28 青の秘密
カラン。
「いらしゃいませ!」
扉を開けて酒気に溢れた空気を顔に浴びたのは、ミズリとドローン。
訪れたのは東城門近く、酒場が軒を連ねる通称武漢通りの一軒「鉄のこぶし亭」だった。
時間が遅い事もあって、店内は既に酒の支配する時間になっており、店内は大声での歌や笑い声で溢れていた。
「おるのか」
ミズリは入り口近くにある大ランプを見て、少しだけ口を歪める。ランプの光は青だった。
騒がしい店内の奥に目をやれば、確かに奥のテーブルに人の輪が出来ており、中心には場違いな程に高価な装備を纏ってジョッキを煽る一行が見える。一番騒がしいのはそのテーブルだった。
片付けの終わっていない近場のテーブルにミズリは腰を下ろし、ドローンも抱えられてちょこんと隣の椅子に置かれた。
ミズリは気取りもおごりもなく、テーブルの皿を重ね盃を寄せて給仕が下げやすい位置に集める。
「何で勇者が居るって分かったんでやんすか?」
店内が騒がしい為に、ドローンはミズリに耳打ちするほどに近づいて質問する。
問われたミズリもドローンにだけ聞こえるような声で答える。
「あの大きなランプじゃが……近くに勇者がおると青く、おらんかったら黄色く光る法術具じゃ」
「なんでそんな物が必要なんでやんすか?」
食器を下げながら注文を聞きに来た若い給仕に、おまかせで三人分の料理を頼んで背中を見送ると、ミズリはドローンに説明を始める。
ミズリの話はこうだった。
国家事業として行われている勇者召喚。その召喚された勇者も千差万別でその全てが人格者でもなければ、導師の指導に従う者ばかりでもない。
暴虐に振る舞う勇者に不満を抱く国民も居たが、直接的な対立は避けたい。そこで「せめて居る時だけは」勇者を敬い気分良く魔王討伐に励んで貰おうと、勇者センサーが生み出された。
そしてどうしてもトラブルの多かった酒場などに、大ランプの形で置かれ勇者に対して感じよく接するようにと定められたのだと言う。
話を聞いたドローンは微妙な顔付きになってしまう。
「つまり演技なんでやんすか?」
「んー逆とも言えるな。勇者には感じよくしましょう。ただ、居ない時に愚痴をこぼすくらいなら良いぞ。ってことじゃな」
そう言われてもドローンの表情は晴れない。やはり国ぐるみで騙してる感が拭えない。
その時食事が運ばれてきて、テーブルの上は鶏肉のシチュー、焼いた牛肉を薄く削いだ物にヨーグルト掛けた料理、豆と野菜のスープなどが並べられた。
料理を運んできた初老で恰幅の良い店主が、行儀よく椅子に収まる肩乗りサイズのドローンを見て目を細める。
「従魔なんて久しいですなー。昔は従魔用に肉の塊を準備したもんですが。ソイツは人と同じ物でいいんですか?」
「そんな時代もあったな。ドローンは言葉も話すし、そこらの勇者なんぞより余程マナーが良いぞよ」
そう言われた店主が、ミズリを見て垂れた瞼を大きく持ち上げる。
「も……もしやミズリ様では!?」
パンをスープに浸けながら、小さく頷くミズリ。
店主は嬉しそうに両手を胸の前で組むと、ミズリの隣にしゃがみ込みミズリに話し掛ける。
「なんと! 髪がなくなった以外、姿勢も眼光もそして見事な筋肉も、なんら変わらないではありませんか!」
「有名人なんでやんすか?」
ドローンがスプーンを使って上品にスープを掬っている。異世界のテーブルマナーを動画で勉強したドローンのマナーレベルは、実は王侯貴族レベルだったりする。
その上品な食事姿に一瞬我を忘れた店主が、ドローンの質問に答える。
「私がまだこの店に給仕で入った頃、ミズリ様には大変良くして頂いのです」
老店主はまるで自身が若返ったかの様に目を輝かせて、若かりし日の思い出を語る。
粗野な勇者一行から守ってくれた事、祝賀パーティの給仕として王城に入れるよう推薦してくれた事、そして酒場での喧嘩の数々。
「ちょっと待って欲しいでやんす。ミズリさんって何歳なんでやんすか?」
その時店主の反対側から、ミズリに遠慮がちな声が掛かる。
「し、失礼します。話が聞こえてしまいまして、ミズリ様なのですか?」
「いかにもミズリじゃが、あまり騒がれるのは困るのう」
「はっ。記念に拳を触らせて頂いても……」
そう言いながらも、遠慮がちな物言いとは逆に、若者は既にミズリの拳に触れている。
苦笑いする店主は、騒ぎにならぬよう約束し、テーブルを離れていった。
「ほんとに有名人なんでやんすね。この料理はヨーグルトじゃない方が好きでやんす」
「一応魔王を倒したパーティメンバーという事になっとるからの」
「え!?」
「それも後でじゃな」
ミズリとドローンのテーブルは、披露宴の新郎新婦席の様に、入れ替わり立ち替わり人が訪れ、都度料理と酒が増えていった。既に食事から酒に軸足を移したミズリと異なり、ずっと上品に一定のペースで食べ続けるドローンが少し大きくなっている様に見えるのは錯覚では無い。
空の皿が下げられても尚、訪れる人によってお供えの如く増えるジョッキや酒瓶はやがてテーブルを埋め尽くす程の量になっていた。
その様子を面白くなさそうに眺める一行がいる。
「あ? なんだあのジジイと魔獣じゃねえか。なんであんなにチヤホヤされてやがんだ? 金持ちか?」
「俺ら勇者にこそチヤホヤするべきだと思うんだが?」
「ちょっとぉ、見たことない瓶あるわよぉ。あれ飲みたぁい」
舌打ちを一つして、もっとも沸点の低そうなあの粗野な勇者が腰を上げる。
ミズリのテーブルに近づく勇者と、期待を含んだ目でその様子を伺う酔漢の目。
会話しながらも、目線はミズリ達のテーブルへ。厨房含め店内全ての人がそんな有様だった。
「ようジジイ。縁があるな。その酒、俺ら勇者様パーティが貰ってやるよ。どうせ飲みきれないだろ?」
そう言って粗野な勇者は、返事を待たずに酒瓶を二本三本と抱え始める。
「おおぅ」
店内に非難めいた声が漏れる。敬意の現れとして供物の様にミズリに捧げられた酒が持っていかれようとしているのだ、当然の反応とも言える。
ピシィ!
ミズリの手にある珍味「ナマズの髭」が鋭く走り、粗暴勇者の手を強かに撃つ。粗暴勇者は小さく苦悶の声を漏らし、抱えられた酒瓶は宙に浮いた。
「「ああっ」」
周囲が酒瓶の落下に肝を冷やすが、ミズリが二本、ドローンが一本、見事に酒瓶をキャッチし、テーブルの元の場所に収める。
「ジジイ! やろってのか!」
「勇者様と事を構える気があるなら、相手してやってもいいんだが?」
三名の勇者がいつの間にか粗暴勇者の背後に立ち、テーブルは一触即発の空気に包まれる。
右に左にゆっくりと店内を見回すミズリ。視線は再び中央に戻り、粗暴勇者の目を見据える。
その時。
「酒場で揉めるなら伝統のパンチドランカーだよな!!」
「おおお!」
「パンチドランカー?! まじか! 勇者の相手は誰だ?」
「……え……ウソ……」
店内を手拍子が満たし、酒と料理の乗ったテーブルは下げられ、新たなテーブルに金色に澄んだ酒を満たした瓶と、十個の伏せたショットグラスが並べられる。
手拍子は足踏みを呼び、足踏みは雄叫びを呼び、店内の客とテーブルは壁際へと下り、ミズリ達と勇者一行は店の中心でテーブルを挟んで睨み合う格好となった。
異様な盛り上がりと、やけに良い手際に戸惑う勇者一行。
「なにが起こってるのか分からんのだが?!」
「ダンスぅ?」
「パ……パンチドランカーだと?」
「古来より酒場の猛者は喧嘩か酒。なれば両方強いが真の猛者! 武官通り伝統の闘い! パンチドランカー、始めるぞぉ!!」
「「「うおおおお!!!」」」
店主の宣言に店内のボルテージは一気に上がり、筋肉質の客は次々と上着を脱いで、これでもかと筋肉を隆起させる。
「なにやったってジジイに負ける訳はないが、ルールを説明して欲しいんだが?」
テーブルに近付いた店主が、伏せられたショットグラスを直し、金色の澄んだ酒をグラスに満たしながら説明する。
「この強い酒を5分かけて5杯呑む。そして2分間ガチンコで殴り合う。これをどちらかが倒れるまで延々と繰り返す! 最高だろ?」
若さを取り戻したギラギラとした目で、店主は嬉しそうに勇者に笑い掛けた。
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