静かにしていた細身の勇者だった。
「良いじゃありませんか。装備を更新したばかりで懐も寂しいですし。報酬が美味しいからこのクエストを受けて王都まで戻ったんですから、この際ついでにガッツリ儲けさせて貰いましょうよ」
細勇者はそう言って皆から金を集め出した。全財産を賭けろと説得している。
パーティ全員のコインを細勇者が預かったその時、甲高いゴングの音で勇者達の意識はバトルスペースへと引き戻された。
歓声に沸き立つ店内。店主初め古い常連はこの熱気を懐かしく、若い客は初めて目にする噂のバトルに興奮し、声高らかに双方を応援している。
「手加減がたりなくて即ダウンでも悪く思うなよジジイ。余興に慣れてなくてな」
手首をプラプラさせながら首をゆっくりと回す勇者ナンダガの表情には、余裕以上のシカタネーナが含まれていた。
一方のミズリは、深く腹で息をしながら両手の指を開閉させている。
その場ですっと腰を低くし、右足を後ろに引いて半身で構えるミズリ。右肩近くで握られた拳に対して、左手は開いたまま少し前に出されている。
その構えをみて、フンと鼻でわらったナンダガは、左足を前に踏み出して半身に構えようとした。
その時。
ゴッ!
勇者ナンダガの視界は回転し、背中と後頭部を強かに床に打ち付けると、視界の天井に見えてはならない星を見た。
歓声で我に返り、後方に跳ね起きてすかさず構える勇者ナンダガ。
即座に追撃に備えたのは見事だったが、構える為に出した足を払われたと気付いたのは、足首に鈍い痛みを感じてからだった。
目をパチクリして、頭上の星を追い払うかのように頭を振るナンダガ。
「相手の間合いも分からんのに、構える前に踏み込むもんじゃないぞ」
ミズリが構える時の足の運びをレクチャーし、店内の客が感嘆の声を漏らす。
ここは武漢通り。飲み客の殆どが武術に覚えがあり、その腕っぷしを飯の種にしている者の集まる場所。客の老若同様、兵士見習いの雑用係から教官級まで、腕っぷしも様々だ。
その中で中堅以上と目される者たちは、今の足払い一つで腕を組み、大きく頷いている。これは見応えがあると。
「フッ!」
短く息を吐いてナンダガが仕掛ける。
水面蹴りで左足を狙い、右フックで左頬を、回転力そのままに裏拳で再度左頬、更にローキックで足を払いに行く。
しかし、いずれの攻撃も、最低限の動きで躱されてしまう。
だが口元に笑みを浮かべたのは、攻撃を躱されているナンダガだった。
ナンダガには計算があった。
この偉そうなジジイをゼーゼー言わせて這いつくばらせる。その為にはまずスタミナを奪う事。足元を狙ってとにかく足を使わせる。昔は凄かったらしいが見てくれの筋肉が重りになってスタミナはより早く減るはず。
相手と自分のギャップが最もある能力を、効果的に攻める。それが彼の勝利の方程式だった。
だが。
「ナンダガ殿。経験者としてアドバイスさせて貰うがの、酒と回転系の攻撃は相性が悪い……」
「う! うえええぇぇ……」
ミズリが言い終わらない内に勇者ナンダガは口から液体を流し、数秒床にうずくまった。
「な……なるほど……。だが足りないのが経験と言うなら望むところだ、勇者の急成長を舐めるなよ」
勇者ナンダガは、口角にゲロを付けたまま余裕の笑みを浮かべるのだった。
読んで頂き、ありがとうございます。




